「死人の復活」は神の恩恵。その喜び。

・・・復活とは神の力によって死人が「起こされる」こと・・・

 

                 東京聖書読者会 2014.6.1 高橋照男 

塚本訳 ヨハ 19:33-35

19:33 しかしイエスのところに来て、すでに死んでおられるのを見ると、脛を折らずに、

19:34 (死をたしかめるため、)一人の兵卒が槍でその脇腹を突いた。すぐ血と水がながれ出た。

19:35 (実際)目で見た者[主の愛しておられた弟子]がこのことを証明している。──その証明は信用すべきである。彼らは自分の言うことが真実であることを知っている。──(これを書くのは、イエスが神の子であることを)あなた達にも信じさせるためである。

 

@福音の一番大切なことはイエスが一度確実に死んだ後に復活したことの史実。

@−1)塚本訳 Tコリ15:1-6

15:1 また、わたしが思い出してもらいたいのは、兄弟たちよ、(以前)あなた達に伝え、あなた達が(喜んで)受けいれてくれて、(今日まで)それに立っている、あの(死人の復活についての)福音である。

15:2 どんな言葉でわたしがその福音を伝えたにせよ、あなた達がそれを守っていさえすれば、軽々しく信仰に入ったのではない限りは、あなた達もその福音で救われる。

15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事してあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、

15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること

15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。

15:6 そのあと、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた。そのうちの多数の者はいまでも生きてい(て、わたしが嘘を言っていないことを証明してくれ)る。もっともすでに眠った者もあるにはある。

 

@−2)塚本訳 Tコリ15:20
15:20
しかしながら今、キリストは死人の中から復活しておられる、眠った者の(復活の)最初として。

 

Aイエスの死は史実復活を信じない人間の言葉はその反証となっている。

A−1)塚本訳 マコ 15:44-47

15:44 ピラトはイエスがもう死んでしまったのかと不思議に思い、百卒長を呼んで、とうに死んだかどうかを尋ね

15:45 百卒長からそうと聞くと、なきがらをヨセフに下げ渡した

15:46 そこでヨセフは(日が暮れぬうちにと大急ぎで)亜麻布を買い、イエスを(十字架から)下ろして亜麻布で巻き、岩に掘ってあった墓に横たえ、墓の入口に石をころがしておいた。

15:47 マグダラのマリヤとヨセの母マリヤとは、なきがらの納められた所を見ていた。

 

A−2)塚本訳 マタ 27:64

27:64 だから三日目まで墓を警備するように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て盗んでいって、人々に『イエスは死人の中から復活した』と言いふらさないとはかぎりません。そうなると、このあとの方の嘘は、(自分は救世主だと言った)前の(嘘)よりも始末が悪いでしょう。

 

A−3)塚本訳 マタ 28:12-15

28:12 大祭司連は長老たちと集まって決議し、(警備をしていた)兵卒らにたっぷり金をやって、

28:13 言った、「『夜、弟子たちが来て、わたし達が寝入っているあいだにイエスを盗んでいった』と言え。

28:14 もしこのことが総督の耳に入ったら、われわれが執成して、お前たちには心配をかけないようにするから」と。

28:15 兵卒らは金を受け取って、教えられたとおりにした。こうしてこの話は、今日までユダヤ人の間にひろまっている。

 

A−4)塚本訳 ルカ 16:30-31

16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』

16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』」

 

B復活とは神の力によって「起こされる」(Resurrection)こと。神はこのことをイエスによってこの世に見える形で示し、信ずる者に理性の安息を与えた。

B−1)塚本訳 ルカ 7:12-16

7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた。

7:13 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って、

7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。

7:15 すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは『彼を母に渡された。』

7:16 皆が恐れをいだいて、「大預言者がわたし達の間にあらわれた」とか、「神はその民を心にかけてくださった」とか言って、神を讃美した。

 

B−2)塚本訳 マコ 9:26-27

9:26 霊はどなって、はげしくひきつけさせて、出ていった。子は死んだようになったので、多くの人が、「死んだ」と言った

9:27 イエスはその子の手をとって起された。すると立ち上がった

 

B−3)塚本訳 マタ 9:23-25

9:23 やがてイエスは役人の家に着いて、笛吹き男と騒いでいる群衆とを見ると、

9:24 言われた、「あちらに行っておれ。少女は死んだのではない、眠っているのだから。」人々はあざ笑っていた。

9:25 群衆が外に出されると、イエスは(部屋に)入っていって少女の手をお取りになった。すると少女は起き上がった。

 

B−4)塚本訳 ヨハ 11:11-14

11:11 こう話して、またそのあとで言われる、「わたし達の友人ラザロが眠った。目をさましに行ってやろう。」

11:12 弟子たちが言った、「主よ、眠ったなら(きっと)助かりましょう。(眠る病人はなおると言います。起さない方がよいでしょう。)」

11:13 イエスはラザロが死んだことを言われたのに、弟子たちは安眠していることを言われるものと思ったのである。

11:14 そこでイエスが今度ははっきり言われた、「ラザロは死んだのだ

 

