使徒たちの伝える証明の「真実」に忠実たれ

・・・ヨハネ福音書21章が付録として加えられた意義・・・

 

2015年6月7日 東京聖書読者会 高橋照男

 

 

塚本訳 ヨハ 21:1

21:1 そのあとで、イエスはテベリヤ湖のほとりで、かさねて弟子たちに現わされた。現わされ方はこうであった。──

 

@ 永遠の命の証拠は、イエスが時間空間の中に復活の姿で現わされたこと

 

@−1)塚本訳 ヨハ 6:1

6:1 そののち、イエスはガリラヤ湖すなわちテベリヤ湖の向こう岸に行かれた。

 

@−2)塚本訳 ヨハ 1:1-4

1:1 (世の)始めに、(すでに)言葉はおられた。言葉は神とともにおられた。言葉は神であった。

 

@−3)塚本訳 ヨハ 1:14

1:14 この言葉は肉体となって、(しばらく)わたし達の間に住んでおられた。(これが主イエス・キリストである。)わたし達はその栄光を見た。いかにも父上の独り子らしい栄光で、恩恵と真理とに満ちておられた。

 

@−4)塚本訳 ヨハ 1:18

1:18 神を見た者は、いまだかつて一人もない。ただ、いつも父上の胸に寄り添っておられる独り子(のキリスト)だけが、(わたし達に神を)示してくださったのである。

 

@−5)塚本訳 ヨハ 12:49-50

12:49 わたしは自分勝手に話したのではない。わたしを遣わされた父上が、何を言い、何を話すべきかを命じられたのである。

12:50 わたしは父上のこの命令が永遠の命であることを知っている。だからわたしが話していることは、父上の言われたことと寸分ちがわないのである。」

 

@−6)塚本訳 ヨハ 14:8-9

14:8 ピリポが言う、「主よ、どうかわたし達に父上を見せてください。それでたくさんです。」

14:9 イエスは言われる、「ピリポ、こんなに長い間一しょにいるのに、あなたはまだわたしがわからなかったのか。(父上とわたしとは一つである。)わたしを見た者は父上を見たのだ。どうして『父上を見せてください』と言うのか。

 

@−7)塚本訳 ヨハ 6:68

6:68 シモン・ペテロが答えた、「主よ、(あなたを離れて)だれの所に行きましょう。永遠の生命の言葉はあなただけがお持ちです(から)。

 

@−8)塚本訳 ヘブ 1:3

1:3 彼は神の栄光の放射であり、本質の像である。彼はまたその力ある言葉をもって万物を保たれる。彼は(この世に降り)、罪の潔めを成し(とげて、ふたたび)高き所にのぼり、(神の)御稜威の『右にお坐りになっている』

 

 

塚本訳 ヨハ 21:3-6

21:3 シモン・ペテロが「わたしは漁にゆく」と言うと、「わたし達も一しょに行く」と彼らが言う。みんなが出ていって舟に乗った。しかしその晩は何も捕れなかった。

21:4 もう夜も明けたころに、イエスが(どこからともなく)岸に出てこられた。それでも、弟子たちはイエスだと気づかなかった。

21:5 イエスが彼らに言われる、「子どもたち、何も肴があるまい。」「ありません」と彼らが答えた。

21:6 イエスが言われた、「舟の右側に網を打って御覧、獲物があるから。」網を打つと、(はたして捕れた)魚が多く、もはや網を引き上げることが出来なかった。

 

A 復活のキリストは、極度の悲しみの時に「どこからともなく」現れる。

A−1)塚本訳 ヨハ 20:15-16

20:15 イエスが言われる、「女の人、なぜ泣くのか。だれをさがしているのか。」マリヤはそれを園丁だと思って言う、「あなた、もしあなたがあの方を持っていったのだったら、どこに置いたか教えてください。わたしが引き取りますから。」
20:16
(こう言って、また墓の方を向いていると、)
イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)


