さかなのえ ΙΧΘΥΣ イクスス()    

イエ(イエス)、クリス(キリスト)、セ()、ヒュ()、ソ(救い主)

聖書で聖書を読む

イエスの系図(ルカ323-38

・・・「死の悩み」からの救い。救世主(キリスト)は歴史に出現した・・・

 

2017年2月5日 東京聖書読者会 高橋照男

 

塚本訳 ルカ 3:23-38(イエスの系図)

3:23 このイエス@は(伝道を)始められたとき、三十歳ばかりであった。(聖霊による子であったが、)世間ではヨセフAの子と思われていた。ヨセフはヘリの子、

3:24 ヘリはマタテの、マタテはレビの、レビはメルキの、メルキはヤンナイの、ヤンナイはヨセフの、

3:25 ヨセフはマタテヤの、マタテヤはアモスの、アモスはナホムの、ナホムはエリスの、エリスはナンガイの、

3:26 ナンガイはマハテの、マハテはマタテヤの、マタテヤはシメイの、シメイはヨセクの、ヨセクはヨダの、

3:27 ヨダはヨハナンの、ヨハナンはレサの、レサはゾロバベルの、ゾロバベルはサラテルの、サラテルはネリの、

3:28 ネリはメルキの、メルキはアデイの、アデイはコサムの、コサムはエルマダムの、エルマダムはエルの、

3:29 エルはヨシュアの、ヨシュアはエリエゼルの、エリエゼルはヨリムの、ヨリムはマタテの、マタテはレビの、

3:30 レビはシメオンの、シメオンはユダの、ユダはヨセフの、ヨセフはヨナムの、ヨナムはエリヤキムの、

3:31 エリヤキムはメレヤの、メレヤはメナの、メナはマタタの、マタタはナタンの、ナタンはダビデBの、

3:32 ダビデはエッサイCの、エッサイはオベデの、オベデはボアズの、ボアズはサラの、サラはナアソンの、

3:33 ナアソンはアミナダブの、アミナダブはアデミンの、アデミンはアルニの、アルニはエスロンの、エスロンはパレスの、パレスはユダの、

3:34 ユダはヤコブDの、ヤコブはイサクEの、イサクはアブラハムFの、アブラハムはテラの、テラはナホルの、

3:35 ナホルはセルグの、セルグはレウの、レウはペレグの、ペレグはエベルの、エベルはサラの、

3:36 サラはカイナンの、カイナンはアルパクサデの、アルパクサデはセムの、セムはノアGの、ノアはラメクの、

3:37 ラメクはメトセラの、メトセラはエノクの、エノクはヤレデの、ヤレデはマハラレルの、マハラレルはカイナンの、

3:38 カイナンはエノスの、エノスはセツの、セツはアダムHの、アダムは神の子、である。

@イエス

@−1) 塚本訳 ルカ 1:1 (はしがき)                                                                                          1:1 わたし達の間で(近ごろひとまず)完結しました出来事を、(すなわち、イエス・キリストの福音の発端から、それがローマにまで伸びていったことの顛末を、)

@−2)塚本訳 ロマ 1:3-4 (挨拶)                                                                                            1:3 その御子、すなわち、人間としてはダビデの末から生まれ、                                                                                1:4 聖なる霊としては死人の中から復活して力ある神の子と定められた方、わたし達の主イエス・キリストに関するものである。

@−3)塚本訳 ピリ 2:6-8 (キリストの讃美歌)                                                                                     2:6 は(先には)神の姿であり給うたが、神と等しくあることを棄て難いことと思わず、                                                                     2:7 かえって自分を空しうして人と同じ形になり、奴隷の姿を取り給うたのである。そして人の様で現れた彼は、                                                          2:8 自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた。

