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小寺利男さんを偲ぶ

201991日 すずめの会)

 


小寺利男遺影 享年90歳

小寺利男 告別式

2019年8月7日 サンライフ八王子総合ホール

司式 東京聖書読者会 高橋照男

 

 

 

式辞 東京聖書読者会 高橋照男

死者の霊は神の懐に眠り

最後の日に霊の体で復活する

(最後のお見舞いの時に語り合ったこと)

?死者の霊は神の懐に眠る

?−1)塚本訳 ヨハ 11:25

11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。


?−2)塚本訳 マタ 22:32

22:32 “わたしはアブラハムの神、またイサクの神、またヤコブの神である”と。(ところで)神は死人の神ではなく、生きている者の神である。(だからアブラハム、イサクなども復活して、今生きているわけではないか。

 

?−3)塚本訳 ルカ 8:52-55

8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ

8:53 人々は死んだことを知っているので、あざ笑っていた。

8:54 しかしイエスは女の子の手を取り、声をあげて「子よ、起きなさい!」と呼ばれると、

8:55 霊がもどって、即座に女の子は立ち上がった。イエスは(何か)食べさせるように言いつけられた。

 

?−5)塚本訳 コロ 3:3-4

3:3 君達は(既にこの世に)死んで、その生命(いのち)はキリストと共に神の右に隠されているのだから。

3:4 (しかし今でこそ隠されているが、)私達の生命(いのち)であるキリストが顯(あらわ)れ給う時には、君達もまた彼と共に栄光の裡(うち)に顯れるであろう。

?最後の日に霊の体で復活する
?−1)塚本訳 マコ 4:26-29

4:26 また言われた、「神の国はこんなものだ。──ある人が地に種を蒔き、

4:27 夜昼、寝起きしていると、種は芽生えて育ってゆくが、本人はその訳を(すら)知らない。

4:28 (すなわち)地はひとりでに実を結ぶので、初めに茎、次に穂、次に穂の中に熟しきった粒ができる。

4:29 実が熟すると、すぐに『鎌を入れる。刈入れ時が来たのである。』」


?−2)文語訳 ヨハ 12:24

1224誠にまことに汝らに告ぐ、一粒の麥、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし。

?−3)塚本訳 ?コリ15:42-44

15:42 死人の復活もこのようである。(一つの体が死んで別の体が生まれる。)死滅の姿でまかれて不滅の姿に復活する

15:43 恥辱の姿でまかれて栄光の姿に復活する。弱さの姿でまかれて力の姿に復活する

15:44 (神の霊を持たない)魂だけの体がまかれて霊の体が復活する。魂だけの体がある以上は霊の体もあるわけである。


?−4)塚本訳 ?コリ15:3-5

15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと

15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、

15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。

?−5)塚本訳 黙  14:13
14:13
また私は天から声が(こう)言うのを聞いた、「書け、
『今から後主にあって死ぬる死人は幸福である。』」御霊も言い給う、「然り、彼らはその労苦(はたらき)を休息(やす)む(ことが出来る)であろう。その(為(な)した)業が彼らに随(つ)いて行くのであるから!」と。

「泣いちゃダメ!!」・・・クリスチャンの母の栄光現る

2019年8月9日ブログ・・・高橋照男

190809(金) ●キリスト者の皆様お早うございます。一昨日の告別式の出来事。故人略歴を次男が語り始めると途中で声が詰まって進まなくなった。すると最前列にいた母親が、「泣いちゃダメ!!」と声を掛けた。これは魂を震撼させる言葉である。ここにクリスチャンの母の栄光、キリスト教の栄光、福音の栄光が現れたと思う。死は新しい世界への門出である。凱旋なのだ、クリスチャンは葬式の時に、泣いてはいけない。●そこで今朝は「泣くな」という言葉を黙想してみよう。


塚本訳 ルカ 7:11-15
7:11
そのあとで、ナインという町に行かれた。弟子たちおよび多くの群衆も一しょに行った。
7:12
町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた。
7:13
主は母を見て不憫に思い、「
そんなに泣くでない」と言って、
7:14
近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。
7:15
すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは『彼を母に渡された。』

塚本訳 ルカ 8:52-56
8:52
(集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「
泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」
8:53
人々は死んだことを知っているので、あざ笑っていた。
8:54
しかしイエスは女の子の手を取り、声をあげて「子よ、起きなさい!」と呼ばれると、
8:55
霊がもどって、即座に女の子は立ち上がった。イエスは(何か)食べさせるように言いつけられた。
8:56
両親が呆気にとられていると、イエスはこの出来事をだれにも言うなと命じられた。

