永遠の命をいただくにはどうすればよいのか

2009年11月29日 東京聖書読者会 高橋照男

塚本訳 マコ 10:17-22

10:17 旅行に出ようとされると、ひとりの人が駆けてきて、ひざまずいて尋ねた、「善い先生、永遠の命をいただくには、何をすればよいでしょうか。」

10:18 イエスは言われた、「なぜわたしを『善い』と言うのか。神お一人のほかに、だれも善い者はない。

10:19 (するべきことは神の掟を守ることだけで、)掟はあなたが知っている通り。──『殺してはならない、姦淫をしてはならない、盗んではならない、偽りの証言をしてはならない、』奪い取ってはならない、『父と母とを敬え。』(ただこれだけである。)」

10:20 その人が言った、「先生、それならみんな若い時から守っております。」

10:21 イエスは彼をじっと見て、かわいく思って言われた、「(よく守った。だが)一つ足りない。家に帰って、持っているものをみな売って、(その金を)貧乏な人に施しなさい。そうすれば天に宝を積むことができる。それから来て、わたしの弟子になりなさい。」

10:22 彼はこの言葉に顔をくもらせ、悲しそうにして立ち去った。大資産家であったのである。

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@最も大切なことは永遠の命。永遠の命とは復活による霊の体。

A死は眠りであり、神の力で霊の体に復活させられる。

B復活の霊の体は第2の創造で第2の人。

C終末はいつか分からなくても、聖霊によって希望を持ち続ける。

Dこの世のものを失い続けて永遠の命を頂く。忍耐して待つ必要有。

E泣くな!ほんとうの命が神によって与えられる。

@最も大切なことは永遠の命。永遠の命とは復活による霊の体。

塚本訳 ヨハ 3:16

3:16 そのゆえは、神はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されたのである。これはその独り子を信ずる者が一人も滅びず、永遠の命を持つことができるためである。

 

塚本訳 Uコリ4:16

4:16 このゆえに、わたし達は気を落さない。いや、わたし達の(生れながらの)外の人はどんなにこわれていっても、(キリストによって生れた)内の人は一日一日と新しくされてゆく。

 

塚本訳マタ 6:25

6:25 だから、わたしは言う、何を食べようかと命のことを心配したり、また何を着ようかと体のことを心配したりするな。命は食べ物以上、体は着物以上(の賜物)ではないか。(命と体とを下さった天の父上が、それ以下のものを下さらないわけはない。)

 

塚本訳Tコリ15:42

15:42 死人の復活もこのようである。(一つの体が死んで別の体が生まれる。)死滅の姿でまかれて不滅の姿に復活する

 

塚本訳 Tコリ15:44

15:44 (神の霊を持たない)魂だけの体がまかれて霊の体が復活する。魂だけの体がある以上は霊の体もあるわけである

 

塚本訳Uコリ5:1

5:1 なぜ(こんな希望に生きることができるの)であろうか。もし地上の家であるわたし達のこのテント、(この肉体)がこわれるならば、天に、神の建てられた建物、(人間の)手で造らない永遠の家をいただいていることを、わたし達は知っているからである。

 

新共同 Tペテ1:4-5

1:4 また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。

1:5 あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています

 

A死は眠りであり、神の力で霊の体に復活させられる

塚本訳 マタ 9:24-25

9:24 言われた、「あちらに行っておれ。少女は死んだのではない、眠っているのだから。」人々はあざ笑っていた。

9:25 群衆が外に出されると、イエスは(部屋に)入っていって少女の手をお取りになった。すると少女は起き上がった。

 

塚本訳  ヨハ 11:11-13

11:11 こう話して、またそのあとで言われる、「わたし達の友人ラザロが眠った。目をさましに行ってやろう。」

11:12 弟子たちが言った、「主よ、眠ったなら(きっと)助かりましょう。(眠る病人はなおると言います。起さない方がよいでしょう。)」

11:13 イエスはラザロが死んだことを言われたのに、弟子たちは安眠していることを言われるものと思ったのである。

 

本訳 Tコリ15:35-36

15:35 しかし、ある人は言うかも知れない、(かりに復活があるとしても、)どんな風にして死人が復活するのか、どんな体で来るのかと。

15:36 訳のわからない人!あなたがまくものは、死ななければ生かされないのだ。

15:36 (君は何という)愚か者(であろう)!・・・1936年試訳

 

塚本訳Tコリ15:43

15:43 恥辱の姿でまかれて栄光の姿に復活する。弱さの姿でまかれて力の姿に復活する

 

