誰が天国に行けるのか 

・・・人の救いは最後の日・・・

東京聖書読者会 2012.3.4 高橋照男

 

塚本訳マタ 25:35-46 人の子の裁き・・・(2)

25:35 あなた達はわたしが空腹のときに食べさせ、渇いたときに飲ませ、宿がなかったときに宿をかし、

25:36 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢に入っていたときに訪問してくれたのだから。』

*35-1 ●救いの条件が愛の業の有無大小なら私は失格。救いは完全に絶望だ。

 

*35-2 塚本訳 マタ 19:16-17

19:16 するとそこに、ひとりの人がイエスの所に来て言った、「先生、永遠の命を得るには、どんなよいことをすればよいでしょうか。」

19:17 イエスは言われた、「なぜ善いことについってわたしに尋ねるのか。善いお方はただ一人(神)である。(永遠の)命に入りたければ、(神の)掟を守りなさい。」

 

*35-3 塚本訳 マタ 19:20-22

19:20 青年が言う、「それならみんな守っております。まだ何か足りないでしょうか。」

19:21 イエスは言われた、「完全になりたければ、家に帰って持ち物を売って、(その金を)貧乏な人に施しなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。

19:22 青年はこの言葉を聞き、悲しそうにして立ち去った。大資産家であったのである。

 

25:37 その時、正しい人たちは答える。『主よ、いつわたし達はあなたの空腹を見て食事を差し上げ、渇かれているのを見てお飲ませしましたか。

25:38 また、いつお宿がないのを見てお宿をし、裸でおられるのを見てお着せしましたか。

25:39 また、いつ御病気であり、牢に入っておられるのを見て、おたずねしましたか。』

3739-1  ○霊に新しく生まれた者は善行を善行と思わない。

 

3739-2 塚本訳 ヨハ 3:5-6

3:5 イエスは答えられた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、人は霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ない

3:6 肉によって生まれたものは肉であり、霊によって生まれたものだけが霊である(から)。

 

3739-3  塚本訳 マタ 12:33

12:33 木を良いとするなら、その実をも良いとせよ。また、木を悪いとするなら、その実をも悪いとせよ。木(の良し悪し)は実で知られるのである

 

3739-4 塚本訳 ルカ 17:9-10

17:9 言いつけられたことをしたからとて、主人が僕に感謝するだろうか。

17:10 そのようにあなた達も、(神に)命じられたことを皆なしとげた時、『われわれは役に立たない僕だ、せねばならぬことをしたまでだ。(褒美をいただく資格はない)』と言え。

 

3739-5 塚本訳 ヨハ 15:5-6

15:5 わたしが葡萄の木、あなた達は蔓(つる)である。わたしに留っており、わたしもその人に留っている人だけが、多くの実を結ぶのである。あなた達はわたしを離れては、何一つすることは出来ないのだから。

 

25:40 すると王は答える、『アーメン、わたしは言う、わたしのいと小さいこの兄弟たちの一人にしたのは、わたしにしてくれたのと同じである。』

*40-1●これはヒューマニズムか。「わたしのいと小さい兄弟たち」とは誰か。

*40-2 塚本訳 ルカ 10:28-29

10:28 彼に言われた、「その答は正しい。『それを実行しなさい。そうすれば(永遠に)生きられる。』」

10:29 すると学者は照れかくしにイエスに言った、「では、わたしの隣り人とはいったいだれのことですか。

 

*40-3 塚本訳マコ 9:41

9:41 キリストの弟子だからとてあなた達に一杯の水を飲ませる者は、アーメン、わたしは言う、(天にて)その褒美にもれることはない

 

*40-4  塚本訳 使  9:4-5

9:4 彼は地上に倒れ、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と言う声を聞いた。

9:5 サウロが言った、「主よ、あなたはどなたですか。」彼がいわれた、「わたしだ、あなたが迫害しているイエスだ

 

*40-5 ○生まれ変わった者の「愛や親切」は相手が信者か否かを問わない。

 

