200619-1
ΙΧΘΥΣ イクスス(魚)
イエスス(イエス)クリストス(キリスト)、セオス(神)、ヒュオス(子)、ソテル(救い主)
聖書で聖書を読む
種まきの譬(ルカ8:4−8)
・・・福音を聞く耳のない人の救い。・・・
2020年 6月 7日 東京聖書読者会 高橋照男
塚本訳 ルカ 8:4-8
8:4 (ある時)大勢の群衆が集まり、また町々からも人々が押しよせてきたので、イエスは譬を用いて話された、
8:5 「種まく人がその種をまきに出かけた。まく時に、あるものは道ばたに落ちた。踏みつけられたり、空の鳥が食ったりした。
8:6 またほかのものは岩の上に落ちた。(生えるには)生えたが、湿り気がないので枯れてしまった。
8:7 またほかのものは茨の(根が張っている)中に落ちた。茨が一しょに生えて押えつけてしまった。
8:8 またほかのものは善い地に落ちた。生えて(育って)百倍の実を結んだ。」こう言ったあとで、「耳の聞える者は聞け」と叫ばれた。
●キリスト者の皆様お早うございます。今年の年賀状に某氏から「姉は信仰なくして死にました」と嘆きの訴えがあった。「福音を聞く耳」を持ってなかったというのである。キリスト者にとって身内の救いは深い悩みである。重い十字架で呻きである。生涯の祈りである。救いは宿命なのだろうか。今朝はこのことを「聖書で聖書を読む」方法で探求してみよう。順不同、思いつくまま。神学的整合性なし。
●生まれつきの人は「福音を聞く耳」は持っていない
塚本訳 ヨハ 3:6-7
3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。
3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。
塚本訳 ヨハ 8:43
8:43 なぜわたしの言葉が通じないのだろうか。(神から委ねられた)わたしの福音を聞く耳がないからだ。
●しかし、どんなに絶望的な事でも祈りに対して神は奇跡を起こして下さる
塚本訳 ルカ
18:1
18:1 なお、気を落さずに常に祈るべきことについて、一つの譬をひいて弟子たちに話された、
塚本訳 マコ 11:22-24
11:22 イエスが彼らに答えられる、「神(の力)を信ぜよ。
11:23
アーメン、わたしは言う、だれでもこの山に向かい、『立ち上がって海に飛び込め』と言って心に疑わず、自分の言うことは成ると信ずるならば、そのとおりになる。
11:24 だからわたしは言う、(神に)祈り求めるものはなんでも、すでに戴いたと信ぜよ。そうすればそのとおりになる。
塚本訳 ルカ 7:7-9
7:7 だから自分でお願いに出る資格もないと考えたのです。(ここでただ)一言、言ってください。そうすれば下男は直ります。
7:8
というのは、わたし自身も指揮権に服する人間であるのに、わたしの下にも兵卒がいて、これに『行け』と言えば行き、ほかのに『来い』と言えば来、また僕に『これをしろ』と言えば(すぐ)するからです。(ましてあなたのお言葉で、病気が直らないわけはありません。)」
7:9 イエスはこれを聞いて驚き、ついて来た群衆の方に振り向いて言われた、「わたしは言う、イスラエルの人の中でも、こんな(りっぱな)信仰を見たことがない。」
塚本訳 ヨハ 11:39-40
11:39 「石をのけなさい」とイエスが言われる。死んだ人の姉妹のマルタが言う、「主よ、もう臭くなっています。四日目ですから。」
11:40 イエスがマルタに言われる、「信ずれば神の栄光が見られると、(さきほども)あなたに言ったではないか。」
塚本訳
ヨハ 12:47
12:47 しかしわたしの言葉を聞いて守らぬものがあっても、わたしはその人を罰しない。なぜなら、わたしは世を罰するために来たのでなく、世を救うために来たのだから。
●神は「目が開く」「耳が開く」「死人が生き返る」という奇跡を見せてくれた
塚本訳 ヨハ 9:6-7
9:6 こう言って地に唾をはき、唾で泥をつくり、その泥を盲人の目に塗って、
9:7 言われた、「行って、シロアム池で洗いなさい。」(シロアムは訳すると「遣わされた者」。)そこで盲人は行って、洗って、見えるようになって、かえって行った。
塚本訳 マコ 7:33-35
7:33 イエスはその人をただ一人、群衆の中から連れ出して、指をその両耳にさしこみ、次に(指に)唾をしてその舌にさわり、
7:34 天を仰いで溜息をつき、その人に「エパタ!」[すなわち「開け!」]と言われる。
7:35 すると耳があき、すぐ舌のもつれが解けて、普通に物が言えるようになった。
塚本訳 ヨハ 11:43-44
11:43 こう言ったのち、大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた。
11:44 死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。イエスは「解いてやって(家に)帰らせなさい」と人々に言われた。
●マルコ7:29は神の力を信じる熱心な祈りは聴かれるということである。「福音を聞く耳」が無くて死んだ身内も、残された者が、神の力を信じて「あつかましく」「くどく」祈れば、来世で救われる。
●マルコ7章29節。邦語100年間の各種翻訳並読。心で読経する
聖書協会共同訳2018
29イエスは言われた。「その言葉で十分である。行きなさい。悪霊は、あなたの娘から出て行った。」
フランシスコ会聖書研究所訳2011
29 そこでイエスは仰せになった。「それほどに言うのか。よろしい、帰りなさい。悪霊はあなたの娘から出ていった」。
岩波翻訳委員会訳1995
410729そこで彼は彼女に言った、「そう言われては〔かなわない〕。行きなさい。悪霊はあなたの娘から出て行った」。
新共同訳1987
7:29 そこで、イエスは言われた。「それほど言うなら、よろしい。家に帰りなさい。悪霊はあなたの娘からもう出てしまった。」
新改訳1970
7:29 そこでイエスは言われた。「そうまで言うのですか。それなら家にお帰りなさい。悪霊はあなたの娘から出て行きました。」
塚本訳1963
7:29 イエスは言われた、「それほど言うなら、よろしい、帰りなさい。悪鬼はもう娘から出ていった。」
口語訳1955
7:29 そこでイエスは言われた、「その言葉で、じゅうぶんである。お帰りなさい。悪霊は娘から出てしまった」。