200406-1

                

さかなまーく ΙΧΘΥΣ イクスス()    

イエスス(イエス)クリス(キリスト)、セオス()、ヒュオス()、ソテル(救い主)

聖書で聖書を読む 

 心配するな

・・・信仰は頭でなく心・・・

2020年 4月 19日 東京聖書読者会 高橋照男

●キリスト者の皆様お早うございます。過日、某さんから新型コロナの世界的猛威に対する「ローマ教皇フランシスコの黙想」というものが送られてきた。それはマルコ4:35−41(暴風を静める)の説教である。内容は我々と同じ逐語解説である。大苦難の時は、教派を超えてどこでも主の言葉に聞く方法を採るものだと思った。おそらく全世界のプロテスタント教会の牧師も同じかもしれない。そこで私は「心配するな・・・神が共にいる」と題して「聖書で聖書を読む」方法でここを黙想してみよう。人生には数々の岐路(結婚、受験、就職、転勤、病気、死、・・・)があるが、その都度自分を捨てて「神が共にいる」と心に何度も念ずることによって不思議に良い道が開かれるものだ。

 

マルコ福音書4章35−42節

4:35
その日、夕方になると、「向う岸に渡ろう」と言われる。
4:36
弟子たちは(岸に立っている)群衆を解散して、イエスが舟に乗っておられるのを、そのままお連れする。幾艘かほかの舟もついて行った。
4:37
すると激しい突風がおこり、波が舟に打ち込んできて、もう舟にいっぱいになりそうになった。
4:38
しかしイエスは艫
(とも)の方で枕をして眠っておられた。弟子たちが「先生、溺れます、構ってくださらないのですか」と言って起した。
4:39
イエスは目をさまして風を叱りつけ、湖に言われた、「黙れ、静かにしないか!」(たちどころに)風がやんで、大凪になった。
4:40 彼らに言われた、「なんでそんなに臆病なのか。まだ信じないのか。」
4:41
弟子たちはすっかりおびえてしまって、「この方はいったいだれだろう、風も湖もその言うことを聞くのだが」と語り合った。

●マルコ4章40節。邦語100年間の翻訳並読。

聖書協会共同訳2018

40イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信仰がないのか。」


フランシスコ会聖書研究所訳2011

40イエスは弟子たちに仰せになった。「なぜそんなに恐れるのか。まだ信仰がないのか」。

岩波翻訳委員会訳1995

410440そこで彼は彼らに言った、「なぜ、あなたたちは臆病なのだ。信仰がまったくないのか」。


新共同訳1987

4:40 イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」


前田訳1978

4:40 彼らにいわれた、「なぜそんなに意気地なしか。信仰がないのはどうしたことか」と。

新改訳1970

4:40 イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」

塚本訳1963

4:40 彼らに言われた、「なんでそんなに臆病なのか。まだ信じないのか。」

口語訳1955

4:40 イエスは彼らに言われた、「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか」。

文語訳1917

"410440","かくて弟子たちに言ひ給ふ『なに故かく臆するか、信仰なきは何ぞ』"


●マルコ4章40節。ルター以後500年間の主要国聖書引照で心に響くものを抜粋。拙ホームページ利用。

口語訳 詩  46:2-4
46:2
このゆえに、たとい地は変り、山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。
46:3
たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、そのさわぎによって山は震え動くとも、われらは恐れない。〔セラ
46:4
一つの川がある。その流れは神の都を喜ばせ、いと高き者の聖なるすまいを喜ばせる。


口語訳 イザ 43:2-3
43:2
あなたが水の中を過ぎるとき、わたしはあなたと共におる。川の中を過ぎるとき、水はあなたの上にあふれることがない。あなたが火の中を行くとき、焼かれることもなく、炎もあなたに燃えつくことがない。
43:3
わたしはあなたの神、主である、イスラエルの聖者、あなたの救主である。わたしはエジプトを与えて/あなたのあがないしろとし、エチオピヤとセバとをあなたの代りとする


塚本訳 マタ 14:31
14:31
イエスはすぐ手をのばし、ペテロをつかまえて言われる、「信仰の小さい人よ!なぜ疑うのか。」


塚本訳 ルカ 8:25
8:25
彼らに言われた、「あなた達の信仰はどこにあるのか。」弟子たちは驚き恐れて、「この方はいったいだれだろう、この方が命令されると、風も水も、その言うことを聞くのだが」と語り合った。


塚本訳 ヨハ 6:19-20
6:19
彼らは二十五か三十スタデオ[五キロか六キロ]ばかり漕ぎ出したとき、イエスが(あとから)湖の上を歩いて舟に近づいてこられるのを見て、こわくなった。
6:20
イエスが言われる、「わたしだ、こわがることはない。」


塚本訳 ヨハ 14:1
14:1
(あなた達の来られない所にわたしが行くからとて、)心を騒がせるな。神を信ぜよ、またわたしを信ぜよ。


塚本訳 ヨハ 14:27
14:27
(今別れにのぞんで)平安をあなた達にのこしておく。わたしの平安をあなた達に与える。わたしが与える平安は、この世の人が『平安あれ』といのるような(言葉だけの)ものではない。(だから)心騒がせるな、気を落すな。


塚本訳 Uテモ1:7
1:7
神が私達に与え給うた恩恵は臆病の霊でなく、能力と愛と節制の霊であるから。

塚本訳 マタ 17:20
17:20
彼らに言われた、「信仰が無いからだ。アーメン、わたしは言う、もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、この山に向かい『ここからあそこに移れ』と言えば移り、あなた達に出来ないことは一つもない。」


塚本訳 ルカ 17:6
17:6
主が言われた、「もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、──(あなた達にはそれがないが、もしあれば)──この桑の木にむかい『抜けて海に植われ』と言っても、言うことを聞くであろう。

●結論  世の不条理は神への信仰で乗り切る。信仰は頭でなく心。

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