200202-1

                 

さかなまーく ΙΧΘΥΣ イクスス()    

イエスス(イエス)クリス(キリスト)、セオス()、ヒュオス()、ソテル(救い主)

イエス、ヨハネをほめる(ルカ7:24−35)

新しく主の霊に生きる者は、人間ヨハネよりも大きい

2020年2月2日 東京聖書読者会 高橋照男

塚本訳 ルカ 7:24-35

7:24 ヨハネの使が立ち去ると、群衆にヨハネのことを話し出された。──「(さきごろ)あなた達は何を眺めようとして、荒野(のヨハネの所)に出かけたのか。風にそよぐ葦だったのか。(まさかそうではあるまい。)

7:25 それでは、何を見ようとして出かけたのか。柔らかい着物を着ている人か。見よ、りっぱな着物をきて贅沢をしている人ならば、宮殿にいる。

7:26 それでは、何を見ようとして出かけたのか。預言者か。そうだ、わたしは言う、(預言者だ。)@預言者以上の者を見たの)だ。

7:27 “(神は言われる、)『見よ、わたしは使をやって、あなたの先駆けをさせ、”あなたの“前に道を準備させる』”と(聖書に)書いてあるのは、Aこの人のことである

7:28 わたしは言う、女の産んだ者の中には、ヨハネより大きい者は一人もない。しかしB神の国で一番小さい者でも、彼より大きい。

7:29 (ヨハネの説教を)聞いた民衆は皆、税金取りまで、ヨハネの洗礼を受け(ることによっ)て神の正しいことを認めた。

7:30 しかしパリサイ人と律法学者とは、彼から洗礼を受けることをせず、彼らをも救おうとされた(せっかくの)神の御心をないがしろにした。

7:31 だから、(気ままな)この時代の人々を何にたとえようか。彼らは何に似ているだろうか。

7:32 子供達が市場に坐って(嫁入りごっこや弔いごっこをしながら)、こう言って互に(相手の組と)呼びかわすのに似ている。──笛を吹いたのに、踊ってくれない。弔いの歌をうたったのに、泣いてくれない。

7:33 なぜならあなた達は、洗礼者ヨハネが来てパンを食べず酒を飲まないと、『悪鬼につかれている』と言い、

7:34 人の子(わたし)が来て飲み食いすると、『そら、大飯食いだ、飲兵衛だ、税金取りと罪人の仲間だ』と言うのだから。

7:35 しかしC(神の)知恵の正しいことは、(税金取り、罪人など、)その子供たちがみんなで証明した

 

 

@預言者以上の者・・・イエスを神の子と指差した

 

@−1)塚本訳 ヨハ 1:29(洗礼者ヨハネの証し)

1:29 あくる日、ヨハネはイエスが自分の方に来られるのを見て言う、「そら、あれが世の罪を取り除く神の小羊だ。

@−2)塚本訳 ルカ 3:16(ヨハネの先駆け)

3:16 ヨハネがみんなに言った、「わたしは水で洗礼を授けているが、わたしよりも力のある方が(あとから)来られる。わたしはその方の靴の紐をとく値打もない者である。その方は聖霊と(裁きの)火とで洗礼をお授けになる

@−3)塚本訳 ルカ 1:76(ザカリヤの讃美の歌)

1:76 お前、幼児よ、お前はいと高きお方の預言者と呼ばれる。“主の”先駆けして“その道を用意し、”

@−4)塚本訳 ヨハ 3:29-30(花婿イエスと花婿の友達ヨハネ)

3:29 花嫁を持つものは花婿である。花婿の友達は花婿のそばに立っていて耳を傾け、花婿の(喜ぶ)声を聞いて喜びにあふれるのである。(花婿の友達である)わたしのこの喜びは、いま絶頂に達した。3:30 あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。(それが神の御心である。)

@−5)塚本訳 ヨハ 3:32-33(花婿イエスと花婿の友達ヨハネ)
3:32 天で見聞きしたことを証しされる。(だから遣わされた者のだれ一人、こう言うわたし自身も、あの方に及ばない。)ところがだれもその証しを受けいれない。

3:33 (しかし)その証しを受けいれる者は、(受けいれることによって、)神が真実であることを承認したのである。



Aこの人のことである。・・・ヨハネは、キリストの先駆け


A−1)口語訳 出  23:20

23:20 見よ、わたしは使をあなたの前につかわし、あなたを道で守らせ、わたしが備えた所に導かせるであろう。

A−2)口語訳 マラ 3:1

3:1 「見よ、わたしはわが使者をつかわす。彼はわたしの前に道を備える。またあなたがたが求める所の主は、たちまちその宮に来る。見よ、あなたがたの喜ぶ契約の使者が来ると、万軍の主が言われる。



B神の国で一番小さい者でも彼より大きい。・・霊で誕生する神の子


B−1)塚本訳 ルカ 10:23-24(イエスの讃美)
10:23 それから特に弟子の方へ振り向いて言われた、「あなた達が(いま)見ているものを見る目は幸いである
10:24 わたしは言う、多くの預言者と王とは、あなた達が(いま)見ているものを見たいと思ったが見られず、あなた達が(いま)聞いているものを聞きたいと思ったが、聞かれなかったのである。」

