復活の喜び
    胸が熱くなるとき-----空になった墓の史実伝承
                復活信仰への旅
         
            1999.8.22今井館伝道聖書集会)

1・来世を固く信じていた父の死

1992年4月15日立川病院、私は腎臓結石摘出手術のため初めての全身麻酔を行った。夕方の四時に手術開始、麻酔をかがされるとすぐ分からなくなった。「高橋さん終わりましたよ」という女の人の声で目がさめると夜の八時であった。その体験は印象的であった。自分では意識のない四時間、しかし呼び声で覚まされる。死後来世に目覚めるというのはこのような事なのだろうかとそのとき思った。5月2日に退院。

1992年6月9日青梅市慈光病院、家族が見守る中で私の霊肉の父が召された。呼吸が少なくなりいよいよというときに私は父の耳元で叫んだ、「ロマ書8章!ロマ書8章!」。父はロマ書8章18節が特愛の句であったからである。「われ思ふに、今の時の苦難(くるしみ)は、われらの上に顯(あらは)れんとする榮光(えいくわう)にくらぶるに足らず。」父は目をしっかり見開いていたが聞こえたのであろうか。最後の五年間ほどは病の床にあったが見舞いに行くと「御国は近い、御国は近い」が口癖であった。生前父は、神は罪を赦す神であるということ、再臨のとき全人類は神の実在を知るということをしばしば語っていた。父は来世の実在と再臨を固く信じていたのである。しばらくして東京聖書読者会のフ夫人がお悔やみにこられた。「お父様は照男さんの御退院を待って天国へ旅立たれたのですよ」との言葉についにこらえきれずに涙があふれ出た。塚本先生から葬式のときには決して泣いてはいけないといわれていたのだが。

2・死人の復活について 中沢洽樹先生との対話
         死は眠りであり神の想起で復活する

1993年1月15日、清瀬に坂上国蔵さんの見舞いに伺ったとき、その書棚にあった中沢洽樹著「旧約遍歴」のなかの「霊魂不滅と復活」(1990年3月25日仙台嘉信会講演)
に目が止まった。その内容は、「キリスト教は霊魂不滅の死生観(ギリシャ思想や仏教)ではない。死は眠りである。人間は最後の日に神の想起(思い出すこと)によって復活する。」というものであった。イエスは死は眠りであると考えていた事は、ルカ11章11節、ラザロの死に対してのイエスの言葉「わたし達の友人ラザロが眠った。目をさましに行ってやろう。」とマタイ9章24節「あちらに行っておれ。少女は死んだのではない、眠っているのだから。」において明快である。"
わたしはこの論考に感動し、中沢先生にお手紙を差し上げたところ、高橋が一番よく理解してくれたと言って喜んでくださった。ただ肉体の死から復活までの間の状態について、わたしは「肉体も魂も霊(内村鑑三は人間はこの3つから成り立っていると考えていた)もすべて無くなる、しかし神の想起によってのみ再びよみがえる」との考えに、中沢先生は「肉体と魂はなくなるが、霊の命は神のうちに隠されていて(眠っていて)、最後の日に神の想起によって復活の体で甦る」とお考えなっておられた。この相違に関して2月から3月にかけて頻繁に手紙の往復をさせていただいた。人間は神の想起(神が思い出すこと)で甦る。このことの聖書的根拠はルカ福音書23章42節、イエスと一緒に十字架にかけられた罪人の一人がイエスに言った言葉「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。」(塚本訳・以下同)にある。この罪人は復活は神が思い出すことによって起こるのだということを、つまり人間は神とイエスの主権によってのみ復活が可能であることを信じていた。これに対しイエスは「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽(パラダイス)にはいることができる。」といわれた。そのときがいつであるかは問題ではなく、その人がたとい陰府(よみ)にいようが、あるいは生前の不信の結果ないしは罪の結果地獄にいようが、神が想いだして下さればどんな人間でも死人の甦りにあずかることができるのである。救いはこの世だけでなく死後にもチャンスはある。神の想起による決断に望みがあるからである。ここに、死ねば自動的に神の御許に行って永遠に憩うという霊魂不滅の死生観とは異なる聖書の死生観がある。再臨の日における神の決断に最後の救いのチャンスがあることは、血を分けた不信の肉親同朋の救いについても希望が持てる。またその救いが、本人の信仰のいかんに関わらず周囲の熱心な信仰によっても実現する事は、イエスの病気治療が、病人の肉親や周囲の人間の祈りによって実現している事から、推し量る事が出来る。

