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イエスス(イエス)、クリストス(キリスト)、セオス(神)、ヒュオス(子)、ソテル(救い主)
聖書で聖書を読む
「主の言葉」
・・・神の声、神の力・・・
2016年10月30日 東京聖書読者会 高橋照男
@ 権威 A 霊 B 教え C 種 D 真理 E 罪 F 病気 G 救い H 私だ I 不運 J 悪 K 信仰 L 薄信 M 同胞 N 不幸 O 幸福 P 命 Q 死 R 復活 S 来臨 (21)終末
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@ 「権威」はどこにあるか・・・「主の言葉」には不思議な力がある
@-1)塚本訳 マタ 7:28-29
7:28 イエスがこれらの話を終えられた時、一しょに聞いていた群衆はその教えに感心してしまった。
7:29 自分たちの聖書学者のようでなく、権威を持つ者のように教えられたからである。
@-2)塚本訳 ヨハ 7:45-46 7:45 やがて下役らが(手ぶらで)かえって来ると、大祭司連とパリサイ人とが言った、「なぜあれを引いてこなかったか。」 7:46 下役らが答えた、「あの人が話すように話した人は、いまだかつてありません。」
@-3)塚本訳 ヨハ 5:39-40 5:39 あなた達は聖書(旧約)をもっていることが永遠の命を持っていることのように思って、それを研究している。ところがこの聖書は、(永遠の命である)このわたしのことを証明しているのに、 5:40 あなた達はその命を得るためわたしの所に来ようとしない。
A 神は「霊」・・・霊は「主の言葉」になってこの世に現れた。
A-1)塚本訳 ヨハ 1:1 1:1 (世の)始めに、(すでに)言葉はおられた。言葉は神とともにおられた。言葉は神であった。
A-2)塚本訳 ヨハ 1:14 1:14 この言葉は肉体となって、(しばらく)わたし達の間に住んでおられた。(これが主イエス・キリストである。)わたし達はその栄光を見た。いかにも父上の独り子らしい栄光で、恩恵と真理とに満ちておられた。
A-3)塚本訳
ヨハ 4:24
4:24 神は霊である。だから礼拝者も霊と真理とをもって礼拝せねばならない。」
A-4)塚本訳 ヨハ 6:63 6:63 霊が命を与える。肉はなんの役にも立たない。いまわたしがあなた達に話した言葉は、霊である。だから、命である。
A-5)塚本訳 ヨハ 14:24 14:24 (しかし)わたしを愛しない者は、わたしの言葉を守らない。(だからわたしを見ることができない。)あなた達が(わたしから)聞く言葉はわたしの言葉ではない、わたしを遣わされた父上の言葉である。
B 誰が真の神を「教え」るか・・・「主の言葉」は神の声。
B-1)塚本訳 ルカ 5:1 5:1 (ある日)群衆がおしかけてきて神の言葉を聞いていた時のこと、イエスはゲネサレ湖のほとりに立っておられて、
B-2)塚本訳
ヨハ 7:15-17 7:15
ユダヤ人は驚いて言った、「この人は学校に行ったこともないのに、どうして聖書を知っているのだろうか。」
7:16 イエスは答えて言われた、「わたしの教えはわたしの教えではない。わたしを遣わされた方の教えである。
7:17 その方の御心を行おうと決心する者には、わたしの教えが神から出たものか、それともわたしが自分で勝手に話しているかがわかるであろう。
B-3)塚本訳
ヨハ 6:45
6:45 預言書に、〃(最後の日に)人は皆神に教えを受けるであろう〃と書いてある。(そして神に引っ張られる者、すなわち本当に)父上に聞き、また学ぶ者は皆、わたしの所に来る。
C 神の「種」とは何か・・・「主の言葉」が神の種。神御自身が蒔かれる。
C-1)塚本訳 マコ 4:14 4:14 種まく人は(神の)御言葉をまく。
C-2)塚本訳 ルカ 8:11 8:11 譬(の意味)はこうである。──種は神の御言葉である。
C-3)塚本訳 マコ 4:20 4:20 また良い地にまかれたものとはこれである、それは御言葉を受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちである。」
