221120-2

さかなまーく ΙΧΘΥΣ イクスス()    

イエスス(イエス)クリス(キリスト)、セオス()、ヒュオス()、ソテル(救い主)

聖書で聖書を読む 

希望

・・・神は希望の源・・・

 

キリスト者の皆様お早うございます。昨日は録画してあった「信愛塾の42年」を見る。クリスチャンの一女性が韓国コリアンの子供の面倒を見て42年。信愛塾の由来は一コリント13:13。

塚本訳 Tコリ13:13

13:13 それゆえに、いつまでものこるものは信仰と希望と愛、この三つ。しかし、この中で一番大きいのは愛!

以前から、この「希望」とはどういうことか分からなかった。今朝はこの「希望」について研究しよう。パソコンソフトの「Jバイブル」で新約聖書の「希望」をヒットして、心に響くものを掲げる。これはパソコンの威力。

 

使   23: 6

そのときパウロは(役人の)一派はサドカイ人、一派はパリサイ人であるのを見て取り、法院で叫んだ、「兄弟の方々、わたしはパリサイ人で、しかもパリサイ人の子です。いま死人の復活の希望のために裁判されているのです。(わたしは復活のキリストを見たと言いますから。)」

 

使   24: 15

 

(また)この人たち自身もいだいている(復活の希望、)正しい人と正しくない人との復活が来ようとしているという希望を、神に対して持っているのであります。

 

使   26: 6

それで、今わたしが(こうして)ここに立って裁判を受けているのは、神がわたし達の先祖に与えられた(救世主の)約束に対して希望を持っているからです。

 

使   28: 20

こんな訳で、わたしはあなた達に会って話したいと願ったのです。わたしは(神のお約束による)イスラエル人の希望のために、この鎖につながれているのですから。」

 

ロマ  5: 2

そうだ、キリストにより、信仰で、わたし達はいまいるこの恩恵の状態に入ることができ、また(最後の日に)神の(子になることを信じて、その)栄光にあずかる希望を誇っているのである。

 

ロマ  5: 4                          忍耐は鍛錬を、鍛錬は希望を生むことを知っているからである。

 

ロマ  5: 5

そしてこの“希望は(必ず実現して、わたし達を)失望させることはない。”神はわたし達に聖霊を授け、それによって愛をわたし達の心の中に(いつも豊かに)注いでいてくださるからである。

 

ロマ  12: 12

希望をもって喜び、苦難に耐え、たゆまず祈れ。

 

ロマ  15: 13

希望の源である神が、(彼を)信ずることにおいて来る無上の喜びと平安とであなた達を満たし、聖霊の力によって(豊かな)希望に溢れさせられんことを。

 

Tコリ 13: 13                        それゆえに、いつまでものこるものは信仰と希望と愛、この三つ。しかし、この中で一番大きいのは愛!

 

Uコリ 1: 7                         そしてあなた達に関するわたし達の希望は動揺しない。あなた達は苦しみを共にしてくれる者であると同じように、慰めをも共にする者であることを知っているからである。

 

Uコリ 3: 12

わたし達はこんな(自信と)希望(と)を持っているのであるから、正正堂堂と振舞い、(福音の真理を説いて、)

 

Uコリ 5: 1

なぜ(こんな希望に生きることができるの)であろうか。もし地上の家であるわたし達のこのテント、(この肉体)がこわれるならば、天に、神の建てられた建物、(人間の)手で造らない永遠の家をいただいていることを、わたし達は知っているからである。

 

ガラ  5: 5

(キリストを信ずる)わたし達は、御霊によって、信仰により、(最後の日に)義とされる希望をもって待っているからである。

 

コロ  1: 5

この愛は君達のため天に蓄えられている希望によるのであるが、この希望のことは曩(さき)に君達が福音の真理の言において聞いたところである。

 

Tテサ 5: 8

しかし私達は昼の者だから、信仰と愛の“鎧(よろい)と、救いの”希望の“兜(かぶと)とに身を固め”て、白面でいようではないか。

 

Uテサ 2: 16

願わくは、私達の主イエス・キリスト彼自らと、私達を愛し、恩恵により永遠の慰めと善き希望を与え給うた私達の父なる神とが、

 

Tテモ 4: 10

私達の奮闘も努力も畢竟(ひっきょう)この生命の約束を目的としている──私達は凡ての人、特に信者の救い主である活ける神に希望を置いているのであるから!

 

テト  2: 13

 

幸福な希望と、大なる神及びわれらの救い主キリスト・イエスの栄光の顕現(によってその希望が満たされること)とを待ち望ませるのである。──

 

ヘブ  6: 19

わたし達はこの希望を魂の安全かつ不動なる錨として持っており、(海の深所ならぬ“聖所の)幕の内に入るのである”。(わたし達の希望がいと高き天にまで達するのはこのためである。)

 

ヘブ  7: 19

この律法は、(罪の赦しや神との和合などを)何一つ成しとげることが(でき)なかったからである。しかし他方では、(イエスによってレビの祭司職によるものに)まさった希望がもたらされ、わたし達はこの希望によって神に近づくのである。

 

ヘブ  10: 23

また、わたし達は(洗礼のとき)告白した(主の再臨の)希望を、動かさずに守っていようではないか。──(これを)約束された方は忠実であるから。──

 

ヘブ  11: 1

(では信仰とは何であるか。)信仰とは、希望することの実現であり、(目に)見ぬ事の確信である。

 

Tペテ 1: 3

讃美すべきかな、我らの主イエス・キリストの父なる神!彼は大なる憐憫により、イエス・キリストが死人の中から復活し給うたことをもって、私たちを活ける希望に新しく生み、

 

Tペテ 1: 13

だから君達の心の腰に帯をして、真面目で(あれ。そして)イエス・キリストの顕れ給う時君達に齎(もたら)される恩恵に全き希望を置け。

 

Tペテ 1: 21

(そして)君達は彼によって、彼を死人の中から甦らせて栄光を給うた神を信ずる者となり、斯くして君達の信仰はまた神に対する希望となった。

 

Tペテ 3: 15

ただ心に“主”キリスト“を(畏れこれを)聖とせよ”。君達にある希望について説明を求むる者には誰にでも、何時でも弁明の用意をして居れ。

 

Tヨハ 3: 3

神にこんな希望を持っている者は皆、キリストが清くあるように、自分を清める。

●結論

復活の希望は神が与えて下さる。

 

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