ヨハネ福音書の最後の言葉。「永遠の命」

・・・日の下に新しきことなし。神の子キリストの復活は空前絶後・・・

 

2015年5月31日 東京聖書読者会 高橋照男

 

塚本訳 ヨハ 20:30-31

20:30 このほか、この本に書いてない、多くの徴[奇蹟]を、イエスは弟子たちの前で行われた。

20:31 しかし(ほんの一部分であるが、いま)これらのことを書いたのは、あなた達に、イエスは救世主で、神の子であることを信じさせるため、また、それを信じて、イエスの名によって(永遠の)命持たせるためである。

@この世は神の心の顕れでありその影。その最終目標は神の子キリストの降世

@−1)口語訳 創  1:1-3
1:1
はじめに神は天と地とを創造された。
1:2
地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、
神の霊が水のおもてをおおっていた。
1:3
神は「光
あれ」と言われた。すると光があった

@−2)塚本訳 ヨハ 1:1-4

1:1 (世の)始めに、(すでに)言葉はおられた。言葉は神とともにおられた。言葉は神であった。

@−3)口語訳 創  2:7

2:7 主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。

@−4)口語訳 伝  11:5

11:5 あなたは、身ごもった女の胎の中で、どうして霊が骨にはいるかを知らない。そのようにあなたは、すべての事をなされる神のわざを知らない。

@−5)塚本訳 ヨハ 1:14

1:14 この言葉は肉体となって、(しばらく)わたし達の間に住んでおられた。(これが主イエス・キリストである。)わたし達はその栄光を見た。いかにも父上の独り子らしい栄光で、恩恵と真理とに満ちておられた。

@−6)塚本訳 ヨハ 6:63

6:63 霊が命を与える。肉はなんの役にも立たない。いまわたしがあなた達に話した言葉は、霊である。だから、命である

@−7)塚本訳 ヨハ 14:8-9

14:8 ピリポが言う、「主よ、どうかわたし達に父上を見せてください。それでたくさんです。」
14:9
イエスは言われる、「ピリポ、こんなに長い間一しょにいるのに、あなたはまだわたしがわからなかったのか。(父上とわたしとは一つである。)
わたしを見た者は父上を見たのだ。どうして『父上を見せてください』と言うのか。

@−8)塚本訳 ヨハ 14:10

14:10 わたしが父上の中に、父上がわたしの中におられることを、あなたは信じないのか。わたしがあなた達に言う言葉は、自分で勝手に話すのではない。(またわたしがする業は、)いつもわたしの中におられる父上が御業をされるのである。

@−9)塚本訳 ヘブ 11:3

11:3 (まず、)信仰によって、わたし達はこの世界が神の言葉で造られたことを知る。すなわち、見えるものは、現われぬものからできているのである。

A−10)塚本訳 ヘブ 1:3

1:3 彼は神の栄光の放射であり、本質の像である。彼はまたその力ある言葉をもって万物を保たれる。彼は(この世に降り)、罪の潔めを成し(とげて、ふたたび)高き所にのぼり、(神の)御稜威の『右にお坐りになっている』。

A−11)塚本訳 コロ 2:17

2:17 これらは(皆)来るべきものので、その本体はキリストである。(従って私達は本体を有っているのであるから、今更何での必要があろう!

A神の心はこの世に美しく表現される。「永遠の命」の徴はキリストの言動。  

A−1)口語訳 創  1:31

1:31 神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。

A−2)口語訳 創  9:13-15

9:13 すなわち、わたしは雲の中に、にじを置く。これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。
9:14
わたしが雲を地の上に起すとき、
にじは雲の中に現れる。
9:15
こうして、わたしは、わたしとあなたがた、及びすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた
契約を思いおこすゆえ、水はふたたび、すべて肉なる者を滅ぼす洪水とはならない。

A−3)口語訳 詩  19:1-2

19:1 もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。
19:2
この日は言葉をかの日につたえ、この夜は知識をかの夜につげる。

A−4)塚本訳 マタ 6:30

6:30 きょうは花咲き、あすは炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこんなに装ってくださるからには、ましてあなた達はなおさらのことではないか。信仰の小さい人たちよ!