 

B−2)塚本訳 ルカ 16:15-16

16:15 そこで彼らに言われた、「あなた達は人の前では信心深そうな顔をしているが、神はあなた達の心を見抜いておられる。人の中で尊ばれるものは、神の前では嫌われるものである。

16:16 (あなた達は聖書を誇るが、時代はもう変っている。)律法と預言書と([聖書]の時代)は(洗礼者)ヨハネ(の現われる時)までで、その時以来神の国の福音は伝えられ、だれもかれも暴力で攻め入っている。



B−3)塚本訳 マタ 16:15-18(ペテロの告白)
16:15 彼らに言われる、「では、あなた達はわたしのことをなんと言うのか。」

16:16 シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主(キリスト)、生ける神の子であります!
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。         16:18 それでわたしもあなたに言おう。──あなたはペテロ[岩]、わたしはこの岩の上に、わたしの集会(エクレシヤ)を建てる。黄泉の門[死の力]もこれに勝つことはできない。            16:19 わたしはあなたに天の国の鍵をあずける。(だから)あなたが地上で結ぶことは(そのまま)天でも結ばれ、地上で解くことは(そのまま)天でも解かれるであろう。」

B−4)塚本訳 マタ 26:11-13(陰謀と香油と反逆)

26:11 貧乏な人はいつもあなた達と一しょにいるが、わたしはいつも(一しょに)いるわけではない。

26:12 この婦人がわたしの体に香油をかけてくれたのは、わたしを葬るためである。

26:13 アーメン、わたしは言う、世界中どこでも(今後)この福音の説かれる所では、この婦人のしたことも、その記念のために一しょに語りつたえられるであろう。」

B−5)塚本訳 ヨハ 20:20-23(弟子たちに現われる)

20:20 そしてそう言いながら、手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。

20:21 すると主はかさねて言われた、「平安あれ。父上がわたしを遣わされたように、わたしも(全権を授けて)あなた達を遣わす。

20:22 こう言いながら彼らに息を吹きかけて、言われる、「聖霊を受けよ。

20:23 人の罪は、あなた達が赦してやれば赦されて消え、赦してやらねば赦されずに残る。

B−6)塚本訳 マタ 21:23-27(権威問題)

21:23 宮に来て教えておられると、大祭司連と国の長老たちが寄ってきて、言った、「なんの権威で(きのうのような)あんなことを(宮で)するのか。だれがあの権威を授けたのか。」

21:24 イエスは答えて言われた、「ではわたしも一つ尋ねる。それにこたえられたら、わたしも何の権威でそれをするかを言おう


B−7)塚本訳 ヨハ 4:35-38(サマリヤ人が信ずる)

4:35 あなた達のあいだでは『刈入れの時の来るにはまだ四月』と言うではないか。しかしわたしは言う、目をあげて畑を見てごらん。(麦畑の間を押し寄せてくるあのスカルの人たちを!)畑は黄ばんで刈入れを待っている。

4:36 すでに、刈る人は報酬を受けている。すなわち永遠の命にいたる実を集めている。まく人も刈る人も、同時に喜ぶためである。

4:37 『まく人、刈る人、別の人』という諺は、そのままここに当てはまるからである。

4:38 (すなわち)わたしはあなた達をやって、あなた達が自分で苦労しなかったものを刈り取らせる。ほかの人々が苦労し、あなた達はその苦労(の実)を取り入れるのである。(あなた達はわたしがまいたものを、ただ取り入れるだけでよいのだ。)


B−8)塚本訳 マコ 4:14

4:14 種まく人は(神の)御言葉をまく。


B−9)塚本訳 ルカ 8:11

8:11 譬(の意味)はこうである。──種は神の御言葉である。


B−10)塚本訳 ヨハ 3:5-8(ニコデモとの対話――新生の秘密)
3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。  3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。                   3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。             3:8 風[プニューマ]は心のままに吹く。その音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊[プニューマ]によって生れる者も皆、そのとおりである。

B−11)塚本訳 マタ 5:14-15(地の塩・世の光)                    5:14 あなた達は世の光である。山の上にある町は隠れていることは出来ない                           5:15 また、(せっかく)明りをともして枡をかぶせる者はない。かならず燭台の上に置く。すると、家の中におる人を皆照らすのである


B−12)塚本訳ヨハ6:63(弟子たちがイエスを去る・ペテロの告白)

6:63 霊が命を与える。肉はなんの役にも立たない。いまわたしがあなた達に話した言葉は、霊である。だから、命である。

B−13)塚本訳 ヨハ 7:14-17(安息日と割礼)

