イエスス(イエス)、クリストス(キリスト)、セオス(神)、ヒュオス(子)、ソテル(救い主)
聖書で聖書を読む
幸福の人生
・・・ヒルティの信仰と思想の源流は、「主の言葉」・・・
2018年1月8日 東京聖書読者会 高橋照男
1・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ヒルティ「眠られぬ夜のために第一巻3月3日」 (白水社版ヒルティ著作集第4巻小池辰雄訳。P96-97)
人がひとたび、あらゆる境遇における神の導き@を堅く信じるAことができ、ヨハネ15:7にあることをしばしば体験したならば、地上で担うべき最大の困難もまた恐怖も、まったくおのずから消え失せB、人生のすべての困難は皆この信仰の鍛錬のためとなるばかりである。しかもこの鍛錬は、この地上で最も活き活きした幸福Cであるところの勝利をもって終わる。もし私が人生の三十路(みそじ)において、すなわち「我らの生涯(いのち)の旅路半(なか)ばで」、人生を貫き導くアリアードネの糸Dを決然として掴み、どんな境遇にあってもこれをしっかり把握していかなかったならば、おそらく私は半ばあるいは全部失敗した生涯を送ったであろう。
●アリアードネの糸(キリストの啓導)を固く掴んで歩く人生
@「神の導き」
塚本訳 ヨハ 8:12
8:12 (同じ大祭の日に、)イエスはまた人々に語られた、「わたしが世の光である。わたしに従う者は、決して暗やみを歩かない。そればかりか、命への光を持つことができる。」
A「堅く信じる」
塚本訳 マタ 8:8-10
8:8 百卒長は答えた、「主よ、わたしはあなたを、うちの屋根の下にお迎えできるような者ではありません。(ここで)ただ一言、言ってください。そうすれば下男は直ります。
8:9 というのは、わたし自身も指揮権の下にある人間であるのに、わたしの下にも兵卒がいて、これに『行け』と言えば行き、ほかのに『来い』と言えば来、また僕に『これをしろ』と言えば(すぐ)するからです。(ましてあなたのお言葉で、病気が直らないわけはありません。)」
8:10 イエスは聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、イスラエル人の中でも、こんなりっぱな信仰をもっている者を一人も見たことがない。
B「恐怖も、まったくおのずから消え失せ」
B−1)塚本訳 マタ 11:28-29
11:28 さあ、疲れている者、重荷を負っている者はだれでも、わたしの所に来なさい、休ませてあげよう。
11:29 わたしは心がやさしく、高ぶらないから、わたしの軛を負ってわたしの弟子になりなさい、そうすれば『魂の休息が得られよう。』
B−2)塚本訳 マタ 10:28
10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。
C「幸福」
C−1)塚本訳 ヨハ 4:14
4:14
わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」
C−2)塚本訳 マタ 16:16-17
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。
D「アリアードネの糸」 (訳者小池辰雄の解説)
アリアードネの糸、はギリシャ神話による。アリアードネはクレタ島やエーゲ海の島嶼(とうしょ)に関係のある女神。ミノス王の娘でアテネ人の若い男女の犠牲を喰う怪物ミノタウエルスを退治しようとする勇士テーゾイスに、糸毬(いとまり)を与えて、地下の迷宮に入らせた。首尾よく怪物を屠(ほふ)ったテーゾイスはアリアードネの糸に従って無事に還ることが出来という。しかしヒルティがここに言うアリアードネの糸は、神の導き、キリストの啓導を意味する。
塚本訳 ヨハ 12:35
12:35 するとイエスは(それには答えず、)彼らに言われた、「もうしばらくの間、光はあなた達のところにある。光のある間に(早く)歩いて、暗闇に追い付かれないようにせよ。暗闇を歩く者は、自分がどこへ行くのか知らない。
2・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ヒルティ「眠られぬ夜のために第一巻」最後の「なおりたいのか」 (白水社版ヒルテイ著作集第4巻小池辰雄訳。P376-378)
今日、古典的教養ある人々はおおかた、以上のような考えである。(中略)これとは別にあり得る人生行路は、神の「啓導」@による行路である。それは次のごときことを約束する。(以下、イザヤ書の引照が多いが省略・・・高橋)
●ヒルティが示す幸福な生涯。最後まで「神の啓導」を堅く信じ続ける。
@神の啓導
1 -1)塚本訳 ヨハ 10:3-4
10:3 羊飼には門番が(門を)あけてやり、羊はその声を聞き分ける。羊飼は一匹一匹、自分の羊の名を呼んで(檻から)つれだし、
