170506-2
ΙΧΘΥΣ イクスス(魚)
イエスス(イエス)、クリストス(キリスト)、セオス(神)、ヒュオス(子)、ソテル(救い主)
聖書で聖書を読む
ルカ福音書
ナザレの礼拝堂における説教(1) (ルカ4:16−21)
・・・主の恵みの時が来た・・・
2017年5月7日 東京聖書読者会 高橋照男
塚本訳 ルカ 4:16
4:16 それからお育ちになったナザレに行って、安息の日にいつものとおり礼拝堂に入り、(聖書を)朗読しようとして立たれた。
●イエスの生誕はベツレヘム、成育はナザレ、活動はカペナウム。歴史内の事。
16-1)塚本訳 ルカ 2:4-7
2:4 ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上った。彼はダビデ家の出、またその血統であったからである。
16-2)塚本訳 マタ 2:22-23
2:22 しかしアケラオが父ヘロデに代わってユダヤを治めていると聞き、恐ろしくなってユダヤへ行かずにいると、また夢でお告げを受けたので、(ユダヤをやめて)ガリラヤ地方に引っ込み、
2:23 ナザレという町に行って住んだ。「彼はナザレ人と言われる」と、預言者たちをもって言われた言葉が成就するためであった。
16-3)塚本訳 マタ 4:13
4:13 それから(間もなく)ナザレを去って、(昔)ゼブルン(族)とナフタリ(族)との(領地であった)地方にある、(ガリラヤ)湖畔の(町)カペナウムに行って住まれた。
16-4)塚本訳 マタ 9:1
9:1 それから舟に乗って(湖を)渡り、自分の町(カペナウム)に来られた。
●初代教会において、礼拝堂では聖書が朗読された。
16-5)塚本訳 Tテモ4:12-13
4:12 自分の年の若いことを誰にも軽蔑されるな。却って言において、振舞いにおいて、愛において、信仰において、純潔なことにおいて(凡ての)信者の模範となれ。
4:13 私が行くまで(集会で聖書を)朗読すること、勧めをすること、教えることに心を傾けよ。
16-6)塚本訳 黙
1:3
1:3 幸福なる哉、この預言の言を朗読する人、及び(それを)聞いて、その中に書かれてある(一切の)ことを守る人々!(この言の成就する)時が(はや既に)近いからである。
16-9)塚本訳 使 17:1-2
17:1 彼らはアムポリスとアポロニヤ(の町々)を通過してテサロニケに行った。そこにはユダヤ人の礼拝堂があった。
17:2 パウロはいつものとおり入っていって、三度の安息日に聖書に由って彼らに話をした。
塚本訳 ルカ 4:17
4:17 (係の者から)イザヤの預言書が手渡され、その巻物をお開けになると、こう書いた所が出てきた。──
●イエスの言葉には聖書が染み込んでいた。片山徹の「イエスの旧約聖書の引用」(塚本虎二先生信仰50年記念論文集「聖書とその周辺」)の内容を再集計、整理してみれば、イエスは旧約聖書全般を読んでいたことがわかる。
17-1)・マルコにある引用
A聖書の引用を明示されたイエスの言葉
イザヤ書2 申命記3 出エジプト記2 創世記2 詩編2 レビ記1 ゼカリヤ書1
B聖書の引用と見られるイエスの言葉
イザヤ書7 マラキ書1 創世記2 ヨブ記1 ダニエル書6 イザヤ書5 詩編7 エレミヤ書2 ゼカリヤ書2 レビ記2 ヨエル書2エゼキエル書2 ダニエル書3 サムエル記上1 歴代志下1 ミカ書1 申命記2
17-2)・マタイとルカだけに共通な引用(いわゆるQ資料に属するもの)
A聖書の引用を明示されたイエスの言葉
申命記3 マラキ書1
B聖書の引用と見られるイエスの言葉
イザヤ書6 詩編4 マラキ書1 ミカ書1 エレミヤ書1 創世記1
17-3)・マタイだけにある引用
A聖書の引用を明示されたイエスの言葉
出エジプト3 申命記5 レビ記3 ホセア書2 イザヤ書1 詩篇1
B聖書の引用と見られるイエスの言葉
イザヤ書3 詩編6 申命記2 レビ記2 エレミヤ書3 箴言1 列王記下1 ヨナ書1 ゼパニヤ書1 ダニエル書3(一か所は70人訳異本) ゼカリヤ書2
17-4)・ルカだけにある引用
A聖書の引用を明示されたイエスの言葉
イザヤ書1
B聖書の引用と見られるイエスの言葉
列王記上1 サムエル記上1 エゼキエル書1 詩編4 ホセア書1 レビ記2 創世記1 申命記1 ホセア書1 ゼカリヤ書1イザヤ書1
17-5)・ヨハネにある引用
A聖書の引用を明示されたイエスの言葉
イザヤ書1 詩編6 (ゼカリヤ書1 エゼキエル書1 ヨエル書1)