*40-6 塚本訳 ルカ 10:36-37

10:36 (それで尋ねるが、)この三人のうち、だれが強盗にあった人の隣の人であったとあなたは考えるか。(同国人の祭司か、レビ人か、それとも異教のサマリヤ人か。)」

10:37 学者はこたえた、「その人に親切をした(サマリヤの)人です。」イエスが言われた、「行って、あなたも同じようにしなさい。(そうすれば永遠の命をいただくことが出来る。)

 

*40-7 塚本訳 マタ 5:44-47

5:44 しかしわたしはあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ。

5:45 あなた達が天の父上の子であることを示すためである。父上は悪人の上にも善人の上にも日をのぼらせ、正しい人にも正しくない人にも、雨をお降らしになるのだから。

5:46 自分を愛する者を愛したからとて、なんの褒美があろう。(人でなしと言われるあの)税金取りでも同じことをするではないか。

5:47 また兄弟にだけ親しくしたからとて、なんの特別なことをしたのだろう。異教人でも同じことをするではないか。

 

25:41 それから王は左側の者に言う、『わたしを離れよ、この罰当りども、悪魔とその使いのために用意された永遠の火に入れ。

*41-1●地獄は実在らしいa 不義なる人間には鉄槌も甘受。でも救って欲しい。

 

*41-2  塚本訳 ヨハ 5:28-29

5:28 あなた達は(子が裁くという)このことを驚くに及ばない。時が来ると、墓の中にいる者が皆子(たるわたし)の声を聞いて、

5:29 (墓から)出てくるからである。すなわち、善いことをした者は(永遠の)命にはいるために復活し、悪いことをした者は(死の)罰を受けるために復活する。

 

*41-3 塚本訳マタ 22:9-10

22:9 だから町の出口の所に行って、出会った者をだれでもよいから宴会に呼んでこい。』

22:10 家来たちは道に出ていって、出会った者を悪人でも善人でも皆集めてきたので、宴会場は客で一ぱいになった。

 

*41-4  塚本訳 マタ 13:47-50

13:47 さらに、天の国は地曳網を海におろしてあらゆる種類(の魚)を取るのに似ている

13:48 網が一ぱいになると岸に引き上げ、坐って、良いのは集めて入れ物にいれ、わるいのは投げすてるのである。

13:49 世の終りもそれと同じであろう。すなわち天使たちがあらわれ、義人の中から悪人どもを引き出して、

13:50 火の燃える炉に投げ込み、彼らはそこでわめき、歯ぎしりするであろう。

 

*41-5  塚本訳 黙  20:13-15

20:13 海はその中にあった死人を出し、死も陰府もその中にあった死人を出し、各々その業に応じて審判された。

20:14 そして死と陰府とは火の池に放り込まれた。これが第二の死、(最後の)火の池の死である。

20:15 生命の書に(その名を)書かれていない者は(悉くこの)火の池に放り込まれた

 

*41-6 ○地獄は裁きでなく贖罪の赦しへの導き。福島は十字架を負わされた

 

*41-7 口語訳 黙  3:19

3:19 すべてわたしの愛している者を、わたしはしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって悔い改めなさい。

 

*41-8  塚本訳 ルカ 13:4-5

13:4 またシロアムの(池の)近くの櫓が倒れて(下敷になって)死んだあの十八人は、(当時)エルサレムに住んでいた(ほかの)すべての人よりも罪人だったと思うのか。

13:5 そうではない。わたしは言う、あなた達も悔改めなければ、皆同様に滅びるであろう。

 

*41-9  塚本訳ヘブ 12:8-9

12:8 もし皆が受ける『訓練が』ないとすれば、それこそあなた達は私生児で、(ほんとうの)『子』ではない。

12:9 かつまた、わたし達は訓練をする者として肉の父を尊敬した(とするならば)、まして霊魂の父に服従して、(永遠に)生きないことがあるだろうか。

 

*41-10        塚本訳 ヘブ 12:11

12:11 あらゆる訓練(というもの)は、その当座は喜びとは見えず、かえって悲しみと見えるが、しかしあとで、それで鍛えた者に(まことの)義の実である平安を与えるのである。

