220731-1
ΙΧΘΥΣ イクスス(魚)
イエスス(イエス)クリストス(キリスト)、セオス(神)、ヒュオス(子)、ソテル(救い主)
聖書で聖書を読む
親切なサマリヤ人の話
(ルカ10:25−37)
高橋照男
塚本訳 ルカ 10:25-37
10:25 するとそこに、ひとりの律法学者があらわれて、イエスを試そうとして言った、「先生、何をすれば永遠の命がいただけるのでしょうか。」
10:26 イエスは言われた、「律法[聖書]に何と書いてあるか。解釈はいかに。」
10:27 学者が答えた、「“心のかぎり、精神のかぎり、力のかぎり、”思いのかぎり、“あなたの神なる主を愛せよ。”また“隣の人を自分のように愛せよ”で”す。」
10:28 彼に言われた、「その答は正しい。『それを実行しなさい。そうすれば(永遠に)生きられる。』」
10:29 すると学者は照れかくしにイエスに言った、「では、わたしの隣り人とはいったいだれのことですか。」
10:30 イエスが答えて言われた、「ある人が(──それはユダヤ人であった──)エルサレムからエリコに下るとき、強盗に襲われた。強盗どもは例によって(着物を)はぎとり、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。
10:31 たまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ながら、向こう側を通っていった。
10:32 同じくレビ人もその場所に来たが、見ながら向こう側を通っていった。
10:33 ところが旅行をしていたひとりのサマリヤ人は、この人のところに来ると、見て不憫に思い、
10:34 近寄って傷にオリブ油と葡萄酒を注いで包帯した上、自分の驢馬に乗せて旅籠屋につれていって介抱した。
10:35 そればかりか、次の日、デナリ銀貨[五百円]を二つ出して旅篭の主人に渡し、『この方を介抱してくれ。費用がかさんだら、わたしが帰りに払うから』と言った(という話)。
10:36 (それで尋ねるが、)この三人のうち、だれが強盗にあった人の隣の人であったとあなたは考えるか。(同国人の祭司か、レビ人か、それとも異教のサマリヤ人か。)」
10:37 学者はこたえた、「その人に親切をした(サマリヤの)人です。」イエスが言われた、「行って、あなたも同じようにしなさい。(そうすれば永遠の命をいただくことが出来る。)」
●ここは「何をすれば永遠の命がいただけるでしょうか」という人類の大質問に対する答えである。それは新約聖書全体を通してみれば「神の子キリストの受難を礼拝せよ」ということである。これを指し示す聖書の個所は次の通りである。
塚本訳 マタ 26:6-13
26:6 イエスがベタニヤで癩病人シモンの家におられるとき、
26:7 一人の女が非常に価の高い香油のはいった石膏の壷を持って近寄り、食卓についておられるイエスの頭に(香油をすっかり)注ぎかけた。
26:8 弟子たちはこれを見て、憤慨して言った、「なぜこんなもったいないことをするのだろう。
26:9 これは高く売れて、貧乏な人に施しが出来たのに。」
26:10 それと知ってイエスは言われた、「なぜこの婦人をいじめるのか。わたしに良いことをしてくれたではないか。
26:11 貧乏な人はいつもあなた達と一しょにいるが、わたしはいつも(一しょに)いるわけではない。
26:12 この婦人がわたしの体に香油をかけてくれたのは、わたしを葬るためである。
26:13 アーメン、わたしは言う、世界中どこでも(今後)この福音の説かれる所では、この婦人のしたことも、その記念のために一しょに語りつたえられるであろう。」
塚本訳 ルカ 7:44-46
7:44 女の方に振り向き、シモンに言われた、「この婦人を見たか。わたしがこの家に来たとき、あなたは足の水もくれないのに、この婦人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でふいてくれた。
7:45 あなたは接吻一つしてくれないのに、この婦人はわたしが(この家に)来たときから、わたしの足に接吻のしつづけである。
7:46 あなたは(普通の)油をすら頭に塗ってくれないのに、この婦人は(高価な)香油を足に塗ってくれた。
塚本訳 マタ 25:33-40
25:33 羊(である正しい人)を右に、山羊(である悪い人)を左に立たせるであろう。
25:34 それから王(なる人の子)は右側の者に言う、『さあ、わたしの父上に祝福された人たち、世の始めからあなた達のために用意された御国を相続しなさい。
25:35 あなた達はわたしが空腹のときに食べさせ、渇いたときに飲ませ、宿がなかったときに宿をかし、
25:36 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢に入っていたときに訪問してくれたのだから。』
25:37 その時、正しい人たちは答える。『主よ、いつわたし達はあなたの空腹を見て食事を差し上げ、渇かれているのを見てお飲ませしましたか。
25:38 また、いつお宿がないのを見てお宿をし、裸でおられるのを見てお着せしましたか。
25:39 また、いつ御病気であり、牢に入っておられるのを見て、おたずねしましたか。』
25:40 すると王は答える、『アーメン、わたしは言う、わたしのいと小さいこの兄弟たちの一人にしたのは、わたしにしてくれたのと同じである。』
塚本訳 Tコリ11:23-26
11:23 なぜというか。わたしは(晩餐のことを)主から授かり、それをまたあなた達に伝えたのであるが、それはこうである。──主イエスは(敵に)引き渡された夜、パンを手に取り、
11:24 (神に)感謝して裂いて、言われた、「これはあなた達のためにわたすわたしの体である。わたしを記念するためにこのことを行ないなさい」。
11:25 食事の後、杯を同じように(感謝)して(分けて、)言われた、「この杯はわたしの“血”の犠牲を払った“新しい約束”である。(今から後、)飲むたびごとに、わたしを記念するためにこのことを行ないなさい」。
11:26 すなわち、主が(ふたたび)来られるまで、あなた達はこのパンを食べこの杯を飲むたびごとに、主の死(の意味)を、(このことを行なうことによって)宣べ伝えるのである。
●結論
強盗に半殺しにされたユダヤ人は神の子キリストを暗示している。そのユダヤ人を介抱することが神の子キリストの受難に対する礼拝である。それによって永遠の命をいただける。これが新約聖書全体の指し示すところである。