マタイ9章1819節、2325節
こう話しておられると、そこに一人の(礼拝堂の)役人が進み出て、しきりに願って言った、「わたしの娘がたったいま死にました。それでも、どうか行って、手をのせてやってください。そうすれば生き返りますから。」イエスは立ち上がって彼について行かれた、弟子たちも一しょに。…………やがてイエスは役人の家に着いて、笛吹き男と騒いでいる群衆とを見ると、言われた、「あちらに行っておれ。少女は死んだのではない、眠っているのだから。」人々はあざ笑っていた。群衆が外に出されると、イエスは(部屋に)入っていって少女の手をお取りになった。すると少女は起き上がった。"
 

3・「胸が熱くなる」ことによって見えたもの             
       空の墓の史実と使徒伝承 喜びと希望の確信

1997年春、私は東京聖書読者会でそれまで10年間ヨハネ福音書を購読してきたが、第20章「空の墓」の個所にさしかかったときのことである。これは聖者伝説の一種で神話であり、史実ではないとする近代聖書学の旗手たちの学説を読むと頭がすっきりした。しかし胸は熱くならなかった。ところが一方それを史実と信じている人々の本を読んだときには胸が熱くなった。私の胸を熱くした人はカトリック、プロテスタント、無教会に限らないが、無教会に限って言えば二代目までは多いがそれ以後は少なくなっていることは新しい発見であった。この事実は重要なことなので後半で取り上げる。この原体験が私にとっての復活そして使徒伝承さらには再臨信仰への開眼の起点となった。胸が熱くなったが故に一瞬に見えたものがあるからである。それは

     1 空の墓は歴史的事実であること、
     2 それは罪の赦しと永遠の生命の実在の証拠であること、
     3 その信仰告白は地上で(歴史的に)連鎖的につながりついにこの私にまで  
       到達した。

このことである。この三つの開眼はひとえに「胸が熱くなった」ことが原因であるが、胸が熱くなることによって聖書の真理が分かると言うことはルカ24章31、32節、エマオ途上の二人の事件が補強する。「(その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。

空の墓が史実であると信ずるに至った過程

 「胸が熱くなった」ことによって見えた第一番目のこと、「空の墓」の史実性について。近代聖書学の成果で、イエスおよび福音書執筆の背景についてはつぎつぎと真相に迫る事が出来ている。その結果空の墓の物語は「聖者伝説」であり、史実ではないとの見解が私が読んだ約60ほどの解説書の半数を占めている。(ごく最近では、1998年7月に翻訳出版されたE・トロクメの「受難物語の起源」教文館、は「受難物語は、キリスト教運動のごく初期にエルサレムで行われていたイエスの受難を記念する典礼の枠内で用いられていた物語である」というのがテーゼである。)私自身も長い間それに似た考えであった。そう考えると頭がすっきりするからである。しかしそういうとき胸は熱くならない。これとは反対に「空の墓」を史実と信じている人々の見解(その人たちは二千年前にもどって実際に目で確かめたわけではないからそれは信仰告白である。)を読むと、不思議に胸が熱くなるのであった。このようなことで「空の墓」が史実であったとみなすのは科学的方法とは程遠いものであるが、胸の熱さが心の目を開き、「墓が空であったこと」は歴史的事実であると信じざるをえなくなったのである。先人が信じていることを「その通りだ」と信じられるようになること、ここに信仰告白伝承の連鎖反応がある。わたしはこの目で空の墓を確かめたのではない、しかしマリヤ(女たち)そして主の愛する弟子(使徒ヨハネと考えられる)、ペテロの証言をはじめとしそれ以後連綿と二千年間続いてきた使徒伝承の内容が本当であると、胸の高鳴りが故に(こういう信じ方は非科学的ではあるが)信じる事が出来るようになったのである。そして「墓が空であった」というイエスの肉体の物理的消失の不思議さは、イエスの復活は有体的復活(見える形での、霊体の、有体的の復活)が事実であるとの信仰につながっていった。そしてこのイエスの遺体の物理的遺失と有体的復活、このことがまた再臨信仰(いなくなったのだから再び来られるのはあたりまえ)の根拠なのである。私自身は空の墓を肉眼で確かめてはいない、有体的霊体のイエスに出会っていない。しかし使徒たちの伝承に「胸が熱くなる」ことによってそれが本当である事を信じた。
このような信じ方でよいのか、然り、そのような信じ方で良い、否、それが本当の信仰であると、ヨハネ福音書は言う。