塚本訳 ヨハ 11:33-40
11:33
イエスはマリヤが泣き、一しょに来たユダヤ人たちも
泣くのを見ると、(その不信仰を)心に憤り、かつ興奮して、
11:34
(マルタとマリヤに)言われた、「どこにラザロを納めたか。」二人が言う、「主よ、来て、御覧ください。」
11:35
イエスが涙を流された。
11:36
するとユダヤ人たちが言った、「まあ、なんとラザロを可愛がっておられることだろう!」
11:37
しかし中には、「盲人の目をあけたこの人にも、このラザロが死なないように出来なかったのか」と言う者もあった。
11:38
そこでイエスはまたも心に憤りながら、(ラザロの)墓に来られる。墓は洞穴で、入口に石を置いて(ふさいで)あった。
11:39
「石をのけなさい」とイエスが言われる。死んだ人の姉妹のマルタが言う、「主よ、もう臭くなっています。四日目ですから。」
11:40
イエスがマルタに言われる、「
信ずれば神の栄光が見られると、(さきほども)あなたに言ったではないか。

塚本訳 ヨハ 11:21-26
11:21
マルタがイエスに言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。
11:22
しかしあなたがお願いになることなら、神様は何でもかなえてくださることを、わたしは今でも知っています。」
11:23
イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」
11:24
マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」
11:25
イエスがマルタに言われた、「
わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26
また、だれでも生きて私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。


塚本訳 ルカ 23:27-31
23:27
民衆と、イエスのために
悲しみ嘆く女たちとの大勢の群が、あとにつづいた。
23:28
イエスは女たちの方に振り向いて言われた、「
エルサレムの娘さんたち、わたしのためには泣いてくれなくともよろしい。それよりは自分のため、自分の子供のために泣きなさい
23:29
いまに人々が、『石女と、(子を)産んだことのない胎と、飲ませたことのない乳房とが羨ましい』と言う(恐ろしい)日が来るのだから。
23:30
その時人々は『山にむかっては、『われわれの上に倒れかかって(殺して)くれ』、丘にむかっては、『われわれを埋めてくれ』と言い』続けるであろう。
23:31
(罪のない)生木(のわたし)でさえ、こんな目にあわされるのだ。まして(罪にくされた)枯木は、どうなることであろうか!」

塚本訳 使  14:21-22
14:21
二人は(しばらく)その町で福音を説き、だいぶ大勢弟子にしたので、(来た道をもどり、)ルステラ、イコニオムを経て(ピシデヤの)アンテオケに引き返した。
14:22
(道々主の)弟子たちの心を力づけ、いつまでも信仰に留まっているように、「
神の国に入るには、わたし達は多くの苦難を通らねばならない」といましめた。

塚本訳 使  20:36-38
20:36
こう言ったあと、ひざまずいて、皆と一緒に祈りはじめた。
20:37
すると
皆が大声で泣き出し、パウロの首に抱きついて接吻してやまなかった。
20:38
もう二度と顔を見ることはあるまいと言ったパウロの言葉が、わけても悲しかったのである。一同は彼を船まで見送った。

塚本訳 黙  5:4-5
5:4
私はさめざめと泣いた。(広いこの宇宙に、)その巻き物を開いて、それを見るに相応しい者が一人も無かったのである。
5:5
すると(かの)長老の一人が私に言う、「
泣くな。視よ、ユダ族の獅子、ダビデの根(である者)が(既に)勝った(から)、彼がその巻き物と七つの封印とを開く(ことが出来る。)」

 

塚本門下の先輩たちに学ぶ・・・小寺利男さん

   20199月15日「塚本虎二先生を語り合う会」

 

米国の教会は戦争中に日本の教会のために献金していたことに愕然。

2019年7月に昇天された小寺利男さん(小西六写真工業勤務)は、戦後になって米国の教会は日本の教会のために献金していたことを聞かされ、愕然とした。そして「日本は軍事力が足りないので負けたのではなく、精神面で負けたのだ」と悟り、キリスト教に導かれた。

 

塚本訳 マタ 5:43-44

5:43 あなた達は(昔の人がモーセから、)“隣の人を愛し、”敵を憎まねばならない、と命じられたことを聞いたであろう。

5:44 しかしわたしはあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ。


塚本訳 ルカ 9:23

9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

会葬御礼・・・小寺七重 

「心から感謝しています」

細かいところまでよく気がつく

心の優しい温和な夫でした

長い間一生懸命働き 家庭を守りつつ

キリスト教の信仰にも

熱心に取り組んでまいりました

夫の信仰に大きな影響をあたえたのは

無教会キリスト教の伝道者であり

新約聖書研究家でもあった

亡き塚本虎二先生との出会いでした

つねに聖書の勉強に励み

毎週日曜日には集会に出席し

信仰を深めてきた夫

皆様から信頼され 頼りにしていただいたのも

有り難いことでした

家庭ではとても子煩悩な父親で

親戚への心遣いも忘れない夫だったと

感謝の気持ちが込み上げてきます

結婚して六十年近く 夫と歩んだ歳月は

私にとっても幸せでした

20197月30日夫小寺利男は

地上での歩みを終え満90歳をもって

神の御許へ召されました

生前多くのご厚情を賜りました皆様へ

深く感謝を申し上げます

今後とも今までと変わりないご厚情を

賜りますよう 宜しくお願い申し上げます

本日はご参列いただき

誠にありがとうございました

略儀ながら書状にてお礼申し上げます

 

20198月7日

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