220423-4
ΙΧΘΥΣ イクスス(魚)
イエスス(イエス)クリストス(キリスト)、セオス(神)、ヒュオス(子)、ソテル(救い主)
聖書で聖書を読む
ガリラヤの町々を叱られる
(ルカ10:13−16)
2022年 5月 1日 高橋照男 家庭集会
塚本訳 ルカ 10:13-16
10:13 ああ禍だ、お前コラジン!ああ禍だ、お前ベツサイダ!わたしがお前たちの所で行っただけの奇跡をツロやシドンで行ったなら、(あの堕落町でも、)とうの昔に粗布を着、灰の中に坐って悔改めたにちがいないのだから。
10:14 ところで、裁きの時には、ツロやシドンの方が、まだお前たちよりも罰が軽いであろう。
10:15 それから、お前カペナウム、(わたしに特別に可愛がられたからとて、)まさか“天にまで挙げられる”などとは思っていないだろうね。(天に挙げられるどころか、)“お前は黄泉にまでたたき落されるであろう。”
10:16 (七十二人の者に言っておく。──)あなた達の言うことを聞く者は、わたしの言うことを聞くのであり、あなた達を排斥する者は、わたしを排斥するのである。わたしを排斥する者は、わたしを遣わされた方を排斥するのである。」
●神に愛される人は、打たれる。
聖書協会・共同訳 詩編 [23]編
詩 23:3 主は私の魂を生き返らせ/御名にふさわしく、 正しい道へと導かれる。
詩 23:4 たとえ死の陰の谷を歩むとも/私は災いを恐れない。/あなたは私と共におられ/あなたの鞭と杖が私を慰める。
塚本訳 ルカ 12:47-48
12:47 主人の心を知っていながら用意せず、あるいは主人の心に従って行動しなかった僕は、(鞭で)打たれることが多い。
12:48 しかし(主人の心を)知らない者は、打たれるようなことをしても、打たれ方が少ない。(神に)多く渡された者は皆多く請求され、(信頼して)多く任された者は一そう多く要求される。
塚本訳 ヤコ 3:1-2
3:1 兄弟達、あまりに多く教師になるな。君達が知っているように、私達教師は(人一倍)厳しい審判を(神から)受けるのに、
3:2 皆しばしば失策をするからである。もし言において失策をしない者があるなら、それは全身にも轡をつけることの出来る完全な人である。
塚本訳 ヘブ 12:5-11
12:5 また、(親がその)子に話すようにして話される(神の)励ましを忘れてしまっている。──“わが子よ、主の訓練を軽んずるな、処罰されるときに、ひるむな。
12:6 なぜなら、主は愛する者を訓練し、好きな子をすべて懲らしめられる。”
12:7 (神の)“訓練”を受けるために、(迫害を)耐え忍べ。神はあなた達を(自分の)“子”のように取り扱われるのである。なぜなら、父の“訓練し”ない“子が”どこにかあるのか。
12:8 もし皆が受ける“訓練が”ないとすれば、それこそあなた達は私生児で、(ほんとうの)“子”ではない。
12:9 かつまた、わたし達は訓練をする者として肉の父を尊敬した(とするならば)、まして霊魂の父に服従して、(永遠に)生きないことがあるだろうか。
12:10 というのは、肉の父は(ほんの)少しの日数(だけ)、自分の考えに従って訓練したのに反して、神はわたし達を益するため、わたし達をその聖さにあずからせるために、訓練されるのであるから。
12:11 あらゆる訓練(というもの)は、その当座は喜びとは見えず、かえって悲しみと見えるが、しかしあとで、それで鍛えた者に(まことの)義の実である平安を与えるのである。
塚本訳 マコ 14:35-36
14:35 そしてなお少し(奥に)進んでいって、地にひれ伏し、出来ることなら、この時が自分の前を通りすぎるようにと祈って
14:36 言われた、「アバ、お父様、あなたはなんでもお出来になります。どうかこの杯をわたしに差さないでください。しかし、わたしの願いでなく、お心がなればよいのです。」
●ロマ書8章18節。邦語100年間の各種翻訳並読。
聖書協会共同訳2018
ロマ 8:18 思うに、今この時の苦しみは、将来私たちに現されるはずの栄光と比べれば、取るに足りません。
フランシスコ会訳2013
018現在の苦しみは、将来、わたし たちに現されるはずの栄光と比べると、取るに足りないとわたしは思います。
岩波翻訳委員会訳1995
450818事実、私は、今この時の苦難は、私たちに啓示されるはずの来たるべき栄光に匹 敵するものではない、と考えている。
新共同訳1987
8:18 現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。
前田訳1978
8:18 わたしは考えます。今の時の苦しみは、われらに現われようとする栄光に比べると、いうに足りません。
新改訳1970
8:18 今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。
塚本訳1963
8:18 (しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(──キリストと一しょ に神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄──)にくらべれば、言うに足りない。
口語訳1955
8:18 わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。
文語訳1917
"450818"," われ思うに、今の時の苦難は、われらの上に顯れんとする榮光にくらぶるに足らず。"