160903-3 492 489
イエスス(イエス)、クリストス(キリスト)、セオス(神)、ヒュオス(子)、ソテル(救い主)
聖書で聖書を読む
老いと死の悲しみ
・・・「主の言葉」による励ましと有体的復活の希望・・・
茅ヶ崎「すずめの会」感話 2016年9月4日
高橋照男
@体の心配・・・命は体以上・・・ 主の言葉による励まし10か所
A気力の衰え・・・老人は神に霊を注がれて夢を見る・・主の言葉による励まし15か所
B死の悲しみ・・・死は眠り。有体的復活の希望・・・ 主の言葉による励まし16箇所
C血を分けた同胞の救い・・・取り成しの祈りの力・・・ 主の言葉による励まし6か所
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@体の心配・・・命は体以上・・・ 主の言葉による励まし10か所
@−1)塚本訳
マタ 6:25 6:25 だから、わたしは言う、何を食べようかと命のことを心配したり、また何を着ようかと体のことを心配したりするな。命は食べ物以上、体は着物以上(の賜物)ではないか。(命と体とを下さった天の父上が、それ以下のものを下さらないわけはない。)
@−2)塚本訳 マタ 6:26-30
6:26 空の鳥を見てごらん。まかず、刈らず、倉にしまいこむこともしないのに、天の父上はそれを養ってくださるのである。あなた達は鳥よりも、はるかに大切ではないのだろうか。
6:27 (だいいち、)あなた達のうちのだれかが、心配して寿命を一寸でも延ばすことが出来るのか。 6:28 また、なぜ着物のことを心配するのか、野の花の育つのを、よく見てごらん、苦労をせず、紡ぐこともしない。
6:29 しかし、わたしは言う、栄華を極めたソロモン(王)でさえも、この花の一つほどに着飾ってはいなかった。
6:30 きょうは花咲き、あすは炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこんなに装ってくださるからには、ましてあなた達はなおさらのことではないか。信仰の小さい人たちよ!
@−3)塚本訳 マタ 6:31-34
6:31 だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。
6:32 それは皆異教人のほしがるもの。あなた達の天の父上は、それが皆あなた達に必要なことをよく御承知である。
6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。
6:34 だから、あしたのことを心配するな。あしたはあしたが自分で心配する。一日の苦労はその日の分で沢山である。
@−4)塚本訳
マタ 10:29-30
10:29 雀は二羽一アサリオン(三十円)で売っているではないか。しかしその一羽でも、あなた達の父上のお許しなしには地に落ちないのである。
10:30 ことにあなた達は、髪の毛までも一本一本数えられている。
@−5)塚本訳 ルカ 12:32
12:32 小さな群よ、恐れることはない。あなた達の父上は御国をあなた達に下さるつもりだから。
@−6)塚本訳 ルカ 12:19-21
12:19 それからわたしの魂に言おう。──おい魂、お前には長年分の財産が沢山しまってある。(もう大丈夫。)さあ休んで、食べて、飲んで、楽しみなさい、と。』
12:20 しかし神はその人に、『愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお前が準備したものは、だれのものになるのか』と言われた。
@−7)塚本訳 マタ
16:26
16:26 たとい全世界をもうけても、命を損するならば、その人は何を得するのだろう。それとも、人は(一度失った永遠の)命を受けもどす代価として、何か(神に)渡すことができるのだろうか。
@−8)塚本訳 マタ 10:28 10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。
@−9)塚本訳 マタ 6:19-20 6:19 (このように、何事も天の父上相手でなければならない。たとえば)あなたたちは衣魚や虫が食い、また泥坊が忍び込んで盗むこの地上に宝を積まず、
6:20 衣魚も虫も食わない、また泥坊が忍び込むことも盗むこともない天に、宝を積んでおきなさい。(そうでないと、心が天に向かないであろう。)
@−10)塚本訳 マタ 14:27-31
14:27 しかしイエスはすぐ彼らに話しかけて言われた、「安心せよ、わたしだ。こわがることはない。」
14:28 ペテロが答えた、「主よ、あなたでしたら、どうかわたしに命令して、水の上を歩いてあなたの所へ行かせてください。」
14:29 「こちらに来なさい」とイエスが言われた。ペテロは舟から下り、水の上を歩いてイエスの所へ行った。
14:30 しかし(いま一足という所で)強い風を見たため、おじけがつき、沈みかけたので、「主よ、お助けください」と叫んだ。
14:31 イエスはすぐ手をのばし、ペテロをつかまえて言われる、「信仰の小さい人よ!なぜ疑うのか。」
A気力の衰え・・・老人は神に霊を注がれて夢を見る・・主の言葉による励まし15か所
A−1)塚本訳 使 2:16-17
2:16 これは(神が)預言者ヨエルをもって言われたこと(が成就して、神の霊に酔っているの)です。
2:17 神が仰せられる、──最後の日に、『わたしはすべての人にわたしの霊を注ごう。するとあなた達の息子と娘とは預言し、青年は幻を見、老人は夢をゆめみる。
A−2)塚本訳
ルカ 4:17-19
4:17 (係の者から)イザヤの預言書が手渡され、その巻物をお開けになると、こう書いた所が出てきた。──
