「無教会」第3号<2000215日)論考

胸が熱くなることによって見えたもの

現代無教会のグノーシス的傾向

                                                             高橋照男

1 「胸が熱くなる」ことによって見えたもの 
            
 私は東京聖書読者会でそれまで10年間ヨハネ福音書を読んできたが、1997年春、第20章「空の墓」の個所にさしかかったときのことである。このことに関する約60ほどの文献を読んだところ、それは大略二つの見解に分かれていた。その一つは、イエスの墓が空になっていたというのは「聖者伝説」の一種で神話であり、史実ではないとするもの。これは大体において近代聖書学の旗手たちのものであり、頭がすっきりした。ところが一方それを史実と信じている人々の本を読んだときには胸が熱くなるという現象が起きた。これは実に顕著な差であった。この原体験が私にとって、有体的復活、使徒伝承、さらには再臨信仰への開眼の起点となった。私の胸が熱くなったが故に一瞬に見えたもの、それは次のことである。

1 イエスの墓が空であったことは歴史的事実であること、
2 それは罪の赦しと永遠の命の実在の証拠であること、
3 その信仰告白伝承は地上で(歴史的に)連鎖的につながり
                ついにこの私にまで到達したこと。

 なぜ「空の墓」が史実であると信じられるようになったか

 「胸が熱くなった」ことによって見えた最も重要なことは、「空の墓」の史実性である。近代聖書学の成果で、イエスおよび福音書執筆の背景についてはつぎつぎと真相が明かにされてきている。その結果「空の墓」の物語は「聖者伝説」であり、史実ではないとの見解が私が読んだ文献の約半数を占めていた。私自身も長い間それに似た考えであった。そう考えると頭がすっきりするからである。しかしそういうときに胸は熱くならない。これとは反対に「空の墓」を史実と信じている人々の見解を読むと、不思議に胸が熱くなった。そして胸の熱さが故に心の目が開かれ「墓が空であった」ことは歴史的事実であると信じざるをえなくなったのである。このように主観的なことで「空の墓」を史実とみなすのは科学的方法とは程遠いものであるが、「胸が熱くなる」ことによって聖書の真理が分かるということはエマオ途上の二人の事件がこれを補強する。

ルカ24章31―32節、(塚本虎二訳・以下同)
(その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。

 わたしは自分の目で空の墓を確かめたのではない、しかしマリヤ(女たち)そして主の愛する弟子(使徒ヨハネと考えられる)、ペテロの証言をはじめとし、それ以後連綿と二千年間続いてきた使徒伝承の内容が本当であると、胸の高鳴りが故に(こういう信じ方は非科学的ではあるが)信じる事が出来るようになったのである。

 復活信仰に伴う喜び

 イエスの復活の記事には必ず「喜び」という現象がついて回る。(マタイ28章8節、ルカ24章41節、ヨハネ20章20節など)私自身も「空の墓」が歴史的事実であると信じられるようになったとき地震のように湧き上がって来たものがある、それは「喜び」である。そして死に対する考えがずいぶん変わった。それまでは信仰を持っていても死は恐怖であり、底知れぬ悲しみ、また淋しさに襲われるものであった。そして死後の世界のことは、ただぼんやりと信じる世界のことであった。しかしイエスの遺体の物理的消失という超自然的なこと、しかもそれが歴史的事実だったと確信が持てると、来世は必ずあることが疑おうにも疑えなくなった。死の悲しみに歯止めがかかった。それは天国の家の権利書を眼前に見てそれを握り締めた感じとなった。そしてこの「喜び」が死の恐怖を和らげるようになったのである。死は一時の眠りであり(ルカ11章11節、マタイ9章24節)、朝がくれば復活の喜びである。今の世のこの喜びはその前味であると思えるようになった。この喜びの事実もまた復活が真理である事の証明である。
 さて今日「私は復活を信じている」という人がいるとき、それは大体において次のような論理である。「イエスの死によって悲嘆にくれていた弟子達が急に見違えるように活動し始めた。このことによってその背後には何かがあったらしいことが分かる。復活という事実がなければそれは説明できない。」こういうことでの復活信仰である。私も長い間このような信仰であった。しかしこれは頭の信仰であり心からの信仰ではなかった。冷たい論理の信仰であったのだ。復活信仰はマリヤに始まる史実伝承とそれを受け継いだ人々の信仰告白を聞いて自分の「胸が熱くなり」そして「喜び」が湧いてくること、ここに本道がある。墓にあったはずのイエスの遺体は消えた。その超自然的な現象は、人間が来世と永遠の命を信じやすくするための神の最良の手段――歴史的証明――だったのではあるまいか。

