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ルカ福音書

マリヤの讃美の歌(ルカ1:46−56)

・・・新しき時代来る。福音の喜びの歌・・・

2016年1月31日 東京聖書読者会 高橋照男

●序

・マリヤはわが子の死の悲しみからその有体的復活に接して喜びに変わった

序―@)塚本訳 ヨハ 19:25

19:25 ところが一方、イエスの十字架のわきには、その母(マリヤ)と母の姉妹、クロパの妻マリヤとマグダラのマリヤが立っていた。

 

・わが子が目の前で十字架で惨殺されるのを見たことは、人間として、女性として、母としてこれ以上の不幸悲しみは無い。

・死別の悲しみ。「スターバト・マーテル(悲しみの聖母)」。ベルゴレージ、パレストリーナ、ドヴォルザークなどの音楽。ミケランジェロの「ピエタ」。

 

序―A)塚本訳 使  1:13-14

1:13 (都に)入ると、彼らはいつも泊まっている二階の部屋に上がった。それはペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党のシモンとヤコブの子ユダ(の十一人)であった。

1:14 この人々は皆、女たち、とりわけイエスの母マリヤや、イエスの兄弟たちと、心を一つにして祈りに余念がなかった

 

・ルカは、マリヤの心が喜びに変わったことを知っていてマリヤが神の子を身ごもった場面において新時代到来の歌を歌わせた。これが「マリヤの讃美の歌」で、この詩によって我々はルカの信仰に接する。イエスの「時代変化の意識」もこの歌と通じる。後にダンテはマリヤを「乙女なる母、自分の子の娘」と歌った。(「神曲」の最終歌「天国篇第33歌」)。マリヤは有体的復活の証人である使徒達に囲まれていて、これが彼女の「生活の座」であった。

 

序―B)塚本訳 ルカ 4:18-21

4:18 『主の御霊がわたしの上にある、油を注いで(聖別して)くださったからである。主は貧しい人に福音を伝えるためにわたしを遣わされた。囚人に赦免を、盲人に視力の回復を告げ、』『押えつけられている者に自由をあたえ、』

4:19 『主の恵みの年(の来たこと)を告げさせるために。』

4:20 イエスは(読み終ると、)聖書を巻き、係の者に返して坐られた。礼拝堂にいる者の目が皆彼にそそがれた。

4:21 イエスは、「(今)あなた達が聞いたこの聖書の言葉は、今日(ここで)成就した」と言って話を始められた。

 

序―C)塚本訳 ルカ 16:16

16:16 (あなた達は聖書を誇るが、時代はもう変っている。)律法と預言書と[聖書](の時代)は(洗礼者)ヨハネ(の現われる時)までで、その時以来神の国の福音は伝えられ、だれもかれも暴力で攻め入っている。

 

序―D)塚本訳 Uコリ6:2

6:2 『恵みの時にわたしはあなたの願いを聞きとどけ、救いの日にわたしはあなたを助けた。』と神は仰せられるではないか。見よ、今や『大いなる恵みの時』、見よ今や『救いの日』!

 

塚本訳 ルカ 1:46

1:46 マリヤが(神を讃美して)言った。──『わたしのは主を』あがめ、

・マリヤの賛歌。マニフィカト Magnificat。ルカは最高のキリスト教詩人。

・ルカ福音書の4大讃歌(キャンティカムCanticum)の共通点は、福音の喜び

 

46−@)マニフィカト(Magnificat) ルカ146-55 ・・・モンテヴェルディ(聖母マリヤのための夕べの祈り・晩課)、バッハ(カンタータ10番BWV10、マニフィカトBWV243)、モーツァルト(K339荘厳晩課ヴェスペレ)、讃美歌95 Mary’s Song

 

46−A)ベネディクトゥス(Benedictus) ルカ167-79・・・バッハ(ロ短調ミサ曲BWV232)、讃美歌94

 

46−B)グローリア(Gloria in excelsis Deo)ルカ214・・・、バッハ(ロ短調ミサ曲BWV232)、讃美歌106、115、119

 

46−C)ヌンク・ディミティス(Nunc dimitis)ルカ229-32・・・讃美歌97

塚本訳 ルカ 1:47

1:47 わたしのは、『救い主なる神を喜びたたえる、

・キリストの降誕と有体的復活は人類救済の証明の喜び。ルカ福音書「マニフィカト」。ヴェートーヴェン交響曲第九番「歓喜の歌」もこれに遠く及ばない。

 

47−@)塚本訳 ルカ 2:10

2:10 天使が言った、「こわがることはない。いまわたしは、(イスラエルの)民全体への大きな喜びのおとずれを、あなた達に伝えるのだから。

 