B聖書の引用と見られるイエスの言葉
士師記1 列王記下1 創世記1 詩編2 出エジプト記 ミカ書1
塚本訳 ルカ 4:18
4:18 “主の御霊がわたしの上にある、油を注いで(聖別して)くださったからである。主は貧しい人に福音を伝えるためにわたしを遣わされた。囚人に赦免を、盲人に視力の回復を告げ、”“押えつけられている者に自由をあたえ、”
●イエスの「自分が預言されていた神の子である意識(いわゆる尊厳意識)はこのイザヤの言葉を自らが発したことにある。
18-1)口語訳 イザ
61:1-2
61:1 主なる神の霊がわたしに臨んだ。これは主がわたしに油を注いで、貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね、わたしをつかわして心のいためる者をいやし、捕われ人に放免を告げ、縛られている者に解放を告げ、 61:2 主の恵みの年と/われわれの神の報復の日とを告げさせ、また、すべての悲しむ者を慰め、
18-2)塚本訳 使 10:38
10:38 すなわち、“神が”いかに聖“霊”と(大いなる)力と『をもって』ナザレのイエスに “油を注がれ(て聖別され)た”か、このイエスが(あちらこちらを)巡回しながら、恩愛を施し、悪魔におさえつけられている者を皆直されたかを。神がご一緒におられたからです。
●真の解放と自由は霊魂の解放と自由。それは神にのみできること
18-3)塚本訳 ルカ 13:16
13:16 この女はアブラハムの末であるのに、十八年ものあいだ、悪魔が縛っていたのだ。安息の日だからとて、その(悪魔の)縄目から解いてはならなかったのか。」
18-4)塚本訳 ヨハ 4:13-14
4:13 イエスは答えられた、「この(井戸の)水を飲む者はだれでもまた渇くが、
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」
18-5)塚本訳 ヨハ 8:31-32
8:31 すると信じたユダヤ人に言われた、「もしわたしの言葉に留まっておれば、あなた達は本当にわたしの弟子である。
8:32 真理を知り、その真理があなた達を自由にするであろう。」
18-6)塚本訳 ヨハ 14:6
14:6 イエスは言われる、「わたしが道である。また真理であり、命である。(手段であると同時に目的であるから。)わたしを通らずには、だれも父上の所に行くことはできない。
18-7)塚本訳 ヨハ 8:36
8:36 だから、もし子(たるわたし)が(罪から)自由にしてやれば、あなた達は本当に自由になるのである。(そしていつまでも父上のところにおることができる。)
塚本訳 ルカ 4:19
4:19 “主の恵みの年(の来たこと)を告げさせるために。”
●神の福音は人間の歴史の中に突入した。それは喜びの時。神のお心が世に示されれる罪の赦しの時。人間にとって霊魂の解放と自由の時。
19-1)塚本訳 マタ 4:16
4:16 暗闇に住まう(これらの地方の)民は大いなる光を見、死の陰の地に住まうこの人々に光がのぼった。
19-2)塚本訳 ヨハ 1:14
1:14 この言葉は肉体となって、(しばらく)わたし達の間に住んでおられた。(これが主イエス・キリストである。)わたし達はその栄光を見た。いかにも父上の独り子らしい栄光で、恩恵と真理とに満ちておられた。
19-3)塚本訳 ヨハ 12:35
12:35 するとイエスは(それには答えず、)彼らに言われた、「もうしばらくの間、光はあなた達のところにある。光のある間に(早く)歩いて、暗闇に追い付かれないようにせよ。暗闇を歩く者は、自分がどこへ行くのか知らない。
19-4)塚本訳 マタ 11:4-5
11:4 イエスは答えられた、「行って、(今ここで)聞いていること見ていることをヨハネに報告しなさい。
11:5 ──“盲人は見えるようになり、”足なえは歩きまわり、癩病人は清まり、聾(つんぼ)は聞き、死人は生きかえり、“貧しい人は福音を聞かされている”と。
11:6 わたしにつまずかぬ者は幸いである。」
19-5)塚本訳 Tヨハ1:1-3
1:1 (世の)始めから(すでに)おられたもの、(それは)わたし達が(この耳で)聞いたもの、自分の目で見たもの、直観しまた自分の手でさわったもの、(すなわち)命の言葉について、──
1:2 この命が自分を現わし、(それを)わたし達は見て、証明し、またこの永遠の命をあなた達に告げる。これは(始めには)父と共におられたが、(今)わたし達に自分を現わしたのである──
