201116-1
塚本虎二イエス伝研究 第189講
ゲッセマネの祈り 三
――最後の苦悶――
ルカ22章43−44節
塚本解説(●印)と聖書引照
2020年12月13日 高橋トミ子
塚本訳 ルカ 22:43-44
22:43 そのとき天から一人の天使がイエスに現われて、力づけた。
22:44 イエスはもだえながら、死に物狂いに祈られた。汗が血のしたたるように(ポタポタ)地上に落ちた。
●ウェストコットーホルトは結論していうーーー「これらの節を筆記者の創作と見ることは不可能であろう。・・・・福音伝説の残片中最も貴重なものであると言っても差支えあるまい。」
●イエスがかくも必死の苦祷と苦難を通らねばならなかった理由については古来の学者たちが種々説明を試みている。・・・・・・しかしこれは窺知を赦さない永遠の秘密である。
●ただ一つ確かなことは、神に棄てられただ一人で、ある偉大なる戦いを戦いを戦わなければならなかったこと、これに勝利を得ることによって始めて人類をサタンの手から救い出されたのであることである。
●従ってゲッセマネのイエスが弱くあれば弱くあるだけ、その勝利は偉大であり、また人類の希望は確実である。
●「どの国の歴史にも、ある人が汗が血の雫になるほど悲しんだと書いてあるのを見たことがない。だからこれは驚くべき話である。その血の汗が何であったか、何故命と死の主が哀れなる弟子たちの慰めを求めねばならぬほど弱く悲しくあったかは誰にも理解できない。・・・・・世の罪が彼を圧していたのである」とルーテルは言う。
●「もだえ」は悲しみ」よりは」心配、心の激動を意味する。すなわち「将(まさ)に来らんとする危機及び破局のの前に前における力の最後の緊張」である。断末魔の不安煩悶苦悶奮闘を言う。天下分け目の戦いにおいて敗北の恐怖感に襲撃された場合の苦悶と苦悶と努力をいう。イエスは神のチャンピオンとしてサタンに対し最後の一戦を交えよ 流石(さすが)に心が動揺したのである。神より突き放されて単騎敵の大群に向かう彼の心が、宇宙的不安と恐怖感に襲われたのは当然である。従って死の不安というよりはむしろ敗北の不安である。
●関連個所の引照
塚本訳 マコ 1:13
1:13 イエスは四十日のあいだ荒野にいて、悪魔の誘惑にあわれた。(そのあいだ)野獣の中におられたが、イエスには天使たちが仕えていた。
塚本訳 使 12:5
12:5 それでペテロは(厳粛に)見張りをさせて牢におり、集会からは彼のため祈りが熱心に神にささげられていた。
塚本訳 マコ 14:35
14:35 そしてなお少し(奥に)進んでいって、地にひれ伏し、出来ることなら、この時が自分の前を通りすぎるようにと祈って
塚本訳 ヘブ 1:6-7
1:6 なお、神はその長男[キリスト]を、ふたたびこの世界に導きいれようとする(再臨の)時に(つき、)言われる。『神の使たちはみな、彼[キリスト]をおがめ。』
1:7 天使については(聖書に)『神はその使を風とし、その奉仕者を燃える焔とされる。』と言うが、
●感想(高橋トミ子)