47−A)塚本訳 ルカ 10:9

10:9 その町の病人をなおし、また(町の)人々に、『あなた達には神の国(の喜び)が近づいた』と言え。

 

塚本訳 ルカ 1:48

1:48 この『卑しい召使にまで目をかけてくださった』からです。きっと今からのち代々の人々は、『わたしを仕合わせ者と言いましょう。』

・このダメでみじめな私にも神が目をかけてくださった。この一句にパウロの神学の全部が入る。

 

48-@)口語訳 Tサム2:8  (ハンナの祈り)

2:8 貧しい者を、ちりのなかから立ちあがらせ、/乏しい者を、あくたのなかから引き上げて、/王侯と共にすわらせ、/栄誉の位を継がせられる。地の柱は主のものであって、/その柱の上に、世界をすえられたからである。

 

48-A)口語訳 詩  136:23

136:23 われらが卑しかった時に/われらをみこころにとめられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

 

48-B)塚本訳 Tコリ1:28-29

1:28 また世の身分の低いもの、軽蔑されているもの、(いや、あっても)無い(ように思われている)ものを神はお選びになった、ある(と思われている)ものを無にするためである。

1:29 こうして、だれ一人神の前で誇ることのないようにされたのである。

 

塚本訳 ルカ 1:49

1:49 力の強いお方がわたしに大きなことをしてくださったのです。『そのお方の名は聖で、』

・「わたしに大きなことをしてくださった」という喜びの実感が神への感謝。

 

49-@)口語訳 詩  126:2-3

126:2 その時われらの口は笑いで満たされ、われらの舌は喜びの声で満たされた。その時「主は彼らのために大いなる事をなされた」と/言った者が、もろもろの国民の中にあった。

126:3 主はわれらのために大いなる事をなされたので、われらは喜んだ。

 

49-A)口語訳 イザ 57:15

57:15 いと高く、いと上なる者、とこしえに住む者、その名を聖ととなえられる者がこう言われる、「わたしは高く、聖なる所に住み、また心砕けて、へりくだる者と共に住み、へりくだる者の霊をいかし、砕ける者の心をいかす。

 

49−B)塚本訳 ルカ 7:16

7:16 皆が恐れをいだいて、「大預言者がわたし達の間にあらわれた」とか、「神はその民を心にかけてくださった」とか言って、神を讃美した。

 

塚本訳 ルカ 1:50

1:50 『その憐れみは千代よろず代とかぎりなく、そのお方を恐れる者にのぞみましょう。』

・神を恐れる恐れは人間のあるべき姿。人としての究極の目的。

 

50-@)口語訳 詩  118:4

118:4 主をおそれる者は言え、「そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」と。

 

50-A)口語訳 箴  1:7

1:7 主を恐れることは知識のはじめである、愚かな者は知恵と教訓を軽んじる。

 

50-B)塚本訳 ピリ 3:3

3:3 (割礼は無いが、)私達こそ本当の割礼者である。(その証拠には、)私達は神の霊によって神に仕え、(ただ)キリスト・イエスを誇りとし、(決して)肉に、(人間の特権に)頼らないからだ──

 

塚本訳 ルカ 1:53

1:53 飢えた者を宝で満たし、』『富める者を』『空手で追いかえされましょう。』

・人は神と富に同時に仕えることはできない。キリスト信者の富は神への信仰。

 

53-@)口語訳 詩  146:6-7

146:6 主は天と地と、海と、その中にあるあらゆるものを造り、とこしえに真実を守り、

146:7 しえたげられる者のためにさばきをおこない、飢えた者に食物を与えられる。主は捕われ人を解き放たれる

 

53―A)塚本訳 ルカ 16:13

16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」

 

53‐B)塚本訳 ルカ 18:13-14

18:13 しかし税金取りは(罪に責められ、)遠く(うしろ)の方に立ったまま、目を天に向け(て祈りをささげ)ようともせず、ただ胸をうって、『神様、どうぞこの罪人のわたしをお赦しください』と言った。

18:14 わたしは言う、あの人でなく、この人の方が(神から)信心深いとされて、家にかえっていった。自分を高くする者は皆低くされるが、自分を低くする者は高くされるのである。

 

塚本訳 ルカ 1:54

1:54 永遠に『その憐れみを忘れず、』その僕イスラエルの民を助けてくださるでしょう、

・神の心と旧約の預言はイエスの言動と有体的復活で成就した。ここに喜び有

 

54-@)口語訳 イザ 46:3-4

46:3 「ヤコブの家よ、イスラエルの家の残ったすべての者よ、生れ出た時から、わたしに負われ、胎を出た時から、わたしに持ち運ばれた者よ、わたしに聞け。

46:4 わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。

 

