171027-1
ΙΧΘΥΣ イクスス(魚)
イエスス(イエス)、クリストス(キリスト)、セオス(神)、ヒュオス(子)、ソテル(救い主)
聖書で聖書を読む
私達の希望・・・天に保管されている朽ちぬ、穢れぬ、萎まぬ相続財産
@遺産として相続すべきものは信仰・・岩下壮一著「信仰の遺産」を読む
A客観的「教会」・・・岩下壮一が「信仰の遺産」で引用する聖書の箇所
Bでは、真の救いはどこにあるか・・・神御自身が霊の目を開ける人物に
C信仰はいかにして伝わるか・・・産みの苦しみによる
D権威は聖書にある・・・聖書に権威を認めることによる使徒伝承の堅持
E私達の希望・・・天に保管されている、朽ちぬ、穢れぬ、萎まぬ相続財産
2017年10月29日 東京聖書読者会 高橋照男
@遺産として相続すべきものは信仰・・岩下壮一著「信仰の遺産」を読む
日本におけるカトリシズムの中心人物、岩下壮一神父(1889- 1940年、ケーベル門下きっての俊才、帝大教授への道を投げ打って司祭になる)の岩下壮一全集第4巻「信仰の遺産」(中央出版社。岩波文庫)の本質は「遺産として相続すべきものは信仰である」ということである。そのポイントは「われらの救いのために人間となり給うた神」(ピリピ2:6)の哲学的説明と、「正統信仰は主観ではなく教会という客観であるべきだ」との二点である。無教会主義の我々はこの教会を「聖書」に読み替えるだけで、信仰の奥義は同じである。
A客観的「教会」・・・岩下壮一が「信仰の遺産」で引用する聖書の箇所
A−1)はしがき――言葉(ロゴス) 塚本訳 ヨハ 1:14
1:14
この言葉は肉体となって、(しばらく)わたし達の間に住んでおられた。(これが主イエス・キリストである。)わたし達はその栄光を見た。いかにも父上の独り子らしい栄光で、恩恵と真理とに満ちておられた。
A−2)塚本訳 ヨハ 1:18
1:18 神を見た者は、いまだかつて一人もない。ただ、いつも父上の胸に寄り添っておられる独り子(のキリスト)だけが、(わたし達に神を)示してくださったのである。
A−3)業によって信ぜよ 塚本訳 ヨハ 10:38
10:38 しかしもし、しているなら、わたし(の言葉)を信ぜずとも、その業(が父上の業であること)を信ぜよ。そうすれば(父上とわたしとが一つで、)父上がわたしの中に、わたしが父上の中におることを、知りまた知るであろう。」
A−4) イエスの讃美 塚本訳 ロマ 10:14-15 10:14 ところで、(呼ぶだけで救われると言うが、)信じたことのない者を、どうして呼ぶことができようか。聞いたことのない者を、どうして信ずることができようか。説く者がなくて、どうして聞くことができようか。
10:15 (神に)遣わされなければ、どうして説くことができようか。(しかし説く者はある。それはわたし達である。)『善いこと[福音]を伝える人たちの足の、なんと美しいことよ!』と書いてあるとおりである。
A−5) 十一弟子への最後の言葉 塚本訳
マタ 28:18-20
28:18 イエスは近寄ってきて十一人に言われた、「(いまや)天上地上一切の権能が、(父上から)わたしに授けられた。
28:19 それゆえに、行ってすべての国の人を(わたしの)弟子にせよ、父と子と聖霊の名で洗礼を授け、
28:20
わたしがあなた達に命じたことを皆守るように教えながら。安心せよ、世の終りまでいつもわたしがあなた達と一しょにいるのだから。」
Bでは、真の救いはどこにあるか・・・神御自身が霊の目を開ける人に
B−1) イエスの讃美 塚本訳マタ 11:27
11:27
──(知恵も力も、その他)一切のものが父上からわたしに任せられた。父上のほかに、子(であるわたし)を知る者は一人もなく、また、子と、子が(父上を)あらわしてやる者とのほかに、父上を知る者は一人もない。
B−2) ペテロの告白 塚本訳 マタ 16:16-18
16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主、生ける神の子であります!」
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。
B−3)金持ちと神の国 塚本訳
ルカ 18:26-27
18:26 聞いている人たちが言った、「それでは、だれが救われることが出来るのだろう。」
18:27 イエスは言われた、「人間に出来ないことが、神には出来る。」
B−4)税金取りレビ 塚本訳
ルカ 5:31-32
5:31 イエスはその人たちに答えられた、「健康な者に医者はいらない、医者のいるのは病人である。
5:32 わたしは正しい人を招きに来たのではない、罪人を招いて悔改めさせるために来たのである。」
B−5)エマオで現れる 塚本訳 ルカ 24:31
24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。
B−6) 弟子達への最後の言葉 塚本訳ルカ 24:45-47
24:45
それから聖書をわからせるために彼らの心を開いて
24:46
