220220-2
ΙΧΘΥΣ イクスス(魚)
イエスス(イエス)クリストス(キリスト)、セオス(神)、ヒュオス(子)、ソテル(救い主)
聖書で聖書を読む
人は兄弟を贖うことはできない
・・・罪なき神の子の血のみが人を救える・・・
2022年2月20日 家庭集会 高橋照男
●キリスト者の皆様お早うございます。過日の家庭礼拝で読まれた詩編49編8-9節に次のようにあった。
聖書協会・共同訳 詩編 [49]編
詩 49:8 しかし、人は兄弟を贖うことができない。/神に身代金を払うことはできない。
詩 49:9 魂の贖いの値はあまりに高く/とこしえに払い終えることはない。
●これに大いに感じ入ると共に同時にキリストのまなざしを感じた。つまり、人は人を真に救うことは出来ない。罪なき神の子イエスの血のみが人を救う効能がある。今朝はこれを学ぼう。
●まず、心に浮かぶ聖句。思いつくまま、順不同。
塚本訳 ヨハ 6:53-56
6:53 イエスが言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人の子(わたし)の肉を食べず、その血を飲まねば、あなた達の中に命はない。
6:54 わたしの肉を食い、わたしの血を飲む者は、永遠の命を持つ。わたしはその人を最後の日に復活させる。
6:55 わたしの肉は本当の食べ物、わたしの血は本当の飲み物だから。
6:56 わたしの肉を食いわたしの血を飲む者は、わたしに留まっており、わたしも彼に留まっている。
塚本訳 Tコリ11:23-26
11:23 なぜというか。わたしは(晩餐のことを)主から授かり、それをまたあなた達に伝えたのであるが、それはこうである。──主イエスは(敵に)引き渡された夜、パンを手に取り、
11:24 (神に)感謝して裂いて、言われた、「これはあなた達のためにわたすわたしの体である。わたしを記念するためにこのことを行ないなさい」。
11:25 食事の後、杯を同じように(感謝)して(分けて、)言われた、「この杯はわたしの“血”の犠牲を払った“新しい約束”である。(今から後、)飲むたびごとに、わたしを記念するためにこのことを行ないなさい」。
11:26 すなわち、主が(ふたたび)来られるまで、あなた達はこのパンを食べこの杯を飲むたびごとに、主の死(の意味)を、(このことを行なうことによって)宣べ伝えるのである。
塚本訳 マコ 14:7-9
14:7 貧乏な人はいつもあなた達と一しょにいるから、したい時に慈善をすることが出来る。だがわたしはいつも一しょにいるわけではない。
14:8 この婦人はできるかぎりのことをした。──前もってわたしの体に油をぬって、葬る準備をしてくれたのである。
14:9 アーメン、わたしは言う、世界中どこででも(今後)福音の説かれる所では、この婦人のしたことも、その記念のために(一しょに)語りつたえられるであろう。」
塚本訳 ヨハ 3:14-15
3:14 そして、ちょうどモーセが荒野で(銅の)蛇を(竿の先に)挙げたように、人の子(わたしも十字架に)挙げられ(て天に上ら)ねばならない。
3:15 それは、(蛇にかまれた者がその銅の蛇を仰いで命を救われたように、)信ずる者が皆(天に上った人の子を仰いで、)彼にあって永遠の命を持つためである。
塚本訳 ヨハ 3:16
3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。
塚本訳 ヨハ 12:24-25
12:24 アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)
12:25 [(この世の)命をかわいがる者は(永遠の)命を失い、この世で命を憎む者は、命を守って永遠の命にはいるであろう。
塚本訳 ヨハ 6:62-63
6:62 それなら、もし人の子(わたし)が(地上に下りてくる)前にいた所に上るのを見たら、どうであろう。そのときあなた達は、肉を食い血を飲むのが、霊の意味であったことに気づくであろう。
6:63
霊が命を与える。肉はなんの役にも立たない。いまわたしがあなた達に話した言葉は、霊である。だから、命である。
●上記のうち、Tコリ 11:25は新型コロナのためのワクチンより人類に大切なことで、罪の赦しが与えられる「血清」である。
●まず、Tコリ 11章25節。邦語100年間の各種翻訳並読。
聖書協会共同訳2018
1コリ 11:25 食事の後、杯も同じようにして言われました。「この杯は、私の血による新しい契約である。飲む度に、私の記念としてこれを行いなさい。」
フランシスコ会訳2013
025食事が終わってから、主は杯に ついても同じようにして仰せになりました、「この杯は、わたしの血による新しい契約である。これを飲む時はいつでもわたしの記念とし て、このように行いなさい」。
岩波翻訳委員会訳1995
461125同様に杯をも、食事のあとで〔取り〕、言われた、「この杯は私の血における新しい契約であ る。あなたがたは飲むたびに、私を想い起こすために、このことを行ないなさい」。
新共同訳1987
11:25 また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさ い」と言われました。
前田訳1978
11:25 食後、杯をも同じようにしていわれた、「この杯は、わが血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしの記念にこのようになさい」と。
新改訳1970
11:25 夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行ないなさい。」
塚本訳1963
11:25 食事の後、杯を同じように(感謝)して(分けて、)言われた、「この杯はわたしの“血”の犠牲を払った“新しい約束”である。(今から後、)飲むたびごと に、わたしを記念するためにこのことを行ないなさい」。
口語訳1955
11:25 食事ののち、杯をも同じようにして言われた、「この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい」。
文語訳1917
"461125"," 夕餐(ゆうげ)ののち酒杯(さかづき)をも前(さき)の如くして言ひたまふ『この酒杯(さかづき)は我が血によれる新しき契約なり。飲むごとに我が記念として之をおこなへ』"