54-A)口語訳 イザ 49:15

49:15 「女がその乳のみ子を忘れて、その腹の子を、あわれまないようなことがあろうか。たとい彼らが忘れるようなことがあっても、わたしは、あなたを忘れることはない。

 

54-B)塚本訳 ルカ 15:4

15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか。

 

54-C)塚本訳 ルカ 19:5

19:5 イエスはその場所に来られると、ザアカイを見上げて言われた、「ザアカイ、急いで下りておいで。きょうはあなたの家に泊まることになっているから。」

 

塚本訳 ルカ 1:55

1:55 『われらの先祖たち、すなわちアブラハム』とその『子孫に』仰せられた『とおりに。』

・救い主の誕生は神の約束。神は約束を忘れず、契約を破られなかった。

 

55−@)口語訳 創  26:4

26:4 またわたしはあなたの子孫を増して天の星のようにし、あなたの子孫にこれらの地をみな与えよう。そして地のすべての国民はあなたの子孫によって祝福をえるであろう

 

55-A)口語訳 エレ 33:14-15

33:14 主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家に約束したことをなし遂げる日が来る。

33:15 その日、その時になるならば、わたしはダビデのために一つの正しい枝を生じさせよう。彼は公平と正義を地に行う。

 

55-B)塚本訳 ルカ 1:72-74

1:72 主はこうして、『われらの先祖に憐れみを』ほどこし、また『その』聖なる『契約、

1:73 (すなわち)先祖『アブラハムにお立てになった』誓いを『おぼえ、』

1:74 わたし達を敵の手から救いだし、不安なく、主に奉仕させてくださるのである、

 

塚本訳 ルカ 1:56

1:56 マリヤは三か月ほどエリサベツと一しょにいて、家に帰った

・救いを頂いて神を信じられた人は、元の普通の自分の生活に戻るために「家に帰る」ところに意味がある。その後は神に希望を置いて生きるように変わる。

 

56-@)塚本訳 ヨハ 4:49-51

4:49 王の役人が、「主よ、子供が死なないうちに(カペナウムに)下ってきてください」と言いつづけると、

4:50 イエスは言われる、「かえりなさい、息子さんはなおった。」その人はイエスの言われた言葉を信じて、かえっていった

4:51 しかしすでに途中で、僕たちが出迎えて、子供がなおったことを知らせた。

 

56-A)塚本訳 ルカ 8:38-39

8:38 (帰ろうとされる時に、)悪鬼を追い出された男がお供をしたいと願ったが、(許さず、)こう言ってお帰しになった

8:39 「家に帰って、神がどんなにえらいことをしてくださったかを、(みんなに)話してきかせなさい。」すると彼は行って、イエスがどんなにえらいことを自分にされたかを、町中に言いふらした

 

56-B)塚本訳 Tペテ2:9-10

2:9 しかし君達は『選ばれた種族、王なる祭司、聖き民族、』神の『所有物なる民』(である。そして君達がかく神の所有物となったのは、)君達を暗から驚くべき光へと召し給うたお方の『功業(いさおし)を宣べるためである』

2:10 (誠に)君達はかつては、「『非民』」(であったが)今や神の民、(前には神に)『憐れまれぬ者』(であったが)今や憐れまれる者(となった)。

 

●結論

・「マリヤの讃美の歌」は神の子キリストの降世と有体的復活により人類に新しき時代が来た喜びの歌。「信仰による希望」に生きる喜びの時代になった。バッハカンタータ第147番BWV147より「主よ、人の望みの喜びよ」

 

結論−@)塚本訳 黙 5:5
5:5
すると(かの)長老の一人が私に言う、「泣くな。視よ、ユダ族の獅子、ダビデの根(である者)が(既に)勝った(から)、彼がその巻き物と七つの封印とを開く(ことが出来る。)」

結論-A)塚本訳 Tペテ1:3
1:3
讃美すべきかな、我らの主イエス・キリストの父なる神!彼は大なる憐憫により、イエス・キリストが死人の中から復活し給うたことをもって、私たちを活ける希望に新しく生み、

結論-B)塚本訳 Uコリ5:1
5:1
なぜ(こんな希望に生きることができるの)であろうか。もし地上の家であるわたし達のこのテント、(この肉体)がこわれるならば、天に、神の建てられた建物、(人間の)手で造らない永遠の家をいただいていることを、わたし達は知っているからである。

結論-C)塚本訳 黙  14:13

14:13 また私は天から声が(こう)言うのを聞いた、「書け、『今から後主にあって死ぬる死人は幸福である。』」御霊も言い給う、「然り、彼らはその労苦を休息む(ことが出来る)であろう。その(為した)業が彼らに随いて行くのであるから!」と。

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