聖書で聖書を読む
ルカ福音書
はしがき(ルカ1:1−4)
・・・福音は不思議な方法で異教国ローマに入った・・・
2015年7月5日 東京聖書読者会 高橋照男
塚本訳 ルカ 1:1
1:1 わたし達の間で(近ごろひとまず)完結しました出来事を、(すなわち、イエス・キリストの福音の発端から、それがローマにまで伸びていったことの顛末を、)
●わたし・・伝統的には、著者ルカは異教人で新約聖書に出てくる医者ルカであり、パウロと行動を共にした人物。本人はイエスの目撃者ではなく、マルコ福音書を土台に独自の資料を加え、新しく著述した。著者問題は近代聖書学において議論が煩瑣。無教会は聖書を学問的読みでなく素人の真髄読みに徹する。
@−1)塚本訳 コロ 4:14
4:14 愛する医者ルカとデマからよろしく。
@−2)塚本訳 ピレ 1:24
1:24 私の共働者たちマルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからも。
@−3)塚本訳 Uテモ4:11
4:11 ルカだけが私と一緒にいる。マルコは私の仕事に(非常に)役立つから一緒に連れて来い。
●わたし達の間で・・・ルカはパウロの伝道旅行一行の中にいた。「ワタシ達記録」(使 16:10、20:5、21:1、27:1各以下)。これも学問的議論が煩瑣。
@−4)塚本訳 使 16:10
16:10 パウロがこの幻を見た時、わたし達(一七節マデノ「ワタシ達記録」ノ記者ヲ含ムパウロ一行)はさっそくマケドニヤ州に出かけることにした。マケドニナの人に福音を説くために、神はわたし達を呼び出されたのだという結論に達したからである。
●完結しました出来事・・・福音は思弁や説教ではなく、歴史と経験の事実。
@−5)塚本訳 使 10:37
10:37 あなた達は(洗礼者)ヨハネが洗礼を説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ中にゆきわたった出来事を知っておられる。
●イエス・キリストの福音の発端から、それがローマにまで伸びていったことの顛末・・「ルカ福音書」と「使徒のはたらき」の二巻は同一著者ルカが執筆
@−6)塚本訳 使 1:1-2
1:1 テオピロよ、(さきに)わたしは(本書の)第一巻[ルカ福音書]を著わして(あなたにささげた。それには)イエスが行われたことまた教えられたことを、ことの始めからことごとく書きしるし、
1:2 お選びになった使徒たちに、聖霊によって(全世界への伝道を)命令されたのち、(天に)あげられた日に及んだ。(わたしは今ここに、その第二巻をあなたにささげようと思う。)
@−7)塚本訳 使 28:28(ルカの結論・・・高橋)
28:28 だから、この『神の救いは』(あなた達を去って)『異教人に』おくられたことを、あなた達はよく知ってもらいたい。彼らならば聞くであろう。」
塚本訳 ルカ 1:2
1:2 最初から実際に見た人たちと御言葉の伝道にたずさわった人たちとが(語り)伝えてくれたとおりに、一つの物語に編もうと企てた人が数多くありますので、
●実際に見た人たち・・・有体的復活を目撃したのは誰たちだったのか。
A−1)塚本訳 マコ 16:9-15(有体的復活の要約・・・高橋註)
16:9 【さて週の第一日の朝早く復活して、まずマグダラのマリヤに自分を現わされた。以前に七つの悪鬼を追い出していただいた女である。
16:10 この女は、(御在世中)おそばにいた人たちが泣き悲しんでいるところに行って知らせたが、
16:11 この人たちは、(今)生きておられること、彼女がそれを見たことを聞いても、信じなかった。
16:12 そのあとで、そのうちの二人が田舎の方へ歩いて行く途中、別の姿で自分を現わされた。
16:13 この人たちも、行って残りの人たちに知らせたが、この人たち(の言うこと)も信じなかった。