A−5)塚本訳 ルカ 4:21-22

4:21 イエスは、「(今)あなた達が聞いたこの聖書の言葉は、今日(ここで)成就した」と言って話を始められた。
4:22
皆がイエスを誉めそやし、かつその
口をついて出る言葉のうるわしさに驚いて、「これはヨセフの息子ではないか」と言った。

A−6)塚本訳 ヨハ 10:37-38

10:37 もしわたしが父上の業をしていないなら、わたしを信ぜずともよろしい。10:38 しかしもし、しているなら、わたし(の言葉)を信ぜずとも、その業(が父上の業であること)を信ぜよ。そうすれば(父上とわたしとが一つで、)父上がわたしの中に、わたしが父上の中におることを、知りまた知るであろう。」

A−7)塚本訳 Tコリ11:24-26

11:24 (神に)感謝して裂いて、言われた、「これはあなた達のためにわたすわたしの体である。わたしを記念するためにこのことを行ないなさい」。
11:25
食事の後、杯を同じように(感謝)して(分けて、)言われた、「
この杯はわたしの『血』の犠牲を払った『新しい約束』である。(今から後、)飲むたびごとに、わたしを記念するためにこのことを行ないなさい」。
11:26
すなわち、主が(ふたたび)来られるまで、あなた達はこのパンを食べこの杯を飲むたびごとに、
主の死(の意味)を、(このことを行なうことによって)宣べ伝えるのである。

A−8)塚本訳 マコ 14:8-9

14:8 この婦人はできるかぎりのことをした。──前もってわたしの体に油をぬって、葬る準備をしてくれたのである。
14:9
アーメン、わたしは言う、世界中
どこででも(今後)福音の説かれる所では、この婦人のしたことも、その記念のために(一しょに)語りつたえられるであろう。」

A−9)塚本訳 ルカ 7:47-49

7:47 だから、わたしは言う、この婦人の多くの罪は赦されている。(いま)多くわたしを愛したのがその証拠である。赦され方の少ない者は、愛し方も少ない。」
7:48
そしてその女に言われた、
「あなたの罪は赦されている。」
7:49 同席の者が(憤慨して)ひそかに考えた、「罪さえ赦す(という)この人はいったい何人だろう。」

A−10)塚本訳 ヨハ 4:20-21

4:20 (それでお尋ねしたいのですが、)わたし達の先祖はこの(ゲリジム)山で(神を)礼拝したのに、あなた達(ユダヤの人)は、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。(どういう訳でしょうか。)」
4:21
イエスが言われる、「女の人、わたし(の言葉)を信じなさい。(間もなく)あなた達が、この山でもエルサレムでもなく
(どこででも、)父上を礼拝する時が来る。

B人は神に罪を赦される時に、神の存在と「神の子」が分かる

B−1)塚本訳 ヨハ 1:12-13

1:12 しかし受け入れた人々、すなわち、その名を(神の子であることを)信じた人には一人のこらず、神の子となる資格をお授けになった。
1:13
この人たちは、人間の血や、肉の欲望や、男の欲望によらず、
神(の力)によって生まれたのである。

B−2)塚本訳 マタ 16:15-17

16:15 彼らに言われる、「では、あなた達はわたしのことをなんと言うのか。」16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
16:17
するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。
これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。                        

B−3)塚本訳 Tヨハ5:1a

5:1a どんな人でも、イエスが救世主(キリスト)であると信ずる者は、神(の力)によって生まれたのであり、

B−4)塚本訳 Tコリ12:3

12:3 だから(霊の見分け方について、)あなた達に次のことを知らせる、神の霊に感じて語る者は、だれも 呪われよ、イエス!とは言わない、また聖霊に感じてでなければ、だれも、イエスは主と言うことは出来ない。

B−5)塚本訳 エペ 1:18

1:18 また【君達の】心の目を明らかにして、神に召され(ることによって得)た希望の何であるか、『聖徒の受くる』光栄ある(天の)『相続財産』の富の何であるか、

B−6)塚本訳 使  16:14

16:14 するとテアテラ町の紫毛織物の商人で、敬信家のルデヤという婦人が聞いていたが、主はその心を開いてパウロの話に耳を傾けさせられた。

C永遠の命を「持つ」とはキリストを信じる者

C−1)塚本訳 ヨハ 3:15-16

3:15 それは、(蛇にかまれた者がその銅の蛇を仰いで命を救われたように、)信ずる者が皆(天に上った人の子を仰いで、)彼にあって永遠の命を持つためである。
3:16
そのゆえは、神はその
独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。

C−2)塚本訳 ヨハ 5:24

5:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、わたしの言葉を聞き、わたしを遣わされた方を信ずる者は、(今すでに)永遠の命を持っていて、(最後の日に)罰を受けない。その人はもはや死から命に移っているのである。

C−3)塚本訳 ヨハ 6:40

6:40 子(なるわたし)を見て信ずる者が皆永遠の命を持ち、わたしがその人を最後の日に復活させること、これがわたしの父上の御心であるから。(だから信じない者は、父上がわたしに下さらない人たちである。)」

