220313-1     

さかなまーく ΙΧΘΥΣ イクスス()    

イエスス(イエス)クリス(キリスト)、セオス()、ヒュオス()、ソテル(救い主)

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神に対する姿勢

・・・背筋を正す・・・

2022年3月13日 家庭集会 高橋照男

 

キリスト者の皆様お早うございます。座骨神経痛のため、連日右足がしびれるように痛いので、昨日は常に背骨を垂直にするように心掛けた。すると痛みが和らいだ。これは啓示であった。神に対しての姿勢は「背筋をまっすぐにせよ」ということだ。そこで今朝は「神に対する姿勢・・・・背筋を正す」と題して心に浮かぶところを黙想しよう。これが意外に多い。

塚本訳 ルカ 9:51

9:51 イエスは(いよいよ)昇天の日が迫ったので、決然としてその顔をエルサレムへ向けて進み、

塚本訳 マコ 14:35-36

14:35 そしてなお少し(奥に)進んでいって、地にひれ伏し出来ることなら、この時が自分の前を通りすぎるようにと祈って

14:36 言われた、「アバ、お父様、あなたはなんでもお出来になります。どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心がなればよいのです。」

塚本訳 マコ 5:22-23                    5:22 するとヤイロという一人の礼拝堂監督が来て、イエスを見ると足もとに
ひれ伏し、                     5:23 しきりに願って言う、「わたしの小さな娘が死にかかっています。助かって命びろいをするように、どうか行って、手をのせてやってください。」

塚本訳 マコ 5:33-34

5:33 女は自分(の身)におこったことを知っているので、恐ろしくなって震えながら、進み出てイエスの前にひれ伏し、すべてをありのままに話した。

5:34 イエスは言われた、「娘よ、あなたの信仰がなおしたのだ。さよなら、『平安あれ。』もう病気をせず、達者でいなさい。」


塚本訳 ルカ 17:15-16

17:15 ところでそのうちの一人は自分が直ったのを見ると、大声で神を讃美しながら帰ってきて、

17:16 イエスの足下にひれ伏してお礼を言った。それはサマリヤ人であった。


塚本訳 マコ 5:23
5:23
しきりに願って言う、「わたしの小さな娘が死にかかっています。助かって命びろいをするように、どうか行って、手をのせてやってください。」

塚本訳 マタ 9:18
9:18
こう話しておられると、そこに一人の(礼拝堂の)役人が進み出て、
しきりに願って言った、「わたしの娘がたったいま死にました。それでも、どうか行って、手をのせてやってください。そうすれば生き返りますから。」

塚本訳 マタ 8:2
8:2
すると一人の癩病人が近寄ってきて、
しきりに願って言った、「主よ、(清めてください。)お心さえあれば、お清めになれるのだから。」

塚本訳 マコ 5:25-28                    5:25 すると十二年も長血をわずらって、           5:26 大勢の医者からひどい目にあわされて、財産を皆使いはたして、なんの甲斐もなくて、かえってますます悪くなって、

5:27 イエスのことを聞いて、群衆にまじってついて来た女が、後ろからその着物にさわった。

5:28 「お召物にでもさわれば、なおるにちがいない」と思ったのである。

塚本訳 ヨハ 11:3-4
11:3
マリヤとマルタとはイエスに使をやって、「
主よ、大変です。あなたの可愛がっておられる人が病気です」と言わせた。
11:4
イエスは聞いて言われた、「これは死ぬための病気ではない。神の栄光のためである。すなわち(神の栄光をあらわすために、)神の子(わたし)がこれによって栄光を受けるためである。」

塚本訳 ルカ 18:40-43
18:40
イエスは立ち止まって、盲人をつれてくるように命じられた。盲人が近づいてくると尋ねられた。             18:41 「何をしてもらいたいのか。」彼がこたえた、「
主よ、見えるようになりたい。」                       18:42 そこでイエスが、「見えるようになれ。あなたの信仰がなおした」と言われると、                    18:43 たちどころに見えるようになって、神を讃美しながらイエスについて行った。人々は皆これを見て、神に讃美をささげた。

塚本訳 マタ 26:6-7                     26:6 イエスがベタニヤで癩病人シモンの家におられるとき、  26:7 一人の女が非常に価の高い香油のはいった石膏の壷を持って近寄り、食卓についておられるイエスの頭に(香油をすっかり)注ぎかけた。

塚本訳 ルカ 10:39-42                    10:39 マルタにマリヤという姉妹があった。。マリヤは主の足もとに坐ってお話を聞いていた。                  10:40 するといろいろな御馳走の準備で天手古舞をしていたマルタは、すすみ寄って言った、「主よ、姉妹がわたしだけに御馳走のことをさせているのを、黙って御覧になっているのですか。手伝うように言いつけてください。」                      10:41 主が答えられた、「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことに気を配り、心をつかっているが、             10:42 無くてならないものはただ一つである。マリヤは善い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」

塚本訳 ルカ 13:23-24

13:23 するとある人が「主よ、救われる者は少ないでしょうか」と尋ねた。人々に言われた、

13:24 全力を尽くして(今すぐ)狭い戸口から入りなさい。あなた達に言う、(あとになって)入ろうとしても、入れない者が多いのだから。

塚本訳 ルカ 18:1-2

18:1 なお、気を落さずに常に祈るべきことについて、一つの譬をひいて弟子たちに話された、

18:2 「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官があった。

塚本訳 ルカ 18:6-8

18:6 それから主は言われた、「この不埒な裁判官の言うことを聞け。

18:7 (こんな男でもこのとおり。)まして神が、夜昼叫んでいるその選ばれた人々のために仕返し(の裁判)をせず、気長に放っておかれることがあろうか。

塚本訳 マタ 22:11-14

22:11 王は客を見ようとして入ってきたが、そこに礼服を着けていない者が一人いるのを見て

22:12 その人に言った、『君、礼服も着ずに、なんでここに入ってきたのか。』その人が黙っていると、

22:13 王は家来たちに言った、『あの者の手足を縛って、外の真暗闇に放り出せ。そこでわめき、歯ぎしりするであろう。』

22:14 ──招かれる者は多いが、選ばれる者は少ないのだから。」

 

●結論

信仰は神に対する「背筋を伸ばす姿勢「居住まいを正す姿勢」である。

 

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