211211-1
ΙΧΘΥΣ イクスス(魚)
イエスス(イエス)クリストス(キリスト)、セオス(神)、ヒュオス(子)、ソテル(救い主)
聖書で聖書を読む
救いの秘儀
・・・キリストの死は神の御心・・・
2021年12月12日 茅ヶ崎家庭集会 高橋照男
塚本訳 ヨハ 3:14-16
3:14 そして、ちょうどモーセが荒野で(銅の)蛇を(竿の先に)挙げたように、人の子(わたしも十字架に)挙げられ(て天に上ら)ねばならない。
3:15 それは、(蛇にかまれた者がその銅の蛇を仰いで命を救われたように、)信ずる者が皆(天に上った人の子を仰いで、)彼にあって永遠の命を持つためである。
3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。
●ヨハネ福音書3章16節。邦語100年間の各種翻訳並読。
聖書協会共同訳2018 ヨハ 3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
フランシスコ会訳2013 016実に、神は独り子をお与えにな
るほど、この世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びることなく、永遠の命を得るためである
岩波翻訳委員会訳1995
430316つまり神はひとり子を与えるほど世を愛したのである。彼を信じる人が滅びることなく、一人残らず永遠の命を持つためである。
新共同訳1987
3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
前田訳1978
3:16 神はひとり子を賜うほど世を愛された。すべて彼を信ずるものが滅びずに永遠のいのちを持つためである。
新改訳1970
3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
塚本訳1963
3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためであ
る。
口語訳1955
3:16 神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
文語訳1917
"430316"," それ神はその獨子を賜ふほどに世を愛し給へり、すべて彼を信ずる者の亡びずして、永遠の生命を得んためなり。"
●民数記21章4−9節 聖書協会・共同訳2018
民 21:4 民はホル山を旅立ち、エドムの地を迂回して、葦の海の道を進んだ。だが途中で耐えきれなくなり、 民 21:5 民が、神とモーセに対して「なぜ、私たちをエジプトから導き上ったのですか。この荒れ野で死なせるためですか。パンも水もなく、私たちは、この粗末な食物が嫌になりました」と非難したので、 民 21:6 主は民に対して炎の蛇を送られた。これらの蛇は民をかみ、イスラエルの民のうち、多くの者が死んだ。 民 21:7 民がモーセのもとに来て、「私たちは主とあなたを非難して、罪を犯しました。私たちから蛇を取り去ってくださるように、主に祈ってください」と言ったので、モーセは民のために主に祈った。 民
21:8 主はモーセに言われた。「あなたは炎の蛇を造り、竿の先に掛けなさい。蛇にかまれた人は誰でも、それを見れば、生き延びることができる。」 民 21:9 モーセは青銅の蛇を造り、竿の先に掛けた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生き延びた。
●ルター以後500年間の主要国聖書の引照で心に響くものを抜粋。
塚本訳 Tヨハ4:9-10
4:9 神がその独り子を(この)世に遣わし、独り子によって(死ぬべき)わたし達が生きるようになったそのことで、神の愛が(はじめて)わたし達に現わされたのである。
4:10 わたし達が神を愛したことではなく、彼がわたし達を愛し、その子をわたし達の罪のための宥め(の供物)として遣わされたそのことに、愛があるのである。
塚本訳 ピリ 2:6-9
2:6 彼は(先には)神の姿であり給うたが、神と等しくあることを棄て難いことと思わず、
2:7 かえって自分を空しうして人と同じ形になり、奴隷の姿を取り給うたのである。そして人の様で現れた彼は、
2:8 自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた。
2:9 それ故に神も彼を至高く上げ、凡ての名に優る(「主」なる)名を与え給うた。
●「聖書知識の宝庫 TSK」~から心に響くものを掲げる
塚本訳 ヨハ 8:28
8:28 そこでイエスが言われた、「あなた達は人の子(わたし)を十字架に挙げた時にはじめて、わたしがそれであること、また、わたしが自分では何もせず、ただ父上に教えられたままを語っていたことを知るだろう。
塚本訳 ヨハ 12:32-33
12:32 (しかし)わたしは地から挙げられた時、みんなをわたしの所に引き寄せるであろう。」
12:33 このように(「挙げられる」と)言われたのは、自分がどんな死に方で死なねばならぬかを、(すなわち十字架による死を)暗示されたのである。
塚本訳 ヨハ 6:40
6:40 子(なるわたし)を見て信ずる者が皆永遠の命を持ち、わたしがその人を最後の日に復活させること、これがわたしの父上の御心であるから。(だから信じない者は、父上がわたしに下さらない人たちである。)」
塚本訳 Uコリ5:21
5:21 神は罪を知らなかった方をわたし達の身代りに(十字架につけて)罪に定められた。わたし達がこの方において神の義(をいただく者)となるためである。
●黒崎幸吉の注解 民21:4−9の記事によればイスラエルはエホバに呟きし結果荒野において火の蛇にて咬まれて多く死するに至った。モーセはエホバに祈りその命により銅の蛇を造りこれを杆(さお)の上にのせ、蛇に咬まれしものこれを仰ぎ見て生きることができた。これがイエス・キリストの型であることをイエスはニコデモに語り給い、天のことを示し給うた。すなわち蛇は罪を示し、蛇に咬まれしものは罪人を示し、罪を代表せる銅の蛇は世の罪を負うキリストを示し、仰ぎ見ることは信仰に相当している。すなわちイエスはメシヤとして来り給うた。しかしこの世に王として君臨せんがためではなく、世の罪を負うて十字架に釘き、彼を信ずる者の罪を赦して彼らに永生を得しめんがためである。この苦難のメシヤはニコデモが夢想だにしなかった天のことであった。