「神様、どうしてなんですか」と泣く時に

・・・わたしは世を罰しない。救うために来た・・・

 

東京聖書読者会 2012.5.6 高橋照男

 

イエスの伝道の失敗 ヨハネ12:37−43 

(人類は徴[奇蹟]でも知恵や知識でも神を知ることはできなかった)

 

イエスの伝道の要約 ヨハネ12:44−50

(わたしは世を罰しない。救うために来た)

 

塚本虎二訳

12:44 (つまり)イエスはこう言って叫ばれた、「わたしを信ずる者は、わたしを信ずるのではない、わたしを遣わされた方を信ずるのである。

●永遠の神が人の姿をとってこの世に救いに来られたことは実に不思議な事だ。

 

*44-1 塚本訳 ヨハ 5:24

5:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、わたしの言葉を聞き、わたしを遣わされた方を信ずる者は、(今すでに)永遠の命を持っていて、(最後の日に)罰を受けない。その人はもはや死から命に移っているのである。

 

*44-2 塚本訳 ヨハ 7:28-29

7:28 すると宮で教えていたイエスは、こう言って叫ばれた、「なるほどあなた達はわたしを知っている。どこから来たかも知っている。だが、わたしは自分で勝手に来たのではない。わたしを遣わされた真実な方がある。あなた達はその方を知らないが、

7:29 わたしは知っている。わたしはその方のところから来、その方から遣わされたのだから。

 

*44-3 塚本訳 ヨハ 13:20

13:20 アーメン、アーメン、わたしは言う、わたしが遣わす者を受けいれる者は、わたしを受けいれるのであり、わたしを受けいれる者は、わたしを遣わされた方を受けいれるのである。

 

12:45 また、わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのである。

●この秘儀は大脳皮質では解らない。神によって心が開かれる時に初めて解る

 

*45-1 塚本訳 ヨハ 14:9

14:9 イエスは言われる、「ピリポ、こんなに長い間一しょにいるのに、あなたはまだわたしがわからなかったのか。(父上とわたしとは一つである。)わたしを見た者は父上を見たのだ。どうして『父上を見せてください』と言うのか。

 

*45-2 塚本訳 マタ 16:15-17

16:15 彼らに言われる、「では、あなた達はわたしのことをなんと言うのか。」

16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」

16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。

 

*45-3 塚本訳 ルカ 24:45-47

24:45 それから聖書をわからせるために彼らの心を開いて

24:46 言われた、「救世主は苦しみをうけて、三日目に死人の中から復活する。

24:47 また罪を赦されるための悔改め(の福音)が、その名においてすべての国の人に説かれる、エルサレムから始まって、と(聖書に)こう書いてある。

 

*45-4 新共同 Tコリ1:21-23

1:21 世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。

1:22 ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、

1:23 わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、

 

*45-5 塚本訳 ヨハ 6:63

6:63 霊が命を与える。肉はなんの役にも立たない。いまわたしがあなた達に話した言葉は、霊である。だから、命である。

 

12:46 わたしが光として世に来たのは、わたしを信ずる者はだれも、暗闇の中に留っていないようにするためである。

●人の最大の悩みと恐怖は、肉の病や家庭社会の痛みでなく霊魂が暗闇の苦悩

 

*46-1 塚本訳 黙  2:11

2:11 耳を有っている者は、御霊が(全)教会に言い給うことの何であるかを聴け。勝利者は決して第二の死、(永遠の死)に害なわれないであろう。

 

*46-2 塚本訳 マタ 5:30

5:30 もしまた右の手があなたを罪にいざなうなら、切り取って捨てよ。手足が一本無くなっても、全身が地獄へ行かない方が得であるから

 

*46-3 塚本訳 ヨハ 8:12

8:12 (同じ大祭の日に、)イエスはまた人々に語られた、「わたしが世の光である。わたしに従う者は、決して暗やみを歩かない。そればかりか、命への光を持つことができる。

 

*46-4 塚本訳 ヨハ 1:4-5

1:4 この方は命をもち、この命が人の光であった。

1:5 この光は(いつも)暗闇の中に輝いている。しかし暗闇(のこの世の人々)は、これを理解しなかった。

 

*46-5 塚本訳 使  26:18

26:18 彼らの“目をあけて”彼らが“暗闇から光に、”悪魔の権力から神に帰るため、そうして彼らがわたしに対する信仰によって罪の赦しを得、きよめられた人たちの仲間に入れていただくためである』と。

 

*46-6 塚本訳 エペ 5:12-14

5:12 何故なら、彼らが隠れて行うことは(これを)口にするさえ恥ずかしいことである。

5:13 しかし明るみに出され(てその正体を暴露され)るものは皆(神の)光によって照らされる。

5:14 (そして神の光に照らされ罪を浄められる時その人自身が光となる。)然り、(光に)照らされるものは皆光である。故に主は言い給う──眠る者、起きよ、死人の中より立ち上がれ、さすればキリストが汝を照らし給うであろう。