C−4)塚本訳 ヨハ 10:10

10:10 泥棒が来るのは、ただ(羊を)盗み、殺し、滅ぼすだけのためである。わたしは(羊に)命を持たせるため、あり余るほど(の命を)持たせるために来たのである。

C−5)塚本訳 Tヨハ5:11-13

5:11 そして(神の)証しというのはこれである。──(わたし達が御子を信じたとき、)神が永遠の命を与えられたこと、この命は御子がもっておられるということである。
5:12
(だから、)
御子を持つ者は(永遠の)命を持ち、神の御子を持たない者は命を持たない。
5:13 このことをあなた達に書いたのは、あなた達は(イエスを)神の子として信じているので、すでに永遠の命があることを知らせるためである。

C−6)塚本訳 Tヨハ2:23-25

2:23 子を否認する者は皆、父をも持たず、子を公然告白する者は父をも持っている(からである)。
2:24
あなた達は始めから聞いたことを(いつまでも)留めておかねばならない。もし始めから聞いたことがあなた達に
留まっているならば、あなた達は(永遠に)子と父とに留っているであろう。
2:25
そして彼(キリスト)がわたし達に約束された約束のものこそ、この永遠の命である。

C-7)塚本訳 ヨハ 17:3

17:3 永遠の命とは、ただひとりのまことの神なるあなたと、あなたが遣わされた(子)イエス・キリストとを知ることであります。

C−8)塚本訳 Tヨハ5:20

5:20 しかしわたし達は知っている、神の子が来て、(唯一の)まことの者(なる神)を知る知識力をわたし達に与えられたことを。そしてわたし達はこのまことの者の中に、(然り、)御子イエス・キリストの中に、あるのであるこの方はまことの神であり、また永遠の命である。

D永遠の命は神の「絶対恩恵の無条件の罪の赦し」で初めて分かる

D−1)塚本訳 ルカ 18:18-19

18:18 ひとりの(最高法院の)役人が尋ねた、「善い先生、何をすれば永遠の命がいただけるでしょうか。
18:19
イエスは言われた、「なぜわたしを『善い』と言うのか。
神お一人のほかに、だれも善い者はない

D−2)塚本訳 ヨハ 3:7-8

3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。
3:8
風[プニューマ]は心のままに吹く。その音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊[プニューマ]によって生れる者も皆、そのとおりである。」

D−3)塚本訳 マコ 4:26-28

4:26 また言われた、「神の国はこんなものだ。──ある人が地に種を蒔き、
4:27
夜昼、寝起きしていると、種は芽生えて育ってゆくが、本人はその訳を(すら)知らない。
4:28
(すなわち)地はひとりでに実を結ぶので、初めに茎、次に穂、次に穂の中に熟しきった粒ができる。

D−4)新共同 Tコリ2:14

2:14 自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです。

 

E日の下に新しきことなし。神の子キリストの復活は空前絶後でクロノスではなくカイロスであった。     (大英博物館展を見ての感想)

E−1)口語訳 伝  1:9-11

1:9 先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。
1:10
「見よ、これは新しいものだ」と/言われるものがあるか、それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである。
1:11 前の者のことは覚えられることがない、また、きたるべき後の者のことも、後に起る者はこれを覚えることがない。

E−2)口語訳 伝  3:11

3:11 神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。

E−3)塚本訳 ピリ 2:6-7

2:6 彼は(先には)神の姿であり給うたが、神と等しくあることを棄て難いことと思わず、
2:7 かえって自分を空しうして人と同じ形になり、奴隷の姿を取り給うたのである。そして人の様で現れた彼は、

E−4)塚本訳 ヘブ 7:27

7:27 彼は(レビ系の)大祭司たちのように、まず自分の罪のために、つぎに民の罪のために、毎日犠牲を捧げるに及ばない。(あとにも先にも)ただ一度かぎり、(山羊や小牛でなく)自分自身を捧げて、これをなしとげられたからである。

E−5)塚本訳 Tペテ1:24-25

1:24 何故なら『人はみな草』のよう『また』その『栄華はみな草の花のようである』。』草は枯れた花は落ちた』
1:25
『しかし』主の『言は永遠に消え失せない』。これが君達に』宣べ伝えられた福音の言』である。                          

E−6)塚本訳 Uテモ2:8

2:8 ダビデの子孫から出、死人の中から甦りい給うイエス・キリストを忘れるな──これが私の福音である。

E−7)塚本訳 黙  14:13

14:13 また私は天から声が(こう)言うのを聞いた、「書け、『今から後主にあって死ぬる死人は幸福である。』」御霊も言い給う、「然り、彼らはその労苦を休息む(ことが出来る)であろう。その(為した)業が彼らに随いて行くのであるから!」と。

E−8)文語訳 ピリ 1:21

1:21 我にとりて、生くるはキリストなり、死ぬるもまた益なり。

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