 

*41-11 塚本訳 ルカ 15:14-18

15:14 すべてを使いはたしたとき、その国にひどい飢饉があって、食べるにも困り果てた。

15:15 そこでその国のある人のところに行ってすがりつくと、畑にやって、豚を飼わせた。

15:16 彼はせめて豚の食う蝗豆で腹をふくらしたいと思ったが、(それすら)呉れようとする人はなかった。

15:17 ここで(はじめて)本心に立ち返って言った。──お父さんのところでは、あんなに大勢の雇人に食べ物があり余っているのに、(息子の)このわたしは、ここで飢え死にしようとしている。……

15:18 よし、お父さんの所にかえろう、そしてこう言おう、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。

 

25:42 あなた達はわたしが空腹のときに食べさせず、渇いたときに飲ませず、

25:43 宿がなかったときに宿をかさず、裸のときに着せず、病気のとき、牢に入っていたときに見舞ってくれなかったのだから。』

*42〜43-1 ●宗教者は同じ仲間には親切だが、無神論者には冷たいのは問題。

 

*42〜43-2  塚本訳 ルカ 10:30-32

10:30 イエスが答えて言われた、「ある人が(──それはユダヤ人であった──)エルサレムからエリコに下るとき、強盗に襲われた。強盗どもは例によって(着物を)はぎとり、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。

10:31 たまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ながら、向こう側を通っていった。

10:32 同じくレビ人もその場所に来たが、見ながら向こう側を通っていった。

 

*42〜43-3 ○新しい人はこの世の遊びや常識から自然に遠ざかり、輝き出す。

 

*42〜43-4  塚本訳 Tコリ15:58

15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。

 

*42〜43-5 塚本訳 マタ 5:14

5:14 あなた達は世の光である。山の上にある町は隠れていることは出来ない。

 

25:44 その時、彼らも答える、『主よ、いつわたし達は、あなたが空腹であったり、渇いたり、お宿がなかったり、裸でおられ、御病気であり、牢に入っておられたりするのを見て、お世話をしてあげませんでしたか。』

*44-1 ●聖職者や宗教活動家はそれだけで主の業をしていると思うが間違い。

    ●信者も教会員になったり、洗礼を受ければ救われると思うが間違い。

 

*44-2  塚本訳 マタ 7:21-23

7:21 わたしに『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るのではない。わたしの天の父上の御心を行う者(だけ)が入るのである。

7:22 (最後の裁きの)かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、(入れてください。)『わたし達はあなたの名で伝道し、』あなたの名で悪鬼を追い出し、あなたの名で奇蹟を沢山行ったではありませんか』と言うであろう。

7:23 その時わたしは、はっきり彼らに言おう、『かってお前たちを弟子にした覚えはない。『この不届者、わたしを離れよ!』』と。

 

*44-3 ○では「御心にかなう業」「主の業」とは何か。どうすればよいのか

 

*44-4  塚本訳 ロマ 12:2

12:2 また、この世に調子を合わせてはならない。むしろ反対に、何が神の御心であるか、何が善であり、お気に入るものであり、また完全であるかを見分け得るために、(御霊によって)心を一新されて自分を造りかえていただけ。(そうすれば来るべき世への準備ができる。)

 

*44-5  塚本訳コロ 3:10

3:10 新しい人間を着よ。この新しい人間はいよいよ新しくされて、彼を創造り給うた御方の『像(かたち)に肖(あやか)って』(遂に完全なる)知識に達するのである

 

*44-6  塚本訳 ヨハ 6:28-29

6:28 すると人々がたずねた、「(それをいただくために)神の(御心にかなう)業をするには、何をすればよいのでしょうか。」

6:29 イエスは答えられた、「神がお遣わしになった者を信ずること、これが(御心にかなうただ一つの)神の業である。」

 

25:45 その時、王は答える、『アーメン、わたしは言う、このいと小さい者たちの一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったのと同じである。』

*45-1 ●愛の業が少なく、信仰のない山羊の私にも最後に救いの望みがある。

 