 

12:47 しかしわたしの言葉を聞いて守らぬものがあっても、わたしはその人を罰しない。なぜなら、わたしは世を罰するために来たのでなく、世を救うために来たのだから。

●神の裁きは赦すこと。自分が相手を赦せなくても神は赦す。相手が自分を赦さなくても、神は私を赦して下さる。絶対恩恵による無条件の罪の赦し

 

*47-1 塚本訳 ヨハ 3:17

3:17 神は世を罰するためにその子を世に遣わされたのではなく、子によって世を救うためである。

 

*47-2 塚本訳 ヨハ 8:15-16

8:15 あなた達は人間的に(目に見えるもので)裁くが、わたしはだれも裁かない。

8:16 しかしたとえ裁いても、わたしの裁きは真実である。わたしはひとりではなく、わたしと、わたしを遣わされた方と(二人)であるから。

 

*47-3 塚本訳 ヨハ 8:26

8:26 あなた達について言うべきこと、裁くべきことが沢山あるにはあるが。(言ってもなんの役にも立つまい。)それでもわたしを遣わされた方は真実であるから、わたしもその方から聞いたことを、この世に語らないわけにゆかない。(あなた達がわかってもわからなくても。)

 

*47-4 塚本訳 マタ 20:28

20:28 人の子(わたし)が来たのも仕えさせるためではない。仕えるため、多くの人のあがない金としてその命を与えるためである。

 

*47-5 塚本訳 ルカ 19:9-10

19:9 イエスが(人々に)言われた、「救いは(きょう、)この家に入った。(人でなしのように言われる)この人も、やはり(あなた達と同じ)アブラハムの末だから。

19:10 人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。

 

*47-6 塚本訳 ルカ 15:4

15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか。

 

*47-7 塚本訳 ヨハ 6:39-40

6:39 そして、わたしに下さったものを一つも無くさず、最後の日にそれを復活させること、これがわたしを遣わされた方の御心である。

 

*47-8 塚本訳 ヨハ 8:28

8:28 そこでイエスが言われた、「あなた達は人の子(わたし)を十字架に挙げた時にはじめて、わたしがそれであること、また、わたしが自分では何もせず、ただ父上に教えられたままを語っていたことを知るだろう。

 

*47-9 塚本訳 Tテモ1:15

1:15 (まことに)「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来給うた」という言は信ずべく、また無条件に承認さるべきである。そしてこの私がその罪人の第一人者である。

 

*47-10 塚本訳 ピリ 2:6-11

2:6 彼は(先には)神の姿であり給うたが、神と等しくあることを棄て難いことと思わず、

2:7 かえって自分を空しうして人と同じ形になり、奴隷の姿を取り給うたのである。そして人の様で現れた彼は、

2:8 自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた。

2:9 それ故に神も彼を至高く上げ、凡ての名に優る(「主」なる)名を与え給うた。

2:10 これはイエスの(この尊い)名の前に、天の上、地の上、地の下にある『万物が膝を屈め、

2:11 凡ての舌が』「イエス・キリストは主なり」と『告白して』父なる『神に』、栄光を帰せんためである。

 

*47-11 塚本訳 ロマ 5:7-9

5:7 (驚くべき神の愛!人間の世界では、)義人のために命をすてる者はほとんどあるまい。善人のためならば、惜しげもなく命をすてる者が、あるいはあるかも知れない。

5:8 しかしわたし達が(義人でも善人でもなく、)まだ罪人(神の敵)であったとき、キリストが私たちのために死んでくださった。このことによって、神はわたし達に対する愛をお示しになったのである。

5:9 それならばキリストの血で義とされている今、わたし達がキリストによって(最後の日の神の)怒りから救われるのは、もちろんである。

 

*47-12 塚本訳 ロマ 8:34

8:34 『だれが(わたし達を)罰することができるか。』キリスト・イエスが(わたし達の罪のために)死んで、それだけでなく復活して、いま神の右においでになって、わたし達のために執り成していてくださるのに。

 

12:48 (だが、)わたしを排斥し、わたしの言葉を受け入れない者を罰する者が(ほかに)ある。わたしが話した言葉、それが最後の日にその人を罰するのである。

●悪いことは人が見ていなくても神が見ているから必ず裁く。最後の日に裁く。

 

*48-1 塚本訳 ルカ 10:16

10:16 (七十二人の者に言っておく。──)あなた達の言うことを聞く者は、わたしの言うことを聞くのであり、あなた達を排斥する者は、わたしを排斥するのである。わたしを排斥する者は、わたしを遣わされた方を排斥するのである。

 

*48-2 塚本訳 ルカ 16:26

16:26 そればかりではない、わたし達とあなた達との間には大きな(深い)裂け目があって、ここからあなた達の所へ渡ろうと思っても出来ず、そこからわたし達の所へ越えてくることもない。