C-4)塚本訳 マコ 4:26-27 4:26 また言われた、「神の国はこんなものだ。──ある人が地に種を蒔き、 4:27 夜昼、寝起きしていると、種は芽生えて育ってゆくが、本人はその訳を(すら)知らない。 4:28 (すなわち)地はひとりでに実を結ぶので、初めに茎、次に穂、次に穂の中に熟しきった粒ができる。
D 「真理」とは何か・・・イエスの霊の人格が真理
D-1)塚本訳 ヨハ 14:6 14:6 イエスは言われる、「わたしが道である。また真理であり、命である。(手段であると同時に目的であるから。)わたしを通らずには、だれも父上の所に行くことはできない。
D-2)塚本訳 ヨハ 15:26 15:26 (また)わたしが父上のところからあなた達に遣わす弁護者、すなわち父上のところから出てくる真理の霊が来る時、それがわたしのことを(すべて)証明するであろう。
D-3)塚本訳 ヨハ 8:31-32 8:31 すると信じたユダヤ人に言われた、「もしわたしの言葉に留まっておれば、あなた達は本当にわたしの弟子である。 8:32 真理を知り、その真理があなた達を自由にするであろう。」
D-4)塚本訳 ヨハ 18:37-38 18:37 そこでピラトが言った、「では、やっぱりお前は王ではないか。」イエスが答えられた、「王だと言われるなら、御意見にまかせる。わたしは真理について証明するために生まれ、またそのためにこの世に来たのである。真理から出た者はだれでも、わたしの声に耳をかたむける。」 18:38 ピラトがたずねる、「真理とは何か。」、ピラトはこう言ったのち、またユダヤ人の所に出ていって言う、「あの人にはなんらの罪も認められない。
E 「罪」とは何か・・・神の救いを受け入れないことが罪
E-1)塚本訳 マタ 12:32 12:32 人の子(わたし)を冒瀆する者ですら赦していただけるが、聖霊を冒瀆する者は、この世でも来るべき世でも(決して)赦されない。
E-2)塚本訳 マタ 22:12-13
22:12 その人に言った、『君、礼服も着ずに、なんでここに入ってきたのか。』その人が黙っていると、
22:13 王は家来たちに言った、『あの者の手足を縛って、外の真暗闇に放り出せ。そこでわめき、歯ぎしりするであろう。』
E-3)塚本訳 マタ 15:12-13
15:12 あとで弟子たちが来てイエスに言う、「パリサイ人がお話を聞いて腹を立てたことを御存じですか。」
15:13 イエスは答えられた、「わたしの天の父上がお植えにならないものは皆、引き抜かれる。
F なぜ「病気」があるのか・・・全能の神に直せない難病はない
F-1)塚本訳 ルカ 13:15-16 13:15 主が答えられた、「この偽善者たち、あなた達はだれも、安息日には牛や驢馬を小屋から解いて、水を飲ませにつれてゆかないのか。 13:16 この女はアブラハムの末であるのに、十八年ものあいだ、悪魔が縛っていたのだ。安息の日だからとて、その(悪魔の)縄目から解いてはならなかったのか。」
F-2)塚本訳
ヨハ 5:5-6
5:5 するとそこに三十八年病気の人がいた。
5:6 イエスはその人が横になっているのを見、すでに長い間わずらっていることを知ると、「直りたいか」とたずねられた。
F-3)塚本訳 ヨハ 9:1-3
9:1 イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた。
9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」
9:3 イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである。
G「救い」の道・・・神の方から声をかけてくださる
G-1)塚本訳
ルカ 15:4
15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか。
G-2)塚本訳
ルカ 19:5
19:5 イエスはその場所に来られると、ザアカイを見上げて言われた、「ザアカイ、急いで下りておいで。きょうはあなたの家に泊まることになっているから。」
G-3)塚本訳
ヨハ 4:6-7