16:14 その後、十一人(の弟子)が食事をしているとき自分を現わして、彼らの不信仰と心の頑固とをお責めになった。復活されたのを見た人々(の言うこと)を信じなかったからである。
16:15 彼らに言われた、「行って、全世界のすべての人間に福音を説け。
A−2)塚本訳 ヨハ 21:12-13
21:13 イエスは来て、パンを(手に)取って彼らに渡された。魚も同じようにされた。
21:14 イエスは死人の中から復活されたのち、弟子たちに自分を現わされたのは、これですでに三度目である。
A−3)塚本訳 使 1:3
1:3 イエスは(十字架の)苦しみを受けて(死なれ)た後も、多くの証拠をもって使徒たちに御自分が生きていることを示し、四十日の間彼らに現われて、神の国のことをお話になった。
A−4)塚本訳 使 26:16
26:16 さあ、起きて、『自分の足で立て。』わたしが(今)現われたのは、君を選んで、わたしを見たことと、(今からも)君に現われて示すこととの証人として、わたしに仕えさせるためである。
A−5)塚本訳 使 4:20
4:20 わたし達は自分で見たり聞いたりしたことを、話さないわけにはゆかない。」
●伝えてくれたとおりに、・・・福音は有体的復活の目撃伝承の上に立つ
A−6)塚本訳 Tコリ15:3-8
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。
15:6 そのあと、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた。そのうちの多数の者はいまでも生きてい(て、わたしが嘘を言っていないことを証明してくれ)る。もっともすでに眠った者もあるにはある。
15:7 そのあと(御兄弟の)ヤコブに、それから使徒一同に、御自分を現わされた。
15:8 しかし一番最後には、さながら月足らずのようなわたしにも御自分を現わされた。
A−7)塚本訳 使 23:6
23:6 そのときパウロは(役人の)一派はサドカイ人、一派はパリサイ人であるのを見て取り、法院で叫んだ、「兄弟の方々、わたしはパリサイ人で、しかもパリサイ人の子です。いま死人の復活の希望のために裁判されているのです。(わたしは復活のキリストを見たと言いますから。)」
A−8)塚本訳 Uコリ5:16(試訳・第6分冊)
5:16 従って(また既にキリストにおいて肉に死んだ)この私達は、今後誰をも肉によって知ら(ろうとは思わ)ない。(肉の眼で見ようと思わない。)たとい(かっては)私達もまたキリストを肉によって知っていたにせよ、(そして肉のキリストを見たというようなことが何か一廉の特権であるように考えたこともあったけれども〔ああ、馬鹿な私達よ、パウロよ!〕、しかしもう今(から)は(決して)そんな恥ずべき態度で彼を知ら(ろうと思わ)ない、(思ってはならない。━━━
●物語に編もう・・・霊の真理を文学的に表現するセンス。重要場面の「天使」の語り。
A−10)塚本訳 ルカ 1:28
1:28 天使は乙女の所に来て言った、「おめでとう、恵まれた人よ、主があなたとご一しょだ!」
A−11)塚本訳 ルカ 1:30-31
1:30 天使が言った、「マリヤよ、恐れることはない。神からお恵みをいただいたのだから。
1:31 見よ、あなたは子をさずかり、男の子が生まれる。その名をイエスとつけよ。
A−12)塚本訳 ルカ 1:34
1:34 マリヤが天使に言った、「まだ夫を知らぬわたしに、どうしてそんなことがありましょうか。」
A−13)塚本訳 ルカ 2:13-14
2:13 するとたちまち、おびただしい天使の群がその天使のところにあらわれて、神を讃美して言った、──
2:14 いと高き所にては神に栄光、地上にては(いまや)平安、御心にかなう人々にあり!
