220709-3      

さかなまーく ΙΧΘΥΣ イクスス()    

イエスス(イエス)クリス(キリスト)、セオス()、ヒュオス()、ソテル(救い主)

聖書で聖書を読む 

死者のための祈り。天にて安からんことを

・・・死は眠り。復活の日に必ずまた会える・・・

 高橋照男

 

キリスト者の皆様お早うございます。無教会は儀式という形を否定するが、本質は掴んでいなければならない。葬儀に関して言えば、死者の霊のために「神のもとで安かれ」と隠れて祈るのが神に覚えられる行為、儀式である。今朝はルカ福音書20章38節によって神の子キリストの死生観を学ぼう。

まず、ルカ福音書20章37―38節。

塚本訳 ルカ 20:37-38

20:37 死人が復活することは、(聖書にはっきり書いてある。)モーセも茨の薮の(燃える話の)ところで、主を『アブラハムの神、またイサクの神、またヤコブの神(である)と』と言ってこれを示している。

20:38 ところで神は死人の神ではなく、生きている者の神である。神に対しては、すべての者が生きているのだから。(してみるとアブラハム、イサクなども皆復活して、今生きているわけではないか。)」

 


次に、ルカ福音書20章38節。ルター以後500年間の主要国聖書の引照で心に響くものを抜粋。拙ホームページ利用 

各国聖書引照

 

(日)並行個所・・・・・・塚本虎二訳

塚本訳 マコ 12:14-27

12:24 イエスは言われた、「あなた達は聖書も神の力も知らないから、そんな間違いをしているのではないか。

12:25 死人の中から復活する時には、めとることもなく嫁ぐこともなく、ちょうど天の使のようである。

12:26 死人が復活することについては、(聖書にはっきり書いてある。)モーセの書の茨の薮の(燃える話の)ところで、神がモーセにこう言われたのを読んだことが ないのか、──“わたしはアブラハムの神、またイサクの神、またヤコブの神(である)”と。

12:27 (ところで)神は死人の神ではなく、生きている者の神である。(だからアブラハム、イサクなども皆復活して、今生きているわけではないか。)あなた達は大 間違いをしている。」

  

(英・米)THE NEW TREASURY OF SCRIPTURE KNOWLEDGE 1982 の引照

口語訳 Tコリ15:53-55

15:53 なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。

15:54 この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。

15:55 「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。

 

口語訳 Tコリ15:49

15:49 すなわち、わたしたちは、土に属している形をとっているのと同様に、また天に属している形をとるであろう。

 

(日)新共同訳1987 の引照

新共同 黙  21:4

21:4 彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからであ る。」

 

新共同 ロマ 6:11

6:11 このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。

 

新共同 Tテサ5:10

5:10 主は、わたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。

 

(仏)THE NEW JERUSALEM BIBLE 1985 の引照

口語訳 ロマ 6:10-11

6:10 なぜなら、キリストが死んだのは、ただ一度罪に対して死んだのであり、キリストが生きるのは、神に生きるのだからである。

6:11 このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである。

 


次に、ルカ福音書20章38節。「聖書知識の宝庫 TSK」を読む。

*「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。」

 

ヘブライ人へ 11:16

 16しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。

 

*「人はみな神に生きるものだからである」

ヨハネ 6:57

57生ける父がわたしをつかわされ、また、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう。

 

ヨハネ 11:25-26

 25イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。  

26また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。

 

ヨハネ14:19

19もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見なくなるだろう。しかし、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからである。

 

ローマ人へ 6:22-23

 22しかし今や、あなたがたは罪から解放されて神に仕え、きよきに至る実を結んでいる。その終極は永遠のいのちである。 

 23罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。

 

ローマ人へ 14:9

9なぜなら、キリストは、死者と生者との主となるために、死んで生き返られたからである。

 

コリント人へ第二 13:4

 4すなわち、キリストは弱さのゆえに十字架につけられたが、神の力によって生きておられるのである。このように、わたしたちもキリストにあって弱い者であるが、あなたがたに対しては、神の力によって、キリストと共に生きるのである。

 

コロサイ人へ3:3-4

3あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。  

4わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。

 

結論

主の言葉をパウロや初代教会の面々は深く理解した。つまり、「キリストによって死は滅ぼされ、復活の希望が与えられた」のである。

 

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