4:6 そこには(有名な)ヤコブの井戸があった。旅に疲れたイエスは、いきなり井戸のわきに腰をおろされた。昼の十二時ごろであった。
4:7 一人のサマリヤの女が水を汲みに来る。「飲ませてくれないか」とイエスが女に言われた。
H 「私だ」・・・主は極度の悲しみに暮れる時に向こうから現れてくださる
H-1)塚本訳 ヨハ 6:18-20 6:18 湖は大風が吹いて荒れていた。 6:19 彼らは二十五か三十スタデオ[五キロか六キロ]ばかり漕ぎ出したとき、イエスが(あとから)湖の上を歩いて舟に近づいてこられるのを見て、こわくなった。 6:20 イエスが言われる、「わたしだ、こわがることはない。」
H-2)塚本訳 ルカ 7:12-14 7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた。 7:13 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って、 7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。
H-3)塚本訳 ヨハ 20:13-14 20:13 天使がマリヤに言う、「女の人、なぜ泣くのか。」マリヤが言う、「わたしの主を取っていった者があります。どこに置いたのかわかりません。」 20:14 こう言って後を振り向くと、イエスがそこに立っておられるのが見えた。しかしイエスだとは気づかなかった。
I 「不運」な人の慰め・・・不運は来世では喜びに変わる。
I-1)塚本訳 ルカ 16:25
16:25 しかしアブラハムは言った、『子よ、考えてごらん、あなたは生きていた時に善いものを貰い、ラザロは反対に悪いものを貰ったではないか。だから今ここで、彼は慰められ、あなたはもだえ苦しむのだ。
I-2)塚本訳 マタ 5:4 5:4 ああ幸いだ、『悲しんでいる人たち、』、(かの日に)『慰めていただく』のはその人たちだから。
I-3)塚本訳 マタ 5:11-12
5:11 わたしゆえに罵られたり、迫害されたり、あらん限りの根も葉もない悪口を言われたりする時、あなた達は幸いである。 5:12 小躍りして喜びなさい、褒美がどっさり天であなた達を待っているのだから。あなた達より前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。
J この世は「悪」・・・世の悪の勢力が主を殺し、今も信者を苦しめる。
J-1)塚本訳 ルカ 22:53 22:53 わたしが毎日あなた達と一しょに宮にいたときには、手を下さずにおいて。(時が来なかったのだ。)しかし今は、(この暗い夜こそ)あなた達の天下、闇の縄張り(、悪魔の勢力範囲)である。」
J-2)塚本訳 マタ 5:44-45 5:44 しかしわたしはあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ。 5:45 あなた達が天の父上の子であることを示すためである。父上は悪人の上にも善人の上にも日をのぼらせ、正しい人にも正しくない人にも、雨をお降らしになるのだから。
J-3)塚本訳 マタ 6:13 6:13 わたしたちを試みにあわせないで、悪から守ってください。
J-4)塚本訳 ルカ 9:23 9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。
J-5)塚本訳 マタ 11:28-29 11:28 さあ、疲れている者、重荷を負っている者はだれでも、わたしの所に来なさい、休ませてあげよう。 11:29 わたしは心がやさしく、高ぶらないから、わたしの軛を負ってわたしの弟子になりなさい、そうすれば『魂の休息が得られよう。』
K りっぱな「信仰」・・・神の力を疑わず、一途に神を信じ込む姿勢
K-1)塚本訳 ルカ 7:7-9 7:7 だから自分でお願いに出る資格もないと考えたのです。(ここでただ)一言、言ってください。そうすれば下男は直ります。 7:8 というのは、わたし自身も指揮権に服する人間であるのに、わたしの下にも兵卒がいて、これに『行け』と言えば行き、ほかのに『来い』と言えば来、また僕に『これをしろ』と言えば(すぐ)するからです。(ましてあなたのお言葉で、病気が直らないわけはありません。)」 7:9 イエスはこれを聞いて驚き、ついて来た群衆の方に振り向いて言われた、「わたしは言う、イスラエルの人の中でも、こんな(りっぱな)信仰を見たことがない。」
