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塚本虎二イエス伝研究 第193講 

弟子たち逃げる

――クリスチャンの戦法――

      マルコ14章48−50節

(マタイ26:55−56 ルカ22:52−53)

         2021年4月11日  高橋トミ子

 

塚本訳 マコ 14:48-50

14:48 イエスは人々に言われた、「強盗にでも向かうように、剣や棍棒を持ってつかまえに来たのか。

14:49 わたしは毎日宮にいてあなた達の所で教えていたのに、捕えずにおいて、(どうして今、こんな真夜中に来たのか。)しかしこれは、(救世主は罪人のようにあつかわれるという)聖書の言葉が成就するためである。」

14:50 一人のこらずイエスをすてて逃げた。

 

●塚本先生の結論とその聖書引照

 

〇結局弟子たちは身に危険の迫るのを感じ、恐ろしくなって逃げたと見るほかはない。先生よりも信仰よりも、自分の命が惜しくなったのである。先生のためならばこの命なんぞと思った命の方が惜しくなって、あたら命の君を棄てたのである百日の説法ならぬ三年に亙るイエスの教育も訓練も憐れむべし、敵の一撃によって潰えたのである。何という腑甲斐なさであろう! ルカとヨハネがこの記事を省いたのは当然で、わたし達も出来るならばかかるみっともない(・・・・・・)記録が聖書の中から無からんことを願う者である。

 

〇(しかし)このことはイエスの教訓及び弟子たちに対する態度と一致する。イエスは今宵弟子たちが羊飼を撃たれた羊のように四散することを始めから知っておりながら、それを咎めもせず、さりとて何ら対策を講ずることもなく、潔く戦えとも言わず、むしろ逃亡を容認し、黙過する態度を採られた。否、彼の教訓中たびたび迫害を避けて逃ぐべきことを言われたことから見ればむしろ逃亡を勧められたようにすら思われる。

 

 

塚本訳 マタ 10:23

10:23 この町で迫害された時には、次の町に逃げてゆけ。アーメン、わたしは言う、人の子(わたし)は(すぐに)、あなた達がイスラエル人の町々を回りつくさぬうちに来るのだから。

 

塚本訳 マタ 24:16

24:16 その時ユダヤ(の平地)におる者は(急いで)山に逃げよ。

 

塚本訳 マコ 13:14

13:14 しかし『(聖なる所を)荒す忌わしい者が』立ってはならない(聖なる)所に立つのを見たら[読者は(ここに隠された意味を)よく考えるがよい]、その時ユダヤ(の平地)におる者は(急いで)山に逃げよ。

 

塚本訳 ルカ 21:21

21:21 その時ユダヤの平地におる者は(急いで)山に逃げよ。都の中におる者は立ち退け。田舎におる者は都に入るな。

 

 

〇しかし少なくともキリスト教の戦いに関する限りにおいては、これでなければならぬ。それはわたし達に取っては方策でなくして信仰である。戦うのはわたし達でなくして神であり、従って勝利は既にわたし達のもので、わたし達はただ信じて待てばよいのである。

 

口語訳 出  14:14

14:14 主があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙していなさい」。

 

 

〇血気のわたし達は時々愛国者、預言者、殉教者を気取って乃公(だいこう)出ずんばと思うことがあるが、神の栄光のためには三十六計逃ぐるに如かずの腰抜け信者にならねばならぬ。敵を恐れるのではない。神を信ずるのである。命が惜しいのではない。神が神たり給わんためである。

 

 

●感想(高橋トミ子)

 ルカ12:13−21の愚かな金持ちのようでなく、いただいた信仰の道をこれからも歩み続けていきたいと思います。

 

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