210725-2      

さかなまーく ΙΧΘΥΣ イクスス()    

イエスス(イエス)クリス(キリスト)、セオス()、ヒュオス()、ソテル(救い主)

聖書で聖書を読む 

 

姿が変る(ルカ9:28−36)

2021年 7月 25日 家庭集会 高橋照男

 

塚本訳 ルカ 9:28-36

9:28 これらの言葉を語られた後、八日ばかりして、ペテロとヨハネとヤコブとを連れて、祈るために山に上られた。

9:29 祈っておられるうちに、お顔の様子がちがってきて、着物(まで)が白く光り出した。

9:30 すると見よ、二人の人が(現われて、)イエスと話していた。それはモーセとエリヤで、

9:31 栄光に包まれて現われ、イエスがエルサレムで遂げねばならぬ最後について(彼と)語っていたのである。

9:32 ペテロたちはぐっすり眠っていたが、(この時)目を覚まして、このイエスの栄光(の姿)と、一しょに立っている二人の人とを見たのである。

9:33 いよいよ二人がイエスと別れようとした時、ペテロがイエスに言った、「先生、わたし達(三人)がここにいるのは、とても良いと思います。だから小屋を三つ造りましょう。一つをあなたに、一つをモーセに、一つをエリヤに。」──何を言っているのか、(自分にも)わからなかった。

9:34 しかしペテロがこう言い終らないうちに、雲がおこって、彼ら(イエスとモーセとエリヤと)を掩った。彼らが雲の中に入った時、弟子たちは恐ろしくなった。

9:35 すると「これはわたしの“選んだ子、”“彼の言うことを聞け”」と言う声が雲の中から聞えてきた。

9:36 声がきこえた時、見ると(そこには)イエスだけがおられた。彼らはそのころ口をつぐんで、見たことを一切、だれにも話さなかった。

 

キリスト者の皆様お早うございます。ルカ9:28−36は塚本訳の小見出しは「姿が変わる」である。この解読の鍵はマタイの並行記事(マタイ17:1−8)の結語とでも言うべきマタイ17:9にある。

塚本訳 マタ 17:9

17:9 山を下りながら、イエスは、「人の子(わたし)が死人の中から復活する前には、(いま)見たことをだれにも言うな」と彼らに命じられた。

これはいわゆる「イエスの沈黙命令」という謎の言葉である。この他にも次のように多数ある。


塚本訳 ルカ 8:56

8:56 両親が呆気にとられていると、イエスはこの出来事をだれにも言うなと命じられた。


塚本訳 ルカ 9:21

9:21 イエスは弟子たちを戒めて、このことをだれにも言うなと命じられた。

塚本訳 マタ 16:20

16:20 それからイエスは、自分が救世主であることをだれにも言ってはならないと、弟子たちを戒められた。


塚本訳 マコ 7:36

7:36 イエスはだれにも言ってはならぬと人々に命じられたが、命ずれば命ずるだけ、ますます言いふらした。


塚本訳 マコ 8:30

8:30 イエスは自分のことをだれにも言ってはならないと、弟子たちを戒められた。


塚本訳 ルカ 5:14

5:14 イエスは、だれにも言ってはならない、「ただ、(全快したことを)世間に証明するため、(エルサレムの宮に)行って体を“祭司に見せ、”モーセが命じたように清めのために(供え物を)捧げよ」と言いつけられた。



これらの「謎の言葉」の真意は、イエス自身に別の角度から解説してもらわなければならない。なぜ「黙っていろ」と言ったのか、それはイエスの言動は「肉の心」では分からないからである。その数々を見てみよう。神学的でなく、聖書学の編集史的でなく、無教会的に、つまり「聖書で聖書を読む」

塚本訳 マタ 13:10-11

13:10 弟子たちが進み寄って、「あの人たちにはなぜ譬をもって話をされますか」とたずねると、

13:11 答えられた、「あなた達(内輪の者)には、天の国の秘密をさとる力が授けられている(のでありのままに話す)が、あの(外の)人たちには授けられていないのだ。

塚本訳 マタ 13:13-14                   13:13 だから、あの人たちには譬をもって話すのである。
“見ても見えず、聞いても聞えず、また悟らない”からだ。          13:14 こうしてイザヤの預言はあの人たちに成就した。──”あなた達は聞いても聞いても、決して悟るまい、見ても見ても、決してわかるまい

塚本訳 ヨハ 3:5-6
3:5
イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う
、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。       3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。

塚本訳 ヨハ 1:12-13                    1:12 しかし
受け入れた人々、すなわち、その名を(神の子であることを)信じた人には一人のこらず、神の子となる資格をお授けになった。                           1:13 この人たちは、人間の血や、肉の欲望や、男の欲望によらず、神(の力)によって生まれたのである。

塚本訳 ヨハ 9:38-39                    9:38 すると「主よ、信じます」と言って、イエスをおがんだ。 9:39 イエスは言われた、「わたしは裁きのためにこの世に来たのだ。・・盲が目明きに、目明きが盲になるために!」       

塚本訳 ルカ 8:8                       8:8 またほかのものは善い地に落ちた。生えて(育って)百倍の実を結んだ。」こう言ったあとで、
「耳の聞える者は聞け」と叫ばれた。

塚本訳 ヨハ 3:34                     3:34 
神がお遣わしになった方は神の言葉を話される。神は(その方に)いくらでも霊をお与えになるからである。          

塚本訳 ヨハ 6:63
6:63 
霊が命を与える。肉はなんの役にも立たない。いまわたしがあなた達に話した言葉は、霊である。だから、命である。

塚本訳 マタ 16:16-18
16:16
シモン・ペテロが答えて言った、「あなたは救世主(キリスト)、生ける
神の子であります!」             16:17 するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。             16:18 それでわたしもあなたに言おう。──あなたはペテロ[岩]、わたしはこの岩の上に、わたしの集会を建てる。黄泉の門[死の力]もこれに勝つことはできない。


●結論

イエスが神の子であると信じられるのは、神の力、聖霊の力である。これは肉の力でも努力でもない。この喜びが死を突破する。

 

 

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