「再臨」は、有体的「昇天」と同じ有様で来られる
・・・イエスの有体的「昇天」は弟子達の目撃情報・・・
2015年4月5日 東京聖書読者会 高橋照男
@イエスの有体的「昇天」の聖書の基本情報。昇天は霊的な事ではなく、弟子
達の目撃情報で、場所と時が特定されている歴史内の出来事であった。
@−1)塚本訳
使 1:9-11
1:9 イエスはこう言って、彼らの見ている前で(天に)上げられ、雲が彼を迎えて見えなくなった。
1:10 イエスがのぼって行かれる時、彼らが天をじっと見つめていると、突然、白い着物を着た二人の人が彼らのそばに立って 」
1:11 言った、「ガリラヤ人たちよ、なぜ(ぼんやり)立って天を見ているのか。あなた達の所から天にあげられたあのイエスは、(いま)天にのぼって行かれるのを見たと同じようにして、(また下って)来られるであろう。」
@−2)塚本訳 マコ 16:19
16:19 主は(このように)彼らに語った後、『天にあげられて』『神の右にお座りになり、』
@ -3)塚本訳 マタ 26:64
26:64 イエスは(はじめて口を開いて)彼に言われる、「(そう言われるなら)御意見にまかせる。だが、わたしは言う、あなた方は今後『人の子(わたし)が』『大能の(神の)右に坐り、』『天の雲に乗って来るのを』見るであろう。」
@−4)塚本訳 ルカ 24:50-51
24:50 それから、彼らを(オリブ山の頂上の)ベタニヤ道のところまでつれてゆき、手を挙げて祝福された。
24:51 そして祝福しながら、(天へと)はなれてゆかれた。
Aイエスは「復活」後、有体的「昇天」までの期間に「ご自分を現された」.復活が即召天ではない。
A−1)塚本訳
使 1:3
1:3 イエスは(十字架の)苦しみを受けて(死なれ)た後も、多くの証拠をもって使徒たちに御自分が生きていることを示し、四十日の間彼らに現われて、神の国のことをお話になった。
A−2)塚本訳 使 13:30-31
13:30 しかし神は彼を死人の中から復活させられ、
13:31 彼はガリラヤからエルサレムに一緒に上ってきた人たちに、幾日もの間御自分をお現わしになったので、(この復活の主を目のあたり見た)この人たちが、今(イスラエルの)民に対して彼の証人になっています。
A−3)塚本訳 Tコリ15:5-6
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。 15:6 そのあと、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた。そのうちの多数の者はいまでも生きてい(て、わたしが嘘を言っていないことを証明してくれ)る。もっともすでに眠った者もあるにはある。
A−4)塚本訳 ヨハ 20:19-20
20:19 その日すなわち週の初めの日の晩であった。ユダヤ人を恐れて、弟子たちのおる部屋の戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスが(どこからともなく)はいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。
20:20 そしてそう言いながら、手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。
A−5)塚本訳 ヨハ 20:16-18
20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)
20:17 イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」 20:18 マグダラのマリヤは行って弟子たちに、「わたしは主にお目にかかった」、また、主がこのことを彼女に言われた、と報告した。
A−6)塚本訳 ルカ 24:13-16
24:13 するとちょうど同じ日に、二人の弟子がエルサレムから六十スタデオ[十一キロ半]離れたエマオという村へ歩いてゆきながら、
24:14 これらの出来事をあれやこれやと話し合っていた。
24:15 二人が(こうして)話したり議論したりしていると、(いつの間にか)御本人のイエスが近づいてきて、一しょに歩いておられたが、
24:16 二人は目をくらまされていたので、それと気がつかなかった。
A−7)塚本訳 ルカ 24:30-32
24:30 一しょに食卓について、(いつものように)パンを(手に)取り、(神を)讃美したのち、裂いて渡されると、
24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。