 

*48-3 塚本訳 Uコリ4:4

4:4 彼らの場合、この不信者たちの考えをこの世の神(である悪魔)が盲にして、神の影像である救世主の栄光をつげる福音の光を見ることができないようにしたのである。

 

*48-4 塚本訳 Uコリ2:15-16

2:15 というのは、わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも、神にささげられるためのキリストのよい薫である。

2:16 ある者には、死から死へみちびく薫であるが、ある者には、命から命へみちびく薫りである。(ああ、)一体だれにこんなことが勤まろう。

 

*48-5 塚本訳 ヨハ 6:40

6:40 子(なるわたし)を見て信ずる者が皆永遠の命を持ち、わたしがその人を最後の日に復活させること、これがわたしの父上の御心であるから。だから信じない者は、父上がわたしに下さらない人たちである。)」

 

*48-6 塚本訳 ヨハ 5:30

5:30 わたしは自分では何一つすることが出来ない。(ただ父上から)聞いたとおりに裁く。だからわたしがする裁きは正しい。自分の考えでなく、わたしを遣わされた方の考えを行おうとするからである。

 

*48-7 塚本訳 Tコリ4:5

4:5 だから主がおいでになるまで、まだ時でないのに、あなた達は何も裁いてはいけない。主は(来て)、暗闇に隠されたことを(何もかも)明るみに出し、(人の)心のなかの企てをお現わしになる。するとその時、栄誉がひとりびとりに、(善い行いに対して)神からあたえられるであろう。

 

12:49 わたしは自分勝手に話したのではない。わたしを遣わされた父上が、何を言い、何を話すべきかを命じられたのである。

●「イエスは神か人か」は最大の謎。それは霊魂が救われて初めて分かる。

 

*49-1 塚本訳 ヨハ 8:42

8:42 イエスは言われた、「もしも神があなた達の父であったら、あなた達はわたしを愛するはずである、わたしは神から出て、(ここに)来ているのだから。わたしは自分で勝手に来たのではない、神がわたしを遣わされたのである。

 

*49-2 塚本訳 ヨハ 17:8

17:8 すなわち、わたしは賜わりました言葉を(そのまま)彼らに伝え、彼らはそれを受けいれて、わたしがあなたのところから出てきたことを本当に知り、あなたがわたしを遣わされたことを信じたのであります。

 

12:50 わたしは父上のこの命令が永遠の命であることを知っている。だからわたしが話していることは、父上の言われたことと寸分ちがわないのである。」

●イエスの言葉は神の心が耳に聞こえたもの、行動はそれが見えた姿=聖書。

 

*50-1 塚本訳 ヨハ 1:14

1:14 この言葉は肉体となって、(しばらく)わたし達の間に住んでおられた。(これが主イエス・キリストである。)わたし達はその栄光を見た。いかにも父上の独り子らしい栄光で、恩恵と真理とに満ちておられた。

 

*50-2 塚本訳 ヨハ 20:31

20:31 しかし(ほんの一部分であるが、いま)これらのことを書いたのは、あなた達に、イエスは救世主で、神の子であることを信じさせるため、また、それを信じて、イエスの名によって(永遠の)命を持たせるためである。

 

*50-3 塚本訳 ヘブ 1:3

1:3 彼は神の栄光の放射であり、本質の像である。彼はまたその力ある言葉をもって万物を保たれる。彼は(この世に降り)、罪の潔めを成し(とげて、ふたたび)高き所にのぼり、(神の)御稜威(みいつ)の『右にお坐りになっている』。

 

●「神様、どうしてなんですか」と泣く時に、有体的復活を神ご自身が教える

 

@口語訳 イザ 28:26

28:26 これは彼の神が正しく、彼を導き教えられるからである。「キリスト教常識」表紙

 

A 塚本訳 ロマ 8:28

8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。

 

B 塚本訳ルカ 18:26

18:26 聞いている人たちが言った、「それでは、だれが救われることが出来るのだろう。」

18:27 イエスは言われた、「人間に出来ないことが、神には出来る。」

 

C 口語訳 出  13:21

13:21 主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照し、昼も夜も彼らを進み行かせられた。

 

D 塚本訳マコ 15:34

15:34 三時に、イエスは大声を出して『エロイ エロイ ラマ サバクタニ!』と叫ばれた。訳すると、『わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!』である。

 

E 塚本訳ロマ 8:21-22

8:21 創造物自身も、滅亡の奴隷になっている(現在の)状態から自由にされて、神の子供たちがうける栄光と自由とにあずかるのだから。

8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの  呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)

 

F 口語訳 ヨブ 38:1-2

38:1 この時、主はつむじ風の中からヨブに答えられた、

38:2 「無知の言葉をもって、/神の計りごとを暗くするこの者はだれか。

 

G 塚本訳 ヨハ 9:2-3

9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。

9:3 イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである。

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