故杉ア孝告別式 式辞

・・・・聖書に対する姿勢を学ぶ・・・・            

2016.6.29東京聖書読者会 高橋照男

 

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遺影。在りし日の姿、(満100歳)

2014年6月19日召天、満101歳。告別式2014.6.23ライフケア流山

 

●私のパソコン日記(ブログ)による回想。その生き様は無言の説教であった

 

010607日(木)(杉ア孝88歳)

●午後2時杉崎孝氏(88歳)、パソコンによる聖書勉強の方法ご興味をもたれての来訪。奥様に先立たれて19年と言う。御次男宅に同居。東京高校時代に関根正雄、森有正氏と同級だったと伺う。前田護郎とも親交があった。「新約知識」誌に研究論文がある。

 

P1−1)口語訳 ヨシ 1:8

1:8 この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう。

 

040425(日)((杉ア孝91歳)

●集会の帰途、杉崎さんと「ユーハイム」で懇談。私の感話プリント(4月4日「母の死と神の慰め」)を読まれた感想を話してくださった。人の最期は日本では「息を引き取る」というが諸外国は「息を吐き出す」ということになっている事を言語学的に教えてくださった。母の最期は息を吐き出した。イエスは最後に「わたしの霊を御手にゆだねます(ルカ23 46)」と言ったので、これもやはり命は出て行くという概念だと教えられた。それから「キリストを信じないで死んだ人」にも神の救いの手が及ぶことについて。「キリストは昔いまし、今いまし、永遠に生きておられるお方」だからということ。「陰付(よみ)にくだり」ということについて。

 

P2−1)口語訳   2:7

2:7 主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。

 

P2−2)塚本訳 ルカ 23:44-46

23:44 すでに昼の十二時ごろであったが、地の上が全部暗闇になってきて、三時までつづいた。

23:45 日蝕だったのである。すると宮の(聖所の)幕が真中から(二つに)裂けた。

23:46 その時イエスは大声をあげて言われた、「お父様、』わたしの霊をあなたにおあずけします。』」こう言われるとともに、息が絶えた

 

P2−3)口語訳 ヨブ 1:20-22

1:20 このときヨブは起き上がり、上着を裂き、頭をそり、地に伏して拝し、

1:21 そして言った、/「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」

 

P2−4)口語訳   5:24

5:24 エノクは神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった

 

071128(水)(杉ア孝94歳)

●集会の94歳の杉崎孝さんのご依頼で、千葉県流山市のお宅に行って自称「聖書勉強の三種の神器」をパソコンにインストール。●お住まいは木々に囲まれてゆとりのある素晴らしい設計のマンションであった。あきる野から武蔵野線、つくばエクスプレス(初めて)、を乗り継いで二時間での到着は速かった。●ギリシャ語フォントもうまくインストールできてほっとした。94歳にしてこの聖書勉強欲には脱帽。お嫁さんの杉崎純子(すみこ)さんが操作方法をよく理解してくださったのは救いであった。●そのお嫁さんが「お父様、これで120歳ぐらいまで勉強ができますね」と言われた。●お嫁さんの言葉「父は勉強ばかりで世話のかからない『嫁孝行』の偉大な人です」。理想的な晩年、すばらしいお嫁さん。●杉崎さんはパソコンソフト「Jバイブル」の検索能力、特にそのAND検索の威力に舌を巻かれた。

 

P3−1)口語訳   34:7-8

34:7 モーセは死んだ時、百二十歳であったが、目はかすまず、気力は衰えていなかった

 

P3−2)塚本訳 ルカ 16:28-31

16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』

16:29 しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。』

16:30 彼が言った、『いいえ、父アブラハムよ、もしだれかが死人の中から行ってやれば、きっと悔改めます。』

16:31 しかしアブラハムは答えた、『モーセと預言書との教えに従わないようでは、たとえ死人の中から生き返る者があっても、その言うことを聞かないであろう。』」

 

080302(日)(杉ア孝95歳)

●杉崎孝さんのために各種英語訳聖書の成立年代を調べた。聖書の翻訳比較はなぜか面白い。

 

P3−3)口語訳   1:1-3

1:1 悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。

1:2 このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う

 

P3−4)塚本訳 ヨハ 3:31-32

3:31 上から来られる方は、すべての者の上におられる。地から出た者は地上の者で、話すことも地上のことである。天から来られる方は、すべての者の上におられ、

3:32 天で見聞きしたことを証しされる。(だから遣わされた者のだれ一人、こう言うわたし自身も、あの方に及ばない。)ところがだれもその証しを受けいれない。

 

P3−5)塚本訳 ヨハ 3:34-35

3:34 神がお遣わしになった方は神の言葉を話される。神は(その方に)いくらでも霊をお与えになるからである。

 

P4−1)塚本訳 ルカ 24:31-32

24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。

24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。

 

080511(日)(杉ア孝95歳)