@−4)塚本訳 ルカ 22:67-71 (最高法院の審問)
22:67
言った、「お前が救世主なら、そうだとわれわれに言ってもらいたい。」彼らに答えられた、「言っても、とても信じまいし、
22:68
尋ねても、なかなか返事ができまい。
22:69
しかし今からのち、『人の子(わたし)は大能の神の右に坐って』いる。」                                                                        22:70 皆が言った、「では
お前が、神の子か」彼らに言われた、「そうだと言われるなら、御意見にまかせる。」                                                          22:71 すると彼らが言った、「これ以上、なんで証言の必要があろう。われわれが(直接)本人の口から聞いたのだから。」

@−5)塚本訳 ルカ 7:20-23 (ヨハネ、イエスにつまずく)
7:20
その人たちはイエスの所に来て言った、「洗礼者ヨハネから来ました。『
来るべき方はあなたですか、それともほかの人を待つべきでしょうか』とおたずねするよう申しつけられました。」
7:21
その時、イエスは多くの人の病気と苦しみと悪霊につかれているのとをなおし、多くの盲人を見えるようにしてやっておられたが、
7:22
答えられた、「
行って、(今ここで)見たこと聞いたことをヨハネに報告しなさい。──『盲人は見えるようになり、』足なえは歩きまわり、癩病人は清まり、聾は聞き、
死人は生きかえり、『貧しい人は福音を聞かされている』と。

@−6)塚本訳 ルカ 8:52-55 (ヤイロの娘)                                                                                        8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」                                                   8:53 人々は死んだことを知っているので、あざ笑っていた。                                                                                 8:54 しかしイエスは女の子の手を取り、声をあげて「子よ、起きなさい!」と呼ばれると、                                                                     8:55 霊がもどって、即座に女の子は立ち上がった。イエスは(何か)食べさせるように言いつけられた。


@−7)塚本訳 ヨハ 4:22-26 (サマリヤの女との問答)
4:22
ただ(同じ神を、)あなた達は知らずに礼拝し、わたし達は知って礼拝している。
救いはユダヤ人から出る(のでわたし達だけに神が示された)からである。
4:23
しかし(ユダヤ人もサマリヤ人もなく、)本当の礼拝者が霊と真理とをもって父上を礼拝する時が来る。いや、今もうきている。父上もこんな礼拝者を求めておられるのである。
4:24
神は霊である。だから礼拝者も霊と真理とをもって礼拝せねばならない。」4:25 女が言う、「キリストと言われる救世主が来ることは知っています。救世主が来れば、わたし達に何もかも知らせてくださるでしょう。」
4:26
イエスは言われる、「
あなたと話しているわたしが、それだ。

@−8)塚本訳 ルカ 16:16 (律法と神の国)
16:16
(あなた達は聖書を誇るが、
時代はもう変っている。)律法と預言書と([聖書]の時代)は(洗礼者)ヨハネ(の現われる時)までで、
その時以来神の国の福音は伝えられ、だれもかれも暴力で攻め入っている。

 

@−9)塚本訳 マタ 12:42(ヨナの徴)                                                                                          12:42 また、南の国(シバ)の女王がこの時代の人と一しょに(最後の)裁きの(法廷に)あらわれて、この人たちの罪が決まるであろう。というのは、彼女は地の果てからソロモン(王)の知恵を聞きに(エルサレムに)来たが、(この人たちは、)いまここにソロモンよりも大きい者がいる(のに、それに耳を傾けない)からである。


@−10)塚本訳 マタ 16:15-17 (ペテロの告白)
16:15
彼らに言われる、「では、あなた達はわたしのことをなんと言うのか。」16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「
あなたは救世主(キリスト)、生ける神の子であります!」
16:17
するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、
わたしの天の父上だから。  

                 

Aヨセフ

A−1)塚本訳 ルカ 1:26-27 (イエスの誕生のお告げ)                                                                                  1:26 (エリサベツがみごもってから)六か月目に(同じ)天使ガブリエルが、神からガリラヤのナザレという町の一人の乙女に遣わされた。                                               1:27 この乙女はダビデ(王)家の出であるヨセフという人と婚約の間柄で、名をマリヤといった。