7:14 祭がすでに半ばになったとき、(すなわち祭の四日目に、)イエスが宮に上って教えておられると、

7:15 ユダヤ人は驚いて言った、「この人は学校に行ったこともないのに、どうして聖書を知っているのだろうか。」

7:16 イエスは答えて言われた、「わたしの教えはわたしの教えではない。わたしを遣わされた方の教えである。

7:17 その方の御心を行おうと決心する者には、わたしの教えが神から出たものか、それともわたしが自分で勝手に話しているかがわかるであろう。


B−14)塚本訳 マタ 17:24-27(宮の奉納金の取立て)
17:25
ペテロが「もちろん、納められる」と言う。そして(イエスの)家に行くと、イエスの方から言い出された、「シモン、どう思うか、この世の王たちは官税や税をだれから取るだろうか。自分の子供たちだろうか、それとも余所の人からだろうか。」
17:26
「余所の人から」と答える。イエスは言われた、「それでは(神の)子供たちには(納める)義務はない。
17:27
しかし人々をつまずかせないため、湖に出かけていって釣針を垂れよ。最初に釣れた魚を取って口をあけるとスタテル銀貨(二千円)が一つあるから、それを取って、わたしとあなたの分として取立て人に渡しなさい。」

B−15塚本訳 マタ 22:20-22(納税問答)
22:20
言われる、「これはだれの肖像か、まただれの銘か。」
22:21
「皇帝のです」と彼らが言う。すると言われる、「では皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返せ。
22:22
彼らは聞いて驚き、イエスをそのままにして立ち去った。


C(神の)知恵の正しいことは、(税金取り、罪人など、)その子供たちがみんなで証明した・・・福音は弱小者達によって証明される


C−1)塚本訳 マタ 26:12-13(陰謀と香油と反逆)
26:12 この婦人がわたしの体に香油をかけてくれたのは、わたしを葬るためである                       26:13 アーメン、わたしは言う、世界中どこでも(今後)この福音の説かれる所では、この婦人のしたことも、その記念のために一しょに語りつたえられるであろう。」

C−2)塚本訳 ヨハ 9:24-25(パリサイ人が盲人を審問する)                     9:24 そこでユダヤ人は、盲であった男をもう一度呼んで言った、「本当のことを言うように!あの人が罪人であることは、われわれにはよくわかっている(のだから。)」                  9:25 彼が答えた、「罪人かどうか知りません。ただ、(もと)盲であったわたしが、いまは見えるという、この一つのことだけ知っています。」

C−3)塚本訳 マタ 21:15-16(宮清め)
21:15 すると大祭司連や聖書学者たちは、イエスがされた不思議な業と、宮(の庭)で子供たちが、「ダビデの子に『ホサナ!』」と言って叫んでいるのを見て憤り、
21:16 イエスに言った、「あの子供たちがなんと言っているのか、聞えているのか。」イエスは言われた、「聞えている。あなた達は“(神よ、)あなたは幼児(おさなご)と乳飲み子との口によって、(御自分のために)賛美をお備えになった”と(詩篇に)あるのを、まだ読んだことがないのか。(大人が黙っているから、子供が叫ぶのだ。)

C−4)塚本訳 マタ 9:11(税金取りマタイ)

9:11 パリサイ人はこれを見て、弟子たちに言った、「なぜあなた達の先生は、税金取りや罪人と一しょに食事をするのか。」

C−5)塚本訳 ルカ 15:1-2(いなくなった羊の譬)
15:1 さて、イエスの話を聞こうとして、(いつものとおり)税金取りや罪人が皆近寄ってきた。
15:2 パリサイ人と聖書学者たちがぶつぶつ呟いて言った、「この人は罪人を歓迎するし、また(招かれていって)食事までも一しょにする。」

C−6)塚本訳 ヨハ 5:32-36(子に関する証明のいろいろ)                    5:32 わたしのことを証明してくださるお方はほかにあるのである。そしてわたしは、わたしのことを証明されるその(方の)証明が、信用すべきであることを知っている。                      5:33 しかし(それは、あなた達が考えるように洗礼者ヨハネではない。)あなた達はヨハネに使をやり、彼は(わたしが)真理(であること)について証明したが、                     5:34 わたしは人間(ヨハネ)から証明してもらう必要はない。わたしがヨハネのことを言うのは、ただあなた達が(彼の証明によりわたしを信じて)救われるためである。                  5:35 ヨハネは(光ではないが、まことの光に導く)燃えて輝く明りであった。しかしあなた達は(彼の言葉に従おうとせずに、)しばし彼の光にうち興じただけであった。               5:36 わたしには、ヨハネの証明よりも有力な証明がある。父上がわたしに成しとげさせようとして賜った仕事、すなわちわたしがしている仕事そのものが、わたしが父上に遣わされたことを証明してくれるからである。

C−7)塚本訳 ヨハ 8:15-18(イエスの証明は信用すべきである)8:15 あなた達は人間的に(目に見えるもので)裁くが、わたしはだれも裁かない。

8:16 しかしたとえ裁いても、わたしの裁きは真実である。わたしはひとりではなく、わたしと、わたしを遣わされた方と(二人)であるから。

8:17 あなた達の律法にも、『二人の証言は信用すべきである』と書いてあるではないか。

8:18 わたしがわたし自身の証明者である。その上、わたしを遣わされた父上がわたしのことを証明してくださる。」

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