言われた、「救世主は苦しみをうけて、三日目に死人の中から復活する。24:47 また罪を赦されるための悔改め(の福音)が、その名においてすべての国の人に説かれる、エルサレムから始まって、と(聖書に)こう書いてある。
B−7)ザアカイが信ずる 塚本訳
ルカ 19:5-6
19:5 イエスはその場所に来られると、ザアカイを見上げて言われた、「ザアカイ、急いで下りておいで。きょうはあなたの家に泊まることになっているから。」19:6 ザアカイは急いで下りてきて、喜んでお迎えした。
19:7 皆がこれを見て、イエスは(税金取りのような)罪人の所に入りこんで宿を取った、と言ってぶつぶつ呟いた。
B−8) エリコの盲人 塚本訳 マコ 10:48-49
10:48 多くの人が叱りつけて黙らせようとしたが、かえってますます「ダビデのお子様、どうぞお慈悲を」と叫びつづけた。
10:49 イエスは立ち止まって、「あれを呼べ」と言われた。人々が盲人を呼んで言う、「安心せよ。起きよ。お呼びだ。」
B−9) ナザレの礼拝堂における説教 塚本訳 ルカ 4:18-19
4:18 『主の御霊がわたしの上にある、油を注いで(聖別して)くださったからである。主は貧しい人に福音を伝えるためにわたしを遣わされた。囚人に赦免を、盲人に視力の回復を告げ、』『押えつけられている者に自由をあたえ、』
4:19 『主の恵みの年(の来たこと)を告げさせるために。』
B−10) いなくなった羊の譬 塚本訳 ルカ 15:4
15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか。
B−11)ニコデモとの対話――新生の秘密 塚本訳 ヨハ 3:8
3:8 風〔プニューマ〕は心のままに吹く。その音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊〔プニューマ〕によって生れる者も皆、そのとおりである。」
B−12) 福音が欧州に入る 塚本訳 使 16:14
16:14 するとテアテラ町の紫毛織物の商人で、敬信家のルデヤという婦人が聞いていたが、主はその心を開いてパウロの話に耳を傾けさせられた。
C信仰はいかにして伝わるか・・・産みの苦しみによる
C−1)異教人がイエスに面会を求める 塚本訳 ヨハ 12:24
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)
C−2) 十字架を負え 塚本訳 ルカ 9:23
9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。
C‐3)祈りについて――主の祈り 塚本訳 マタ 6:12
6:12 罪を赦してください、わたしたちも罪を犯した人を赦しましたから。
C−4) オネシモに関する願 塚本訳 ピレ 1:9-10
1:9 (むしろ)あなたのこの愛によって、たってお願いする。──こんな、(もはや)老人で、かつまた今はキリスト・イエスの囚人であるパウロが、
1:10 あなたにお願いするのは、わたしが縄目のあいだに(福音によって)生んだわたしの子オネシモのことである。
C−5) パウロの職務 塚本訳 コロ 1:24
1:24 今私は君達のために苦しむことを喜びとし、またキリスト・イエスの体なる教会のために私の体でキリストの患難の不足を補っている。
C−6) 凱旋に対する感謝 塚本訳 Uコリ2:14-16
2:14 しかし神に感謝せねばならない。神はいつでもわたし達をキリストによる凱旋行列に(虜として)引き回し、至る所でわたし達を通して御自分を知らせる知識の薫りをお広めになる。
2:15 というのは、わたし達は救われる者の間でも、滅びゆく者の間でも、神にささげられるためのキリストのよい薫である。
2:16 ある者には、死から死へみちびく薫であるが、ある者には、命から命へみちびく薫りである。(ああ、)一体だれにこんなことが勤まろう。
C−7) ありし日の喜びを思え 塚本訳 ガラ 4:19
4:19 わたしの子供たちよ、あなた達の中にキリストが形づくられるまで、わたしはもう一度産みの苦しみをしている。
D権威は聖書にある・・・聖書に権威を認めることによる使徒伝承の堅持
D−1)伝道開始 ナザレの礼拝堂におおける説教 塚本訳 ルカ 4:16-17
4:16 それからお育ちになったナザレに行って、安息の日にいつものとおり礼拝堂に入り、(聖書を)朗読しようとして立たれた。
4:17 (係の者から)イザヤの預言書が手渡され、その巻物をお開けになると、こう書いた所が出てきた。──
D‐2) 宮清め 塚本訳 ヨハ 2:21-22
2:21 しかしイエスは自分の体のことを宮と言われたのであった。
2:22 だから死人の中から復活された時、弟子たちはこう言われたことを思い出して、聖書とイエスの言われた言葉と(が本当であること)を信じた。
D−3) 復活問答 塚本訳 ルカ 20:35-38
20:35 あの世にはいる資格を与えられて、死人の中から復活する者は、めとることもなく嫁ぐこともない。
20:36 復活によって生まれる彼らは、天使と同じであり、神の子であるので、もはや死ぬことが出来ない、(従って子を産む必要がない)からである。
