201017-2
ΙΧΘΥΣ イクスス(魚)
イエスス(イエス)クリストス(キリスト)、セオス(神)、ヒュオス(子)、ソテル(救い主)
聖書で聖書を読む
「救い」とは神の引き
・・・遠隔の祈りは聴かれる・・・
2020年 11月 29日 東京聖書読者会 高橋照男
●キリスト者の皆様お早うございます。神による救いの業は不思議で、人が救われるのは神の引きがあるからだと信じざるを得ない。そこで今朝は「救いは神の引き・・・遠隔の祷りは聴かれる」と題して神の心を探ろうと思う。「救い」は全く神の業であることを思う。
●身内の救いを心配するのは当然
塚本訳 ルカ 16:28
16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』
塚本訳 ルカ 8:41-42
8:41 するとそこに名をヤイロという人が来た。この人は礼拝堂の役人であった。イエスの足もとにひれ伏し、家に来ていただきたいと願った。
8:42 十二歳ばかりの一人娘があって、それが死にかけていたのである。(ヤイロの家に)行かれる途中、群衆はイエスを押しつぶしそうであった。
塚本訳 使 16:30-31
16:30 そして二人を外につれだして言った、「先生方、救われるにはどうしなければならないのですか。」
16:31 二人が言った、「主イエスを信じなさい。そうすればあなたも家族も救われる。」
塚本訳 マコ 9:17
9:17 群衆のうちの一人が答えた、「先生、唖の霊につかれている伜をあなたの所につれて来ました。
●人は神の引きで救われる。
塚本訳 ヨハ 3:7-8
3:7 『あなた達は新しく生まれなおさねばならない』と言ったからとて、すこしも不思議がることはない。
3:8 風[プニューマ]は心のままに吹く。その音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊[プニューマ]によって生れる者も皆、そのとおりである。」
塚本訳 ヨハ 6:45
6:45 預言書に、〃(最後の日に)人は皆神に教えを受けるであろう〃と書いてある。(そして神に引っ張られる者、すなわち本当に)父上に聞き、また学ぶ者は皆、わたしの所に来る。
塚本訳 ヨハ 1:13
1:13 この人たちは、人間の血や、肉の欲望や、男の欲望によらず、神(の力)によって生まれたのである。
塚本訳 マタ 16:17
16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。
塚本訳 ルカ 15:4
15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか。
●神の引きの実例
塚本訳 マタ 4:19-22
4:19 「さあ、ついて来なさい。人間の(漁をする)漁師にしてあげよう」と言われると、
4:20 彼らはすぐ網をすててイエスに従った。
4:21 またそこから進んでいって、ほかの二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟のヨハネとが、父ゼベダイと一しょに舟で網を繕っているのを見て、お呼びになった。
4:22 彼らはすぐ舟と父とをのこして、イエスに従った。
塚本訳 ルカ 5:27-28
5:27 そのあとで、イエスは(湖のほとりに)出てゆき、レビという税金取りが税務署に坐っているのを見て、「わたしについて来なさい」と言われると、
5:28 何もかも捨てて、立って従った
塚本訳 マタ 14:28-29
14:28 ペテロが答えた、「主よ、あなたでしたら、どうかわたしに命令して、水の上を歩いてあなたの所へ行かせてください。」
14:29 「こちらに来なさい」とイエスが言われた。ペテロは舟から下り、水の上を歩いてイエスの所へ行った。
塚本訳 ルカ 19:5
19:5 イエスはその場所に来られると、ザアカイを見上げて言われた、「ザアカイ、急いで下りておいで。きょうはあなたの家に泊まることになっているから。」
塚本訳 マコ 5:32
5:32 イエスはこのことをした女を見つけようとして、(黙って)見まわしておられた。
●神が救って下さるように祈る
塚本訳 マタ 8:8
8:8
百卒長は答えた、「主よ、わたしはあなたを、うちの屋根の下にお迎えできるような者ではありません。(ここで)ただ一言、言ってください。そうすれば下男は直ります。
塚本訳 マコ 11:22-24
11:22 イエスが彼らに答えられる、「神(の力)を信ぜよ。
11:23 アーメン、わたしは言う、だれでもこの山に向かい、『立ち上がって海に飛び込め』と言って心に疑わず、自分の言うことは成ると信ずるならば、そのとおりになる。
11:24 だからわたしは言う、(神に)祈り求めるものはなんでも、すでに戴いたと信ぜよ。そうすればそのとおりになる。
塚本訳 マタ 21:20-22
21:20 これを見て弟子たちは驚いて言った、「なぜ無花果(いちじく)は見る間に枯れてしまったのですか。」
21:21 イエスは答えられた、「アーメン、わたしは言う、もしあなた達に信仰があって疑わないならば、この無花果におこった(と同じ)ことをすることができるばかりか、この山にむかい『立ち上がって海に飛び込め』と言っても、その通りになる。
21:22 信じて祈れば、求めるものはなんでも、戴くことができる。」
塚本訳 マコ 10:25-27
10:25 金持が神の国に入るよりは、駱駝(らくだ)が針の孔を通る方がたやすい。」
10:26 弟子たちはいよいよ驚いて互に言った、「それでは、だれが救われることが出来るのだろう。」
10:27 イエスは彼らをじっと見て言われる、「人間には出来ないが、神には出来る。神にはなんでも出来る。」
塚本訳 マタ 17:20
17:20
彼らに言われた、「信仰が無いからだ。アーメン、わたしは言う、もしあなた達に芥子粒ほどでも信仰があれば、この山に向かい『ここからあそこに移れ』と言えば移り、あなた達に出来ないことは一つもない。」
塚本訳 ヨハ 11:40
11:40 イエスがマルタに言われる、「信ずれば神の栄光が見られると、(さきほども)あなたに言ったではないか。」
塚本訳 ルカ 18:1
18:1 なお、気を落さずに常に祈るべきことについて、一つの譬をひいて弟子たちに話された、
●救いの道は神の子イエスの死で完成している。我々はそれを記念するだけでよい
塚本訳 ヨハ 4:38
4:38
(すなわち)わたしはあなた達をやって、あなた達が自分で苦労しなかったものを刈り取らせる。ほかの人々が苦労し、あなた達はその苦労(の実)を取り入れるのである。(あなた達はわたしがまいたものを、ただ取り入れるだけでよいのだ。)」
塚本訳 Tコリ11:24-25
11:24 (神に)感謝して裂いて、言われた、「これはあなた達のためにわたすわたしの体である。わたしを記念するためにこのことを行ないなさい」。
11:25 食事の後、杯を同じように(感謝)して(分けて、)言われた、「この杯はわたしの“血”の犠牲を払った“新しい約束”である。(今から後、)飲むたびごとに、わたしを記念するためにこのことを行ないなさい」。
塚本訳 マタ 26:13
26:13 アーメン、わたしは言う、世界中どこでも(今後)この福音の説かれる所では、この婦人のしたことも、その記念のために一しょに語りつたえられるであろう。」
●結論
人は神の引きにより、神の力で救われる。