「エロイ エロイ ラマ サバクタニ」の謎

 聖書は一貫してイエスは神に殺された犠牲の小羊」という信仰告白に立つ

          東京聖書読者会 2014.5.4 高橋照男 

 

塚本訳 マコ 15:34-37

15:34 三時に、イエスは大声を出して『エロイ エロイ ラマ サバクタニ!』と叫ばれた。訳すると、『わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!』である。

15:35 そばに立っていた人たちのうちにはこれを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言った者が何人かあった。(エロイをエリヤと聞きちがえたらしい。)

15:36 ひとりが駆けていって、『酸っぱい葡萄主を』海綿に含ませ、葦(の棒の先)につけて、「(もう少し生かしておいて、)エリヤが下ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに『飲ませようとした。』

15:37 しかしイエスは(それを受けず)大声を放たれるとともに、息が絶えた。

 

@「なぜ私だけがこんな目に遭わなければならないのだ」と嘆いた人々。

@−1)アブラハムの場合。口語訳 創  22:7-14
22:7
やがてイサクは父アブラハムに言った、「父よ」。彼は答えた、「子よ、わたしはここにいます」。イサクは言った、「火とたきぎとはありますが、燔祭の小羊はどこにありますか」。
22:8
アブラハムは言った、「子よ、神みずから燔祭の小羊を備えてくださるであろう」。こうしてふたりは一緒に行った。
22:9
彼らが神の示された場所にきたとき、アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた
22:10
そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした時、
22:11
主の使が天から彼を呼んで言った、「アブラハムよ、アブラハムよ」。彼は答えた、「はい、ここにおります」。
22:12
み使が言った、「わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」。
22:13
この時アブラハムが目をあげて見ると、うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行ってその雄羊を捕え、それをその子のかわりに燔祭としてささげた。
22:14
それでアブラハムはその所の名をアドナイ・エレと呼んだ。これにより、人々は今日もなお「主の山に備えあり」と言う。


@−2)ダビデの場合。                                     @−2−1)口語訳 詩  22:1-5
22:1
わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですかなにゆえ遠く離れてわたしを助けず、わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。
22:2
わが神よ、わたしが昼よばわっても、あなたは答えられず、夜よばわっても平安を得ません
22:3 しかしイスラエルのさんびの上に座しておられる/あなたは聖なるおかたです。
22:4
われらの先祖たちはあなたに信頼しました。彼らが信頼したので、あなたは彼らを助けられました。
22:5
彼らはあなたに呼ばわって救われ、あなたに信頼して恥をうけなかったのです。    

@−2−2)口語訳 詩  27:9
27:9
み顔をわたしに隠さないでください。怒ってあなたのしもべを退けないでください。あなたはわたしの助けです。わが救の神よ、わたしを追い出し、わたしを捨てないでください

@−2−3)口語訳 詩  38:21
38:21
主よ、わたしを捨てないでください。わが神よ、わたしに遠ざからないでください。

@−2−4)口語訳 詩  51:11
51:11
わたしをみ前から捨てないでください。あなたの聖なる霊をわたしから取らないでください。

 @―2−5)口語訳 詩  71:9                                71:9 わたしが年老いた時、わたしを見離さないでください。わたしが力衰えた時、わたしを見捨てないでください。

@−2−6)口語訳 詩  71:18
71:18
神よ、わたしが年老いて、しらがとなるとも、あなたの力をきたらんとするすべての代に/宣べ伝えるまで、わたしを見捨てないでください

 

@−3)ヨブの場合。新共同 ヨブ 42:3
42:3
「これは何者か。知識もないのに/神の経綸を隠そうとするとは。」そのとおりです。わたしには理解できず、わたしの知識を超えた/驚くべき御業をあげつらっておりました。


@−4)エレミヤの場合。口語訳 哀歌  5:20
5:20
なぜ、あなたはわれわれをながく忘れ、われわれを久しく捨ておかれるのですか


@−5)ヨナの場合。新共同 ヨナ 4:1-3
4:1
ヨナにとって、このことは大いに不満であり、彼は怒った
4:2
彼は、主に訴えた。「ああ、主よ、わたしがまだ国にいましたとき、言ったとおりではありませんか。だから、わたしは先にタルシシュに向かって逃げたのです。わたしには、こうなることが分かっていました。あなたは、恵みと憐れみの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方です。
4:3
主よどうか今、わたしの命を取ってください。生きているよりも死ぬ方がましです。」