ヨハネ20章1節10節
(翌々日、すなわち)週の初めの日(日曜日)の朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に来てみると、墓(の入口)から石がのけてあった。そこでシモン・ペテロと、イエスが可愛がっておられたもう一人の弟子との所に走って行って言う、「主を墓から取っていった者があります。どこに置いたのかわかりません。」そこでペテロはもう一人の弟子と飛び出して、墓へと急いだ二人とも(始めのほどは)一しょに走っていたが、もう一人の弟子の方が(年が若かったので、)ペテロより早く走っていって、先に墓に着いた。身をかがめると、(墓の中に)亜麻布があるのが見えたが、それでも中には入らなかった。続いてシモン・ペテロも来た。彼は墓に入り、亜麻布が(そのままそこに)あるのを見た。また頭をつつんだ手拭は亜麻布と一しょになく、これだけ別の所に、包んだまま(の形)になっていた。すると先に墓に着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた。イエスは死人の中から復活されねばならないという聖書の言葉が、(この時まで)まだ彼らにわかっていなかったのである。それから二人の弟子は家にかえった。"

 ここはつい見過ごしてしまうが重要な部分である。それは「見て、信じた」という部分である。それはもう一人の弟子(使徒ヨハネと考えられる)が空の墓を見て、そこで、復活のイエス(神学用語ではこれを顕現という)に接しなくても、イエスの復活を信じたというのである。実はこれがヨハネ福音書の絶頂なのである。それに比べあのトマスはイエスの復活に接しても、また釘の跡を見ても信じなかったのである。イエスがトマスに言ったそのときの言葉「わたしを見たので、信じたのか。幸いなのは、見ないで信ずる人たちである。」(20章29節)は実はあの「もう一人の弟子」の信仰の深さと対比して語られているのである。(編集史的に見れば、ヨハネ教団が自分たちの師である使徒ヨハネの信仰を理想の形であると強調するために、トマスの不信を持ち出してそのコントラストをはっきりさせた、と考えられる。)
 もう一人の弟子たる使徒ヨハネは、物理的に空になった墓、イエスの遺体の遺失、それを見て復活を信じた。イエスの復活(顕現)に接しなくても復活を信じた。それはまた使徒以後の信者のあるべき姿が語られているのである。第一ペテロ1章8節に次のようにある。
「君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦を喜んでいる。」第一ペテロの読者も現代の私達も今となっては有体的復活のイエスに出会う事はない。しかし地上の歴史を通して連鎖的に続いてきた信仰告白伝承を耳で聞き、霊の力で「心の目が開かれ、」胸が熱くされて復活が本当である事を「見ないで信じる」ことが出来る。その人は幸いであるという。なぜか、その人に神の力が働いたからである。

マタイ16章17節
するとイエスは(喜んで)ペテロに答えられた、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いだ。これをあなたに示したのは血肉([人間]の知恵)でなく、わたしの天の父上だから。"