 有体的復活とはどのようなことであるか

 イエスの復活は、人の心の中への復活ではない。事実、目に見える形での復活であった。しかしその体は我々の肉体のように物理的体でなく、閉まっているドアの向こうからすっと入ってこられ(ヨハネ19章20節)、また目の前からすっと姿が消えるような(ルカ24章31節)性質のものであったらしい。つまり普通の肉体ではなく霊体であるが肉眼で見えたらしい。イエスの復活が有体的復活である事は、イエスの体が物理的に消失したこと、墓が空であったという物理的事実が裏付けの証拠となっている。
 イエスは復活の霊体で目に見える形で復活した。このことは塚本訳聖書では次に示すようにその敷衍の故に明快である。

使徒2章30節
神は(救世主である)このイエスを(預言どおりに)復活させられました。わたし達は皆このことの証人です。(イエスの復活を目の当り見たのだから。)"

使徒10章39―40節
(使徒たる)わたし達は、イエスがユダヤ人の地、ことにエルサレムでされた一切のことの証人です。・・このイエスを人々は“(十字架の)木にかけて”処刑した。(しかし)神はこの方を三日目に復活させ、(人の目にも)見えるようにされた。

 
 使徒伝承への目覚め

 

 わたしが「胸が熱くなって」分かるようになったもうひとつの重要なことは、使徒伝承である。わたしは墓が空になっていたのは史実であると信じている人々に触れて胸が熱くなったのであるが、その出会いはほとんどが著書においてであり、しかもその多くは過去の人であった。しかしその人々には証人としての光があった。わたしはその複数の証人に私にとっての「使徒」を見た。そこに歴史と空間を貫く「聖なる公同の使徒的教会」(ニカイヤ信条)を見た。そこには「権威」があった。そしてその権威の力、権威の光が二千年間連鎖して、「ついにこの私にまで到達した」ことが見えたのである。このときあのパウロの「一番最後には、さながら月足らずのようなわたしにも御自分を現わされた。」(第一コリント15章8節)が理解できた。信仰告白伝承の鎖はついにこの私にまで到達した。わたしは今連鎖の最後に結ばれた。そしてかくなるうえは次世代に向けてこの鎖を投げかけなければならないと思うようになった。

ルカ福音書四章18―19節
“主の御霊がわたしの上にある、油を注いで(聖別して)くださったからである。主は貧しい人に福音を伝えるためにわたしを遣わされた。囚人に赦免を、盲人に視力の回復を告げ、”“押えつけられている者に自由をあたえ、” “主の恵みの年(の来たこと)を告げさせるために。”

 人間が人間であるが故に犯す罪の悩み、人間が人間であるが故に持つ死の悲しみ。その罪の悩みと死の悲しみからの解放の喜び、この驚天動地の「よきおとずれ」、これが次世代へ伝承すべき内容である。我々は今二千年間続いてきたこの「解放の喜び」の信仰告白伝承の最後の場に立たされている。「空の墓」の歴史的事実を聞いて「胸が熱く」させられた者は喜びのうちにそれを告白し、それを聞いた人は胸が熱くなる。その人はまた「私も胸が熱くなった」と言って歴史の事実を確信する。その連鎖反応が歴史的につながって行く。その原点は「空の墓」という歴史的事実である。個人の宗教体験に土台を置くのではなく、「空の墓」という歴史的事実を証拠とする信仰告白。これが不思議と人の胸を熱くするのである。「空の墓」の告知はなぜかくまで人の胸を熱くするのか。それは救いの証拠が歴史的事実の上にあることを示すからであり、それが理性の安息をもたらすからである。

 現代無教会のグノーシス的傾向

 集会で11年間読んできたヨハネ福音書は1998年3月に終了し、4月からはヨハネの手紙に進む事にした。その手紙を学ぶに当たって、始めにその執筆の動機や背景を学んだところ、それは実に現代無教会の諸相と類似している事がわかった。グノーシスのことである。私の胸を熱くした「使徒たち」はカトリック、プロテスタント、無教会の区別はなく存在していて、私はそこに時空と教派を超えた「聖なる公同の使徒的教会」を見た。しかし無教会に限って言えば内村鑑三に始まる二代目までには、胸が熱くなる「使徒性」を感じたのであるが、それ以後は減衰して次第にグノーシス化の傾向をたどっていることが分かったのは新しい発見であった。
 グノーシス、その中でも特にヨハネ教団が直面したグノーシスの思想は、この文献のここにあると特定できないのが今日の学問的見解である。そこでその思想を探る方法としてはヨハネの手紙が敵を批判する部分を裏返してみて、そこにその思想を読取ろうとする方法がとられる。とにかくアガペーの言葉が沢山出てくる手紙であり、一見美しいと思われるヨハネの手紙であるが、良く読んでみると実に激烈な批判に満ち満ちていることが分かる。「初期キリスト教の敵はローマ帝国にあらずしてグノーシスであった」という言葉はこの手紙を読めばわかる。
 現代の無教会がグノーシスに類似していると感じるその事実を述べてみよう。まず復活の問題である。わたしが「墓が空になった」ことが復活の証拠であると言うと、「イエスの死体が墓に残っていたとしても復活信仰はありうる」という返事が(それは常に時事問題、社会批判に熱心な人たちにあるのはなぜだろう!)ある。それは、死者の霊は肉体を離れて永遠に神のところに憩い、そのままという考えなのである。力が無い。復活の朝の再会の希望と喜びの希望が無い。本当の喜びは再臨の時の復活の体での再会、歓喜である。子供を亡くした母親に「霊魂は不滅である」「天国で会える」と言っても何の慰めにもならない。復活である、再臨の時の復活体での再会である。これを神は人類に教えようとして「初穂」としてイエスを復活させて見せた。また死は一時の眠りであり神の一声で生命を与えられることの証明として、「ラザロ、出て来い」(ヨハネ11章43節)と言ってラザロを復活させたのである。それであるのに、体の復活などを重要視しない考え、それは神から出たのではない、反キリストの霊である。第一ヨハネに現れたグノーシス思想は次の通りである。