塚本訳Tコリ15:49

15:49 こうしてわたし達は土の人の姿を帯びたように、(復活の時は)天の人の姿を帯びるであろう

 

B復活信仰の間違い。復活の体は第二の創造で第二の人

塚本訳 マコ 12:22-25

12:22 ついに七人とも子をのこさず、一番最後にその女も死んでしまいました。

12:23 (もし復活があるなら、)人が復活する復活の折には、この女はその(七人の)うちのだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしましたから。」

12:24 イエスは言われた、「あなた達は聖書も神の力も知らないから、そんな間違いをしているのではないか。

12:25 死人の中から復活する時には、めとることもなく嫁ぐこともなく、ちょうど天の使のようである。

 

塚本訳 Tコリ15:45-47

15:45 (聖書にも)このように書いてある、「最初の『人』アダム『は魂だけの生きものになり』、最後のアダム[キリスト]は命を与える霊になった」と。

15:46 しかし霊のものが最初でなく、魂だけのものであり、その次に霊のものである。

15:47 最初の『人は地から出て土で出来たものであり』、第二の人は天の出である。

 

塚本訳マコ 12:26-27

12:26 死人が復活することについては、(聖書にはっきり書いてある。)モーセの書の茨の薮の(燃える話の)ところで、神がモーセにこう言われたのを読んだことがないのか、──『わたしはアブラハムの神、またイサクの神、またヤコブの神(である)』と。

12:27 (ところで)神は死人の神ではなく、生きている者の神である。(だからアブラハム、イサクなども皆復活して、今生きているわけではないか。)あなた達は大間違いをしている。」

 

C終末はいつか分からなくても、聖霊によって希望を持ち続ける。

塚本訳 ヨハ 11:23-27

11:23 イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」

11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」

11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。

11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」

11:27 イエスに言う、「はい、主よ、(信じます。)あなたが救世主で、神の子で、世に来るべき方であると、私は信じています。」

 

塚本訳 ロマ 14:9

14:9 キリストが死んで生き返られたのは、死んだ者と生きている者との主になるためであるから。

 

塚本訳 マタ 24:35-36

24:35 天地は消え失せる、しかし(いま言った)わたしの言葉は決して消え失せない。

24:36 ただし(人の子の来る)その日と時間とは、ただ父上のほかだれも知らない。天の使いたちも知らない。

 

塚本訳 ロマ 5:5

5:5 そしてこの『希望は(必ず実現して、わたし達を)失望させることはない。』神はわたし達に聖霊を授け、それによって愛をわたし達の心の中に(いつも豊かに)注いでいてくださるからである。

 

塚本訳 Uコリ1:22

1:22 このお方がまた、わたし達に(御自分のものという)証印をおし、その手付けとして御霊をわたし達の心の中にくださったのである

 

塚本訳 Uコリ5:5

5:5 このことがわたし達に出来るようにされたお方は神であり、このお方がその手付けとして御霊を下さったのである

 

塚本訳ロマ 8:11

8:11 しかしイエスを死人の中から復活させたお方の御霊があなた達の中に住んでおられるなら、キリスト・イエスを死人の中から復活させたそのお方は、あなた達の中に住んでおられるその御霊によって、あなた達の死ぬべき体をも生かしてくださるであろう

 

 

Dこの世のものを失い続けて永遠の命を頂く。忍耐して待つ必要有。

新共同 ヨブ 1:21

1:21 「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」

 

塚本訳 ルカ 18:24-25

18:24 彼を見ると、イエスは言われた、「物持が神の国に入るのは、なんとむずかしいことだろう。

18:25 金持が神の国に入るよりは、駱駝が縫針のめどを通る方がたやすい。」

 

塚本訳マコ 10:23

10:23 イエスは(うしろ姿を見送っておられたが、)やがて見まわして、弟子たちに言われる、「物持ちが神の国に入るのは、なんとむずかしいことだろう。」

 

塚本訳ルカ 18:28-30

18:28 ペテロが(イエスに)言った、「でも、わたし達はこの通り、自分の持ち物をすててあなたの弟子になりました。」

18:29 彼らに言われた、「アーメン、わたしは言う、神の国のために家や妻や兄弟や親や子を捨てた者で、

18:30 この世でその幾倍を、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。」

 

塚本訳 マタ 16:26

16:26 たとい全世界をもうけても、命を損するならば、その人は何を得するのだろう。それとも、人は(一度失った永遠の)命を受けもどす代価として、何か(神に)渡すことができるのだろうか

