220213
ΙΧΘΥΣ イクスス(魚)
イエスス(イエス)クリストス(キリスト)、セオス(神)、ヒュオス(子)、ソテル(救い主)
聖書で聖書を読む
神の子キリスト
・・・初期キリスト集会の「キリスト賛歌」・・・
2022年 2月 13日 家庭礼拝 高橋照男
●キリストを神の子と告白する讃美歌が書かれているのがピリピ書2章6−11節である。これはパウロがこのピリピ書を執筆した(AD35−55年?)以前に、すでに初期キリスト集会(エクレシヤ)において誕生していたものである。この讃美歌にこそ、その後紀元2世紀頃にその原型が固まった使徒信条(讃美歌566番)の源流があることが解る。現代の無教会主義集会の指標でもある。
●まず、ピリピ2章6−8節。邦語100年間の各種翻訳並読。
聖書協会共同訳2018
フィリ 2:6 キリストは/神の形でありながら/神と等しくあることに固執しようとは思わず
フィリ 2:7 かえって自分を無にして/僕の形をとり/人間と同じ者になられました。/人間の姿で現れ
フィリ 2:8 へりくだって、死に至るまで/それも十字架の死に至るまで/従順でした。
フランシスコ会訳2013
006キリストは神の身でありなが ら、
神としてのあり方に固執しようとはせず、
007かえって自分をむなしくして、
僕の身となり、人間と同じようになられました。
その姿はまさしく人間であり、
008死に至るまで、十字架の死に至 るまで、
へりくだって従う者となられました。
岩波翻訳委員会訳1995
500206キリストは神の形のうちにあったが、
神 と等しくあることを
固 守すべきものとはみなさず、
500207むしろ己れ自身を空しくした、
奴 隷の形をとりつつ。
さ らに人間と似た者になりつつ、
人 間としての姿において現れつつ、
500208己れ自身を低くした、
死 に至るまで従順になりつつ、
し かも十字架の死に〔至るまでも〕。
新共同訳1987
2:6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
2:7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、
2:8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
前田訳1978
2:6 彼は神の形にいましつつも、神とならぶことに捕らわれず、
2:7 おのれをむなしゅうして僕の形をとり、人の姿になり、様子は人のようでした。
2:8 彼はおのれを低くして死に至るまで、然り十字架の死に至るまで従順でした。
新改訳1970
2:6 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、
2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。
2:8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
塚本訳1963
2:6 彼は(先には)神の姿であり給うたが、神と等しくあることを棄て難いことと思わず、
2:7 かえって自分を空しうして人と同じ形になり、奴隷の姿を取り給うたのである。そして人の様で現れた彼は、
2:8 自ら謙り、死に至るまで、(然り、)十字架の死に至るまで(父なる神に)従順であり給うた。
口語訳1955
2:6 キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、
2:7 かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、
2:8 おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。
文語訳1917
"500206"," 即ち彼は神の貌にて居給ひしが、神と等しくある事を固く保たんとは思はず、"
"500207"," 反つて己を空しうし、僕の貌をとりて人の如くなれり。"
"500208"," 既に人の状にて現れ、己を卑うして死に至るまで、十字架の死に至るまで順ひ給へり。"
●次に、ピリピ2章6−8節。ルター以後500年間の主要国聖書の引照で心に響くものを、年代の古いものに限って抜粋する。
(英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照
口語訳 Uコリ8:9・・・AD53-56年?
8:9 あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っている。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、あな たがたが、彼の貧しさによって富む者になるためである。
口語訳 ガラ 4:4・・・AD53-54年?
4:4 しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになった。
口語訳 ガラ 3:13・・・AD53-54年?
3:13 キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれ る」と書いてある。
(日)新共同訳1987の引照
新共同 ロマ 5:19・・・AD53-54年?
5:19 一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。
新共同 ロマ 14:11・・・AD53-54年?
14:11 こう書いてあります。「主は言われる。『わたしは生きている。すべてのひざはわたしの前にかがみ、/すべての舌が神をほめたたえる』と。」
(仏)THE NEW JERUSALEM BIBLE 1985 の引照
口語訳 ロマ 5:19・・・AD53-54年?
5:19 すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされるのである。
●結論 使徒信条(紀元2世紀頃)の源流は初期信者集団(エクレシヤ)の「キリスト賛歌」にすでにある。これが全キリスト教会の拠って立つ動かぬ真の伝統である。我が国の無教会主義集会の指標でもある。