K-2)塚本訳 マタ 15:27-28 15:27 しかし女は言った、「主よ、是非どうぞ!小犬どもも、御主人の食卓から落ちるパン屑をいただくのですから。」 15:28 そこでイエスは答えられた、「ああ、女の人、りっぱな信仰だ。願いどおりに成れ。」すると、ちょうどその時から、娘は直った。
K-3)塚本訳 マコ 9:23-24 9:22 霊はこの子を殺そうとして、幾たびか、火の中、水の中に投げ込みました。それでも、もしなんとかお出来になるなら、わたしども(親子)を不憫と思って、お助けください。」 9:23 イエスは言われた、「もしお出来になるなら(と言うの)か。信ずる者にはなんでも出来る。」
K-4)塚本訳 マコ 11:23-24 11:23 アーメン、わたしは言う、だれでもこの山に向かい、『立ち上がって海に飛び込め』と言って心に疑わず、自分の言うことは成ると信ずるならば、そのとおりになる。 11:24 だからわたしは言う、(神に)祈り求めるものはなんでも、すでに戴いたと信ぜよ。そうすればそのとおりになる。
L 「薄信」に対する主の嘆き・・・ああ信仰うすき者よ
L-1)文語訳 マタ 6:30 6:30 今日ありて明日、爐に投げ入れらるる野の草をも、神はかく装ひ給へば、まして汝らをや、ああ信仰うすき者よ。
L-2)塚本訳 マコ 4:39-40 4:39 イエスは目をさまして風を叱りつけ、湖に言われた、「黙れ、静かにしないか!」(たちどころに)風がやんで、大凪になった。 4:40 彼らに言われた、「なんでそんなに臆病なのか。まだ信じないのか。」
L-3)塚本訳 マタ 14:30-31 14:30 しかし(いま一足という所で)強い風を見たため、おじけがつき、沈みかけたので、「主よ、お助けください」と叫んだ。 14:31 イエスはすぐ手をのばし、ペテロをつかまえて言われる、「信仰の小さい人よ!なぜ疑うのか。」
L-4)塚本訳 ヨハ 11:32-33 11:32 マリヤはイエスのおられる所に来ると、イエスを見るなり、足もとにひれ伏して言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの・・わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。」 11:33 イエスはマリヤが泣き、一しょに来たユダヤ人たちも泣くのを見ると、(その不信仰を)心に憤り、かつ興奮して、
L-5)文語訳 ルカ 8:48 8:48 イエス言ひ給ふ『むすめよ、汝の信仰なんぢを救へり、安らかに往け』
M 「同胞」の救いの心配・・・神の救いの力を信じ、祈りつつ山に逃げよ。
M-1)塚本訳 ルカ 13:23-24 13:23 するとある人が「主よ、救われる者は少ないでしょうか」と尋ねた。人々に言われた、 13:24 「全力を尽くして(今すぐ)狭い戸口から入りなさい。あなた達に言う、(あとになって)入ろうとしても、入れない者が多いのだから。
M-2)塚本訳 ルカ 16:26 16:26 そればかりではない、わたし達とあなた達との間には大きな(深い)裂け目があって、ここからあなた達の所へ渡ろうと思っても出来ず、そこからわたし達の所へ越えてくることもない。』
M-3)塚本訳 マコ 13:14 13:14 しかし『(聖なる所を)荒す忌わしい者が』立ってはならない(聖なる)所に立つのを見たら[読者は(ここに隠された意味を)よく考えるがよい]、その時ユダヤ(の平地)におる者は(急いで)山に逃げよ。
N 「不幸」の意味・・・神は、悲惨を通じて「罪」を気づかせて下さる
N-1)塚本訳 ルカ 13:4-5 13:4 またシロアムの(池の)近くの櫓が倒れて(下敷になって)死んだあの十八人は、(当時)エルサレムに住んでいた(ほかの)すべての人よりも罪人だったと思うのか。 13:5 そうではない。わたしは言う、あなた達も悔改めなければ、皆同様に滅びるであろう。」