@−6)イエスの場合。塚本訳 マタ 26:38-39
26:38
それから彼らに言われる、「『心がめいって』『死にたいくらいだ。』ここをはなれずに、わたしと一しょに目を覚ましていてくれ。」
26:39
そしてなお少し(奥に)進んでいって、俯けに倒れ、祈って言われた「お父様、出来ることなら、どうかこの杯がわたしの前を通りすぎますようにしかし、わたしの願いどおりでなく、お心のとおりになればよいのです。」


A聖書は一貫して「イエスは神によって殺された犠牲の小羊であった」という信仰告白に立つ

A−1)口語訳 U 29:23-24
29:23
そして罪祭の雄やぎを王と会衆の前に引いて来たので、彼らはその上に手を置いた。
29:24
そして祭司たちはこれをほふり、その血を罪祭として祭壇の上にささげてイスラエル全国のためにあがないをした。これは王がイスラエル全国のために燔祭および罪祭をささげることを命じたためである。

A−2)口語訳 イザ 53:4-6
53:4
まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
53:5
しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ
53:6
われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。                    53:7 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。 53:8 彼は暴虐なさばきによって取り去られた。その代の人のうち、だれが思ったであろうか、彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれたのだと。

A−3)口語訳 イザ 53:10-12
53:10
しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。
53:11
彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。
53:12
それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に/物を分かち取らせる。彼は強い者と共に獲物を分かち取る。これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、とがある者と共に数えられたからである。しかも彼は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした

A−4)塚本訳 マタ 21:42
21:42
イエスは彼らに言われた、「あなた達は聖書で(この句を)まだ読んだことがないのか──『大工たちが(役に立たぬと)捨てた石、それが隅の土台石になった。これは主のなされたことで、われわれの目には不思議である。』

A−5)塚本訳 マタ 9:10-12                          9:9 イエスはそこから出かけて、(湖のほとりで)マタイという人が税務所に坐っているのを見て、「わたしについて来なさい」と言われると、立って従った。                                   9:10 イエスが家で食卓についておられるたときのこと、大勢の税金取りや罪人も来て、イエスや弟子たちと同席していた。                        9:11 パリサイ人はこれを見て、弟子たちに言った、「なぜあなた達の先生は、税金取りや罪人と一しょに食事をするのか。」                        9:12 聞いて言われた、「丈夫な者に医者はいらない、医者のいるのは病人である。                                       

A−6)塚本訳 マタ 27:37-38                            27:37 イエスの頭の上にはこれはユダヤ人の王イエスであると書いた罪状が掲げられた。27:38 その時イエスと共に二人の強盗が、一人は右に、一人は左に十字架につけられた。

A−7)塚本訳 マタ 27:39-42
27:39
通りかかった人々が『頭をふりながら、』イエスを冒涜して
27:40
こう言った、「お宮をこわして三日で建てるという人、自分を救ってみろ。神の子なら、十字架から下りてこい。」
27:41
同じように大祭司連も、聖書学者、長老と一しょに、こう言ってなぶった、
27:42
「あの男、人は救ったが、自分は救えない。イスラエルの王様じゃないか。今すぐ十字架から下りてくるがよい。そうしたら信じてやるのに!

A−8)塚本訳 ロマ 3:23-24
3:23
なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。
3:24
(さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ)代価を払わず、(ただ)神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあがないの力で、(神に)義とされる(道が設けられた)のである

A−10)塚本訳 Tコリ11:24-25                            11:24 (神に)感謝して裂いて、言われた、「これはあなた達のためにわたすわたしの体である。わたしを記念するためにこのことを行ないなさい」。            11:25 食事の後、杯を同じように(感謝)して(分けて、)言われた、「この杯はわたしの『血』の犠牲を払った『新しい約束』である。(今から後、)飲むたびごとに、わたしを記念するためにこのことを行ないなさい」。

A−11)塚本訳 Tコリ15:3-4
15:3
まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4
葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、

A−13)塚本訳 ヘブ 10:10-13
10:10
この(神の)『御心』によって、イエス・キリストの『体が捧げられること』により、わたし達はただ一度かぎりで、きよめられているのである
10:11
そして──(くどいが、もう一度くり返して言う)──祭司(という祭司)は皆、(聖所に)立って毎日務をし、決して罪を取除くことの出来ない同じ犠牲を幾たびも捧げているのに反して、
10:12
彼(キリスト)は罪のために(ただ)一つの犠牲(として御自身)を捧げ、(天に入って)たえず『神の右に座っておられ』、
10:13
そのあとは、『彼の敵がその足台にされるまで、』(ただ)待っておられるのである。

