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ルカ福音書

マリヤのエリサベツ訪問(ルカ1:39−45)

・・・信仰の人生は孤独な旅。主の母マリヤに学ぶ・・・

2015年12月6日 東京聖書読者会 高橋照男

塚本訳 ルカ 1:39
1:39
その後間もなくマリヤは立って、大急ぎでユダの山地のある町に行き

●想像を絶するマリヤの不安と恐れ。神の御旨の不条理の意味を知ろうとした。ナザレから従姉妹(ルカ136)のエリサベツの家までは100キロの長旅。       

391)塚本訳 ルカ 1:28-31

1:28 天使は乙女の所に来て言った、「おめでとう、恵まれた人よ、主があなたとご一しょだ!」

1:29 マリヤはこの言葉にびっくりして、いったいこの挨拶は何事であろうと考えまどうた。

1:30 天使が言った、「マリヤよ、恐れることはない。神からお恵みをいただいたのだから。

1:31 見よ、あなたは子をさずかり、男の子が生まれる。その名をイエスとつけよ。


39-2塚本訳 ルカ 1:34

1:34 マリヤが天使に言った、「まだ夫を知らぬわたしに、どうしてそんなことがありましょうか。」


39-3
)塚本訳 ルカ 2:17-19

2:17 彼らはそれを見ると、幼児について(天使に)告げられたことを(人々)に知らせた。

2:18 聞く者は皆羊飼たちの話を不思議に思った。

2:19 しかしマリヤはこのことを皆胸にひめて、一人でじっと考えていた


39-3
)塚本訳 ルカ 2:48-51

2:48 両親はこれを見て驚き、母が言った、「坊や、どうしてこんなことをしましたか。ごらん、お父さまもわたしも(こんなに)心配して、あなたをさがしているではありませんか。」

2:49 彼らに答えられた、「なぜおさがしになったのです。わたしが(天の)お父さまの家に居るのは当り前でしょう。御存知なかったのですか。」

2:50 両親にはこう言われた言葉(の意味)がわからなかった。

2:51 それからイエスは一しょに(エルサレムから)下ってナザレに帰り、両親につかえられた。母(マリヤ)はこのことを皆胸に秘めていた。


39-4)塚本訳 ヨハ 9:1-3

9:1 イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた。

9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。

9:3 イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである。


39-5)塚本訳 マコ 15:33-34

15:33 昼の十二時になると、地の上が全部暗闇になってきて、三時までつづいた。

15:34 三時に、イエスは大声を出して『エロイ エロイ ラマ サバクタニ!』と叫ばれた。訳すると、『わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!』である。


39-6
)塚本訳 Uコリ12:7-8

12:7 そしてこれらの素晴らしい啓示があるので、わたしが高慢にならないようにと、わたしの肉に一つの刺が与えられた。悪魔の使いであって、これはわたしが高慢にならないようにと、わたしをうつものである。

12:8 この使について、それがわたしから手を引くようにと、三度まで主に願ったが、

塚本訳 ルカ 1:40

1:40 ザカリヤの家に入ってエリサベツに挨拶した。

●神が証人として示した人物に聞く態度。信仰は人を信ずることから始まる。


40-1)塚本訳 ルカ 1:36-37

1:36 実はあなたの親類のエリザベツも、あの老年で、男の子をさずかったのだ。石女と言われていた女が、今月はもう六月になっている。

1:37 『神には何一つ出来ないことはない』のだから。」


40-2
)塚本訳 Tコリ15:3-5

15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、

15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、

15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。    


40-3)塚本訳 ロマ 10:14-15

10:14 ところで、(呼ぶだけで救われると言うが、)信じたことのない者を、どうして呼ぶことができようか。聞いたことのない者を、どうして信ずることができようか。説く者がなくて、どうして聞くことができようか。

10:15 (神に)遣わされなければ、どうして説くことができようか。(しかし説く者はある。それはわたし達である。)『善いこと[福音]を伝える人たちの足の、なんと美しいことよ!』と書いてあるとおりである。


40-4
)塚本訳 ロマ 10:17

10:17 [(だから、(いま言ったように、)信仰は(福音を)聞くことから、聞くことはキリストの(伝道の)命令から生まれる。

 

塚本訳 ルカ 1:43

1:43 主の母上がわたしの所に来てくださるとは、まあどうしたのでしょう。

●「主の母上」という概念は、著者ルカのマリヤを尊敬する心。天使の「語り」はルカの心。信仰は孤独な旅。信仰の不安にも神を信じ抜いた主の母マリヤ。

・霊の表現方法は様々な形をとる。

・典礼。カトリック教会祈祷文、「アベ(めでたし)マリヤ、恩寵に満てる者よ、主なんじと偕にいます。」

・絵画。ラファエロ、ダビンチ、グレコなどの「マリヤ」

・音楽。バッハ/グノー、モーツァルト、シューベルト、アルカデルト、カッチーニ、 フォーレ、などの「アヴェマリヤ」

・建築。フィレンツェ花のマリヤ大聖堂、東京カテドラルマリヤ大聖堂

・文学。「乙女なる母、自分の子の娘」(ダンテ神曲。塚本虎二イエス伝4講)