24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。
A−8)塚本訳 ヨハ 21:1
21:1 そのあとで、イエスはテベリヤ湖のほとりで、かさねて弟子たちに現わされた。現わされ方はこうであった。──
A−9)塚本訳 ヨハ 21:13-14
21:13 イエスは来て、パンを(手に)取って彼らに渡された。魚も同じようにされた。
21:14 イエスは死人の中から復活されたのち、弟子たちに自分を現わされたのは、これですでに三度目である。
B有体的「昇天」はイエス自身の言葉にさかのぼる。それは有体的「再臨」の預言と結びついていた。
B−1)塚本訳 マコ 14:61-62
14:61 しかしイエスは黙っていて、何もお答えにならなかった。大祭司がふたたび問うて言う、「お前が、讃美されるお方の子、救世主か。」
14:62 するとイエスは(はじめて口を開いて)言われた、「そうだ、わたしだ。あなた方は『人の子(わたし)が』『大能の(神の)右に坐り、』『天の雲に囲まれて来るのを』見るであろう。」
B−2)塚本訳 ルカ 22:66-71
22:66 朝になると、国の元老院、すなわち大祭司連や、聖書学者たちが集まって、イエスを彼らの法院の議場に引いていって
22:67 言った、「お前が救世主なら、そうだとわれわれに言ってもらいたい。」彼らに答えられた、「言っても、とても信じまいし、
22:68 尋ねても、なかなか返事ができまい。
22:69 しかし今からのち、『人の子(わたし)は大能の神の右に坐って』いる。」22:70 皆が言った、「ではお前が、神の子か。」彼らに言われた、「そうだと言われるなら、御意見にまかせる。」
22:71 すると彼らが言った、「これ以上、なんで証言の必要があろう。われわれが(直接)本人の口から聞いたのだから。」
C有体的「昇天」のパウロへの反響
C−1)塚本訳
ロマ 8:34-35
8:34 『だれが(わたし達を)罰することができるか。』キリスト・イエスが(わたし達の罪のために)死んで、それだけでなく復活して、いま神の右においでになって、わたし達のために執り成していてくださるのに。
8:35 (このゆえに)だれがキリストの(わたし達を愛する)愛から、わたし達を引き離すことができるか。苦しみか、悩みか、迫害か、飢えか、裸か、危険か、剣か。
C−2)塚本訳 Tコリ15:37-38
15:37 そしてあなたのまくものは、やがて出来る体をまくのではなく、たとえば麦にしても何かほかの種類にしても、裸の粒にすぎないのである。
15:38 しかし神は御心のままにそれに体をお与えになる、しかもそれぞれの種に独得の体を。
D有体的「昇天」の初代教会への反響。後に三位一体の信仰箇条へ発展する。
D−1)塚本訳
ピリ 2:6-9
2:6 彼は(先には)神の姿であり給うたが、神と等しくあることを棄て難いことと思わず、
2:7 かえって自分を空しうして人と同じ形になり、奴隷の姿を取り給うたのである。そして人の様で現れた彼は、
2:8 自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた。
2:9 それ故に神も彼を至高く上げ、凡ての名に優る(「主」なる)名を与え給うた。
D−2)塚本訳 ヘブ 8:1-2
8:1 しかし(ここに言う)要点はこうである。わたし達にはこんな大祭司があって、天で(神の)御稜威の御座の『右に坐っておられ』、
8:2 聖所、すなわち人間でなく、『主が建てられた』本当の『幕屋の』奉仕者である、ということである。
D−3)塚本訳 Tテモ3:16
3:16 そして確かに(私達の)信仰の奥義は偉大である。(讃美歌にうたう通りである──)彼(キリスト)は肉にて顕され、霊にて義とされ、御使いたちに見られ、諸国の民に宣べ伝えられ、世に信ぜられ、挙げられて栄光に入り給うた。
D−4) 使徒信条(萌芽は2世紀後半) 讃美歌566
三日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり、
E現代の我々への反響。イエスの有体的「昇天」は有体的「再臨」信仰を生む
E−1)塚本訳 Tテサ4:13-14
4:13 兄弟達よ、(主に在って)眠った者のことを知っていて、希望の無い他の人々のように(徒らに)歎かないようにしてもらいたい。
4:14 私達が信ずるようにもしイエスが死んで復活し給うたならば、神はイエスによって眠った者をも同様にイエスと共に連れ来たり給うであろうから。
E−2)塚本訳
コロ 3:1-4