A−2)塚本訳 マコ 6:48-50

6:48 そして向い風のために弟子たちが漕ぎなやんでいるのを見ると、第四夜回りのころ(すなわち夜明けの三時ごろ)、湖の上を歩いて彼らの所に来て、(舟のわきを)通りすぎようとされた。
6:49
弟子たちはイエスが湖の上を歩いておられるのを見ると、
幽霊だと思って声をあげて叫んだ。
6:50 イエスを見て、皆肝をつぶしたのである。しかしイエスはすぐ彼らに話しかけ、「安心せよ、わたしだ。こわがることはない」と言われる。

A−3)塚本訳 ルカ 24:15-18

24:15 二人が(こうして)話したり議論したりしていると、(いつの間にか)御本人のイエスが近づいてきて、一しょに歩いておられたが、
24:16
二人は目をくらまされていたので、それと気がつかなかった。
24:17
二人に言われた、「歩きながら何をそんなに論じ合っているのです。」
暗い顔をして二人は立ち止まり、
24:18
一人のクレオパという方が答えた、「
(見れば御巡礼のようだが、)エルサレムに滞在していながら、あなただけは、この二三日の間にそこで起ったことを何も知らないのですか。」

 

塚本訳 ヨハ 2111-14 

 21:11 シモン・ペテロが(舟の)上にあがって網を陸へ引き上げると、百五十三匹もの大きな魚で一ぱいであった。こんなに大漁であったが、網は裂けなかった。
21:12
イエスが彼らに言われる、「さあ、朝の食事をしなさい。」弟子のうちだれ一人、「あなたはどなたですか」と敢えて尋ねる者はなかった。主だと気づいた(が、何となく変だった)からである。
21:13
イエスは来て、パンを(手に)取って彼らに渡された。魚も同じようにされた。
21:14
イエスは死人の中から復活されたのち、弟子たちに自分を現わされたのは、これですでに三度目である

 

B 復活のイエスは初めはエルサレムで、次に予告通りガリラヤで現われた。

 

●復活はガリラヤで現われるというイエスの予告

 

B−1)塚本訳 マコ 14:27-28

14:27 (道で)イエスは弟子たちに言われる、「(今夜)あなた達は、一人のこらず(信仰に)つまずくであろう。(聖書に)『わたしは羊飼を打つ、羊はちりぢりになるであろう』と書いてあるからである。(羊飼はわたし、羊はあなた達である。)

14:28 しかしわたしは復活した後、あなた達より先にガリラヤに行く。(そこでまた会おう。)」

 

B−2)塚本訳 マコ 16:7

16:7 さあ行って、弟子たち、とりわけペテロに、『イエスはあなた達より先にガリラヤに行かれる。(前に)あなた達に言われたとおり、そこでお目にかかれる』と言いなさい。」

 

●イエスの復活は、初めはエルサレムで現れた。

 

B−3)塚本訳 ヨハ 20:19

20:19 その日すなわち週の初めの日の晩であった。ユダヤ人を恐れて、弟子たちのおる部屋の戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスが(どこからともなく)はいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。

 

B−4)塚本訳 ヨハ 20:26

20:26 八日ののち、弟子たちはまた家の中に(集まって)いた。今度はトマスも一しょであった。戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスがはいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた

 

                      

塚本訳 ヨハ 21:15-19

21:15 やがて食事がおわると、イエスはシモン・ペテロに言われる、「ヨハネの子シモン、(今でも)あなたは、この人たち(が愛する)以上に、わたしを愛しているのか。」イエスに言う、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたが御存じです。」彼に言われる、「わたしの小羊を飼いなさい。」

21:16 二度目にまた言われる、「ヨハネの子シモン、あなたはわたしを愛しているのか。」イエスに言う、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたが御存じです。」彼に言われる、「わたしの羊の番をしなさい。」