4:18 『主の御霊がわたしの上にある、油を注いで(聖別して)くださったからである。主は貧しい人に福音を伝えるためにわたしを遣わされた。囚人に赦免を、盲人に視力の回復を告げ、』『押えつけられている者に自由をあたえ、』
4:19 『主の恵みの年(の来たこと)を告げさせるために。』
A−3)塚本訳
マタ 11:28
11:28 さあ、疲れている者、重荷を負っている者はだれでも、わたしの所に来なさい、休ませてあげよう。
A−4)塚本訳
ヨハ 4:14
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」
A−5)塚本訳
ヨハ 4:24
4:24 神は霊である。だから礼拝者も霊と真理とをもって礼拝せねばならない。」
A−6)塚本訳
ヨハ 7:37-38
7:37 祭の最後の大際の日に、イエスは立って叫ばれた、「渇く者はわたしの所に来て飲みなさい。
7:38 わたしを信ずる者は、聖書が言っているように、『そのお腹から、清水が川となって流れ出るであろう。』」
A−7)塚本訳
ヨハ 6:35
6:35 イエスが言われた、「わたしが命のパンである。わたしの所に来る者は決して飢えない。わたしを信ずる者は決して二度と渇かない。
A−8)塚本訳
ヨハ 6:51
6:51 わたしが天から下ってきた、生きているパンである。このパンを食べる者は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、わたしの肉である。世を生かすために、わたしはこれを(世に)与える。」
A−9)塚本訳
ヨハ 6:57-58
6:57 生きておられる父上から遣わされたわたしが父上によって生きているように、わたしを食う者も、わたしによって生きる。
6:58 これが天から下ってきたパンであって、先祖が食べて死んだ(あのマナの)ようなものではない。このパンを食う者は永遠に生きるであろう。」
A−10)塚本訳 ヨハ 6:63
6:63 霊が命を与える。肉はなんの役にも立たない。いまわたしがあなた達に話した言葉は、霊である。だから、命である。
A−11)塚本訳 ルカ 2:28-30
2:28 シメオンは幼児を両腕に抱き、こう言って神を讃美した。──
2:29 今こそ、主よ、あなたはこの僕をしてお言葉のとおり安らかに(この世に)暇乞いをさせてくださいます、
2:30 わたしの目が『もうあなたの救いを拝見しました』からです。
A−12)塚本訳 ルカ 2:36-38
2:36 また、アセル族のパヌエルの娘に、アンナという女預言者があった。非常に年を取っていて、娘時代の後、七年の結婚生活をおくり、
2:37 (その後)八十四歳(の今日)まで寡婦ぐらしをしていた。(片時も)宮を離れず、夜も昼も断食と祈りとをもって(神に)奉仕していたが、
2:38 (シメオンが預言している)ちょうどその時、近寄ってきて(幼児について)神に感謝をささげ、またエルサレムの人々のあがないを待ち望むみんなの人に、この幼児のことを話した。
B死の悲しみ・・・死は眠り。有体的復活の希望・・・ 主の言葉による励まし16箇所
B−1)塚本訳
ヨハ 11:24-27
11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26
また、だれでも生きて私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」
11:27 イエスに言う、「はい、主よ、(信じます。)あなたが救世主で、神の子で、世に来るべき方であると、私は信じています。」
B−2)塚本訳
ヨハ 11:43-44
11:43 こう言ったのち、大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた。
11:44
死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。イエスは「解いてやって(家に)帰らせなさい」と人々に言われた。
B−3)塚本訳
ヨハ 14:6
14:6 イエスは言われる、「わたしが道である。また真理であり、命である。(手段であると同時に目的であるから。)わたしを通らずには、だれも父上の所に行くことはできない。
B−4)塚本訳
ルカ 8:52-55
8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」
8:53 人々は死んだことを知っているので、あざ笑っていた。
8:54
しかしイエスは女の子の手を取り、声をあげて「子よ、起きなさい!」と呼ばれると、
8:55 霊がもどって、即座に女の子は立ち上がった。イエスは(何か)食べさせるように言いつけられた。
B−5)塚本訳
ルカ 7:12-15
7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた。
7:13 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って、
7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。
7:15 すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは『彼を母に渡された。』
B−6)塚本訳
ルカ 20:34-38
20:34 イエスは言われた、「この世の人はめとり嫁ぐけれども、
20:35 あの世にはいる資格を与えられて、死人の中から復活する者は、めとることもなく嫁ぐこともない。
20:36 復活によって生まれる彼らは、天使と同じであり、神の子であるので、もはや死ぬことが出来ない、(従って子を産む必要がない)からである。