A−2)塚本訳 ルカ 2:4 (イエスの誕生)                                                                                         2:4 ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上った。彼はダビデ家の出、またその血統であったからである。

Bダビデ

B−1)塚本訳 ルカ 1:31-32 (イエスの誕生のお告げ)                                                                                  1:31 見よ、あなたは子をさずかり、男の子が生まれる。その名をイエスとつけよ。                                                                        1:32 その子は大いなる者となり、いと高きお方の子と呼ばれる。神なる主は先祖『ダビデの王位を』彼に与え、

B−2)塚本訳 ルカ 1:69(ザカリヤの讃美の歌)                                                                                      1:69 わたし達のために、僕『ダビデの』家に救いの(力強い)『角(なる救い主)をお立てになる』からである、

B−4)塚本訳 ルカ 2:11 (天使、羊飼いに現われる)                                                                                   2:11 実は今夜ダビデの町に、あなた達のために一人の救い主がお生まれになった。このお方が(かねて預言されていた)救世主なる主である。

B−5)塚本訳 ルカ 20:41-44 (救世主(キリスト)はダビデの子か)                                                                             20:41 イエスは人々に言われた、「人はどういう訳で、救世主はダビデの子である、と言うのであろうか。                                                              20:42 ダビデ自身が詩篇の中でこう言っているではないか。──『(神なる)主はわが主(救世主)に仰せられた、『わたしの右に坐りなさい、                                               20:43 わたしがあなたの敵を(征服して)あなたの足台にしてやるまで』と。』20:44 だから、ダビデが(このように)救世主を主と呼んでいるのに、どういう訳で(その救世主が)ダビデの子であろうか。」

B−6)塚本訳 使  2:29-32 (イエスの復活に関する預言の成就)                                                                              2:29 兄弟の方々、(この預言をした)祖先ダビデについては、彼は死んで葬られて、その墓は今日までわたし達の間にあると、あなた達にざっくばらんに言ってもよかろう。(彼はすべての人と同じように朽ち果てた。)──(中略)2:31 これは救世主の復活のことであると前から知っていて、こう語ったのです、『彼は黄泉に捨ておかれもせず、』彼の肉体の『朽ち果てることもない』と。2:32 神は(救世主である)このイエスを(預言どおりに)復活させられました。わたし達は皆このことの証人です。(イエスの復活を目の当り見たのだから。)

Cエッサイ

C−1)塚本訳 使  13:22 (パウロの説教〔第一〕)                                                                                    13:22 彼を退けたのちに、ダビデを立てて王にし、こう言って賞賛された、『エッサイの子『ダビデを見つけた。』『この人はわたしの気に入った。』』なんでもわたしの思うことをするにちがいない』』と。

Dヤコブ

D−1)塚本訳 ルカ 1:32-33 (イエスの誕生のお告げ)                                                                                  1:32 その子は大いなる者となり、いと高きお方の子と呼ばれる。神なる主は先祖『ダビデの王位を』彼に与え、                                                           1:33 彼は『永遠に』ヤコブの家の『王となり、』その国は果しなく続くであろう。」

D−2)塚本訳 ルカ 20:37 (復活問答)                                                                                         20:37 死人が復活することは、(聖書にはっきり書いてある。)モーセも茨の薮の(燃える話の)ところで、主を『アブラハムの神、またイサクの神、またヤコブの神(である)と』と言ってこれを示している。

Eイサク

E−1)塚本訳 ルカ 13:28 (狭い戸口から入れ)                                                                                     13:28 あなた達はアブラハムやイサクやヤコブや、またすべての預言者たちが神の国におるのに、自分は外に放り出されるのを見て、そこでわめき、歯ぎしりするであろう。