第一ヨハネ4章3節
どんな霊でも、イエス(が肉体を取られた神の子であること)を公然認めないものは、神から(出たの)ではない。それは反キリストの霊である。それが来ることを、あなた達は(かねがね)聞いていたのであり、今やすでに、それがこの世におるのである。

 わたしが出会った「イエスの死体が墓に残っていたとしても復活信仰はありうる」との思想は、イエスが肉体を取られた神の子であることを信じない思想とどこか同じであり、その思想的傾向、雰囲気はグノーシスとかなり似ている。それは霊肉の分離、霊魂の不滅思想である。

 次の類似点は、無教会は地上の見えるもの触れるもの聞こえるものを毛嫌いし、尊いのは霊で、見えるものをそれより低いと考えていることである。イエスは肉体をとってこの世に来たのである。手に触れる形で来たのである。第一ヨハネの冒頭は次のように始まる。

ヨハネの手紙第一 1章1節
(世の)始めから(すでに)おられたもの、(それは)わたし達が(この耳で)聞いたもの、自分の目で見たもの、直観しまた自分の手でさわったもの、(すなわち)命の言葉について、――

 もし霊が見えるものよりも尊いならばキリストは肉体をとって見える形でこの世に来なくても良かった。無教会は見えるもの触れるものを嫌う結果、その信仰は精神主義となり、ついにイエスの死体が墓にありつづけても復活信仰はありうるという発言になるのである。それは歴史的事実を軽視することであり、その救いは阿弥陀の本願と似たものになる。
 現代の無教会はグノーシス的である。精神主義である。復活の使徒伝承――歴史の事実を土台とする信仰告白――を継承しなかった報いとしてこうなった。

 ヨハネ教団の分裂と新たに選択した道

 ヨハネ教団はグノーシスの出現により内部分裂したが、それにどう対処したかを次に見てみよう。まず分裂の事実はそれは次の個所からわかる。

ヨハネの手紙第一 2章18―19節
小さい人たちよ、(いまや)最後の時である。反キリストが現われるとかつてあなた達が聞いたように、今や沢山の反キリストが出ている。このことから、(いまが)最後の時であることをわたし達は知るのである。彼らはわたし達の中から出ていった。

 なぜこのような分離がおこったか。それはヨハネ教団のその高度な教会観のためである。それは、教会制度なく、儀式無く、信者は人間の教師からではなく神に直接導かれるという、無教会に似たもの(ヨハネ一六章一二―一四節)だからである。ヨハネ教団は無教会的であるが故に内部にグノーシスというグループが出現した。これは各自が霊によって導かれると考えることから出てくる当然の結果である。
 信者は神から直接教えられて歩むということ、これは新約の究極の姿であると同時に分裂の前提である。その結果ヨハネ教団は分裂した。このときヨハネ教団はこの分裂問題に対処するために、ヨハネ福音書の増補改定第三版を出したのだという。(アーバン・シー ・フォン・ヴァールド「葛藤の信仰共同体……ヨハネ共同体の歴史と社会的背景」インタープリテーション一九九六年五月号)このヨハネ福音書第三版の編集者は、ヨハネ福音書に第二一章を加え、一五―二三節[ペテロ殉教の予言]でペテロの使徒性を高く評価し、ペテロの影響下にある集団との接近と協調を図った。そしてペテロ亡き後は制度や宗教専門教師ではなく「(無名の)主の愛する弟子」が使徒伝承(復活の告知)の主役であると断言する。(ヨハネ二一章二〇―二四節)
 このようにヨハネ教団はその分裂と混乱を収めるために、父祖たちの伝承に回帰するという道を選択した。このことを第一ヨハネでは次のように言う。