20:37 死人が復活することは、(聖書にはっきり書いてある。)モーセも茨の薮の(燃える話の)ところで、主を『アブラハムの神、またイサクの神、またヤコブの神(である)と』と言ってこれを示している。
D‐4) 空になった墓 塚本訳 ヨハ 20:8-9
20:8 すると先に墓に着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた。
20:9 イエスは死人の中から復活されねばならないという聖書の言葉が、(この時まで)まだ彼らにわかっていなかったのである。
D−5)エマオで現れる 塚本訳
ルカ 24:32
24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。
D―6) キリストの復活は福音の根拠 塚本訳 Tコリ15:3-5
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。
D−7) 信徒の模範になれ 塚本訳
Tテモ4:13
4:13 私が行くまで(集会で聖書を)朗読すること、勧めをすること、教えることに心を傾けよ。
D‐8)今生まれた赤ん坊、活きた石、霊の家また祭司 塚本訳 Tペテ2:5-6
2:5 そして君達自身も(主と同じく)活きた石として建てられて、霊の家となれ。これは君達が聖い祭司として、イエス・キリストによって神の御意に適う霊の供物を献げるためである。
2:6 というのは“見よ、”われ“シオンに選びの石、尊き隅石を”置く“これを信ずる者は決して恥をかかされない。”と聖書にある。
D−9)塚本訳
ピリ 2:15
2:15 これは君達が非難すべき所でなく、純真であって、『曲ったねじくれた(この)時代』の真中にあって『瑕なき神の子』とならんためである。(まことに)君達はこの時代にあって、生命の言を堅く守りながら、この(暗い)世に星のように輝いているのである。
E私達の希望・・・天に保管されている朽ちぬ、穢れぬ、萎まぬ相続財産
E−1)すてる者の幸福 塚本訳
マコ 10:29-30
10:29 イエスは言われた、「アーメン、あなた達に言う、わたしのため、また福音のために、家や兄弟や姉妹や母や父や子や畑をすてた者で、
10:30 今、この世で──迫害のうちにおいてではあるが──百倍の家と兄弟と姉妹と母と子と畑とを、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。
E−2) 七十二人帰る 塚本訳
ルカ 10:20
10:20 しかし(悪い)霊どもがあなた達に服従したことを喜ばず、自分の名が天(の命の書)に書き込まれていることを喜ばなくてはいけない。」
E−3) 宝を地上に積むな 塚本訳
マタ 6:19-20
6:19 (このように、何事も天の父上相手でなければならない。たとえば)あなたたちは衣魚や虫が食い、また泥坊が忍び込んで盗むこの地上に宝を積まず、
6:20 衣魚も虫も食わない、また泥坊が忍び込むことも盗むこともない天に、宝を積んでおきなさい。(そうでないと、心が天に向かないであろう。)
E−4) 教会の和合――キリストの讃美歌 塚本訳 ピリ 2:5-11
2:5 キリスト・イエスに在る思いで互いを思え。
2:6 彼は(先には)神の姿であり給うたが、神と等しくあることを棄て難いことと思わず、
2:7 かえって自分を空しうして人と同じ形になり、奴隷の姿を取り給うたのである。そして人の様で現れた彼は、
2:8 自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた。
E−5) ただ天上のものを考えよ 塚本訳
コロ 3:3-4
3:3 君達は(既にこの世に)死んで、その生命はキリストと共に神の右に隠されているのだから。
3:4 (しかし今でこそ隠されているが、)私達の生命であるキリストが顯れ給う時には、君達もまた彼と共に栄光の裡に顯れるであろう。
E‐6) クリスチャンの光栄と希望 塚本訳 Tペテ1:3-8
1:3 讃美すべきかな、我らの主イエス・キリストの父なる神!彼は大なる憐憫により、イエス・キリストが死人の中から復活し給うたことをもって、私たちを活ける希望に新しく生み、
1:4
君達のために天に保管されている、朽ちぬ、穢れぬ、萎まぬ相続財産に与らせ給うたのである。
1:5 (そして)君達は最後の時に顕れる準備の(既に)出来ている救いに入るために、信仰によって神の力に護(まも)られる。
1:6 (もちろん)その時には(大いに)喜ぶ(であろう)が、もし(御意により)必要ならば、今は少し様々な試練に(悩み)悲しまねばならない。
1:7 これは君達の信仰が、火によって本物であると証明された(この世の)はかない金よりも尊い本物であることが判り、イエス・キリストの顕現の時に(君達の)面目また光栄また栄誉とならんためである。
1:8 君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦を喜んでいる。