201102-2
塚本虎二イエス伝研究 第188講
ゲッセマネの祈り 二
――エデンとゲッセマネ――
マルコ14章35−36節
塚本解説(●印)と聖書引照
2020年11月8日 高橋トミ子
塚本訳 マコ 14:35-36
14:35 そしてなお少し(奥に)進んでいって、地にひれ伏し、出来ることなら、この時が自分の前を通りすぎるようにと祈って
14:36 言われた、「アバ、お父様、あなたはなんでもお出来になります。どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心がなればよいのです。」
14:36 塚本解説 抜粋
●イエスはゲッセマネの祈りにおいて、求むるものを得ずして求めぬものを与えられた。すなわち杯を取り去られずしてこれを飲み干す従順を与えられた。そしてこれは神が祈りにお応(こた)になる最も典型的なものである。
●イエスは苦難を避けんことを祈ってその代わりに従順を得られた。
●ゲッセマネの方が十字架よりも重大と見ることが出来る。ここにおいてイエスの態度が決定し、十字架はその実行に過ぎないからである。
●イエスの生涯の絶頂は同時に世界歴史の大転換を意味する。人類史はこのゲッセマネの祈りにおいてひとまず絶頂に達する。人類がエデンの園において失ったものがゲッセマネの園において回復されたからである。
●彼は従順の初めであり終わりである。わたし達は彼によって始めて従順であることが出来、また彼においてわたし達の従順と模範と理想とを見出す。
●関連聖句
塚本訳 マコ 14:35-36
14:35 そしてなお少し(奥に)進んでいって、地にひれ伏し、出来ることなら、この時が自分の前を通りすぎるようにと祈って
14:36 言われた、「アバ、お父様、あなたはなんでもお出来になります。どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心がなればよいのです。」
塚本訳 マタ 26:39
26:39 そしてなお少し(奥に)進んでいって、俯けに倒れ、祈って言われた、「お父様、出来ることなら、どうかこの杯がわたしの前を通りすぎますように。しかし、わたしの願いどおりでなく、お心のとおりになればよいのです。」
塚本訳 ルカ 22:41-42
22:41 そして自分は石を投げれば届くほどの所に離れてゆき、ひざまずいて祈って
22:42 言われた、「お父様、お心ならば、どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心が成りますように!」
塚本訳 マタ 6:10
6:10 お国が来ますように。お心が行われますように、天と同じに、地の上でも。
塚本訳 ヘブ 5:7-10
5:7 彼はその(地上における)肉の日に、烈しい叫び声と涙とをもって、彼を死から救い得るお方に向かって祈りや嘆願を捧げ、その敬虔のゆえに聞きいれられた(方である)。
5:8 彼は御子であるにもかかわらず、苦しみをうけて従順を学び、
5:9 完成されたので、(今度は彼が、)彼に従順であるすべての人に対して“永遠の救の”本源となり、
5:10 神から“メルキゼデクと同等の”大祭司と呼ばれたのである。
口語訳 ロマ 1:5
1:5 わたしたちは、その御名のために、すべての異邦人を信仰の従順に至らせるようにと、彼によって恵みと使徒の務とを受けたのであり、
塚本訳 ロマ 3:23-24
3:23 なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。
3:24 (さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ)代価を払わず、(ただ)神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあがないの力で、(神に)義とされる(道が設けられた)のである。
塚本訳 ロマ 5:18-19
5:18 従って、一人の人の過ちによって全人類に死の宣告が下されたと同じに、一人の人の正しい行いによって、全人類に命を与える義が臨んだのである。
5:19 すなわち、一人の人の不従順によって多くの人が罪人になったように、一人の人の従順によっても多くの人が義人になるのである。
口語訳 ロマ 16:25-26
16:25 願わくは、わたしの福音とイエス・キリストの宣教とにより、かつ、長き世々にわたって、隠されていたが、今やあらわされ、預言の書をとおして、永遠の神の命令に従い、信仰の従順に至らせるために、もろもろの国人に告げ知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを力づけることのできるかた、
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感想(高橋トミ子)
「信仰の従順」について、改めて感じさせられました。