201122-1             

さかなまーく ΙΧΘΥΣ イクスス()    

イエスス(イエス)クリス(キリスト)、セオス()、ヒュオス()、ソテル(救い主)

聖書で聖書を読む 

子を失う悲しみ

・・・救いは「復活の福音」・・・


2020年 11月 29日 家庭集会 高橋照男

 

キリスト者の皆様お早うございます。妻の甥が37歳の若さで亡くなった。その母親にとっては今年の7月に御主人を、その4か月後の今月に今度は頼りにしていた一人息子を失った。人間にとって子を失うことは嘆きの極致である。中世の音楽スターバトマーテルは「悲しみの聖母」のことある。ミケランジェロの彫刻「ピエタ」はマリヤが十字架で死んだ息子のイエスを膝に抱いている姿である。また絵画にも「十字架のもとのマリヤ」を描いたものがある。これらはいずれも子を失った母の悲しみがテーマである。聖書にもそれがあるが、同時に「復活の福音」の使信が真の救いの道であることを示している。今日でも人間の言葉ではなく聖書によるキリストの言葉が救いである。

 

新共同 ヨブ 1:18-21

1:18 彼が話し終らないうちに、更にもう一人来て言った。「御報告いたします。御長男のお宅で、御子息、御息女の皆様が宴会を開いておられました。

1:19 すると、荒れ野の方から大風が来て四方から吹きつけ、家は倒れ、若い方々は死んでしまわれました。わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」

1:20 ヨブは立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落とし、地にひれ伏して言った。

1:21わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。

塚本訳 マタ 2:18

2:18 ”声がラマに聞えた、──(ラケルの)はげしいわめきと、なげきの声である。ラケルはその子らのために泣くばかりで、慰められようとしない、子らがもういないので。

 

塚本訳 ルカ 7:12-16

7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦(やもめ)であった。町の人が大勢その母に付添っていた。

7:13 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って、

7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。

7:15 すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは彼を母に渡された。

塚本訳 ルカ 8:52-55

8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。

8:53 人々は死んだことを知っているので、あざ笑っていた。

8:54 しかしイエスは女の子の手を取り、声をあげて「子よ、起きなさい!」と呼ばれると、

8:55 霊がもどって即座に女の子は立ち上がった。イエスは(何か)食べさせるように言いつけられた。

塚本訳 ヨハ 11:21-25                   11:21 マルタがイエスに言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、
わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。          11:22 しかしあなたがお願いになることなら、神様は何でもかなえてくださることを、わたしは今でも知っています。」      11:23 イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」    11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」                       11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。

塚本訳 ルカ 20:37-39                  20:37 死人が復活することは、(聖書にはっきり書いてある。)モーセも茨の薮の(燃える話の)ところで、主を“アブラハムの神、またイサクの神、またヤコブの神(である)”と言ってこれを示している。          20:38 ところで神は死人の神ではなく、生きている者の神である。神に対しては、すべての者が生きているのだから。(してみるとアブラハム、イサクなども皆復活して、今生きているわけではないか。)」

塚本訳 ヨハ 3:16
                                 3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。

塚本訳 ヨハ 12:24                               12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)

塚本訳 Tコリ15:3-5                              15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、                                          15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、  15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。

塚本訳
Tコリ15:54-55                   15:54 そしてこの死滅すべきものが不滅を着、この死ぬべきものが不死のものを着たら、その時(聖書に)書いてある言葉が実現する。『死は(神の)勝利に飲みこまれてしまった。』       15:55 "死よ、どこに、お前の勝利は。死よ、どこに、お前の剣(けん)は。


●結論.                                         子を失った悲しみは神ご自身が「近寄って」復活と永遠の命を示して慰めてくださる。聖書の中心的使信は「復活の福音」である。

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