復活信仰に伴う喜び

イエスの復活が信じられるようになったとき湧き上がるものがある。それは「喜び」である。復活の記事には必ず「喜び」という現象がついて回る。私自身も「空の墓」が歴史的事実であると信じられるようになってから、ずいぶんと変わった。それまでは信仰を持っていても死は恐怖であり、底知れぬ悲しみ、また淋しさに襲われるものであった。そして死後の世界のことは、ぼんやりと信じる世界のことであった。しかしイエスの遺体の物理的消失という超自然的なこと、しかもそれが歴史の事実として起こった事に確信が持てると、来世は必ずあることが疑おうにも疑えなくなった。悲しみに歯止めがかかった。それは旅行の切符を手に握った感じ、天国の家の権利書を眼前に見てそれを握り締めた感じとなった.そしていやはての敵である死の恐怖が突破できたことに、喜びと希望に溢れるようになったのである。

マタイ28章8節
女たちは恐ろしいが、また嬉しくてたまらず、(中には入らずに)急いで墓を立
ち去り、弟子たちに知らせるために走っていった。"

ルカ24章41節
喜びのあまり、彼らがまだ信じられずに怪しんでいると、「ここに何か食べるものがあるか」と言われた。"

ヨハネ16章20節
アーメン、アーメン、わたしは言う、(わたしがいなくなると)あなた達は泣いて悲嘆にくれるが、この世は喜ぶであろう。あなた達は悲しむが、その悲しみは(やがて)喜びにかわるであろう。"

ヨハネ16章22節
だから、(同じく)あなた達にも今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなた達に会うのだから、(その時)あなた達の心は喜ぶであろう。そしてあなた達からその喜びを奪う者はだれもない。"

ヨハネ20章20節
そしてそう言いながら、手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。"

 さて今日「私は復活を信じている」という人がいるとき、それは大体において次のような論理である。「イエスの死によって悲嘆にくれていた弟子達が急に見違えるように活動し始めた。このことによってその背後には何かあったらしいことが分かる。復活という事実がなければそれは説明できない。」こういうことでの復活信仰である。私も長い間このような信仰であった。しかしこれは頭の信仰であり心からの信仰でなかったのだ。冷たい論理の信仰であったのだ。復活信仰はマリヤに始まる史実伝承とそれを受け継いだ人々の連鎖の信仰告白を聞いて「胸が熱くなる」ことによって信じられるようにさせられる、ここに本道がある。その時それは信じるというより「そうだ」と示される、教えられるのである。墓にあったはずのイエスの遺体は消えた。その超自然的な現象は、人間が来世と永遠の命を信じやすくするための神の最良の手段なのではあるまいか。少なくとも私にとっては、この体験の日以来、これが「来世と永遠の命の実在」の確信の証拠、またバネ、またゆるぎない土台、死の淋しさ悲しさの歯止めになった。そしてまた同時に噴出したのは「喜び」。この喜びの事実もまた復活が真理である事の証明である。

復活の信仰告白伝承の重要性

 見ないで信じた最大の人物はパウロである。パウロは直弟子達とは異なり、有体的復活のイエスに接したのではない。(白水社「ナグ・ハマディ写本」初期キリスト教の正当と異端エレーヌペイゲルス著 荒井献、湯本和子共訳48ページ)光を見、声を聞いただけである。(使徒9章34節、22章78節)ところでパウロは福音を天からの光と声だけでわかったのではない。エルサレム集会から、つまり地上の歴史的伝承という媒介を通してその史実(三日目に死人のなかからよみがえり)と信仰告白(わたし達の罪のために死なれたこと、)を聞いたのである。そして自らは馬から落ちるほどの衝撃的啓示でその真理を悟ったのである。

第一コリント15章38節
まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。そのあと、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた。そのうちの多数の者はいまでも生きてい(て、わたしが嘘を言っていないことを証明してくれ)る。もっともすでに眠った者もあるにはある。そのあと(御兄弟の)ヤコブに、それから使徒一同に、御自分を現わされた。しかし一番最後には、さながら月足らずのようなわたしにも御自分を現わされた。

