161105-2 271
イエスス(イエス)、クリストス(キリスト)、セオス(神)、ヒュオス(子)、ソテル(救い主)
聖書で聖書を読む
ヨハネの入獄
(ルカ3:18−20)
・・・「一粒の麦の死」は、複雑な家庭の不運な少女(サロメ)を救った・・・
2016年11月6日 東京聖書読者会 高橋照男
塚本訳 ルカ 3:18
3:18 ヨハネはそのほかなお多くの訓戒をあたえながら、民衆に福音を伝えた。
●「福音」という語句は洗礼者ヨハネやイエス自身の口にはのぼらなかったが、イエスの言動そのものが「福音」であり、これが新約聖書全体の思想であった。●福音書における「福音」の語句は、塚本訳(敷衍除く)で全24か所。マタイ5か所、マルコ9か所、ルカ9か所、ヨハネ1か所。心に響くものを掲げる。
18-1)塚本訳 マルコ 1:1
1:1 イエス・キリストの福音はこうして始まった。──
18-2)塚本訳 マルコ 1:15
1:15 言われた、「時は満ちた、神の国は近づいた。悔改めて福音を信ぜよ」と。
18-3)塚本訳
マルコ 8:35
8:35 (十字架を避けてこの世の)命を救おうと思う者は(永遠の)命を失い、わたしと福音とのために(この世の)命を失う者は、(永遠の)命を救うのだから。
18-4)塚本訳
マルコ 14:9
14:9 アーメン、わたしは言う、世界中どこででも(今後)福音の説かれる所では、この婦人のしたことも、その記念のために(一しょに)語りつたえられるであろう。」
18-5)塚本訳 ルカ 4:43
4:43 イエスは彼らに言われた、「わたしはほかの町々にも、神の国の福音を伝えねばならない。そのために遣わされたのだから。」
18-6)塚本訳
ルカ 7:22
7:22 答えられた、「行って、(今ここで)見たこと聞いたことをヨハネに報告しなさい。──『盲人は見えるようになり、』足なえは歩きまわり、癩病人は清まり、聾は聞き、死人は生きかえり、『貧しい人は福音を聞かされている』と。
18-7)塚本訳
ルカ 16:16
16:16 (あなた達は聖書を誇るが、時代はもう変っている。)律法と預言書と([聖書]の時代)は(洗礼者)ヨハネ(の現われる時)までで、その時以来神の国の福音は伝えられ、だれもかれも暴力で攻め入っている。
塚本訳 ルカ 3:19
3:19 ところが領主ヘロデは、その兄弟(ピリポ)の妻ヘロデヤ(との結婚)のことについて、また自分の行ったすべての悪事について、ヨハネから非難されたので、
●ローマ帝国の没落原因は性の不品行による人口減少。不品行の不義を指摘した初代信徒達は命がけであった。世の人々はキリスト信者から離れて行く。
●ヘロデ王朝の系図は複雑で醜悪。しかし血が汚れている悩みは我々も同じ。
19-1)口語訳 レビ 20:21
20:21 人がもし、その兄弟の妻を取るならば、これは汚らわしいことである。彼はその兄弟をはずかしめたのであるから、彼らは子なき者となるであろう。
19-2)塚本訳 マルコ 6:22-28
6:18 ヨハネがヘロデに、「あなたは自分の兄弟の妻を妻にするのはよろしくない」と言ったからである。
6:19 (そのため)ヘロデヤはヨハネを恨んで、殺したいと考えていたが、出来なかった。
6:20 それはヘロデがヨハネを正しい聖なる人と知って、これを恐れ、保護を加えていたからである。ヘロデはヨハネに話を聞くと非常に当惑したが、それでも喜んで聞いていたのである。
6:21 すると(ヘロデヤにとり)好い機会がきた。ヘロデが自分の誕生祝いに、大官、将軍、ガリラヤの名士たちを招待して宴会を催した時、
6:22 ヘロデヤの娘が席に出て舞をまい、ヘロデと列座の人々とを喜ばせたのである。王が少女に言った、「ほしいものがあったら言ってみよ。褒美にやろう。」
6:23 また、「願いとあらば、『国の半分でも』やろう」と誓った。
6:24 少女は出ていって母にきいた、「何を願いましょうか。」「洗礼者ヨハネの首を」と母がこたえた。
6:25 少女は大急ぎですぐ王の前に出て、「洗礼者ヨハネの首を盆にのせてすぐに戴かせてください」と願った。
6:26 王は非常に悲しんだが、客の前で立てた誓いの手前、拒みたくなかった。
6:27 そこで王はすぐヨハネの首を持ってくるように命令して、首斬役をやった。首斬役は行って牢でヨハネの首をはね、
6:28 その首を盆にのせて持ってきて少女に渡し、少女はそれを母に渡した。
●この世は性道徳の不品行で暗い。淋しい。呻く。新約聖書全体における「不品行」の語句は多い。塚本訳で全21か所。そのうち心に響くものを掲上する。
19-3)塚本訳 ロマ 1: 24
だから神は、彼らが情欲にかられて不品行を行うに任せられた。自分で自分の体を辱しめさせるためである。
19-4)塚本訳 Tコリ 5: 1
いったい、聞くところによればあなた達の間に不品行があり、しかも異教人の間にすらないような不品行で、父の妻(であった婦人)を妻にしている者があるほどだというではないか。