A−14)塚本訳 ルカ 2:21
2:21 八日過ぎて割礼の日が来ると、人々は、胎内に宿る前に天使からつけられたイエスという名を、幼児につけた。
A−15)塚本訳 ルカ 22:42-43
22:42 言われた、「お父様、お心ならば、どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心が成りますように!」
22:43 そのとき天から一人の天使がイエスに現われて、力づけた。
塚本訳 ヨハ 14:25-26
14:25 わたしはこれだけのことを、(まだ)あなた達と一しょにおるあいだに話した。(これ以上のことは話してもわからないからだ。)
14:26 (わたしが去ったあとで、)父上がわたしの名で遣わされる弁護者、すなわち聖霊が、あなた達にすべてのことを教え、またわたしが言ったことをすべて思い出させるであろう。
塚本訳 Tペテ1:8
1:8 君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦を喜んでいる。
●企てた人が数多くあります・・・福音から逸脱したものは歴史から消えた。
A−16)塚本訳 マタ 15:12-14
15:12 あとで弟子たちが来てイエスに言う、「パリサイ人がお話を聞いて腹を立てたことを御存じですか。」
15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる。
15:14 あの人たちを放っておけ。盲人の手引をする盲人だ。盲人が盲人の手引をすれば、二人とも穴に落ちよう。」
A−17)塚本訳 ヨハ 15:6
15:6 人はわたしに留っていなければ、蔓のように投げ出されて枯れる。すると集められ、火の中に投げ込まれて焼かれる。
塚本訳 ルカ 1:3
1:3 テオピロ閣下よ、わたしも一切の事の次第を始めから精密に取り調べましたから、今順序を正して書き綴り、これを閣下に奉呈して、
●テオピロ閣下・・テオピロとはフラウビウス・クレメンスのことでドミティアヌス帝(在位81−96年)の甥で執政官。夫人は帝の妹の一人娘のドミテラ。「尊敬するテオピロ殿」(新改訳)「敬愛するテオフィロさま」(新共同訳)
B−1)塚本訳 マタ 10:18
10:18 また、あなた達はわたし(の弟子であるが)ゆえに、総督や王の前に引き出されるであろう。これは、その人たちと異教人とに(福音を)証しする(機会を与えられる)ためである。
B−2)塚本訳 使 25:6-8
25:6 フェスト(ユダヤ駐在のローマ総督・・・高橋)は彼らの間にせいぜい八日か十日滞在して、カイザリヤに下ってゆき、翌日裁判席に着いて、パウロを引き出すようにと命令した。
25:7 パウロがあらわれると、エルサレムから下ってきていたユダヤ人たちは彼のまわりに立ち、多くの重い罪状を並べ立てたが、証明することが出来なかった。
25:8 パウロの方では、「わたしはユダヤ人の律法に対しても、宮に対しても、皇帝に対しても、何も罪を犯したことはありません」と弁明した。
●一切の事の次第を始めから精密に取り調べました・・有体的復活は歴史内。
B−3)塚本訳 ルカ 3:1-2
3:1 (ローマの)皇帝テベリオの治世の十五年目、ポンテオ・ピラトはユダヤの総督、ヘロデ・(アンテパス)はガリラヤの領主、その兄弟ピリポはイツリヤおよびテラコニテ地方の領主、ルサニヤはアビレネの領主、
3:2 (そして)アンナスとカヤパとが大祭司であった時、神の(お召しの)言葉が、(ユダヤの)荒野でザカリヤの子ヨハネにくだった。
B−4)塚本訳 使 1:21-22
1:21 だから、主イエスがわたし達と行き来された全期間を通して、
1:22 すなわち、ヨハネの洗礼(の時)以来イエスがわたし達の所から(天に)あげられた日までの間、いつもわたし達と一緒にいた者の一人が、わたし達と共に主の復活の証拠にならねばならない。」
●今順序を正して書き綴り、・・・福音は歴史だから、順序正しい報告が必要
B−5)塚本訳 使 11:2-4
11:2 そこでペテロがエルサレムに上ってきた時、割礼のある者たちが詰問して