 

塚本訳 ルカ 21:16-19

21:16 あなた達はまた親、兄弟、親族、友人からまで(裁判所に)引き渡される。殺される者もあろう。

21:17 またわたしの弟子であるために皆から憎まれる。

21:18 しかしあなた達の髪の毛一本も決して無くならない。

21:19 あなた達は忍耐によって、自分の(まことの)命をかち取ることができる

 

塚本訳 ロマ 8:23-25

8:23 しかし(苦しんでいるのは)創造物だけではない。わたし達自身も、(神の子にされた証拠として)御霊なる初穂を持っているので、このわたし達自身も、自分(のみじめな姿)をかえりみて、呻きながら、(正式に神の)子にされること、すなわちわたし達のこの(罪の)体があがなわれ(て、朽ちることのない栄光の体にされ)ることを、待っているのである。

8:24 なぜなら、わたし達は(最後の日に救いが完成されるという)望みをもって、救われているからである。目に見ることのできる望みは望みではない。人はいま現に見ているものを、なんでその上望む必要があろうか。

8:25 しかしわたし達が見ていないものを望むとすれば、忍耐をもって待たねばならない

                                             E泣くな!ほんとうの命が神によって与えられる。

             (季刊「無教会」巻頭言 20098月)

塚本訳 ルカ 7:12-15

7:12 町の門の近くに来られると、ちょうど、ある独り息子が死んで、(棺が)舁き出されるところであった。母は寡婦であった。町の人が大勢その母に付添っていた。

7:13 主は母を見て不憫に思い、「そんなに泣くでない」と言って、

7:14 近寄って棺に手をかけ──担いでいる者は立ち止まった──「若者よ、あなたに言う、起きよ!」と言われた。

7:15 すると死人が起き上がって物を言い出した。イエスは『彼を母に渡された。』

 

女性は「命」の母。だから「命」を失った時は誰からも慰められようとしない(マタイ218)。しかしこの奇蹟によって、「命」は全能の神に完全に掌握されているものであることが見える形で人類に示された。これにより我々は来世での有体的復活が確実に与えられることの希望も与えられた。この世の出来事は来るべきものの影。(コロ217)。

口語訳 マタイ 9:23-25
9:23
それからイエスは司の家に着き、笛吹きどもや騒いでいる群衆を見て言われた。
9:24
「あちらへ行っていなさい。少女は死んだのではない。眠っているだけである」。すると人々はイエスをあざ笑った。
9:25
しかし、群衆を外へ出したのち、イエスは内へはいって、少女の手をお取りになると、少女は起きあがった。


我々はこの世の命のことで「わめき騒ぐ」。かって大切なお嬢様を亡くされた御母堂にこの24節の「少女は死んだのではない。眠っているだけである」を書いてお送りした。すると大変慰められたというお手紙を頂いた。死は眠りだ。神の子イエスがそう言われるのだから間違いない。

文語訳  ルカ 23:28
23:28
イエス振反りて女たちに言ひ給ふ『エルサレムの娘よ、わが爲に泣くな、ただ己がため、己が子のために泣け。

十字架を担ぐイエスの姿を見て泣いた女性たちに向かってイエスは「我が為に泣くな」と言った。「己がために泣け」とは、自己の悪と滅びを泣けという意味である。世界の悪は自分の悪。                   『無教会』に新しい「命」である若い人が誕生せず「いのちが失われている」のは、キリスト教2千年の「有体的復活」の史実伝承(第一コリント153)を継承していないため、復活観が希薄だからである。復活の体が「永遠の家」、「ほんとうの命」。しかしこの復活の信仰は神の祝福があって初めて誕生するものである。

塚本訳マコ 8:36-38

8:36 全世界をもうけても、命を損するのでは、その人になんの得があろう

8:37 また、人は(一度失った永遠の)命を受けもどす代価として、何か(神に)渡すことができようか。

●生命科学者は遺伝子操作はできても「命」そのものを生みだすことはできない。ましてやほんとうの命なる「永遠の命」はいかに努力しても人間には獲得できない。私は9年前に脳内出血で意識不明になったが幸い回復された。その時に与えられた認識は「命は99%ではなく100%神に握られている」ということであった。

新共同 マタ 19:25-26

19:25 弟子たちはこれを聞いて非常に驚き、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言った。

19:26 イエスは彼らを見つめて、「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」と言われた。

●さらばこの世の命のことで嘆くな。

「泣くな!ほんとうの命が神によって与えられる。」

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