210906-1
ΙΧΘΥΣ イクスス(魚)
イエスス(イエス)クリストス(キリスト)、セオス(神)、ヒュオス(子)、ソテル(救い主)
聖書で聖書を読む
永遠の命の喜び
・・・死後ではなく、この世ですでに与えられている・・・
2021年 9月 5日 茅ケ崎家庭集会 高橋照男
今朝は、「永遠の命の喜び・・・死後ではなく、この世ですでに与えられている」というテーマを「聖書で聖書を読む」方法で研究しよう。人間の究極の願いは「永遠の命」であるが、それは死後のことではなく、生きているうちに与えられるものだと主は言う。主の言葉の難解な部分は主御自身の言葉に聞くのがベストだ。点と点を結べば見える文字になって、主の言わんとすることが見えてくる。
塚本訳 ヨハ 11:23-27
11:23 イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」
11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きて私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」
塚本訳 ルカ 23:42-43 23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽(パラダイス)にはいることができる。」
塚本訳 ヨハ 8:12
8:12 (同じ大祭の日に、)イエスはまた人々に語られた、「わたしが世の光である。わたしに従う者は、決して暗やみを歩かない。そればかりか、命への光を持つことができる。」
塚本訳 ヨハ 1:9-10
1:9 この方(言葉)は、この世にうまれて来るすべての人を照らすべきまことの光であった。
1:10 この世に来ておられ、世はこの方によって出来たのに、世はこの方を認めなかった。
塚本訳 ヨハ 13:8-10
13:8 ペテロが言う、「わたしの足は、いつまでも絶対に洗わないでください。」イエスは答えられた、「わたしが(足を)洗ってやらないなら、あなたはわたしとなんの関係もない人だ。」 13:9 シモン・ペテロがうろたえて言う、「主よ、(それでは、)足だけでなく、手も、頭も、。」 13:10 イエスが言われる、「(一度)湯浴みした者は、(あとでよごれた)足のほかは洗う必要はない、全身が清いのだから。(もう)あなた達は清い。だが、(あなた達)みんながそうではない。」
塚本訳 ルカ 19:9-10 19:9 イエスが(人々に)言われた、「救いは(きょう、)この家に入った。(人でなしのように言われる)この人も、やはり(あなた達と同じ)アブラハムの末だから。 9:10 人の子(わたし)は“滅びうせた者をさがして”救うために来たのである。」
塚本訳 ヨハ 17:3 17:3 永遠の命とは、ただひとりのまことの神なるあなたと、あなたが遣わされた(子)イエス・キリストとを知ることであります。
塚本訳 ヨハ 4:23-24
4:23 しかし(ユダヤ人もサマリヤ人もなく、)本当の礼拝者が霊と真理とをもって父上を礼拝する時が来る。いや、今もうきている。父上もこんな礼拝者を求めておられるのである。
4:24 神は霊である。だから礼拝者も霊と真理とをもって礼拝せねばならない。」
塚本訳 ヨハ 4:25-26
4:25 女が言う、「キリストと言われる救世主(メシヤ)が来ることは知っています。救世主(メシヤ)が来れば、わたし達に何もかも知らせてくださるでしょう。」
4:26 イエスは言われる、「あなたと話しているわたしが、それだ。」
塚本訳 マタ 28:20
28:20 わたしがあなた達に命じたことを皆守るように教えながら。安心せよ、世の終りまでいつもわたしがあなた達と一しょにいるのだから。」
塚本訳 ヨハ 4:13-14
4:13 イエスは答えられた、「この(井戸の)水を飲む者はだれでもまた渇くが、
4:14 わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」
塚本訳 ルカ 8:52-55 8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。」 8:53 人々は死んだことを知っているので、あざ笑っていた。 8:54 しかしイエスは女の子の手を取り、声をあげて「子よ、起きなさい!」と呼ばれると、8:55 霊がもどって、即座に女の子は立ち上がった。イエスは(何か)食べさせるように言いつけられた。
塚本訳 ヨハ 3:16
3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。
塚本訳 マタ 18:20
18:20 二人、三人、わたしの名によって集まっている所には、わたしがいつもその真中にいるのだから。」
塚本訳 ヨハ 3:34
3:34 神がお遣わしになった方は神の言葉を話される。神は(その方に)いくらでも霊をお与えになるからである。
塚本訳 ヨハ 6:63
6:63 霊が命を与える。肉はなんの役にも立たない。いまわたしがあなた達に話した言葉は、霊である。だから、命である。
塚本訳 マタ 11:28-29
11:28 さあ、疲れている者、重荷を負っている者はだれでも、わたしの所に来なさい、休ませてあげよう。
11:29 わたしは心がやさしく、高ぶらないから、わたしの軛を負ってわたしの弟子になりなさい、そうすれば魂の休息が得られよう。"
塚本訳 ヨハ 16:33 16:33 これらのことを話したのは、あなた達がわたしに(しっかり)結びついていて、平安を保つことができるためである。この世ではあなた達に苦しみがある。しかし安心していなさい。わたしがすでに世に勝っている。」
●結論 永遠の命の喜びは、この世ですでに与えられている。この喜びが死を突破する。