人間は天からの啓示だけで、つまりまったく地上の信仰告白伝承の世話にならないで救われる事はない。無教会者といえども二千年間続いてきた信仰告白伝承の世話になって信仰を受け継いだのである。仮に聖書だけで救われたとしても、聖書の中にはペテロやパウロなど無数の証人がいるのである。人間は複数の信仰告白の証人に囲まれて福音に到達できるのである。

ロマ10章1315節
ほんとうに(預言者ヨエルが言うように、)主[キリスト]の名を呼ぶ者はすべて救われる。ところで、(呼ぶだけで救われると言うが、)信じたことのない者を、どうして呼ぶことができようか。聞いたことのない者を、どうして信ずることができようか。説く者がなくて、どうして聞くことができようか。(神に)遣わされなければ、どうして説くことができようか。(しかし説く者はある。それはわたし達である。)善いこと[福音]を伝える人たちの足の、なんと美しいことよ!と書いてあるとおりである。

ペテロに「イエスの死は罪のための死」である事がわかった経過

「胸が熱くなった」ことによって見えた第二番目の事、復活は罪の赦しの証拠であることについて。それはペテロへの復活のイエスの最初の現れ(顕現)がペテロをして贖罪の真理を悟らせた原因となったことである。新約聖書にはパウロがどのようにしてイエスの死の贖罪の意味を知ったかが書かれているが、パウロへの情報の源流であるペテロが、どのようにしてイエスの死を人類の贖罪のためであると認識したか、その経過は詳しく書かれていない。ただ復活のイエスはペテロに最初に現れたということが強調されている。このこと、つまり最初にペテロに現れてくださった。ここにあの裏切りを赦すという神の個別的な罪の赦しの行動を見ることができる。

ルカ24章3334節
時を移さず二人は立ち上がってエルサレムに引き返して見ると、十一人とその仲間とが集まっていて、「ほんとうに主は復活して、シモン(・ペテロ)に御自分を現わされた」と話してくれた。

第一コリント15章5節
またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。"

これらは後代の教会がペテロに権威を持たせるために加筆したのだと言われてきたが、
事実上誰よりも先に(マグダラのマリヤは別として)ペテロに現れたものであったらしい。ペテロのあの裏切りにもかかわらず最初に出会ってくださったイエス。その現れにペテロは自分の罪が赦されたことを実感した。頭での贖罪理論でなく、事実上自分の罪は、イエス自身が眼前に「現れてくださったことによって」赦された事を知った。この事実がペテロにその背後に働く神の力を認めさせたのである。イエスは死から起こされた、そこに神の意志とその意味を知った。神の罪の赦しの心がペテロに迫ってきた。つまりイエスの死と復活に出会い、その出来事をなさったのは神であり、それが神の罪の赦しの業であったことを自らの個人的失敗を通して知った。ここに人類で第一番にイエスの死を贖罪と信じた人物はパウロでなくペテロであることがわかる。この事はクルマン著「ペテロ」(荒井献訳・新教出版社)の結論である。ペテロがそのような贖罪信仰(それは全人類のための死というのではなく、実に個人的な罪の赦し)にいたった理由は、復活の、しかも有体的復活に出会ったからであり、そのことの故にやむをえず(無理やり)信ぜざるをえなくなったというのが実情である。
 イエスの復活が「罪の赦し」の証拠であることは、ペテロの裏切りと、それにもかかわらず復活して最初に自分に現れてくださったという事実によって、まずペテロによって理解されたのである。ペテロにとっては罪赦された体験が先で贖罪理論はあとからのことであった。

マルコ14章31節
するとペテロが躍起となって言った、「たとえご一しょに死なねばならなくても、あなたを知らないなどとは、決して申しません。」皆も異口同音にこたえた。"