Bイエスの死は神の義を満足させた

B−1)塚本訳 ロマ 325-26                       3:25 すなわち神は御自分の義を示すために、宥めの供え物としてキリストを提供された。これはキリストの血でなされたものであり、(人は)信仰によ(ってこの恩恵にあずか)るのである。このことは──神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし日に犯した罪を罰せずにおられたので──
3:26
今の世において、御自分の義を示そうとされたのである。すなわち御自分が義であること、またイエスを信ずる者を義とするお方であることを、(この世に)示されたのである。

B−2)塚本訳 ロマ 4:25                           4:25 このイエスこそ、わたし達の過ちのために死に引き渡され、またわたし達を義とするために復活された方である。

B−3)塚本訳 Tペテ2:24                              2:24 彼は『自ら私達の罪を』自分の身に『負って』木の上に『上り給うた』。私達が罪によっては死に、義によっては生きるためである。彼の『傷によって君達は医された』

B−4)塚本訳 Tペテ3:18

3:18 というのはキリスト(御自身)すら罪の(贖いの)ために、義しい人でありながら義しからぬ人々のために、ただ一度死に給うたのである。これは君達を神に連れ行くためで、彼は肉では殺され給うたが、霊では活かされ、

 

Cこの世で不運だった人は来世で逆転し、慰められる。父なる神の心。

C−1)塚本訳 ルカ 6:20-23                             6:20 イエスは目をあげ、(十二人の使徒その他の)弟子たちを見ながら話された。──「ああ幸いだ、『貧しい人たち、』神の国はあなた達のものとなるのだから。        6:21 ああ幸いだ、今飢えている人たち、(かの日に)満腹させられるのはあなた達だから。ああ幸いだ、今泣いている人たち、(かの日に)笑うのはあなた達だから。       6:22 人に憎まれる時、また、人の子(わたし)のゆえに除名されたり、罵られたり、悪様に言われたりする時には、あなた達は幸いである。                 6:23 その日には躍りあがって喜びなさい、どっさり褒美が、天であなた達を待っているのだから。あの人達の先祖も、同じことを預言者たちにしたのである。

C−2)塚本訳 ルカ 16:22-25                            16:22 やがて乞食は死んで、天使たちからアブラハムの懐につれて行かれ、金持も死んで葬られた。                                  16:23 金持は黄泉で苦しみながら、(ふと)目をあげると、はるか向こうにアブラハムとその懐にいるラザロとが見えたので、                      16:24 声をあげて言った、『父アブラハムよ、どうかわたしをあわれと思ってラザロをよこし、指先を水にひたしてわたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの焔の中でもだえ苦しんでおります。』                            16:25 しかしアブラハムは言った、『子よ、考えてごらん、あなたは生きていた時に善いものを貰い、ラザロは反対に悪いものを貰ったではないか。だから今ここで、彼は慰められ、あなたはもだえ苦しむのだ。

C−3)塚本訳 マタ 21:31-32                         21:31 この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう。                     

C−4)塚本訳 ピリ 2:6-11
2:6
彼は(先には)神の姿であり給うたが、神と等しくあることを棄て難いことと思わず、
2:7
かえって自分を空しうして人と同じ形になり、奴隷の姿を取り給うたのである。そして人の様で現れた彼は、
2:8
自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた。                                   2:9 それ故に神も彼を至高く上げ、凡ての名に優る(「主」なる)名を与え給うた。
2:10 これはイエスの(この尊い)名の前に、天の上、地の上、地の下にある『万物が膝を屈め、
2:11
凡ての舌が』「イエス・キリストは主なり」と『告白して』父なる『神に』、栄光を帰せんためである。

 

D福島県は日本の罪の十字架を背負わされた「神の犠牲の小羊」。その叫びは「エロイエロイ ラマサバクタニ」。しかし二倍の刑罰を受け、服役の期は終わった。

 

D−1)塚本訳 ロマ 8:22-23

8:22 わたし達が知っているように、全創造物は(かの日から)今まで、一しょになって呻き、一しょになって産みの苦しみをしている。(父なる神がこの  呻きに耳を傾けられないことがあろうか。)

8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。

 

D−2)塚本訳 Uコリ7:10

7:10 なぜなら、神の御心に沿った悲しみは、(人を)救いに入れる悔いのない悔改めをもたらすけれども、この世(的)の悲しみは、(絶望と)死をもたらすからである。

 

D−3)口語訳 イザ 40:2

40:2 ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ、その服役の期は終り、そのとがはすでにゆるされ、そのもろもろの罪のために二倍の刑罰を/主の手から受けた」。

                                       img001.jpg      今まで出会ったキリスト像で一番ぴったりのイメージ。一介の貧農の姿。       「フランス、アルザス地方のコルマール、ウンターリンデン美術館。マティアス・グリューネルワルト作『イーゼンハイムの祭壇画』」。神はこの犠牲の小羊を復活させた。

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