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さかなまーく ΙΧΘΥΣ イクスス()    

イエスス(イエス)クリス(キリスト)、セオス()、ヒュオス()、ソテル(救い主)

聖書で聖書を読む 

 

目は体の明り

・・・神の国の秘密が見える目・・・

2021年 10月 17日 家庭集会 高橋照男

 

キリスト者の皆様お早うございます。過日はモノがゆがんで見えるので手術をしたが一昨日はその術後の経過診断を受けた。高度な医学と神による自然治癒に感謝した。新約聖書にある「目」に関する記事に注目させられる。そこで今朝は難解なマタイ6章22節の「目は体の明りである」という言葉の意味を主の言葉で探求をしてみよう。

まず「Jバイブル」で、「目」をヒットし、心に響くものを掲げる。

塚本訳 マタ 13:15

13:15 この民の心は鈍くなり、耳は遠くなり、その目は閉じてしまっているのだから。そうでないと、彼らは目で見、耳で聞き、心で悟り、心を入れかえて(わたし[神]に帰り)、わたしに直されるかも知れない。”

 

塚本訳 ルカ 11:34-35

11:34 体の明りはあなたの目である。目が澄んでいる間は、体全体も明るいが、悪いとなると、体も暗い。

11:35 だから、あなたの内の光(である目、すなわち心)が暗くならぬように注意せよ。

 

塚本訳 ヨハ 12:40

12:40 主は彼らの目を見えなくし、その心を頑なにされた。これは彼らが目で見、心で解り、心を入れかえて、わたし(主キリスト)に直されないようにするためである。〃

次に、マタイ6章22−23節の邦語100年間の各種翻訳並読。(拙ホームページに搭載)

聖書協会共同訳2018

マタ 6:22 「目は体の灯である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、

マタ 6:23 目が悪ければ、全身も暗い。だから、あなたの中にある光が暗ければ、その暗さはどれほどであろう。」

 

フランシスコ会訳2013

目は体のともしび(ルカ1134-36

022「目は体のともしびである。もしあなたの目が澄んでいれば、全身が明るい。

023しかし、目が悪ければ、全身が 暗い。もし、あなたのうちにある光が闇であれば、その暗さはどれほど深いことか」。

岩波翻訳委員会訳1995

400622体のともし火は目である。だから、もしあなたの目が純真なら、あなたの体は全体が輝いている であろう。

400623しかしあなたの目がよこしまなら、あなたの体は全体が暗闇であろう。だが、あなたの中の光が 闇〔でしかない〕ならば、その闇〔の深さは〕どれほど〔であろうか〕。

新共同訳1987

体のともし火は目

6:22 「体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、

6:23 濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。」

前田訳1978

6:22 体の光は目である。あなたの目が澄んでいれば全身が明るい。

6:23 あなたの目が暗ければ全身が暗い。あなたの内の光が暗ければ、その暗さはどれほどであろう。

新改訳1970

6:22 からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、

6:23 もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。

 

塚本訳1963

6:22 目は体の明りである。だからあなたの目が澄んでおれば、体全体が明るいが、

6:23 目が悪いと、体全体が暗い。だから(天に宝を積まないため、)もしあなたの内の光(である目、すなわち心)が暗かったら、その暗さはどんなであろう。

 

口語訳1955

6:22 目はからだのあかりである。だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいだろう。

6:23 しかし、あなたの目が悪ければ、全身も暗いだろう。だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さは、どんなであろう。

 

 文語訳1917

"400622"," 身の燈火は目なり。この故に汝の目ただしくば、全身あかるからん。"

"400623"," されど、汝の目あしくば、全身くらからん。もし汝の内の光、闇ならば、その闇いかばかりぞや。"

次に、ルター以後500年間の主要国聖書の引照で心に響くものを抜粋。(拙ホームページに搭載)

塚本訳 ルカ 16:13

16:13 しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」

 

 

次に古くから世界的に良く使われている「聖書知識の宝庫 TSK」(拙ホームページに搭載)を見て心に響くものを掲げる。

 

塚本訳 マコ 7:20-23

7:20 また言われた、「人から出るもの、そちらが人をけがす。

7:21 内から、つまり、人の心からは、邪念が出るからである。(すなわち)不品行、盗み、人殺し、

7:22 姦淫、欲張り、悪意、悪巧み、道楽、妬み、悪口、高ぶり、愚かさ(など)。

7:23 これらの悪は皆、内から出て人をけがすのである。」

 

塚本訳 マタ 23:25

23:25 ああ禍だ、君たち聖書学者とパリサイ人、この偽善者!君たちは杯や皿の外側は清潔にするが、内側は掠め取った物と不節制とでいっぱいだからだ。

 

塚本訳 ルカ 8:10

8:10 言われた、「あなた達(内輪の者)には、神の国の秘密をさとる力が授けられている(のでありのままに話す)が、ほかの人たちには譬をもって話すのである。これは(聖書にあるように、)“彼らが見ても見えず、聞いても悟らない”ようにするためである。

 

塚本訳 ヨハ 9:39-41

9:39 イエスは言われた、「わたしは裁きのためにこの世に来たのだ。・・盲が目明きに、目明きが盲になるために!」

9:40 イエスと一しょにいたパリサイ人たちがこれを聞いて、彼に言った、「まさか、このわれわれも盲だというのではあるまい。」

9:41 イエスが言われた、「盲だったら、罪はなかった。たが今、『見える』と言うから、あなた達の罪はいつまでもなくならない。(光に来ようとしないのだから。)

 

次に500年以上も歴史のある「グノーモン」(拙ホームページに搭載)を見てみよう

水先案内が溺れ、光が消え、船長が捕虜になったら、乗組員にはどんな希望が残るか。クリソストム。

 

●次に黒崎幸吉の注解を見る。(拙ホームページに搭載)

 

燈火が暗夜に人を導くの用をなすと同じく人体にては、手にも足にもあらず目が人を導くの用をなしている。ゆえに目の善き人はその全身白日のごとく、目あしき人は全身暗夜の様である。

 

●結論

聖書の難解なところは聖書で読むのが正道である。目が良ければ正しく解釈できる。そして肉の病も治癒される。

 

 

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