塚本虎二イエス伝研究第204講 

   バラバかキリストか

マルコ15章6−15節

               高橋トミ子

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

塚本訳 マコ 15:6-15

15:6 さてピラトは(過越の)祭の都度、人民から願い出る囚人を一人だけ(特赦によって)赦していた。

15:7 ところが暴動の折、人殺しをして繋がれていた暴徒の中に、バラバという者があった。

15:8 群衆が(官邸に)上がってきて、いつもするように(してもらいたい)と願い始めた。

15:9 ピラトは答えて言った、「あのユダヤ人の王を赦してもらいたいのか。」

15:10 ピラトは大祭司連が妬みからイエスを引き渡したことを知っていたのである。

15:11 しかし大祭司連は、(彼よりは)バラバの方を赦してもらえと群衆を煽動した。

15:12 ピラトはまた彼らに言った、「では、お前たちがユダヤ人の王と言っているあの人を、どうしようか。」

15:13 「それを十字架につけろ」とまた人々が叫んだ。

15:14 ピラトは言った、「いったいどんな悪事をはたらいたというのか。」しかし人々はいよいよ激しく、「それを十字架につけろ」と叫んだ。

15:15 ピラトは群衆の機嫌を取ろうと思ってバラバを赦してやり、イエスを鞭打ったのち、十字架につけるため(兵卒)に引き渡した。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

●塚本虎二先生の結論と見解

 

かくしてイエスはついに死の宣告を受けた。そしてそれを死刑にしたのはローマの役人ではなく、その国人、しかも宗教家たちであった。救世主キリストの来臨を待ちそれをもって国是とし、希望とし、然りその存在理由としたユダヤ人が、その救世主を殺したのである。殊にわざわざ彼らが軽蔑していた異教ローマ人の手をかり,賎民だけにしか行わない十字架の刑をもって。殊にいわんや強盗殺人犯のバラバの方を特赦してもらったというが如きは言語道断である。ユダヤ人の罪よ。神の選民の恥よ!

 しかし不思議はない。彼らの救世主イエスは彼らの生命を脅かすものであったからである。救世主イエスは彼らの予期しまた願いし如く、彼らを今あるがままに彼らの理想とする楽園に入れようとせず、彼らの罪を洗い潔めて神の国に入れようとするものであったからである。この意味においてイエスは罪を生き続けようとしている彼らにとり不倶戴天の敵であった。彼らが命がけでイエスを亡き者にしようとしたのは当然であり、また生存上の必要であった。この故にまた彼らの末である罪のこの世の人々は、同じ罪の子であるバラバの末の命乞いをしながら、イエスと彼を信じる者とを十字架につけつつある。

 

 

●感想(高橋トミ子)

コロナ禍により、集会はまだ始まっておりませんが、私達は「通信」によってつながっております。聖書によって結ばれている絆を感じます。

横田様のお働きに感謝いたします。もう少しの辛抱です。祈って待ちましょう。

 

inserted by FC2 system