せしりあ

・彫刻。 舟越保武 聖セシリア 胸像(1980年石造) マリヤのイメージ。

聖セシリアは2世紀頃のローマ貴族の娘。殉教者、聖人。音楽の守護聖人。「(この像には)舟越にとって理想化された母親の面影が宿されている。母の聖と愛と義という永遠なるものの精神性が凝縮されている。船越は幼い時に亡くし顔すら覚えていない母の面影を意識の奥に求め、夢の中で見る母は、いつも優しく、若く、美しいと船越は言う。」(展覧会の解説文を要約)

・その信仰の固さに感化された夫も弟も入信。彼女の一途な信仰を尊敬する。

●しかしマリヤは神ではない。人間マリヤを偶像として拝んではいけない。無教会はマリヤを善き同信の姉妹として愛し尊敬する。(塚本イエス伝第5講)

塚本訳 マコ 10:18イエスは言われた、「なぜわたしを『善い』と言うのか。神お一人のほかに、だれも善い者はない

●日本に与えられた無教会の文化的側面

・苦難にもめげない「貧家の良妻」が理想の天職。(内村鑑三)

・「ユダヤ人理想の妻」は箴言3110-31。(塚本虎二)

箴言31:25 力と気品とは彼女の着物である、そして後の日を笑っている。

・バッハ・カンタータ147番「心と口と行いと生活」が無教会の信仰の姿。

 

43-1)塚本訳 使  1:13-14

1:13 (都に)入ると、彼らはいつも泊まっている二階の部屋に上がった。それはペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党のシモンとヤコブの子ユダ(の十一人)であった。

1:14 この人々は皆、女たち、とりわけイエスの母マリヤや、イエスの兄弟たちと、心を一つにして祈りに余念がなかった

 

塚本訳 ルカ 1:44

1:44 そら、あなたの挨拶の声がわたしの耳に入ると、児が胎内で喜んで躍りました。

●エリサベツの話でマリヤは安んじた。神は人を信仰に導くために実証する。

●神を信じられた者は実証に触れて理性に安息をもたらす。これが教会の本質。

 
44-1)塚本訳 ヨハ 20:24-29

20:24 十二人の一人で、トマスすなわちギリシャ語でデドモ(二子)は、イエスが来られた時、みんなと一しょにいなかった。

20:25 そこでほかの弟子達が、「わたし達は主にお目にかかった」と言うと、彼らに言った、「わたしはその手に釘の跡を見なければ、わたしの指をその釘の場所に差し込まなければ、手をその脇腹に差し込まなければ、決して信じない。」     20:26  八日ののち、弟子たちはまた家の中に(集まって)いた。今度はトマスも一しょであった。戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスがはいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。

20:27 それから(すぐ)トマスに言われる、「指をここに持ってきて、わたしの手(の釘の跡)をよく見てごらん。手を持ってきて、わたしの脇腹に差し込んでみなさい。不信仰をやめて、信ずる者らしくしなさい。」

20:28 トマスがイエスに答えて言った、「わたしの主よ!わたしの神よ!」

20:29 イエスは言われる、「わたしを見たので、信じたのか。幸いなのは、見ないで信ずる人たちである。」


44-2)塚本訳 ヨハ 20:6-9

20:6 続いてシモン・ペテロも来た。彼は墓に入り、亜麻布が(そのままそこに)あるのを見た。

20:7 また頭をつつんだ手拭は亜麻布と一しょになく、これだけ別の所に、包んだまま(の形)になっていた。

20:8 すると先に墓に着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた。

20:9 イエスは死人の中から復活されねばならないという聖書の言葉が、(この時まで)まだ彼らにわかっていなかったのである。


44-3
)塚本訳 ルカ 24:31-32

24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。

24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。


44-4
)塚本訳 使  23:6

23:6 そのときパウロは(役人の)一派はサドカイ人、一派はパリサイ人であるのを見て取り、法院で叫んだ、「兄弟の方々、わたしはパリサイ人で、しかもパリサイ人の子です。いま死人の復活の希望のために裁判されているのです。(わたしは復活のキリストを見たと言いますから。)


44-5)塚本訳 エペ 1:14

1:14 この聖霊こそ(実は)私達が神の王国を相続することの担保であり、私達を贖って神の所有とするのであって、(凡ては)神の栄光が讃美されんためである。


44-6
)塚本訳 Uコリ5:5

5:5 このことがわたし達に出来るようにされたお方は神であり、このお方がその手付けとして御霊を下さったのである。

 