19-5)塚本訳 Tコリ 5: 9
(前の)手紙で、決して不品行な者たちと付き合ってはならないと書いたが、
19-6)塚本訳 Tコリ 5: 11
しかしわたしは(はっきり)書く。──もし兄弟と呼ばれる者が、不品行な者や貪欲な者や偶像礼拝者や罵る者や大酒飲みや掠奪者などであるならば、付き合ってはならない。そんな者とは一しょに食事もしてはならない。
19-7)塚本訳 Tコリ 6: 9
それとも、不正な人たちは神の国を相続しないことを、あなた達は知らないのか。思い違いをするな。不品行な者も、偶像礼拝者も、姦淫する者も、男娼も、男色をする者も、
19-8)塚本訳 Tコリ 6: 13
(肉の欲と言っても一様にはゆかない。あなた達のいうとおり、)「食べ物は腹のため、腹は食べ物のためにある」。しかし神はそれをもこれをも消えゆかせられるのである。これに反して、体は不品行のためにあるのでなく、主の(御用の)ためにあり、主は(わたし達の)体のために(命をすてられたので)ある。
19-9)塚本訳 Tコリ 6: 18
不品行から逃げよ。人のおかすどんな罪も、体の外にある。しかし不品行をする者は、自分の体、(キリストの体、神のお宮)に対して罪を犯すのである。
19-10)塚本訳 Uコリ 12: 21
わたしが行ったとき、もう一度わたしの神があなた達の所でわたしに面目を失わせられるのではないか、そして前に罪を犯し、(なお)その行なった汚れと不品行と放蕩とを悔改なかった大勢の人(のこと)を惜しみ悲しまねばならないのではないか、それをわたしは心配している。
19-11)塚本訳 ガラ 5: 19
肉の行いは明らかである。──それは不品行、汚れ、放蕩、
19-12)塚本訳 ヘブ 13: 4
婚姻はすべての点において尊ばれよ。また夫婦の床が汚れないように。神は不品行の者と姦淫する者とを罰されるからである。
塚本訳 ルカ 3:20
3:20 ヨハネを牢に閉じこめ、(これまでの)ありとあらゆる悪事に、もう一つこの悪事をつけたした。
●罪の世は、常にキリストの血で清められなければならない状態。神に敬虔に生きようとするものは迫害される。迫害は信者の宿命、十字架。この世は ●福音書における「迫害」の語句は塚本訳(敷衍除く)で全15か所。マタイ8か所、マルコ2か所、ルカ3か所、ヨハネ2か所。心に響くものを掲げる。
20-1)塚本訳 マルコ 4: 17 自分の中に(しっかりした信仰の)根がなく、ただその当座だけであるから、あとで御言葉のために苦難や迫害がおこると、すぐ信仰から離れおちる人たちである。
20-2)塚本訳 マルコ 10: 30 今、この世で──迫害のうちにおいてではあるが──百倍の家と兄弟と姉妹と母と子と畑とを、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。
20-3)塚本訳 ルカ 11: 49 だから神の知恵も(預言して)言っている、『わたしが預言者や使徒を派遣すると、彼らはそのある者を殺し、また迫害するであろう。
20-4)塚本訳 マタイ 5: 10 ああ幸いだ、信仰のために迫害される人たち、天の国はその人たちのものとなるのだから。
20-5)塚本訳 マタイ 5: 11 わたしゆえに罵られたり、迫害されたり、あらん限りの根も葉もない悪口を言われたりする時、あなた達は幸いである。
20-6)塚本訳 マタイ 5: 12 小躍りして喜びなさい、褒美がどっさり天であなた達を待っているのだから。あなた達より前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。
20-7)塚本訳 マタイ 5: 44 しかしわたしはあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ。
20-8)塚本訳 マタイ 10: 23 この町で迫害された時には、次の町に逃げてゆけ。アーメン、わたしは言う、人の子(わたし)は(すぐに)、あなた達がイスラエル人の町々を回りつくさぬうちに来るのだから。
20-9)塚本訳 マタイ 23: 34 だから、わたしが預言者や知者や聖書学者を派遣すると、君たちはそのある者を殺し、また十字架につけ、ある者を礼拝堂で鞭打ち、また町から町へと(追いまわして)迫害するであろう。
20-10)塚本訳 ルカ 21: 12 しかしすべてこれらのことがある前に、人々はあなた達に手をかけて迫害する。すなわち礼拝堂や牢屋に引き渡し、またわたしゆえに、王や総督の前に引き出すであろう。
20-11)塚本訳 ヨハネ 15: 20 『僕はその主人よりもえらくはない』と言ったわたしの言葉を忘れないように。人々は(わたしにしたと同じことをあなた達にするであろう。)わたしを迫害したなら、あなた達をも迫害し、わたしの言葉を守ったなら、あなた達の言葉をも守るであろう。
感話・結論