●集会は茂木、杉崎(仏教的慈悲の思想に退化したキリスト教の某論考を批判)、山本(使徒20章)。●帰途は杉崎孝さんと今日の感話について懇談。とにかく使徒伝承の正統信仰を保持することが大切であることで意見が一致

 

P4−2)マタイ2763 岩波翻訳委員会訳1995

402763言った、「主よ、私どもは、あの惑わし者がまだ生きている時に、『三日後に私は起こされるであろう』と言っていたのを思いだしました。

 

P4−3)塚本訳 ヨハ 11:43-44

11:43 こう言ったのち、大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた

11:44 死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。イエスは「解いてやって(家に)帰らせなさい」と人々に言われた。

 

P4−4)塚本訳 マコ 5:38-42

5:38 やがて監督の家に着いて、人々がひどく泣きわめいて騒いでいるのを見ると、

5:39 (家の)中に入って言われる、「なにを泣いたり騒いだりするのか。子供は死んではいない、眠っているのだ。」

5:40 人々はあざ笑っていた。しかしイエスは皆を外に出し、子供の父と母と、一しょに来た者(三人だけ)を連れて、(死んだ)子供のいる所に入ってゆかれる。

5:41 そして子供の手を取って、「タリタクミ!]と言われる。訳すると「少女よ、あなたに言う。起きなさい!」である。

5:42 ただちに少女は立ち上がって歩きまわった。十二歳になっていたからである。見るなり、人々は気が遠くなるほど驚いた

 

P4−5)塚本訳 ルカ 7:12-17

7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた。

7:13 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って、

7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。

7:15 すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは『彼を母に渡された。』

7:16 皆が恐れをいだいて、「大預言者がわたし達の間にあらわれた」とか、「神はその民を心にかけてくださった」とか言って、神を讃美した。

7:17 イエスについてのこの(二つの)言葉は、ユダヤ(人の国)全体とその周囲いたる所に広まった。

 

P5−1)塚本訳 Tコリ15:3-5

15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、

15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること

15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。

 

P5−2)岩波翻訳委員会訳 Tコリ15:4

154 そして埋葬されたこと、そして聖書に従って、三日目に〔使者たちの中から〕起こされていること

(訳者青野太潮による註・・・「甦らされる」≪エゲイローマイ)≫を自動詞的に訳すことも可能であるが、Tコリ15:15の神を主語とする言い方からして、受身的に訳すべきであとう。これはその現在完了形)

 

P5−3)岩波翻訳委員会訳 Tコリ15:15

1515私たちは神の偽証人とすら化してしまう。というのも、私たちは神に逆らって〔神が〕起こしもしなかったキリストを〔神は〕起こしたと証言したからである―――もしも実際、死者たちが起こされないとするなら〔、そうならざるを得まい〕。

 

P5−4)塚本訳 Uテモ3:14-17

3:14 しかし君は(先輩達から)学んだこと、(自ら)確信したことに(しっかり)留まって居れ。誰から(それを)学んだか、

3:15 また(既に)子供の時から聖書を習ったことを知っているではないか。この聖書はキリスト・イエスの信仰による救いへの知恵を君に与えることが出来る。

3:16 聖句は悉く霊感されたもので、教訓に、訓戒に、矯正に、義の教育に益があり

3:17 かくて神の人が完成し、あらゆる善い仕事をする準備が出来る。

 

P5−5)塚本訳 ヨハ 10:35

10:35 神はこの言葉をたまわった人たち(すなわち御自分に代って裁判をする者)を、神と言われたのであるから・・聖書がすたれることはあり得ないので・・

 

P6−1)塚本訳 マタ 22:30-32

22:30 復活の折には、めとることもなく嫁ぐこともなく、ちょうど天の使いのようである。

22:31 死人の復活については、(聖書にはっきり書いてある。)神があなた達に言われたこの言葉を読んだことがないのか。──

22:32 『わたしはアブラハムの神、またイサクの神、またヤコブの神である』と。(ところで)神は死人の神ではなく、生きている者の神である。(だからアブラハム、イサクなども復活して、今生きているわけではないか。」

 

P6−2)文語訳 ヨハ 11:23-27

11:23 イエス言ひ給ふ『なんぢの兄弟は甦へるべし

11:24 マルタ言ふ『をはりの日、復活のときに甦へるべきを知る』

11:25 イエス言ひ給ふ『我は復活(よみがへり)なり、生命(いのち)なり、我を信ずる者は死ぬとも生きん

11:26 (おほよ)生きて我を信ずる者は、永遠(とこしへ)に死なざるべし。汝これを信ずるか

11:27 彼いふ『主よ然り、我なんぢは世に來るべきキリスト、神の子なりと信ず』

 

P6−3)塚本訳 ルカ 23:42-43

23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください

23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽(パラダイス)にはいることができる。」

 

