210627-2      

さかなまーく ΙΧΘΥΣ イクスス()    

イエスス(イエス)クリス(キリスト)、セオス()、ヒュオス()、ソテル(救い主)

聖書で聖書を読む 

 

十字架を負え(ルカ9:23−27)

2021年 5月 30日 家庭集会 高橋照男

 

塚本訳 ルカ 9:23-27

9:23 それから今度は皆に話された、「だれでも、わたしについて来ようと思う者は、(まず)己れをすてて、毎日自分の十字架を負い、それからわたしに従え。

9:24 (十字架を避けてこの世の)命を救おうと思う者は(永遠の)命を失い、わたしのために(この世の)命を失う者が、(永遠の)命を救うのだから。

9:25 全世界をもうけても、自分(の命)を失ったり損したりするのでは、その人は何を得するのだろう。

9:26 (わたしを信ずると言いながら、)わたしとわたしの福音(を告白すること)とを恥じる者があれば、人の子(わたし)も、自分と父上と聖なる天使たちとの栄光に包まれて(ふたたび地上に)来る時、そんな(臆病)者を(弟子と認めることを)恥じるであろう。

9:27 本当にわたしは言う、(その時はじきに来る。)今ここに立っている者のうちには、死なずにいて、その神の国を見る者がある。」

 

キリスト者の皆様お早うございます。昨日は図書館で「老人性うつ」(和田秀樹著 PHP新書)を借りてきた。私も妻も認知症の兆候が出てきているからである。目次を見ると、二人に関係のあることが書かれている。私は脳出血の経験、妻は近親者の死による「喪失感」。私の50年来の友人のWS氏は、若年性アルツハイマーの末に本年2月に逝った。最後は会っても私のことを判別できないまでになっていた。御自身が脳外科の医師であったために、発病した時には「どうしてこの俺が!」と言って荒れた。少し落ち着いた時に彼は言った。「脳は壊れても『私は私』だ」と。そこで今朝は「脳は壊れても・・・霊の命の人格は永遠に生きる」と題して思い浮かぶ聖書の言葉を掲げてみよう。「自分の十字架」を負って長年御苦労されたWS氏とご夫人のKさんに向けて「レクイエム(鎮魂曲)」を捧げる。学者読みでなく、「聖書で聖書を読む」素人読みをする。

塚本訳 ヨハ 6:45

6:45 預言書に、〃(最後の日に)人は皆神に教えを受けるであろう〃と書いてある。(そして神に引っ張られる者、すなわち本当に)父上に聞き、また学ぶ者は皆、わたしの所に来る。

 

塚本訳 ヨハ 16:22-23

16:22 だから、(同じく)あなた達にも今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなた達に会うのだから、(その時)あなた達の心は喜ぶであろう。そしてあなた達からその喜びを奪う者はだれもない。

16:23 その時には、(もはや)何事もわたしに尋ねる必要はない。アーメン、アーメン、わたしは言う、(その時)あなた達が父上に何かお願いすれば、わたしの名でそれをかなえてくださるであろう。

 

塚本訳 ヨハ 9:1-3

9:1 イエスは通りがかりに、生まれつきの盲人を見られた。

9:2 弟子たちが尋ねた、「先生、この人が盲で生まれたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか、両親ですか。」

9:3 イエスは答えられた、「この人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。ただ神の御業がこの人に現われるためである。

 

塚本訳 ルカ 8:52

8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。

 

塚本訳 マタ 22:32

22:32 『わたしはアブラハムの神、またイサクの神、またヤコブの神である』と。(ところで)神は死人の神ではなく、生きている者の神である。(だからアブラハム、イサクなども復活して、今生きているわけではないか。

 

塚本訳 ヨハ 11:25-26

11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。

11:26 また、だれでも生きて私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」

 

塚本訳 ヨハ 6:51

6:51 わたしが天から下ってきた、生きているパンである。このパンを食べる者は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、わたしの肉である。世を生かすために、わたしはこれを(世に)与える。」

 

塚本訳 ヨハ 6:57

6:57 生きておられる父上から遣わされたわたしが父上によって生きているように、わたしを食う者も、わたしによって生きる。

塚本訳 ヨハ 6:63

6:63 霊が命を与える。肉はなんの役にも立たない。いまわたしがあなた達に話した言葉は、霊である。だから、命である。

 

塚本訳 マタ 6:19-20

6:19 (このように、何事も天の父上相手でなければならない。たとえば)あなたたちは衣魚(しみ)や虫が食い、また泥坊が忍び込んで盗むこの地上に宝を積まず、

6:20 衣魚(しみ)も虫も食わない、また泥坊が忍び込むことも盗むこともない天に、宝を積んでおきなさい。(そうでないと、心が天に向かないであろう。)

 

塚本訳 マタ 10:28

10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。

 

塚本訳 ルカ 8:52

8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。

 

塚本訳 ヨハ 13:16-17

13:16 アーメン、アーメン、わたしは言う、僕はその主人よりもえらくはならない。また使は本人よりもえらくはない。(だからわたしを真似るがよい。)

13:17 このことがわかったなら、そのとおりにすれば、幸いである。

塚本訳 マタ 6:6

6:6 あなたが祈る時には、奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、“隠れた所においでになるあなたの父上に”“祈れ。”そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。

 

塚本訳 ルカ 24:31-32

24:31 (その時)二人の目が開(ひら)けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。

24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。

 

塚本訳 黙  5:5

5:5 すると(かの)長老の一人が私に言う、「泣くな。視よ、ユダ族の獅子、ダビデの根(である者)が(既に)勝った(から)彼がその巻き物と七つの封印とを開く(ことが出来る。)」

 

塚本訳 黙  14:13

14:13 また私は天から声が(こう)言うのを聞いた、「書け、『今から後主にあって死ぬる死人は幸福である。』」御霊も言い給う、「然り、彼らはその労苦を休息(やす)む(ことが出来る)であろう。その(為した)業が彼らに随いて行くのであるから!」と。

 

●結論

負わされる十字架は、不可解で不条理である。WS氏のご夫人のKさんは、かって拙宅の新築祝いにミルトスの苗木を持ってきてくださった。それは大きく育ったが枯れてしまって今はない。その場所を見るといつもWS氏と、ご夫人のさんのことを思い出す。お二人に負わされた「自分の十字架」は、同じ苦難にある人を慰め励ます。かくして真の「世の光」になったのだ。

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