Fアブラハム

F−1)塚本訳 マタ 1:1 (系図)                                                                                             1:1 アブラハムの末のダビデの末のイエス・キリストの系図──

F−2)塚本訳 ルカ 1:54-55 (マリヤの讃美の歌)                                                                                    1:54 永遠に『その憐れみを忘れず、』『その僕イスラエルの民を助けてくださるでしょう、』                                                                   1:55 』われらの先祖たち、すなわちアブラハム』とその『子孫に』仰せられた『とおりに。』

F−3)塚本訳 ルカ 1:72-74 (ザカリヤの讃美の歌)                                                                                   1:72 主はこうして、『われらの先祖に憐れみを』ほどこし、また『その』聖なる『契約、』                                                                      1:73 (すなわち)先祖『アブラハムにお立てになった』誓いを『おぼえ、』                                                                             1:74 わたし達を敵の手から救いだし、不安なく、主に奉仕させてくださるのである、

F−4)塚本訳 ルカ 16:29                                                                                              16:29 しかしアブラハムは言う、『(その必要はない。)彼らにはモーセ(律法)と預言書と[聖書]がある。その教えに従えばよろしい。』           

F−5)塚本訳 ルカ 20:37-38                                                                                             20:37 死人が復活することは、(聖書にはっきり書いてある。)モーセも茨の薮の(燃える話の)ところで、主を『アブラハムの神、またイサクの神、またヤコブの神(である)と』と言ってこれを示している。                   20:38 ところで神は死人の神ではなく、生きている者の神である。神に対しては、すべての者が生きているのだから。(してみるとアブラハム、イサクなども皆復活して、今生きているわけではないか。)」

Gノア

G−1)塚本訳 ルカ 17:26-27 (神の国はいつ来るか)                                                                                  17:26 ちょうどノアの(洪水の)時にあったようなことが、人の子の(来る)日にも起るであろう。                                                                 17:27 ノアが箱船に入った』日まで、人々が飲んだり食ったり、嫁にやったり取ったりしていると、洪水が来て、一人のこらず滅ぼしてしまった。

H アダム

H−1)塚本訳 Tコリ15:45 (復活体の問題)                                                                                      15:45 (聖書にも)このように書いてある、「最初の『人』アダム『は魂だけの生きものになり』、最後のアダム[キリスト]は命を与える霊になった」と。

H−2)塚本訳 ロマ 8:19-20 (創造物と神の子たちと御霊との呻きが、最後の日の栄光を保証する)                                                                8:19 (そしてこの栄光は必ず与えられる。)その証拠(の第一)は、創造物が神の子たちの現われるのを、首を長くして待ちこがれていることである。                                            8:20 なぜであるか。創造物は自分から(今のような)はかない運命に屈伏したのでなく、それは屈伏させたお方([神]の御心)によるからである。(彼らはアダムの罪の責任を負わされたのである。)しかし(この屈伏には)望みがある。         

H−3)塚本訳 黙  21:3-4 (新天新地)                                                                                         21:3 そして私は玉座から大きな声が(出てこう)言うのを聞いた、「視よ、人と共に神の幕屋がある! 神が彼らと共に住み、彼らは神の民となり、神自ら彼らと共にいまして、                               21:4 彼らの目から悉(ことごと)く涙を拭い取り給うであろう。最早死もなく、悲嘆(かなしみ)も叫喚(さけび)も疼痛(いたみ)も最早無いであろう。初めの(天と地にあった)ものが(すっかり)消え去ったからである。」

H−4)塚本訳 コロ 3:2-4 (ただ天上のものを思え)                                                                                    3:2 (常にただ天)上のものを思え。地上のものに気を取られるな。                                                                                3:3 君達は(既にこの世に)死んで、その生命はキリストと共に神の右に隠されているのだから。                                                                      3:4 (しかし今でこそ隠されているが、)私達の生命であるキリストが顯れ給う時には、君達もまた彼と共に栄光の裡(うち)に顯れるであろう。

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