10:4 自分の羊を皆出すと、その先に立って歩く。羊はその声を知っているので、あとについて行く。
@−2)塚本訳 マタ 10:29-30
10:29 雀は二羽一アサリオン(三十円)で売っているではないか。しかしその一羽でも、あなた達の父上のお許しなしには地に落ちないのである。
10:30 ことにあなた達は、髪の毛までも一本一本数えられている。
3・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ヒルティ「幸福論V」 「わがなんじになさんとするは、驚くべき事なり」
(白水社版ヒルティ著作集第3巻、前田護郎・杉山好訳。(P96,99,112,113,)
福音書がキリストのものとして保存した最後の言葉がいかめしい道しるべのように、別れ道に立っている。@ヨハネ21:18。これはキリストのあとに従うAすべての人が―――修道院ではなくて、この世の彼らの働き場所に遣わされるB出発点なのである(P96)。さて、右に挙げたキリストの決別の言葉によれば、人が真に自覚をもってキリストのあとに従う歩みを始めるとき、右のようなすべての問題(精神の資本を得ようとすること・・・高橋)は、内的発展の或る段階に到ってもはや存在しえなくなる。人は自分自身でする選択を一切やめて、導きと命令のもとに立つCのである(P99)。
●「神の導き」により、真の幸福を願う者は、この世の幸福とは違う道を歩く。
@別れ道に立っている
@−1)塚本訳 マコ 14:36
14:36 言われた、「アバ、お父様、あなたはなんでもお出来になります。どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心がなればよいのです。」
@−2)塚本訳 ヨハ 14:6
14:6 イエスは言われる、「わたしが道である。また真理であり、命である。(手段であると同時に目的であるから。)わたしを通らずには、だれも父上の所に行くことはできない。
Aキリストのあとに従う
塚本訳 ヨハ 10:14-15
10:14 わたしが良い羊飼である。わたしはわたしの羊を知っており、わたしの羊もわたしを知っている。
10:15 父上がわたしを知っておられ、わたしが父上を知っているのと同じである。そしてわたしは羊のために命を捨てる。
B修道院ではなくて、この世の彼らの働き場所に遣わされる
塚本訳 ルカ 16:9-10
16:9 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
16:10 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。
C導きと命令のもとに立つ
塚本訳 ルカ 9:60
9:60 その人に言われた、「死んだ者の葬式は死んだ者にまかせ、あなたは行って神の国を伝えなさい。」
4・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ヒルティ「老年について」(白水社ヒルテイ著作集第10巻 高橋三郎訳。P256)
だから諸君、老年を恐れないで下さい@。これは、人がもはや若くあろぅと望まなくなりさえすれば、あるいは前方を見ないでいつも後ばかりを見ようと思うことをやめさえすればA、世に言われているほどわるいものではない。この時期の始めにあたって、人は歩んで来た生涯の行路に、なお一瞥を向けるべきであろう。しかしそれから明確な自覚と決断をもって、ダンテと共にこう言うべきである。
「よりよき船路を走るために 今や私の心の小舟は帆をあげ、むごい荒波をうしろにして、次の国ヘと思いは向かう。
もろもろの霊が、よりふいさわしい者として、天国に近づくために、
潔めを受けるBべく、励み行く次の国へC。」(ダンテ神曲煉獄編第一歌1−6行)
●老年時代は後ろを振り向くな。前を向いて「次の国」を目指せ。復活の希望。
@老年を恐れないでください
塚本訳 マタ 6:25-27
6:25 だから、わたしは言う、何を食べようかと命のことを心配したり、また何を着ようかと体のことを心配したりするな。命は食べ物以上、体は着物以上(の賜物)ではないか。(命と体とを下さった天の父上が、それ以下のものを下さらないわけはない。)
6:26 空の鳥を見てごらん。まかず、刈らず、倉にしまいこむこともしないのに、天の父上はそれを養ってくださるのである。あなた達は鳥よりも、はるかに大切ではないのだろうか。
6:27 (だいいち、)あなた達のうちのだれが、心配して寿命を一寸でも延ばすことが出来るのか。
Aいつも後ばかりを見ようと思うことをやめさえすれば
A−1)塚本訳 ルカ 9:61-62
9:61 もう一人のほかの人も言った、「主よ、お供します。ただその前に、家の者に暇乞いをさせてください。」
