161204-1
イエスス(イエス)、クリストス(キリスト)、セオス(神)、ヒュオス(子)、ソテル(救い主)
聖書で聖書を読む
イエス洗礼を受ける
(ルカ3:21-22)
・・・全生涯死の恐怖からの救いは永遠の命。一粒の麦の死への旅のはじまり・・・
2016年12月4日 東京聖書読者会 高橋照男
塚本訳 ルカ 3:21
3:21 さて民衆が皆(ヨハネから)洗礼を受けた時、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開けて、
感話1 神は人の子の姿を取って世に降られ、ユダヤ人の世の伝統に服された。
@-1 塚本訳 ルカ 2:41-42
2:41 さてイエスの両親は、過越の祭には毎年エルサレムに行った。
2:42 イエスが十二歳になった時、両親は(その)祭の習わしに従って、(彼を連れて都へ)上った。
@−2 塚本訳 ピリ 2:6-8
2:6 彼は(先には)神の姿であり給うたが、神と等しくあることを棄て難いことと思わず、
2:7 かえって自分を空しうして人と同じ形になり、奴隷の姿を取り給うたのである。そして人の様で現れた彼は、
2:8 自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた。
@−3 塚本訳 ロマ 8:3
8:3 律法が肉に妨げられて無力になったために出来なくなったことを、神は(御子によって)成し遂げてくださった。すなわち(わたし達の)罪の(征服の)ためにその子を罪の肉の形で(この世に)遣わし、その肉(を殺すこと)において罪を罰されたのである。
@−4 塚本訳 ヘブ 2:9
2:9 ただわたし達は、このイエスが“少しのあいだ(だけ)天使たちよりも小さくされ(て地上に遣わされ)た”が、死の苦しみのゆえに『栄光と栄誉との冠をさずけられた』のを見るのである。(そしてここに預言の実現がある。)彼が死ぬことは、神の恩恵によって、万人の(救の)ためであった。
@−5 塚本訳 ヘブ 2:14-15
2:14 だから、『子らは』血と肉とを共有しているので、(イエス)彼自身も、(全く)同じようにこれを保たれた。(これはその)死によって、死の権力をもっている者、すなわち悪魔をほろぼし、
2:15 死を恐れ、全生涯(その)奴隷になっている彼ら(人類)を(のこらず)釈放するためであった。
@−6 塚本訳 ヘブ 5:7 -9
5:7 彼はその(地上における)肉の日に、烈しい叫び声と涙とをもって、彼を死から救い得るお方に向かって祈りや嘆願を捧げ、その敬虔のゆえに聞きいれられた(方である)。
5:8 彼は御子であるにもかかわらず、苦しみをうけて従順を学び、
5:9 完成されたので、(今度は彼が、)彼に従順であるすべての人に対して『永遠の救の』本源となり、
感話2 キリストは肉の世に降って生きられ、一人間として律法を守られた
A−1 塚本訳 マタ 5:17
5:17 わたしが律法や預言書[聖書]を廃止するために来たと思ってはならない。廃止するどころか、成就するために来たのである。
塚本訳 マタ 7:12
7:12 だから、何事によらず自分にしてもらいたいと思うことを、あなた達もそのように人にしなさい。これが律法と預言書(と[聖書]の精神)である。
感話3 しかしキリストは律法の終わりになられた。
B−1 塚本訳 ルカ 16:16
16:16 (あなた達は聖書を誇るが、時代はもう変っている。)律法と預言書と([聖書]の時代)は(洗礼者)ヨハネ(の現われる時)までで、その時以来神の国の福音は伝えられ、だれもかれも暴力で攻め入っている。
B−2 塚本訳 ヨハ 1:29
1:29 あくる日、ヨハネはイエスが自分の方に来られるのを見て言う、「そら、あれが世の罪を取り除く神の小羊だ。
塚本訳 ルカ 3:22
3:22 聖霊が鳩のような形で彼の上に下ってきた。そして「あなたは(いま)わたしの“最愛の子、”“わたしの心にかなった”」という声が天からきこえてきた。
感話1 人が大命を授かる時や人生の岐路に立たされた時は、天から声が響く。
@−1 塚本訳 ヨハ 12:27-28
12:27 今、わたしは胸がどきどきしてならない。ああ、なんと言っ(て祈っ)たらよいだろう。『お父様、この(試みの)時からわたしを救ってください』(と祈ろうか。)いやいや、わたしはこのため、この時のために(この世に)来たのだ。
12:28 『お父様、(どうかわたしを御心のままになさって、)あなたの御名の栄光をあらわしてください!』」すると天から声がひびいた、「わたしは(あなたの業で)すでに(わたしの)栄光をあらわした。(今)また(あなたの苦しみによって)栄光をあらわすであろう。」
@−2 塚本訳 ルカ 22:42-43
22:42 言われた、「お父様、お心ならば、どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心が成りますように!」
22:43 そのとき天から一人の天使がイエスに現われて、力づけた。
@−3 塚本訳 使 26:13-14
26:13 王よ、昼に、途中で、天から輝く太陽にもまさる光がさして、わたしと、同行の者たちとのまわりを照らすのを見ました。
26:14 わたし達が皆地上に倒れると、ヘブライ語で、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。刺の棒は蹴っても無駄だ』とわたしに言う声を聞きました。
感話2 我々が十字架と復活を信じられるというのも、神の業、大命拝受。
A−1 塚本訳 ルカ 7:28
7:28 わたしは言う、女の産んだ者の中には、ヨハネより大きい者は一人もない。しかし神の国で一番小さい者でも、彼より大きい。
A−2 塚本訳 ルカ 24:31-32
24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。
24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。
A−3 塚本訳 ルカ 24:45-48
24:45 それから聖書をわからせるために彼らの心を開いて
24:46 言われた、「救世主は苦しみをうけて、三日目に死人の中から復活する。