マルコ14章7172節
しかしペテロは、「あなた達が言っているそんな男は知らない。(これが嘘なら、呪われてもよい)」と、幾たびも呪いをかけて誓った。するとすぐ、二度目に鶏が鳴いた。ペテロは、「鶏が二度鳴く前に、三度、わたしを知らないと言う」とイエスに言われた言葉を思い出して、わっと泣きだした。(いつまでも涙が止まらなかった。)

有体的復活とはどのようなことであるか

 イエスの復活は、人の心の中への復活ではない。事実、目に見える形での復活であった。しかしその体は我々の肉体のように物理的体でなく、閉まっているドアの向こうからすっと入ってこられ(ヨハネ19章20節)、また目の前からすっと姿が消せるような(ルカ24章31節)性質のものであったらしい。つまり物理的肉体ではなく霊体であるが肉眼で見えたらしい。この肉眼で見えたイエス、有体的復活、これが弟子たちのその後の伝道活動のバネであった。今日でも、復活といえば実存的悟りあるいは心の目が開かれることぐらいにしか考えてない人がいる。その説明ではあの伝道に立ちあがった弟子たちの力の原因は説明できない。(八木誠一氏の復活理解は頭がすっきりするので筆者の若き日には魅力的であったが、胸は熱くならなかった)。事実イエスは復活の霊体で目に見える形で復活された。このことは塚本訳聖書では次ぎに示すようにその敷衍の故に明快である。

使徒2章30節
神は(救世主である)このイエスを(預言どおりに)復活させられました。わたし達は皆このことの証人です。(イエスの復活を目の当り見たのだから。)"

使徒10章3942節
(使徒たる)わたし達は、イエスがユダヤ人の地、ことにエルサレムでされた一切のことの証人です。・・このイエスを人々は(十字架の)木にかけて処刑した。しかし)神はこの方を三日目に復活させ、(人の目にも)見えるようにされた。(ただし)国民全体でなく、神からあらかじめ選ばれていた証人であるわたし達、すなわちイエスが死人の中から復活されたあとで、一緒に飲み食いした者(だけ)に見えたのです。そして神はわたし達に命じて、この方こそ神に定められた、生きている者と死んだ者との審判者であると、国民に説きまた証しさせられるのです。""

塚本先生はイエスの復活は肉眼で見えたということをはっきりさせるために、この敷衍を付けられた。最近塚本先生の敷衍は邪魔であるという人がいるが、もしその人が特にこの部分は邪魔だと言う人がいたら、その人はグノーシスに近い考えの持ち主である。現代のグノーシスは「イエスは有体的に復活せず、心の中に幻で復活した」という。実はこの考え方は現在不幸にも無教会の中に、しかもかなり影響を与える指導者層に見うけられる。無教会衰退の主因は実に有体的復活信仰の欠如にあると考えられる。無教会はいまや仏教的悟りに似たもの、あるいはブルトマンの影響で実存的理解の信仰の人がいる。これらの諸説は胸が熱くならないばかりか頭もすっきりせず、否、かえって頭も混乱するとは、さる長老の見解である。復活は喜びの爆発である。希望の充満と来世実在の確信である。
ところで有体的復活と言えば、誰でもが客観的に見えたのか(つまり写真に写ったのか)と言うと、そうではなくイエスは自分を理解してくれる人の前だけに姿を現したらしい。右に点線を付したところによれば、復活は肉眼で見えたがある特定の人にのみ見えたと言うのである。これは次のイエスの言葉からも推量できる。イエスは自分を慕うものの間でのみ姿をあらわしたというのである。