1:3 わたし達が見たもの、また聞いたものを、あなた達にも告げる。あなた達もわたし達と(霊の)交わりを持つためである。しかしわたし達のこの交わりは、(他方においては)父(なる神)とその子イエス・キリストとの交わりである。
19-9)塚本訳 ルカ
19:42
19:42 そして言われた、「(ああエルサレム、)お前ももし(「平安を見る」という自分の名のように、)きょうでも平安への道が見えたなら(まだ遅くはないのに!)しかし今それはお前の目に隠されている。
19-10)塚本訳 マタ 22:29
22:29 イエスは答えられた、「あなた達は聖書も神の力も知らないので、間違いをしている。
塚本訳 ルカ 4:20
4:20 イエスは(読み終ると、)聖書を巻き、係の者に返して坐られた。礼拝堂にいる者の目が皆彼にそそがれた。
●イエスの言葉には何か人を引き付けるものがあった。その原因は聖霊の力。
20-1)塚本訳 ルカ 4:14
4:14 イエスは御霊の力にあふれて、ガリラヤに帰られた。評判がその周囲全体に広まった。
20-2)塚本訳 マタ 13:54
13:54 郷里(ナザレ)に行ってその礼拝堂で教えられた。すると人々が驚いて言った、「この人はどこからこの知恵と、奇蹟とを覚えてきたのだろう。
20-3)塚本訳 ルカ 19:48
19:48 どう仕様もなかった。だれもかれも皆イエスの話に聞きとれていたからである。
20-4)塚本訳 マタ 7:28-29
7:28 イエスがこれらの話を終えられた時、一しょに聞いていた群衆はその教えに感心してしまった。
7:29 自分たちの聖書学者のようでなく、権威を持つ者のように教えられたからである。
塚本訳 ルカ 4:21
4:21 イエスは、「(今)あなた達が聞いたこの聖書の言葉は、今日(こんにち)(ここで)成就した」と言って話を始められた。
●イエスは聖書(旧約)の朗読のあとに、「自分の時が来た」と独自の話をされた。聖書はこれを朗読をする人に備わる霊の実在を通して伝わる。
21-1)塚本訳 使 13:15
13:15 律法と預言書との朗読がすんだ後、礼拝堂監督たちは二人に言わせた、「兄弟の方々、人々へ何か奨励の言葉をお持ちの方は、話してください。」
21-2)塚本訳 ルカ 16:16
16:16 (あなた達は聖書を誇るが、時代はもう変っている。)律法と預言書と([聖書]の時代)は(洗礼者)ヨハネ(の現われる時)までで、その時以来神の国の福音は伝えられ、だれもかれも暴力で攻め入っている。
21-3)塚本訳 ヨハ
5:39-40
5:39 あなた達は聖書(旧約)をもっていることが永遠の命を持っていることのように思って、それを研究している。ところがこの聖書は、(永遠の命である)このわたしのことを証明しているのに、
5:40 あなた達はその命を得るためわたしの所に来ようとしない。
21-4)塚本訳 マタ 18:20
18:20 二人、三人、わたしの名によって集まっている所には、わたしがいつもその真中にいるのだから。」
21-5)塚本訳 マタ 5:17-18
5:17 わたしが律法や預言書[聖書]を廃止するために来たと思ってはならない。廃止するどころか、成就するために来たのである。
5:18 アーメン、わたしは言う、天地が消え失せても、(そこに書かれている)すべてのことが実現するまでは、律法(と預言書)から、その一点一画といえども決して消え失せない。
21-6)塚本訳 Uコリ6:1
6:1 それで、(この和睦の福音のために)わたし達は(神と)御一緒に働いているのであるから、なおこのことを勧める、あなた達は神のこの恩恵を受け取って(実を結ばせ)、むだにしないようにせよ。
21-7)塚本訳 Uコリ6:2
6:2 『恵みの時にわたしはあなたの願いを聞きとどけ、救いの日にわたしはあなたを助けた。』と神は仰せられるではないか。見よ、今や“大いなる恵みの時”、見よ今や“救いの日”!
●神の子キリストの言葉と有体的復活を信じて、人は死の悲しみから救われる。
21-8)塚本訳 黙 5:4-5
5:4 私はさめざめと泣いた。(広いこの宇宙に、)その巻き物を開いて、それを見るに相応しい者が一人も無かったのである。
5:5 すると(かの)長老の一人が私に言う、「泣くな。視よ、ユダ族の獅子、ダビデの根(である者)が(既に)勝った(から)、彼がその巻き物と七つの封印とを開く(ことが出来る。)」