9:62 しかしイエスは言われた、「鋤に手をかけたあとで後を見る者は、神の国の役に立たない。」
A−2)塚本訳 マコ 10:29-30
10:29 イエスは言われた、「アーメン、あなた達に言う、わたしのため、また福音のために、家や兄弟や姉妹や母や父や子や畑をすてた者で、
10:30 今、この世で──迫害のうちにおいてではあるが──百倍の家と兄弟と姉妹と母と子と畑とを、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。
B潔めを受ける
B−1)塚本訳 マタ 22:10-12
22:10 家来たちは道に出ていって、出会った者を悪人でも善人でも皆集めてきたので、宴会場は客で一ぱいになった。
22:11 王は客を見ようとして入ってきたが、そこに礼服を着けていない者が一人いるのを見て
22:12 その人に言った、『君、礼服も着ずに、なんでここに入ってきたのか。』その人が黙っていると、
B−2)塚本訳 ルカ 16:25
16:25 しかしアブラハムは言った、『子よ、考えてごらん、あなたは生きていた時に善いものを貰い、ラザロは反対に悪いものを貰ったではないか。だから今ここで、彼は慰められ、あなたはもだえ苦しむのだ。
C励み行く次の国へ
C−1)塚本訳 マタ 6:12
6:12 罪を赦してください、わたしたちも罪を犯した人を赦しましたから。
C−2)塚本訳 ルカ 9:23
9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。
5・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ヒルティ「幸福論V」 「高きをめざして」 (白水社版ヒルティ著作集第3巻前田護郎・杉山好訳。(P375,383)
そうして最後に死が訪れる@。なにゆえ死は、誰にとっても「恐しいものの王者」でなければならぬのか。あるいは死の舞踏に現れる、あのいやらしい骸骨でなければならぬのか?むしろ死は多くの人に、古代の美しい表現のとおりに、ただ厳粛な顔をした静かな若者の姿で訪れるであろう。この若者はやさしい手で霊魂と肉体の結び目を解き、こうして自由にされた霊魂を眠りのなかを通ってかなたの生活へ導いてゆく(P375)A。「鉄の鎧は天翔る羽の衣と変るB。苦痛は瞬時にして、喜びは永遠Cである。」(シラー「オルレアンの少女」末尾(P383)
●死を乗り越える。泣くな、次の霊の国がある。死は眠り、苦痛は瞬時だ。
@最後に死が訪れる
@−1)塚本訳 ヨハ 11:25-26
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きて私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」
@−2)塚本訳 マタ 10:29
10:29 雀は二羽一アサリオン(三十円)で売っているではないか。しかしその一羽でも、あなた達の父上のお許しなしには地に落ちないのである。
A眠りのなかを通ってかなたの生活へ導いてゆく。
A−1)塚本訳 ルカ 8:52
8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」
8:53 人々は死んだことを知っているので、あざ笑っていた。
8:54 しかしイエスは女の子の手を取り、声をあげて「子よ、起きなさい!」と呼ばれると、
8:55 霊がもどって、即座に女の子は立ち上がった。イエスは(何か)食べさせるように言いつけられた。
B鉄の鎧は天翔る羽の衣と変る
塚本訳 ヨハ 3:5-6
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。
C苦痛は瞬時にして、喜びは永遠
塚本訳 ヨハ 20:17
20:17 イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」
6・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●ヒルティの墓を訪ねて。1980.6.15
塚本訳 マタ 28:5b-6
28:5bイエスをさがしているようだが、
28:6 ここにはおられない。かねがね
言われたとおり、もう復活されたのだから。
ヨハンナ・ヒルティ。(1839−1897)
墓碑下段、息子エドガーと次女エーディト
ヒルティにとって息子エドガーの病気は
心配と悩みの種(棘)であった。
ヒルティは、しばしば「苦難の意義」や
「幸福には不幸が必要である」と言い、
「眠られぬ夜のために」を書いた。
がっしりした造りで美しい建物であった。
塚本訳 Uコリ5:1c
5:1c(この肉体)がこわれるならば、天に、
神の建てられた建物、(人間の)手で造ら
ない永遠の家をいただいていることを、
わたし達は知っている。