N-2)塚本訳 ルカ 15:17-18 15:17 ここで(はじめて)本心に立ち返って言った。──お父さんのところでは、あんなに大勢の雇人に食べ物があり余っているのに、(息子の)このわたしは、ここで飢え死にしようとしている。…… 15:18 よし、お父さんの所にかえろう、そしてこう言おう、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。
N-3)塚本訳 ヨハ 5:14-15 5:14 そののちイエスは宮で彼に出合って言われた、「ほら、直ったではないか。もう罪を犯すなよ。もっとひどい目にあうかもしれないから。」
O 「幸福」はあるか・・・神の賜る「平安」は、「世の喜び」とは質が違う
O-1)塚本訳 ヨハ 14:27 14:27 (今別れにのぞんで)平安をあなた達にのこしておく。わたしの平安をあなた達に与える。わたしが与える平安は、この世の人が『平安あれ』といのるような(言葉だけの)ものではない。(だから)心騒がせるな、気を落すな。
O-2)塚本訳 マタ 28:20 28:20 わたしがあなた達に命じたことを皆守るように教えながら。安心せよ、世の終りまでいつもわたしがあなた達と一しょにいるのだから。」
O-3)塚本訳 ルカ 11:11-13 11:11 あなた達のうちのどんなお父さんでも、子が魚を求めるのに、魚の代りに蛇をやるだろうか。 11:12 また卵を求めるのに、蝎をやるだろうか。 11:13 してみると、あなた達は悪い人間でありながらも、自分の子に善い物をやることを知っている。まして天の父上が、求める者に聖霊(という善いもの)を下さらないことがあるだろうか。」
O-4)塚本訳 ルカ 20:24-25 20:24 「デナリ銀貨を見せなさい。そこにはだれの肖像と銘があるか。」「皇帝(カイザル)のがあります」と彼らが言った。 20:25 イエスは彼らに言われた、「それなら皇帝(カイザル)のものは皇帝(カイザル)に、神のものは神に返せ。」
P 人間にとって真の「命」とは・・・信仰で与えられるキリストの霊の命
P-1)塚本訳 ヨハ 4:13-14 4:13 イエスは答えられた、「この(井戸の)水を飲む者はだれでもまた渇くが、 4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」
P-2)塚本訳 ヨハ 11:25-26 11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)わたしを信じている者は、死んでも生きている。 11:26 また、だれでも生きてわたしを信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」
P-3)塚本訳 ルカ 12:19-20 12:19 それからわたしの魂に言おう。──おい魂、お前には長年分の財産が沢山しまってある。(もう大丈夫。)さあ休んで、食べて、飲んで、楽しみなさい、と。』 12:20 しかし神はその人に、『愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお前が準備したものは、だれのものになるのか』と言われた。
Q 「死」は眠り・・・・神に呼び起こされる有体的復活の時は必ず来る。
Q-1)塚本訳 ルカ 8:52 8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」 8:53 人々は死んだことを知っているので、あざ笑っていた。 8:54 しかしイエスは女の子の手を取り、声をあげて「子よ、起きなさい!」と呼ばれると、 8:55 霊がもどって、即座に女の子は立ち上がった。イエスは(何か)食べさせるように言いつけられた。
Q-2)塚本訳 ヨハ 11:43-44 11:43 こう言ったのち、大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた。 11:44 死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。イエスは「解いてやって(家に)帰らせなさい」と人々に言われた。