ヨハネ14章1923節
もう少しするとこの世(の人)はもはやわたしを見ることができなくなるが、あなた達は(間もなく)わたしを見ることができる。わたしは(死んでまた)生き、(それによって)あなた達も生きるからである。その時あなた達は、わたしが父上の中に(おるように)、あなた達がわたしの中に、わたしがあなた達の中におることを知るであろう。わたしの掟をたもち、これを守る者、それがわたしを愛する者である。わたしを愛する者はわたしの父上に愛され、わたしもその人を愛して、その人に自分を現わすであろう。(だからわたしを愛する者だけが、わたしを見ることができるのだ。)」イスカリオテでない方のユダが言う、「主よ、いったいどういうわけで、わたし達だけに御自分を現わし、この世(の人)にはそうしようとされないのですか。」イエスは答えられた、「わたしを愛する者は、わたしの言葉を守る。するとわたしの父上はその人を愛され、わたし達は(父上もわたしも)、その人のところに行って、同居するであろう。

 塚本先生はある人がドイツに勉強に行くときに次のように語った。「君、東京の真中で処女降誕と復活をまともに信じている群れがあることを土産話として持っていってくれたまえ。」また、内村鑑三が有体的復活を固く信じていた事の根拠は枚挙に暇がないから、言わない。無教会の初期は、有体的復活信仰を固く信じており、使徒信条をまともに信ずることにおいてそれは教会以上であったことは、万人の認めるところであった。ところで現在はどうか、今日はそれが問題なのである。私は現在無教会において、特に指導社層において使徒信条の連鎖が途切れている事実を知っている。

使徒伝承への目覚め

 わたしが「胸が熱くなって」分かるようになった第三のことは、使徒伝承である。わたしは墓が空になっていたのは史実であると信じている人に触れて胸が熱くなったのである。その人たちとの出会いはほとんど著書においてであり、しかもその多くは過去の人であった。しかしそこには証人としての光があり、わたしはその複数の証人に私にとっての「使徒」を見た。そこには「権威」があった。そしてその権威の力、権威の光が二千年間連鎖して、「ついにこの私にまで到達した」ことが見えたのである。このときあのパウロの「一番最後には、さながら月足らずのようなわたしにも御自分を現わされた。」(第一コリント15章8節)が理解できた。連鎖反応の鎖がいまこの私にまで来た。わたしは連鎖の鎖の最後に結ばれた。信仰告白伝承はついにこの私にまで到達した。これからは次世代に向けてこの鎖を投げて行かなければならない。この自覚、そこで自ずと湧き上がる自覚は「私も使徒なのだ!!」である。伝承の鎖の最後を掴まされたが故の「使徒たる我」、パウロの使徒職の自覚はここにある。それは天から与えられた自覚なのだ。二千年後の我々も今またここに信仰告白伝承の最後の場に立たされているわけである。したがって我々は万人祭司主義というよりも万人使徒主義といったほうが良いのである。
 以上の事は次の著作に出ている事を知って、さらに確信を深めた。
ブルンナー著作集第四巻教義学?(上)160ページ、新教出版社1998年1月。
「使徒たちはキリストの啓示の目撃者であり原証人である。教会は、この原始キリスト教的エクレシアと歴史的連続性のあるときに使徒的である。…………そしてこの信仰に従ってキリスト者であることに彼が到達するのは、ただあの歴史的連鎖を媒介としてである。その連鎖は、イエスから原証人としての使徒たちを通り、この原証人の上に建てられた教会を通って彼にまで下ってくる。」
(なおこの巻は非常に興味深く四日間で読んでしまった。173ページには無教会について書かれている。これが神学というものなら神学とは実に面白いものだと思った。)

4・復活はどこまでが史実か
    中沢先生告別式茶話会での体験、荒井献先生との出会い。

1997年6月18日、中沢洽樹先生は闘病の末に召された。立教大学で行われた告別式のあとの茶話会の席でのことである。あらかじめ指名を受けていた私は先に述べた中沢先生との往復書簡をもとに死後の復活について話した。そのなかでイエスは肉眼に見える形で復活されたと言った時、前のほうに座っていた立教大学の神学教授とおぼしき人たちが皆苦笑した。わたしはそのときどっと感情が高ぶり、ペテロやパウロが復活を説いたときに皆に馬鹿にされたことを思い出した。それでとっさに先に述べた塚本訳の敷衍を持ちだし、有体的復活を強調した。私のあとにスピーチに立たれたのは荒井献先生であった。先生は今日は復活論まで出て大変良い会であったと述べてくださった。わたしはこれが縁で荒井先生と知り合いになり、復活のことで手紙のやりとりを何回かさせていただいた。先生は歴史と信仰の世界を峻別されることで有名な方で、歴史の中に安易に信仰を持ちこまれない方である。このために先生は、世の中から復活信仰を持っておられないのではないかと誤解されることがしばしばある。