1)洗礼者ヨハネの死は「一粒の麦の死」であった。イエスを立ち上がらせた。
2)塚本訳 マルコ
1:14-15
1:14 (洗礼者)ヨハネが牢に入れられた後、イエスはガリラヤにかえり、神の福音を説いて
1:15 言われた、「時は満ちた、神の国は近づいた。悔改めて福音を信ぜよ」と。
3)塚本訳 マタ 4:12 4:12 イエスは(洗礼者)ヨハネが牢に入れられたと聞くと、(郷里)ガリラヤ(のナザレ)に引っ込まれた。
4)塚本訳 ヨハネ
12:24
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)
5)汚れた家系のヘロデ王朝内を転々としたヘロデヤの娘(サロメ)の人生は不運続きであったが、最後にキリストの贖いの血で救われた。
6)マルコ6:22-28のエピソードに出てくる少女の名前は通称「サロメ」となっているが、新約聖書では「ヘロデヤの娘」とだけあって、名前はない。通称の原因はヨセフスの「ユダヤ古代史」(第8巻5−1,2)である。(山本書店の「ユダヤ古代誌」全11冊は亡くなられたヤ・キさんの遺品。今に役に立った。)ここにこのエピソードの少女の名前は「サロメ」と書かれている。以後二千年間、この世はこの少女を絵画に小説に音楽にとはじめの舞いと同じく「見世物」にしている。では真相はどうなのか。
7)サロメがユダヤ王朝内を転々としたことは、WEB黒崎でビジュアル化された。これで「ヘロデ王朝の系図」で明解に知ることができる。
http://stonepillow.dee.cc/herod.html
8)少女(通称サロメ)は父ヘロデ(ピリポ)と母ヘロデヤの子として生まれた。しかし父は別の無名のヘロデではないかとの説もある(田川) 9)母ヘロデヤは父ヘロデ(ピリポ)の異母兄弟(弟)のヘロデ(アンティパス・・・イエスを裁判した。ルカ23:6-12)と「恋におちいり」(ユダヤ古代誌・新約時代篇P65)夫と離婚。
10)一方ヘロデ(アンティパス)の方は先妻を捨ててヘロデヤと結婚した。 11)そのヘロデヤは娘(通称サロメ)を連れ子として嫁いだ。 12)そして育ての親であるヘロデ(アンティパス)の余興で舞をまった。(マルコ618-28) 13)成長し、異母兄弟のピリポに嫁ぐが夫は紀元34年に死別。子はなかった。
14)それで、夫の遠戚のアンストポロに嫁ぐ。ここでは三人の子宝に恵まれる。(ユダヤ古代誌・新約時代篇P65)
15)その後の彼女の歩みは聖書ではわからない。
16)聖書に「サロメ」の名前が出てくるのはマルコの二か所である。
17)塚本訳 マコ 15:40 15:40 また遠くの方から眺めていた女たちもいた。そのうちにはマグダラのマリヤ、小男ヤコブとヨセとの母マリヤ、およびサロメもいた。
18)塚本訳 マコ 16:1 16:1 (翌日、日が暮れて)安息日が終ると、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、イエス(の体)に油を塗りに行くために、(油にまぜる)香料を買いととのえた。
19)このサロメがヘロデヤの娘で、ユダヤ王朝内を転々としたヨセフスのユダヤ古代誌に出てくる「サロメ」ではあるまいか。
20)この事は学問的に確定はしてないが、無教会は聖書を素人読みする。その結果信仰的に体験的に私(高橋)はそう読む。信仰は学問の権威に従属しない。
21)人生の辛酸を舐め、悲哀を感じた「サロメ」はついに「世の光」「命の泉」に出会ったのだと私は個人的に信じる。
22)十字架の許にいてイエスの遺体に油を塗りに行くようにまでなったサロメ。彼女は肉の汚れの世界から贖われ、霊の人になった。万歳「サロメ」!。この世の不運不幸悲惨が幸いした。永遠に淋しさのない復活の人、天国人になった。
23)塚本訳 ヨハ 3:4-7 3:4 ニコデモがイエスに言う、「(このように)年を取った者が、どうして生まれなおすことが出来ましょう。まさかもう一度母の胎内に入って、生まれなおすわけにゆかないではありませんか。」 3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。 3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。 3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。
24)塚本訳 マタ 11:11-15 11:11 アーメン、わたしは言う、女の産んだ者の中に、洗礼者ヨハネより大きい者はまだ出たことがない。しかし天の国で一番小さい者でも、彼より大きい。
25)塚本訳 ルカ 20:35-36 20:35 あの世にはいる資格を与えられて、死人の中から復活する者は、めとることもなく嫁ぐこともない。 20:36 復活によって生まれる彼らは、天使と同じであり、神の子であるので、もはや死ぬことが出来ない、(従って子を産む必要がない)からである。