B−5)塚本訳 ヨハ 11:43-44

11:43 こう言ったのち、大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた。

11:44 死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。

 

B−6)塚本訳 使  26:14-16

26:14 わたし達が皆地上に倒れると、ヘブライ語で、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。刺の棒は蹴っても無駄だ』とわたしに言う声を聞きました

26:15 わたしは言った、『主よ、あなたはどなたですか。』主が言われた、『わたしだ、君が迫害しているイエスだ。

26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。

 

B−7)塚本訳 ピリ 2:6-11

2:6 彼は(先には)神の姿であり給うたが、神と等しくあることを棄て難いことと思わず、

2:7 かえって自分を空しうして人と同じ形になり、奴隷の姿を取り給うたのである。そして人の様で現れた彼は、

2:8 自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた。

2:9 それ故に神も彼を至高く上げ、凡ての名に優る(「主」なる)名を与え給うた。

2:10 これはイエスの(この尊い)名の前に、天の上、地の上、地の下にある『万物が膝を屈め、

2:11 凡ての舌が』「イエス・キリストは主なり」と『告白して』父なる『神に』、栄光を帰せんためである。

 

Cイエスやパウロが人間の裁判所で裁判された理由は、大脳皮質では理解し難い復活について語ったから

C−1)塚本訳 マコ 14:55-59

14:55 大祭司連をはじめ全最高法院は、イエスを死刑にするためしきりにイエスに不利な証言をさがしたが、見つからなかった。

14:56 イエスに不利な偽証をする者は多かったが、その証言は合わなかったのである。

14:57 すると数人の者があらわれ、イエスに不利な偽証をして言った、

14:58 「わたし達はこの人が、『自分は(人間の)手で造ったこのお宮をこわして、手で造らない別のお宮を三日のうちに建てる』と言うのを聞いた。」

14:59 しかし今度も証言が合わなかった。

 

C−2)塚本訳 使  24:20-21

24:20 あるいはまた(ここにいる)この(エルサレムの)人たち自身も、わたしが最高法院の前に立ったとき、どんな不正が(わたしに)認められたか、言ってみたまえ!

24:21 『わたしは死人の復活のためにきょうあなた達の前で裁判されているのです』と、みんなの中に立って叫んだその一言のほかに!」

 

D復活のイエスに出会った人達はその意外性に驚くと共に爆破的喜びが湧いた

D−1)塚本訳 マタ 28:8-15

28:8 女たちは恐ろしいが、また嬉しくてたまらず(中には入らずに)急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走っていった

28:9 するとイエスがぱったり彼らに出合って、「お早う」と言われた。女たちは進み寄り、その足を抱いておがんだ。

28:10 するとイエスは女たちに言われる、「恐れることはない。行ってわたしの兄弟たち[弟子たち]に、ガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのだから。」

 

D−2)塚本訳 ルカ 24:41

24:41 喜びのあまり、彼らがまだ信じられずに怪しんでいると、「ここに何か食べるものがあるか」と言われた。

 

D−3)塚本訳 ヨハ 20:16-17

20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)

20:17 イエスが言われる、「わたしにすがりつくなまだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」

 

D−4)塚本訳 ヨハ 20:19-20

20:19 その日すなわち週の初めの日の晩であった。ユダヤ人を恐れて、弟子たちのおる部屋の戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスが(どこからともなく)はいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。

20:20 そしてそう言いながら、手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ

 

D−5)塚本訳 ルカ 24:38-41

24:38 彼らに言われた、「なにをうろたえるのか。なぜ心に疑いを起すのか

24:39 わたしの手と足とを見てごらん。だれでもない、わたしだよ!さわってごらん、幽霊には肉も骨もないが、わたしには、それがあるのがわかるから。

24:40 [無シ]

24:41 喜びのあまり、彼らがまだ信じられずに怪しんでいると、「ここに何か食べるものがあるか」と言われた。

 

D−6)塚本訳 ヨハ 20:27-28

20:27 それから(すぐ)トマスに言われる、「指をここに持ってきて、わたしの手(の釘の跡)をよく見てごらん。手を持ってきて、わたしの脇腹に差し込んでみなさい。不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい。」

20:28 トマスがイエスに答えて言った、「わたしの主よ!わたしの神よ!