44-7)塚本訳 Tヨハ1:1-2

1:1 (世の)始めから(すでに)おられたもの、(それは)わたし達が(この耳で)聞いたもの、自分の目で見たもの、直観しまた自分の手でさわったもの、(すなわち)命の言葉について、──

1:2 この命が自分を現わし、(それを)わたし達は見て、証明し、またこの永遠の命をあなた達に告げる。これは(始めには)父と共におられたが、(今)わたし達に自分を現わしたのである──

 

塚本訳 ルカ 1:45

1:45 主の仰せられたことはきっと成就する信じたこの人は、なんと仕合わせしょう。」

●キリスト教「幸福論」。神への従順が真の自由、真の幸福。

●人は人の「言葉」を信じるということが大切。イエスはマリヤに愛されてその言葉に従って育ち、その感化を受けたと思われる。

 
45-1)塚本訳 ルカ 1:38

1:38 マリヤは言った、「かしこまりました。わたしは主の召使、お言葉のとおりに成りますように。」天使はマリヤをはなれ去った。

 
45-2
)塚本訳 ルカ 1:48

1:48 この『卑しい召使にまで目をかけてくださった』からです。きっと今からのち代々の人々は、『わたしを仕合わせ者と言いましょう。』


45-3)塚本訳 ルカ 11:27-28

11:27 こう話しておられる時、群衆の中の一人の女が声を張り上げてイエスに言った、「なんと仕合わせでしょう、あなたを宿したお腹、あなたがすった乳房は!」
11:28 しかしイエスは言われた、「いや、仕合わせなのは、神の言葉を聞いてそれを守る人たちである。」

 

45-4)塚本訳 ルカ 2:40

2:40 幼児は大きくなり強くなって、知恵満ち、神の恵みが彼をはなれなかった。


45-5
)塚本訳 ルカ 2:52

2:52 イエスは知恵も身の丈も、』また神と人との寵愛も、いやましに増していった。』


45-6
)塚本訳 ヨハ 4:47-50

4:47 イエスがユダヤからガリラヤに来ておられると聞くと、イエスの所に行き、(カペナウムに)下ってきて息子を直してほしいと頼んだ。息子が死にそうだったのである。

4:48 イエスは言われた、「あなた達は徴[奇蹟]と不思議なことを見なければ、決して信じない。」

4:49 王の役人が、「主よ、子供が死なないうちに(カペナウムに)下ってきてください」と言いつづけると、

4:50 イエスは言われる、「かえりなさい、息子さんはなおった。」その人はイエスの言われた言葉を信じて、かえっていった。

 

45-7)塚本訳 マタ 8:8-10

8:8 百卒長は答えた、「主よ、わたしはあなたを、うちの屋根の下にお迎えできるような者ではありません。(ここで)ただ一言、言ってください。そうすれば下男は直ります。

8:9 というのは、わたし自身も指揮権の下にある人間であるのに、わたしの下にも兵卒がいて、これに『行け』と言えば行き、ほかのに『来い』と言えば来、また僕に『これをしろ』と言えば(すぐ)するからです。(ましてあなたのお言葉で、病気が直らないわけはありません。)」

8:10 イエスは聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、イスラエル人の中でも、こんなりっぱな信仰をもっている者を一人も見たことがない。


45-8)塚本訳 ルカ 9:44-45

9:44 「あなた達はこの言葉をよく耳にしまって置きなさい。──人の子(わたし)は人々の手に引き渡されねばならない

9:45 しかし彼らはこの言葉がわからなかった。彼らに(意味が)隠されていたので、会得できなかったのである。でもこわいので、この言葉について尋ねなかった。

 

45-9)塚本訳 マコ 8:31

8:31 (この時から、)イエスは、「人の子(わたし)は多くの苦しみをうけ、長老、大祭司連、聖書学者たちから排斥され、殺され、そして三日の後に復活せねばならない。(神はこうお決めになっている)」と弟子たちに教え始められた。

 

45-10)塚本訳 マコ 14:36-37

14:36 言われた、「アバ、お父様、あなたはなんでもお出来になります。どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心がなればよいのです。

 

45-11)塚本訳 マタ 26:52-54

26:52 その時イエスが言われる、「剣を鞘におさめよ。剣による者は皆、剣によって滅びる。

26:53 それとも、父上にお願いして十二軍団以上の天使を今すぐ送っていただくことが、わたしに出来ないと思うのか。

26:54 しかしそれでは、かならずこうなる、とある聖書の言葉は、どうして成就するのか。


45-12)塚本訳 ルカ 22:41-46

22:41 そして自分は石を投げれば届くほどの所に離れてゆき、ひざまずいて祈って

22:42 言われた、「お父様、お心ならば、どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心が成りますように!」

22:43 そのとき天から一人の天使がイエスに現われて、力づけた。

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