21:17 三度目に言われる、「ヨハネの子シモン、あなたはわたしを愛しているのか。」ペテロは、イエスが三度も「あなたはわたしを愛しているのか」と言われたので悲しくなって、言った、「主よ、あなたはなんでも御存じです。わたしがあなたを愛していることはあなたが御存じです。」イエスが言われる、「わたしの羊を飼いなさい。

21:18 アーメン、アーメン、わたしは言う、あなたは若い時分には、自分で帯をしめて、行きたい所へ行ったが、年を取ると、両手をのばして、ほかの人に帯をしめられ、行きたくない所へ連れてゆかれるであろう。」

21:19 このように言われたのは、ペテロがどんな死に方をして[十字架について]、神の栄光をあらわさねばならぬかを暗示されたのである。こう言ったあと、ペテロに、「わたしについて来なさい」と言われる。

 

C イエスの愛弟子であったヨハネよりもペテロでまとまれ。

 

C−1)塚本訳 ルカ 12:40-43

12:40 あなた達も用意していなさい。人の子(わたし)は思いがけない時に来るのだから。」

12:41 するとペテロが言った、「主よ、この譬はわたし達(世話をしている者)のためですか、それとも皆の者のためにも話されたのですか。」

12:42 主が言われた、「(旅行に出かける)主人が一人の番頭を(えらんで)召使たちの上に立て、時間時間にきまった食事を与えさせることにした場合に、いったいどんな番頭が忠実で賢いのであろうか。

12:43 それは主人がかえって来たとき、言いつけられたとおりにしているところを見られる僕で、その僕こそ幸いである。

 

C−2)塚本訳 ルカ 12:47-48

12:47 主人の心を知っていながら用意せず、あるいは主人の心に従って行動しなかった僕は、(鞭で)打たれることが多い。

12:48 しかし(主人の心を)知らない者は、打たれるようなことをしても、打たれ方が少ない。(神に)多く渡された者は皆多く請求され、(信頼して)多く任された者は一そう多く要求される。

 

C−3)塚本訳 ヨハ 10:1-5

10:1 アーメン、アーメン、あなた達に言う、羊の檻に入るのに、門を通らず、ほかの所を乗り越えてくる者は、泥坊である、強盗である。

10:2 門を通って入る者が、(ほんとうの)羊飼である。

10:3 羊飼には門番が(門を)あけてやり、羊はその声を聞き分ける。羊飼は一匹一匹、自分の羊の名を呼んで(檻から)つれだし、

10:4 自分の羊を皆出すと、その先に立って歩く。羊はその声を知っているので、あとについて行く。

10:5 しかしほかの人には決してついて行かない、かえって逃げる。ほかの人たちの声を知らないからである。」

 

C−4)塚本訳 ヨハ 10:10-12

10:10 泥棒が来るのは、ただ(羊を)盗み、殺し、滅ぼすだけのためである。わたしは(羊に)命を持たせるため、あり余るほど(の命を)持たせるために来たのである。

10:11 わたしが良い羊飼である。良い羊飼は羊のために命を捨てる

10:12 (本当の)羊飼でない雇人(である羊飼)は、羊が自分のものでないので、狼が来るのを見ると、羊をすてて逃げる。・・すると狼は羊を奪い、また追い散らすのである。・・

 

 

塚本訳 ヨハ 21:24-25

21:24 これらのこと([ヨハネ福音書全体]が真実であること)を証明し、かつこれらのことを書いたのは、この(イエスの愛)弟子である。わたし達はこの弟子の証明が信用すべきであることを知っている。

21:25 しかし、イエスのなさったことはこのほかにまだ山ほどあって、もしそれをひとつびとつ書きつけるならば、全世界にも、書いた書物の置場があるまいと思う。

 

D [ヨハネ福音書全体]の著者は「(イエスの愛)弟子」。塚本訳英断の敷衍。

  人間に従わないで使徒たちの伝える証明の「真実」に忠実たれ

 