3:1 だからもし君達が(洗礼によって)キリストと共に(死に、共に)甦ったのであるならば、キリストいまして『神の右に坐し給う』(天)上のものを求めよ。
3:2 (常にただ天)上のものを思え。地上のものに気を取られるな。
3:3 君達は(既にこの世に)死んで、その生命はキリストと共に神の右に隠されているのだから。
3:4 (しかし今でこそ隠されているが、)私達の生命であるキリストが顯れ給う時には、君達もまた彼と共に栄光の裡に顯れるであろう。
E−3)塚本訳 Tペテ1:7-8
1:7 これは君達の信仰が、火によって本物であると証明された(この世の)はかない金よりも尊い本物であることが判り、イエス・キリストの顕現の時に(君達の)面目また光栄また栄誉とならんためである。
1:8 君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦を喜んでいる。
F再臨の待望は神の力を恐れて信じるところから生じる。イエスも初代教会も終末と再臨待望が濃厚。
F−1)塚本訳 マタ 10:22-23
10:22 あなた達はわたしの弟子であるために皆から憎まれる。しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
10:23 この町で迫害された時には、次の町に逃げてゆけ。アーメン、わたしは言う、人の子(わたし)は(すぐに)、あなた達がイスラエル人の町々を回りつくさぬうちに来るのだから。
F−2)塚本訳 ルカ 18:7-8
18:7 (こんな男でもこのとおり。)まして神が、夜昼叫んでいるその選ばれた人々のために仕返し(の裁判)をせず、気長に放っておかれることがあろうか。
18:8 わたしは言う、間もなく彼らのために仕返しをされるであろう。しかし人の子(わたし)が来るときに、はたして地上に信仰(をもつ人)が見当るだろうか!」
F−3)塚本訳 ルカ 17:23-24
17:23 (その試みの時に、)『そら、かしこに(人の子が)』『そら、ここに』と言う者があるが、ついて行くな、追いまわすな。
17:24 その日に人の子(わたし)が来るのは、ちょうど稲妻がひらめいて、大空の下をこの端からかの端まで照りかがやかすよう(に、はっきりわかるの)であるから。
F−4)塚本訳 ルカ 17:26、37
17:26 ちょうどノアの(洪水の)時にあったようなことが、人の子の(来る)日にも起るであろう。
(中略)
17:37 弟子たちが尋ねる、(いつ)どこで(その裁きはありますか。)」彼らに言われた、「(時が来れば、いつでも。)死体のある所に、鷲も集まる。」
G人生は「陣痛」。最後の審判を考える時、有体的再臨は要求であり「希望」。そのために有体的昇天は「励まし」。
G−1)塚本訳 マタ 24:7-9
24:7 (世の終りが来る前に)『民族は民族に、国は国に向かって(敵となって)立ち上がり、』またここかしこに飢饉や地震があるのだから。
24:8 しかしこれは皆(まだ、新しい世界が生まれるための)陣痛の始めである。24:9 その時あなた達は苦しめられ、殺される。またわたしの弟子であるために、すべての国の人から憎まれる。
G−2)塚本訳 黙 1:7-8
1:7 視よ、彼は雲に包まれて来たり給う。そして凡ての(人の)目が、然り、彼を刺した者らが彼を見るであろう。そして地上のあらゆる種族は、彼の(審判の恐ろしさの)故に胸を打つ(て嘆き悲しみ、後悔する)であろう!然り、アーメン 1:8 「我はアルパである、またオメガである。(我このことの真実なることを証明する」と、(今)在り給う(者、昔)在り給いし(者、また後に)来たり給うべき者、(また)全能の主なる神言い給う。
G−3)塚本訳 黙 2:10-11
2:10 お前はまだ苦しむであろうが、(決して)それを恐れるな。視よ、悪魔はお前達の中から(幾人かを)牢屋に投げ込もうとしている。それはお前達が試練を受けるためである。お前達は十日の間患難を受けるであろう。(しかしただ少しの間の我慢である。)お前は死ぬるまで私に忠実であれ。そうすればお前に生命の冠を与えるであろう。 2:11 耳を有っている者は、御霊が(全)教会に言い給うことの何であるかを聴け。勝利者は決して第二の死、(永遠の死)に害なわれないであろう。
G−4)塚本訳 マタ 10:28
10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。
G−5)塚本訳
ルカ 23:42-43
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽(パラダイス)に入ることができる。」