11:3 言った、「あなたは割礼のない人たちの所に行って、一緒に食事をしたというではないか。」
11:4 ペテロは順序ただしく(次のように)説明をはじめた。
●奉呈・・・この姿勢。「献じる」(口語)、「さし上げる」(新改訳)、「献呈」(新共同訳)
B−6)塚本訳 使 25:10-12
25:10 パウロが言った、「いまわたしは皇帝の裁判席の前に立っております。ここで裁判されるべきです。あなたも十分御承知のように、わたしはユダヤ人に対して、何も不正をした覚えはありません。
1:4 閣下が(今日までこのことについて)聞かれた話が、決して間違いでなかったことを知っていただこうと思ったのであります。
●閣下が(今日までこのことについて)聞かれた話・・・テオピロの夫人は信者であった。テオピロは多分妻からイエスのことを聞いていたと睨む。福音は不思議な方法で異教国ローマに入って行った。福音伝播の影に婦人の祈りあり。
C−1)塚本訳 マタ 27:19
27:19 ピラト(ユダヤ駐在のローマ総督、ルカ3:1、使徒4:27・・・高橋)が裁判席に着いているとき、その妻が彼の所に人をやって、「その正しい人に関係しないでください。その人のおかげで、昨夜夢で散々な目にあいましたから」と言わせた。
C−2)塚本訳 使 24:24-25
24:24 数日の後ペリクス(ユダヤ駐在のローマ総督、使徒24:2・・・高橋)は、ユダヤ人であるその妻ドルシラと一緒に(監禁の場所に)来て、パウロを呼び、キリスト・イエスに対する信仰の話を聞いた。
24:25 ところがパウロの話は、義と、節制と、来るべき(最後の)裁きとについてだったので、ペリクスは恐ろしくなって、「本日はこれで帰ってよろしい。よい折があったら、また呼びにやるから」と言った。
C−3)塚本訳 Tペテ2:12
2:12 異教人の中における歩き方を立派にせよ。(今)君達を悪いことをする者のように譏(そし)っている人達が、(君達の)立派な行動によって悟り、その(譏(そし)っていた)ことにおいて(かえって)『訪問(おとずれ)の日に』神を(信じ)崇める(に至らん)ためである。
●知っていただこうと思った・・・・・ルカの執筆した二巻の著作の目的はイエスという人物は政治体制の転覆を目的としていないし、その教えは決して邪教ではないことを証明しようとした。求道中であったテオピロはその後入信。信者になったという理由で、ドミティアヌス帝が暗殺される寸前に死刑。夫人は流刑。子供は二人いた。ルカの二巻の著作の上にはテオピロとその夫人の血が流されている。しかしこれが人類に果たした大きさは計り知れない。異教のローマ帝国にキリスト教が広まった背景には性道徳の紊乱による暗さがあり、そこに「初代信徒たちにより新しい生命力が吹き込まれ」(ヒルティ幸福論V白水社版p95要約)、これが世を革新した。ローマ帝国は紀元313年にキリスト教を公認、ついに392年にはこれを国教とするに至った。「血は種子」であった。ルカには妻子なく84歳まで長生きしたと言われているが最後の様子は不明。ルカの功績とその著作を奉呈されたテオピロおよびその夫人のドミテラにとってローマ帝国は「自分の十字架」であった。しかしその重い十字架を負いきれなかったこの三人の「犠牲の生涯」は主に知られたことにより真に尊く偉大であったと言わなければならない。
C−4)塚本訳 ヨハ 12:24
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)
C−5)塚本訳 ルカ 9:23
9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。
C−6)塚本訳 黙 5:5
5:5 すると(かの)長老の一人が私に言う、「泣くな。視よ、ユダ族の獅子、ダビデの根(である者)が(既に)勝った(から)、彼がその巻き物と七つの封印とを開く(ことが出来る。)」
C−7)塚本訳 黙 14:13
14:13 また私は天から声が(こう)言うのを聞いた、「書け、『今から後主にあって死ぬる死人は幸福である。』」御霊も言い給う、「然り、彼らはその労苦を休息む(ことが出来る)であろう。その(為した)業が彼らに随いて行くのであるから!」と。