24:47 また罪を赦されるための悔改め(の福音)が、その名においてすべての国の人に説かれる、エルサレムから始まって、と(聖書に)こう書いてある。
24:48 あなた達はこの(苦しみと復活との)証人である。
A−4 塚本訳 使 16:14
16:14 するとテアテラ町の紫毛織物の商人で、敬信家のルデヤという婦人が聞いていたが、主はその心を開いてパウロの話に耳を傾けさせられた。
感話3 天からの声は、「一粒の麦の死」への門出の言葉。神の宣言と励まし。
B−1 口語訳 イザ 53:11
53:11 彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。
B−2 塚本訳 マタ 4:14-16
4:14 預言者イザヤをもって言われた言葉が成就するためであった。──
4:15 『(ガリラヤの)湖に向かった、ゼブルン(族)の地とナフタリ(族)の地、ヨルダン川の向こう(のペレヤ)、異教人の(住む)ガリラヤ──
4:16 暗闇に住まう(これらの地方の)民は大いなる光を見、死の陰の地に住まうこの人々に光がのぼった、』
B−3 塚本訳 ルカ 9:22
9:22 そして、「人の子(わたし)は多くの苦しみをうけ、長老、大祭司連、聖書学者たちから排斥され、殺され、そして三日目に復活せねばならない。(神はこうお決めになっている)」と言われた。
B−4 塚本訳 ルカ 9:23-24
9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。
9:24 (十字架を避けてこの世の)命を救おうと思う者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者が、(永遠の)命を救うのだから。
B−5 塚本訳 マコ 15:31-32
15:31 同じように大祭司連も、聖書学者と一しょに、こう言って(イエスを)なぶり合った、「あの男、人は救ったが、自分は救えない。
15:32 救世主、イスラエルの王様が!今すぐ十字架から下りてくるがよい。見たら信じてやるのに!」一しょに十字架につけられた二人(の強盗)も、イエスを罵った。
B−6 塚本訳 ヨハ 12:24
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)
B−7 塚本訳 Tコリ15:37-38
15:37 そしてあなたのまくものは、やがて出来る体をまくのではなく、たとえば麦にしても何かほかの種類にしても、裸の粒にすぎないのである。
15:38 しかし神は御心のままにそれに体をお与えになる、しかもそれぞれの種に独得の体を。
B−8 塚本訳 ルカ 9:51
9:51 イエスは(いよいよ)昇天の日が迫ったので、決然としてその顔をエルサレムへ向けて進み、
B−9 塚本訳 ガラ 1:4
1:4 キリストはわたし達の父なる神の御心にしたがい、わたし達を悪い現在の世から救いだそうとして、わたし達の罪のために自分を与え(て十字架につけ)られたのである。
B−10 塚本訳 Tコリ15:3-5
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。
感話4 死人の復活という喜びの福音・・・人の心に思い浮かばなかった衝撃
C−1 塚本訳 ルカ 7:13
7:13 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って、
7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。
C−2 塚本訳 ルカ 8:52-55
8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」
8:53 人々は死んだことを知っているので、あざ笑っていた。
8:54 しかしイエスは女の子の手を取り、声をあげて「子よ、起きなさい!」と呼ばれると、
8:55 霊がもどって、即座に女の子は立ち上がった。イエスは(何か)食べさせるように言いつけられた。
C−3 塚本訳 ヨハ 3:7-8
3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。
3:8 風[プニューマ]は心のままに吹く。その音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊[プニューマ]によって生れる者も皆、そのとおりである。」
C−4 塚本訳 ヨハ 4:24
4:24 神は霊である。だから礼拝者も霊と真理とをもって礼拝せねばならない。」
C−5 塚本訳 ヨハ 14:6
14:6 イエスは言われる、「わたしが道である。また真理であり、命である。(手段であると同時に目的であるから。)わたしを通らずには、だれも父上の所に行くことはできない。
C−6 塚本訳 Tコリ2:9
2:9 しかし(聖書に)書いてあるとおり(に実現したの)である。『目も見ず耳も聞かず』、人の『心に起こらなかった』もの、『これを神は御自分を愛する者たちのために』用意された。
感話5 堅い信仰による希望・・・魂の安全かつ不動なる錨
D−1 塚本訳 ヨハ 11:25-26
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きて私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」
D−2 塚本訳 ヘブ 3:6
3:6 キリストは『神の家』の御子として忠実であった。そして(キリストを信ずる)わたし達は、そのキリストの家(の者)である。もしわたし達が(大胆な)信頼と、希望の誇りとを最後まで堅く守っているならば。
D−3 塚本訳 ヘブ 6:11
6:11 ただわたし達は、あなた達のひとりびとりが希望を完成するため、最後まで前と同じ熱心を示したらと思うのである。
D−4 塚本訳 ヘブ 6:19
6:19 わたし達はこの希望を魂の安全かつ不動なる錨として持っており、(海の深所ならぬ『聖所の)幕の内に入るのである』。(わたし達の希望がいと高き天にまで達するのはこのためである。)