ヨハネの手紙第一 2章7節
愛する者たちよ、わたしは(何も今までになかった)新しい掟をあなた達に書いているのではない。むしろ(イエスが来られた)始めからあなた達が持っていた古い掟である。古い掟というのは、あなた達が(かつて)聞いた御言葉である。

ヨハネの手紙第一 2章24節
あなた達は始めから聞いたことを(いつまでも)留めておかねばならない。もし始めから聞いたことがあなた達に留まっているならば、あなた達は(永遠に)子と父とに留っているであろう。

 ヨハネ教団はグノーシスによる混乱の解決に「始めから」のものという使徒伝承に回帰した。しかしこれはペテロに土台をもつ初期カトリシズムへ回帰したというわけではない。使徒ペテロや使徒ヨハネに始まる使徒伝承そのものへの回帰である。しかしその担い手は使徒という人間への回帰ではなく、「(無名の)主の愛する弟子」に現れた信仰告白に土台を置くべきであるとしているのである。ヨハネ福音書が「使徒ヨハネ」の名前を出さないのは、人間ヨハネに教会の礎を置かないようにとの配慮であると考えられる。人間ペテロにカトリック教会が礎を築いたのとは異なる。ヨハネ教団では復活の信仰を固く保つ無名の信徒、そこに伝承の主役を見たのである。先生を祭り上げないで真実の信仰をもつ無名の信徒をエクレシアの土台とする洞察は優れていると考えなければならない。ヨハネ教団が取ったこの道を、現代の無教会は指標とすることができるのである。

 使徒伝承と無教会、 神はなぜ日本に無教会を植えたのか

 「神が日本に無教会主義を植えた目的は何か」。これがわたしの長い間の疑問と課題であった。1999年1月、キリスト教愛真高校の校舎増築竣工検査の日に、風間文子校長から伺った話に私は膝を打った。風間校長が恵泉女学園(風間校長はその中学と高校の校長を歴任された)におられたときのことである。時の理事長であった武藤富男氏(キリスト新聞社、教文館会長を歴任)が、教職員に対し「無教会の人達(職員たち)をいじめてはならない、彼らは十字架と復活を固く信じている。彼らにはそれきり無いのだ。」と語ったと言う。これを聞いてわたしは長年の課題が一瞬に解けた。「神は無教会に復活の使徒伝承を負わせたのだ。教会組織抜きに使徒伝承だけで立たせたのだ」と。教会組織という外側をはずして使徒伝承の中味だけを継承させたのだ。もの事は外側を壊さなければ中身が見えない。福音は教会組織と言う壁で内部が見えなくなっていた。武藤氏の「彼らにはそれきり無いのだ」という指摘は、無教会は本質だけで立たされた集団であることを、ひらめかせてくれた。外側の教会組織は内部を覆い隠すという弊害をもたらすからである。教会はイエスの体という「宮」ですでに完成しているのだ。教会という建物はイエスの復活ですでに完成している。今は旧約でなく、新約の時代なのである。

ヨハネ2章21―22節
しかしイエスは自分の体のことを宮と言われたのであった。だから死人の中から復活された時、弟子たちはこう言われたことを思い出して、聖書とイエスの言われた言葉と(が本当であること)を信じた。

 無教会は外側が無く使徒伝承の中味だけで立っている。ここに命があるのだ。神が日本に無教会を植えた本質はここにあると見る。それは宗教上の不純を排除するという消極的な集団ではなく、使徒伝承を担う旗手としての積極的な無教会、そこに無教会の本質があると思考する。

9 有体的復活の事実が再臨信仰を生む

 1999年3月、内村鑑三の「復活と再臨」(大正7年4月10日『聖書之研究』213号1912年)に出会った。何とそこに書かれていることは、再臨信仰はイエスが体を持って目の前に甦った事実から、信じざるをえなくなって生まれたと言うのである。

第一テサロニケ4章14節
私達が信ずるようにもしイエスが死んで復活し給うたならば、神はイエスによって眠った者をも同様にイエスと共に連れ来たり給うであろうから。

 イエスの再臨と死人の甦りの信仰は、イエスの復活の歴史的事実が証拠になっていることがこの言葉に良く現れている。わたしは「墓が空になった」ことで胸が熱くされ、そのことで再臨信仰と死人の甦りの確信にまで目が開かれたことを深く感謝するものである。
 21世紀の無教会は、無教会の父祖たちがそうであったように復活と再臨と死人の甦りを固く信じる使徒伝承の担い手でなければならない。それには頭だけでなく、まず胸が熱くされなければならないのである。
      (一級建築士・建設物価調査会技術顧問)
                     1999年9月19日
 
 

 

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