 

Eイエスはパウロにも姿を現した。復活は神の恩恵による「姿の現し」

E−1)塚本訳 Tコリ15:5-9

15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。

15:6 そのあと、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた。そのうちの多数の者はいまでも生きてい(て、わたしが嘘を言っていないことを証明してくれ)る。もっともすでに眠った者もあるにはある。

15:7 そのあと(御兄弟の)ヤコブに、それから使徒一同に、御自分を現わされた

15:8 しかし一番最後には、さながら月足らずのようなわたしにも御自分を現わされた

 

E−2)塚本訳 ルカ 24:31-32

24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。

24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。

 

F「信ずれば神の栄光が見られる」。神の力を信じ込む祈りは神を動かす。

F−1)塚本訳 ヨハ 11:39-40

11:39 「石をのけなさい」とイエスが言われる。死んだ人の姉妹のマルタが言う、「主よ、もう臭くなっています。四日目ですから。」

11:40 イエスがマルタに言われる、「信ずれば神の栄光が見られると、(さきほども)あなたに言ったではないか。」

 

F−2)塚本訳 マコ 9:22-23

9:22 霊はこの子を殺そうとして、幾たびか、火の中、水の中に投げ込みました。それでも、もしなんとかお出来になるなら、わたしども(親子)を不憫と思って、お助けください。」

9:23 イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。

 

F−3)塚本訳 マコ 9:28-29

9:28 家にかえられると、弟子たちは人のいない時に尋ねた、「なぜわたし達には霊を追い出せなかったのでしょうか。」

9:29 彼らに言われた、「この種類(の霊)は、祈り以外(の手段)では決して出てゆかせることは出来ない。

 

F−4)塚本訳 ルカ 18:6-7

18:6 それから主は言われた、「この不埒な裁判官の言うことを聞け。

18:7 (こんな男でもこのとおり。)まして神が、夜昼叫んでいるその選ばれた人々のために仕返し(の裁判)をせず、気長に放っておかれることがあろうか

 

F−5)塚本訳 ルカ 15:31-32

15:31 父が言った、『まあまあ、坊や、お前はいつもわたしと一しょにいるではないか。わたしの物はみんなお前のものだ。

15:32 だが、喜び祝わずにはおられないではないか。このお前の弟は死んでいたのに生きかえり、いなくなっていたのに見つかったのだから。』

 

F−6)塚本訳 ルカ 23:41-43

23:41 れ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」

23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。

23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽(パラダイス)にはいることができる。」

 

G老化、命の短さ、死の悲しみを癒すものは、「死人を起こす」神の力への信仰。

G−1)塚本訳 ヨハ 11:3-4

11:3 マリヤとマルタとはイエスに使をやって、「主よ、大変です。あなたの可愛がっておられる人が病気です」と言わせた。

11:4 イエスは聞いて言われた、「これは死ぬための病気ではない。神の栄光のためである。すなわち(神の栄光をあらわすために、)神の子(わたし)がこれによって栄光を受けるためである。」

 

G−2)塚本訳 マタ 10:28

10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。

 

G−3)塚本訳 Uコリ4:16
4:16
このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく。

 

日本人キリスト者の復活観の誤解。塚本虎二

・・・福音としての「復活」は仏教の霊魂不滅の考え方とは異なる・・・

 

●「聖書知識」第283号。丸の内講壇コリント前書1512-19。(塚本虎二著作集続P136)

 

「キリストの復活の事実は歴史的研究の範囲外でただ人間の霊魂が永遠なるものに接触する時始めてわかるものである」という(リーツマン。イエス伝227講の終わりの方を見よ)。即ちこれら6種の人達(@ケパ、A十二弟子、B五百人以上の兄弟、Cヤコブ、Dすべての使徒、Eパウロ・・・・高橋注)は信仰の証人であって、歴史的証人ではない。その全生涯が復活者との面会によって一変したところの『生きた証人』である。(カ・ハイム)。・・・(中略)・・・ただ、復活を信じないクリスチャンとは脳みそのない人間というようなもので、そんなものがあり得よう訳はないが、パウロがこんなに懸命に議論している所を見ると。コリント教会に実際いたに違いない。・・・中略・・・最後に、キリストと死人の復活との関係について一言する。キリストは死人の復活の初穂であるということは、死人は当然復活するものであって、キリストはただその皮切りとして、第一番目に復活した、というのではない。キリストの復活によって死人の復活なるものが始めて可能となったのである。人間は罪の故に永遠の死に定められていて、彼らに復活の希望はない。ただキリストがその死によって罪を贖い給うたので死が征服され、まず彼自身が復活したのである。そしてその結果、凡ての死人に復活の希望が生まれたのである。死人の復活がなければキリストの復活はないと言うのは、死人の復活を前提をとしての議論ではない。反対に、キリストの復活によって死人の復活があることは確かである、ということを、裏から言ったものである。」」

 

●「聖書知識」第284号。丸の内講壇コリント前書1520-28〕。(塚本虎二著作集続P136)

 

「復活の話をしながらいつも感ずることは、聞く人があまり感激を示さないばかりか、何だか神学の講義でも聞くかのような、うるさい、くどいといったような表情さえすることである。これは復活の誤解から来たもので、・・・・(中略)・・・実際復活の必要を感じていないからである。私達は不平を言いながらも、この世で満足しているか、満足しようとしているのである。丁度不老不死の人が、生命保険勧誘員の宣伝を聞いているような気持である。・・・(中略)・・・パウロの復活は道徳問題であり、したがって神の宇宙経綸上重大な地位を占めている。だからパウロは真剣にこの問題を論議するのである。パウロだけでなく、初代教会がこの信仰に重点を置き、基督教自体も復活なしには立ち得ないのである。

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