D−1)塚本訳 ヨハ 19:33-35

19:33 しかしイエスのところに来て、すでに死んでおられるのを見ると、脛を折らずに、

19:34 (死をたしかめるため、)一人の兵卒が槍でその脇腹を突いた。すぐ血と水がながれ出た。

19:35 (実際)目で見た者[主の愛しておられた弟子]がこのことを証明している。──その証明は信用すべきである。彼らは自分の言うことが真実であることを知っている。──(これを書くのは、イエスが神の子であることを)あなた達にも信じさせるためである。

 

D−2)塚本訳 ヨハ 20:30-31

20:30 このほか、この本に書いてない、多くの徴[奇蹟]を、イエスは弟子たちの前で行われた。

20:31 しかし(ほんの一部分であるが、いま)これらのことを書いたのは、あなた達に、イエスは救世主で、神の子であることを信じさせるため、また、それを信じて、イエスの名によって(永遠の)命を持たせるためである。

 

D−3)塚本訳 使  2:41-43

2:41 ここに神の話を受け入れた者は(その場で)洗礼を受け、三千人ばかりの者がその日(集まりに)加えられた。

2:42 彼らは使徒たちの教えを固く守り、(信者の)交わりと、(一緒に)パンを裂くことと、祈りとに余念がなかった

2:43 恐れをいだかぬ者とてはなかった。使徒たちによって、多くの不思議なことや徴が行われたのである。

 

Eラザロの復活の事実も人類の希望。死は終わりではなく、永遠の命への門。

 

E−1)塚本訳 ヨハ 11:25-27

11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。

11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」

11:27 イエスに言う、「はい、主よ、(信じます。)あなたが救世主で、神の子で、世に来るべき方であると、私は信じています。」

 

E−2)塚本訳 ヨハ 11:33-34

11:33 イエスはマリヤが泣き、一しょに来たユダヤ人たちも泣くのを見ると、(その不信仰を)心に憤り、かつ興奮して、

11:34 (マルタとマリヤに)言われた、「どこにラザロを納めたか。」二人が言う、「主よ、来て、御覧ください。」

 

E−3)塚本訳 ヨハ 11:39-40

11:39 「石をのけなさい」とイエスが言われる。死んだ人の姉妹のマルタが言う、「主よ、もう臭くなっています。四日目ですから。

11:40 イエスがマルタに言われる、「信ずれば神の栄光が見られると、(さきほども)あなたに言ったではないか。」

 

E−4)塚本訳 ヨハ 11:42-43

11:42 (願わずとも)あなたはいつもわたしの願いを聞いてくださることを、わたしはよく知っております。しかしまわりに立っている人たちのために、(今わざと声を出して感謝を)申したのであります。(わたしの願いはなんでもきかれることを彼らに示して、)あなたがわたしを遣わされたことを信じさせるためであります。

11:43 こう言ったのち、大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた。

 

E−5)塚本訳 ヨハ 5:24-25

5:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、わたしの言葉を聞き、わたしを遣わされた方を信ずる者は、(今すでに)永遠の命を持っていて、(最後の日に)罰を受けない。その人はもはや死から命に移っているのである。

5:25 アーメン、アーメン、わたしは言う、死人が(一人のこらず)神の子(わたし)の声を聞く時が来る、いや、今もう来ている。しかし(ただ聞くばかりでなく、ほんとうに)聞き従う者(だけ)が生きる。

 

F結論。永遠の命の証拠はイエスの有体的復活。泣くな!ああ信仰うすき者よ。

 

F−1)塚本訳 黙  1:8

1:8 我はアルパである、またオメガである。(我このことの真実なることを証明する」と、(今)在り給う(者、昔)在り給いし(者、また後に)来たり給うべき者、(また)全能の主なる神言い給う

 

F−2)塚本訳 黙  5:5

5:5 すると(かの)長老の一人が私に言う、「泣くな。視よ、ユダ族の獅子、ダビデの根(である者)が(既に)勝った(から)、彼がその巻き物と七つの封印とを開く(ことが出来る。)」

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