20:37 死人が復活することは、(聖書にはっきり書いてある。)モーセも茨の薮の(燃える話の)ところで、主を『アブラハムの神、またイサクの神、またヤコブの神(である)と』と言ってこれを示している。
20:38 ところで神は死人の神ではなく、生きている者の神である。神に対しては、すべての者が生きているのだから。(してみるとアブラハム、イサクなども皆復活して、今生きているわけではないか。)」
B−7)塚本訳 マタ 11:4-6
11:4 イエスは答えられた、「行って、(今ここで)聞いていること見ていることをヨハネに報告しなさい。
11:5 ──『盲人は見えるようになり、』足なえは歩きまわり、癩病人は清まり、聾は聞き、死人は生きかえり、『貧しい人は福音を聞かされている』と。
11:6 わたしにつまずかぬ者は幸いである。」
B−8)塚本訳
マコ 8:31
8:31 (この時から、)イエスは、「人の子(わたし)は多くの苦しみをうけ、長老、大祭司連、聖書学者たちから排斥され、殺され、そして三日の後に復活せねばならない。(神はこうお決めになっている)」と弟子たちに教え始められた。
B−9)塚本訳
マコ 14:36
14:36 言われた、「アバ、お父様、あなたはなんでもお出来になります。どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心がなればよいのです。」
B−10)塚本訳 ルカ 16:25
16:23 金持は黄泉で苦しみながら、(ふと)目をあげると、はるか向こうにアブラハムとその懐にいるラザロとが見えたので、
16:24 声をあげて言った、『父アブラハムよ、どうかわたしをあわれと思ってラザロをよこし、指先を水にひたしてわたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの焔の中でもだえ苦しんでおります。』
16:25 しかしアブラハムは言った、『子よ、考えてごらん、あなたは生きていた時に善いものを貰い、ラザロは反対に悪いものを貰ったではないか。だから今ここで、彼は慰められ、あなたはもだえ苦しむのだ。
B−11)塚本訳 ルカ 5:1
5:1 (ある日)群衆がおしかけてきて神の言葉を聞いていた時のこと、イエスはゲネサレ湖のほとりに立っておられて、
B−13)塚本訳 ルカ 8:11
8:11 譬(の意味)はこうである。──種は神の御言葉である。
B−14)塚本訳 ルカ 8:12
8:12 道ばたのものとは、(御言葉を)聞くと、あとで悪鬼が来て、彼らを信じて救われることのないように、その心から御言葉をさらってゆく人たちである。
B−15)塚本訳 ルカ 24:31-32 24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。
24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。
B−16)塚本訳 マタ 18:20 18:20 二人、三人、わたしの名によって集まっている所には、わたしがいつもその真中にいるのだから。」
C血を分けた同胞の救い・・・取り成しの祈りの力・・・ 主の言葉による励まし6か所
C−1)塚本訳 ルカ 13:23-24
13:23 するとある人が「主よ、救われる者は少ないでしょうか」と尋ねた。人々に言われた、
13:24 「全力を尽くして(今すぐ)狭い戸口から入りなさい。あなた達に言う、(あとになって)入ろうとしても、入れない者が多いのだから。
C−2)塚本訳
ヨハ 20:21-23
20:21 すると主はかさねて言われた、「平安あれ。父上がわたしを遣わされたように、わたしも(全権を授けて)あなた達を遣わす。」
20:22 こう言いながら彼らに息を吹きかけて、言われる、「聖霊を受けよ。
20:23 人の罪は、あなた達が赦してやれば赦されて消え、赦してやらねば赦されずに残る。」
C−3)塚本訳
ルカ 23:34-35
23:34 するとイエスは言われた、「お父様、あの人たちを赦してやってください、何をしているか知らずにいるのです。」『彼らは籤を引いて、』イエスの『着物を自分たちで分けた。』
C−4)塚本訳 ルカ 23:41-43
23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽(パラダイス)にはいることができる。」
C−5)塚本訳
マコ 9:22-24
9:22 霊はこの子を殺そうとして、幾たびか、火の中、水の中に投げ込みました。それでも、もしなんとかお出来になるなら、わたしども(親子)を不憫と思って、お助けください。」
9:23 イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。」
9:24 即座にその子供の父親が叫んだ、「信じます。不信仰をお助けください。」
C−6)塚本訳 マタ 8:8-10
8:8 百卒長は答えた、「主よ、わたしはあなたを、うちの屋根の下にお迎えできるような者ではありません。(ここで)ただ一言、言ってください。そうすれば下男は直ります。
8:9 というのは、わたし自身も指揮権の下にある人間であるのに、わたしの下にも兵卒がいて、これに『行け』と言えば行き、ほかのに『来い』と言えば来、また僕に『これをしろ』と言えば(すぐ)するからです。(ましてあなたのお言葉で、病気が直らないわけはありません。)」
8:10 イエスは聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、イスラエル人の中でも、こんなりっぱな信仰をもっている者を一人も見たことがない。