*45-2  新共同 マラ 3:2

3:2 だが、彼の来る日に誰が身を支えうるか。彼の現れるとき、誰が耐えうるか。彼は精錬する者の火、洗う者の灰汁のようだ。

 

*45-3  塚本訳 ルカ 18:13

18:13 しかし税金取りは(罪に責められ、)遠く(うしろ)の方に立ったまま、目を天に向け(て祈りをささげ)ようともせず、ただ胸をうって、『神様、どうぞこの罪人のわたしをお赦しください』と言った。

 

25:46 こうして、『この(悪い)人たちは永遠の』刑罰に、正しい人たちは『永遠の命に』入るであろう。」

*46-1 ○律法を守れなかった者にこそ贖罪によって救われる道が備えられる

○桃栗3年柿8年柚の馬鹿ヤロ18年(臨済宗)。人の救いは最後の日(聖書)

 

*46-2  塚本訳 ルカ 13:6-9

13:6 そこでこの譬を話された、「ある人が葡萄畑に一本の無花果の木を植えておいた。(ある日)実をさがしに来たが、見つからないので、

13:7 葡萄畑の作男に言った、『もう三年この方、この無花果の木に実をさがしに来ているのに、まだ実がならない。切ってくれ。(ならないばかりか、)なんで土地までくたびれさせることがあろう。』

13:8 答えて言う、『ご主人、今年もう一年だけ勘弁してやってください。今度は回りを掘って、肥料をやってみますから。

13:9 それで来年実を結べばよし、それでもだめなら、切ってください。』」

 

*46-3 ○罪人は他人の涙の執り成しの祈りで救われる。「涙の子は滅びない」

 

*46-4  塚本訳 ロマ 3:24-26

3:24 (さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ)代価を払わず、(ただ)神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあがないの力で、(神に)義とされる(道が設けられた)のである。

3:25 すなわち神は御自分の義を示すために、宥めの供え物としてキリストを提供された。これはキリストの血でなされたものであり、(人は)信仰によ(ってこの恩恵にあずか)るのである。このことは──神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし日に犯した罪を罰せずにおられたので──

3:26 今の世において、御自分の義を示そうとされたのである。すなわち御自分が義であること、またイエスを信ずる者を義とするお方であることを、(この世に)示されたのである。

 

*46-5  塚本訳ロマ 8:23-24

8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。

8:24 なぜなら、わたし達は(最後の日に救いが完成されるという)望みをもって、救われているからである。目に見ることのできる望みは望みではない。人はいま現に見ているものを、なんでその上望む必要があろうか。

 

*46-6  塚本訳ロマ 8:26

8:26 しかし(創造物やわたし達神の子が苦しんでいると)同じように、御霊も、弱いわたし達を助けてくださる。すなわち、(神のみ心にかなうには)どう何を祈るべきかわからないので、御霊自身が、無言の呻きをもって(わたし達の祈りを神に)執り成してくださるのである。

 

*46-7  塚本訳 ロマ 8:34

8:34 『だれが(わたし達を)罰することができるか。』キリスト・イエスが(わたし達の罪のために)死んで、それだけでなく復活して、いま神の右においでになって、わたし達のために執り成していてくださるのに。

 

*46-8  塚本訳Tコリ13:12

13:12 わたし達はいまは(何事も)鏡でおぼろに見ているが、(完全なものが来る)その時には、顔と顔と相対してみるのである。いまはわたしは部分的に知っているが、その時には、(今神に)知りつくされているからそのようにわたしも知りつくすであろう

 

*46-9 塚本訳 Tコリ15:55

15:55 『死よ、どこに、お前の勝利は。死よ、どこに、お前の剣は』

 

*46-10  塚本訳 Tコリ15:25-26

15:25 彼はすべての『敵を(征服して)足の下に置く』(まで、地上に)王であらねばならないからである。

15:26 最後の敵として、死が滅ぼされる。

 

*46-11  塚本訳黙  22:20

22:20 これらのことを証明する者が言い給う、「然り、私は直に来る。」アーメン、主イエスよ、来たり給え!

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