2.220813-4
ΙΧΘΥΣ イクスス(魚)
イエスス(イエス)クリストス(キリスト)、セオス(神)、ヒュオス(子)、ソテル(救い主)
聖書で聖書を読む
神の愛は親心
・・・総ての罪を赦してくださる・・
高橋照男
●キリスト者の皆様お早うございます。過日、日本聖書協会のホームページを見た。ある新約聖書学によるイエスの言動分析は、次の3点に絞られるという。第一は奇蹟。第二は罪人との食事。第三は神の国の譬話。今朝はこれを神学でなく「聖書で聖書で読む」方法で学ぼう。
第一、奇蹟。
塚本訳 マタ 11:4-6
11:4 イエスは答えられた、「行って、(今ここで)聞いていること見ていることをヨハネに報告しなさい。
11:5 ──“盲人は見えるようになり、”足なえは歩きまわり、癩病人は清まり、聾は聞き、死人は生きかえり、“貧しい人は福音を聞かされている”と。
11:6 わたしにつまずかぬ者は幸いである。」
第二、罪人との食事。
塚本訳 マコ 2:15-17
2:15 イエスが(レビの)家で食卓についておられたとき、大勢の税金取りや罪人も、イエスや弟子たちと同席していた。──(すでにこの時)多くの人がイエスに従っていたのである。──
2:16 パリサイ派の聖書学者たちは、イエスが罪人や税金取りと一しょに食事をされるのを見て、弟子たちに言った、「なぜあの人は税金取りや罪人と一しょに食事をするのか。」
2:17 イエスは聞いてその人たちに言われる、「丈夫な者に医者はいらない、医者のいるのは病人である。わたしは正しい人を招きに来たのではない、罪人を招きに来たのである。」
第三、神の国の譬話
塚本訳 ルカ 15:17-24
15:17 ここで(はじめて)本心に立ち返って言った。──お父さんのところでは、あんなに大勢の雇人に食べ物があり余っているのに、(息子の)このわたしは、ここで飢え死にしようとしている。……
15:18 よし、お父さんの所にかえろう、そしてこう言おう、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。
15:19 もうあなたの息子と言われる資格はありません。どうか雇人なみにしてください』と。
15:20 そして立ってその父の所へ出かけた。ところが、まだ遠く離れているのに、父は見つけて不憫に思い、駈けよって首に抱きついて接吻した。
15:21 息子は父に言った、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。もうあなたの息子と言われる資格はありません。……』
15:22 しかし父は(皆まで聞かず)召使たちに言った、『急いで、一番上等の着物をもって来て着せなさい。手に指輪を、足にお靴をはかせなさい。
15:23 それから肥えた小牛を引いてきて料理しなさい。みんなで食べてお祝いをしようではないか。
15:24 このわたしの息子は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』そこで祝賀会が始まった。
●上記三点に共通なことは、「神の愛は親心」ということである。それがルカ福音書15章20節に良く表れているのでここを探求しよう。
●ルカ福音書15章20節。邦語100年間の各種翻訳並読。
聖書協会共同訳2018
ルカ 15:20 そこで、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、
接吻した。
フランシスコ会訳2013
020そこで、彼は立って父のもとへ と行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父は息子を見つけ、憐れに思い、走り寄って首を抱き、口づけを浴びせた。
岩波翻訳委員会訳1995
421520aそして彼は立ち上がり、自らの父親のもとへと〔帰って〕行った。
421520bさて、彼がまだ遠くにあった時、彼の父親は彼を見て、断腸の想いに駆られ、
走っ て行って彼の首をかき抱き、彼に接吻した。
新共同訳1987
15:20 そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。
前田訳1978
15:20 そこで出かけて父のところへ行った。ところが、まだ遠く離れているのに、父は見てあわれみ、走りよって首を抱いて口づけした。
新改訳1970
15:20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口 づけした。
塚本訳1963
15:20 そして立ってその父の所へ出かけた。ところが、まだ遠く離れているのに、父は見つけて不憫に思い、駈けよって首に抱きついて接吻した。
口語訳1955
15:20 そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。
文語訳1917
"421520","
乃(すななは)ち起(た)ちて其「(そ)の父のもとに往(ゆ)く。なほ遠く隔(へだたり)たるに、父これを見て憫み、走りゆき、其(そ)の頚(くび)を抱(いだ)きて接吻(くちづけ)せり。"
●結論
神の愛は親心なのだ。罪を総て赦してくださり、神の国に迎え入れてくださる。