R 「復活」は本当か・・・復活することはイエス自身の認識であった,
R-1)塚本訳 ルカ 20:37-38 20:37 死人が復活することは、(聖書にはっきり書いてある。)モーセも茨の薮の(燃える話の)ところで、主を『アブラハムの神、またイサクの神、またヤコブの神(である)と』と言ってこれを示している。 20:38 ところで神は死人の神ではなく、生きている者の神である。神に対しては、すべての者が生きているのだから。(してみるとアブラハム、イサクなども皆復活して、今生きているわけではないか。)」
R-2)塚本訳 マタ 16:21 16:21 この時から、イエスは自分が(神の計画どおり)エルサレムに行って、長老、大祭司連、聖書学者たちから多くの苦しみをうけ、殺され、そして三日目に復活せねばならないことを弟子たちに示し始められた。
R-3)塚本訳 ルカ 24:45 24:45 それから聖書をわからせるために彼らの心を開いて 24:46 言われた、「救世主は苦しみをうけて、三日目に死人の中から復活する。
R-4)塚本訳 ルカ 22:69-70 22:69 しかし今からのち、『人の子(わたし)は大能の神の右に坐って』いる。」 22:70 皆が言った、「ではお前が、神の子か。」彼らに言われた、「そうだと言われるなら、御意見にまかせる。」
S 「来臨」の目的・・・主は助けに来て下さり、世を正義で支配して下さる。
S-1)塚本訳 マタ 24:7-8 24:7 (世の終りが来る前に)『民族は民族に、国は国に向かって(敵となって)立ち上がり、』またここかしこに飢饉や地震があるのだから。 24:8 しかしこれは皆(まだ、新しい世界が生まれるための)陣痛の始めである。
S-2)塚本訳 ヨハ 16:21 16:21 女が子を産む時には、女の(宿命の)時が到来したので悲しみがあるけれども、子が生まれると、一人の人間が世に生まれ出た喜びのために、もはや(お産の)苦しみを覚えていない。
S-3)塚本訳
マタ 24:30 24:30
するとその時、人の子(わたし)の徴が天に現われる。するとその時、『地上の民族はことごとく(これを見て)悲しむであろう。』そして『人の子(わたし)が』大いなる権力と栄光とをもって、『天の雲に乗って来るのを』見るであろう。
(21)「終末」への姿勢・・・神の前に立てるように緊張の姿勢で生きよ
(21)-1)塚本訳 ルカ 9:51 9:51 イエスは(いよいよ)昇天の日が迫ったので、決然としてその顔をエルサレムへ向けて進み、
(21)-2)塚本訳 ヨハ 12:24 12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)
(21)-3)塚本訳 ルカ 22:36-37 22:36 彼らに言われた、「しかし今は(もうそれではいけない。)財布を持っている者は持ってゆけ。旅行袋も同様。剣を持たない者は、(もし金がなかったら、)上着を売ってでも買いなさい。 22:37 わたしは言う、『彼は咎人の一人に数えられた』と(聖書に)書いてあること、をわたしは成就せねばならないのだから。そしてわたしの務は(いよいよこれで)果てるのだ。(あなた達も戦いの準備をするがよい。)」 22:38 彼らが言った、「主よ、剣ならばここに二振あります。」イエスが(笑いながら)言われた、「それで沢山々々。」
(21)-4)塚本訳 マコ 4:33-34 4:33 イエスは聞く人々の力に応じて、このような多くの譬で御言葉を語られた。4:34 譬を使わずに語られることはなかった。が弟子たちには、人のいない時に何もかも説明された。
(21)-5)塚本訳 ルカ 21:36 21:36 目を覚まして常に祈っておれ、すべてこれら将来の出来事からのがれて、人の子(わたし)の前に立ち得るようにと。」
(21)-6)塚本訳 ルカ 9:23 9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。
(21)-7)塚本訳 マタ 6:9-10 6:9 だからあなた達は、このように祈りなさい。──、わたしたちの天のお父様、お名前がきよまりますように。 6:10 お国が来ますように。お心が行われますように、天と同じに、地の上でも。