P6−4)塚本訳 使  23:6

23:6 そのときパウロは(役人の)一派はサドカイ人、一派はパリサイ人であるのを見て取り、法院で叫んだ、「兄弟の方々、わたしはパリサイ人で、しかもパリサイ人の子です。いま死人の復活の希望のために裁判されているのです。(わたしは復活のキリストを見たと言いますから。)」

 

P6−5)塚本訳 使  24:21

24:21 わたしは死人の復活のためにきょうあなた達の前で裁判されているのです』と、みんなの中に立って叫んだその一言のほかに!」

 

P7−1)塚本訳 Tコリ15:41-44

15:41 (天のものの輝きにしても、)太陽の輝きがちがい、月の輝きがちがい、星の輝きがまたちがう。その上、星はひとつびとつ輝きが相違している。

15:42 死人の復活もこのようである。(一つの体が死んで別の体が生まれる。)死滅の姿でまかれて不滅の姿に復活する。

15:43 恥辱の姿でまかれて栄光の姿に復活する。弱さの姿でまかれて力の姿に復活する。

15:44 (神の霊を持たない)魂だけの体がまかれて霊の体が復活する。魂だけの体がある以上は霊の体もあるわけである。

 

 

塚本虎二「毎日の聖書の読み方」(聖書知識第350号1959年P13

1・祈りの態度を以て読むこと。

2・かならず一人で読むこと。

3・聖書の勉強とは別にすること。

4・原語や外国語ではなく、日本語訳に限る。

5・一定の時間に読むこと。読めないとき、読みたくない時ほど意地にも読むこと。

6・わからない所を無理にわかろうとせず読み過ごし、そこに印をつけておくこと。

7・あちこち拾い読みをせず順序を正して読むこと。しかし旧新約を通読するというやり方よりも、一書を数回くりかえす方が数倍有益である。

8・もしその中の一句をノートに書きとめて電車の中や台所で暗記することを一年も続けたら、聖書学者にも劣らぬほど聖書がわかるであろう。

 

塚本虎二著「聖書の読み方」(聖書知識文庫bR p21

 註解書は出来るだけ勧めたくない。少なくとも信仰がわかるまでは。その暇に聖書の本文に親しんだほうがどれだけ得かしれない。もし読みだけでは物足りない人は、訳を二つ三つ較べながら丁寧に読んでゆくのが最も賢い方法である。(中略)なお最も無害な聖書の勉強の仕方は、引照付きのものを買って来て、丹念に引照の箇所をこれからあれへ、あれからこれへと読むことである。(中略)百の註解書も一節の聖書本文に及ばないことを知らねばならない。これをしばらくやっていると、聖書全体が立体的に動き出すことに気がつくであろう。これは今まで多くの独学者にすすめたが、なかなか実行する人がない。やはり聖書に関する知識を与えてくれる註解書のほうを喜ぶ傾向がある。しかし百の註解書も一節の本文に及ばないことを知らねばならない。

 

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 棺の中に入れた故人愛用の聖書。書き込みだらけでその聖書に対する姿勢が偲ばれる。

 故人はご高齢でもパソコンによる聖書勉強に関心があった。理想的な晩年の過ごし方。

 

●若い人に望みあり。PCで聖書勉強するための「七つ道具」をネットで公開

@聖書ソフト「Jバイブル」(1.06万円)。旧新約の語句検索は3秒。一語について聖書全体の観点から読むと聖書の和音が聞える。聖書は教会や人間の権威に聞かず「聖書で聖書を読む」。その方法を日記(ブログ)で公開し、「基督信徒の慰め」を発信。応答有り。

A塚本虎二訳新約聖書。1999年公開。その敷衍は聖書本文を読ませるための「補助線」。検索エンジンからのアクセスが可能。グーグルとヤフーのアクセスは合計一日3億回。

BBbB(Bible by Bible)翻訳比較(文語、口語、塚本、新改訳、新共同、前田、岩波翻訳委員会)。主要各国聖書引照(ネストレ27版、TSK、KJV,スコフィールド、ニューエルサレムバイブル、ルター、新共同訳)。書籍では1万5千ページになるのでインターネットで無料公開。学者や牧師から応答あり。 神学校で使われている。

C黒崎幸吉註解新約聖書および詩篇(関根正雄訳も搭載)本邦初のWEB版。アクセス数は諸外国からをも含め一日平均90回。神学校では生徒に教師が推薦している。

D上記黒崎幸吉註解新約聖書の引照を新共同訳で展開表示。本邦初。ギリシャ語聖書ネストレ27版の引照を付加全入力、世界初。

ETSK(Treasury of Scripture Knoledge)の日本語版。意味や概念の類似箇所を検索するのに便利。新約は完了。完成すると書籍では14万ページとなるのでネットで無料公開中。 @〜Eのアクセス合計は一日平均100回以上。日本版BibleWorksを目指す。

F1973年に高橋が編集した「塚本虎二、聖書知識・旧約知識・新約知識」の聖書索引をインターネットで公開。「聖書知識」全巻は今井館でPDF化して無料公開開始

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