1998年4月、荒井門下の佐藤研先生(荒井献先生とともに岩波書店発行の新約聖書の翻訳責任編集者)は、現代思想(青土社)4月号に「復活信仰の成立」という論考を書かれた。その結論はイエスの弟子たちにとって空の墓は衝撃であった。復活信仰はこの史実が基盤になっている、と言うものである。「我が意を得たり」というのはこのようなときに使うのである。佐藤論考のポイントを記そう。
「イエスの墓が空になった、ということが史実であると想定せざるを得ない最大の論拠は次の点にある。つまり、イエスの弟子たちが『イエスは復活した』と宣教し始めたとき、一般のユダヤ教徒がそれを反駁するに際し、墓の中のイエスの死体を指示できなかった点である。……………日曜日の朝、イエスの死体が葬られたはずの墓から消失してしまっていたのであり、その事態が、当所を訪れた女たちにまず明らかになったのである。このことの史実性だけは、カンペンハウゼンの言う通り、ほとんど否定できない。」(現代思想1998年4月号113114ページ)

1999年2月、前年の11月にわたしはヨハネ福音書の購読の資料を私家版「復活のおとずれ」と題してまとめ、それを荒井献、佐藤研の両先生にも献呈した。そのとき同時に「イエスの墓が空であったのは歴史の中の出来事か、つまり史実であるか、あるいはいわゆる歴史外の信仰の世界の事か」と問うたのである。その結果両先生から奇しくも「墓が空になっていたのは史実であった………と信ずる」という明快なお答えをいただいた。佐藤先生からの電子メールでのご返事は右論考の故に予想していたのであるが、荒井先生からこのようにはっきりしたご返事をいただけるとは予想していなかったので、わたしは心の中で「万歳」と叫んだ。ここにエクレシアが誕生したと感じたからである。イエスの有体的復活をまともに信じる仲間、それが真のエクレシアのメンバーである。復活信仰なしの集団はエクレシアではない。

空の墓の告知がなぜ復活信仰を生むか

荒井、佐藤両先生のお手紙の中には「空の墓をただ見ただけでは復活信仰は生まれない、それを知った人に霊の力が働くとき、それが復活の証拠となる。」ということが強調されていた。この事は1998年11月、高倉徳太郎著「福音的キリスト教」、この名著に触れることによって一層明らかになった。高倉徳太郎はブルンナーの言葉を引用して次のように言う。「啓示は過ぎ去った言葉の現在生きることであり、十字架にかかりしキリストの現在にはたらくことであり、我における絶対他者のはたらくことである」。169ページ。十字架の意味を今に教えるのは神の実在の働きの故であるということから、空の墓の告知から復活信仰が生まれるのも同じような原理であることを知った。
 今日のわれわれが、空の墓を知って復活信仰にいたるのは、神が今現在新しく私に働かれて「心の目」を開いてくださるからである。十字架(過去の出来事)の事実を知って、それが今に働く神の力により「心の目」が開られ、今この時代に神によって私の罪が赦されるという体験をする。ここに現在私に働く神の実在を認識するのである。「罪の赦しの体験が神を知る唯一の道である」と言われる理由はここにある。罪の赦しの開示はその人の心のうちに十字架の啓示をもって実現され、人間はそのとき神の実在「エゴーエイミ」を知るのである。しかし十字架の事実を知っても信仰に至らない人がいる。神がその人に罪の赦しの主権の発動をしなければ人間の心はいつまでも闇のままだからである。人の救いは神の主権のうちにある。空の墓の情報は今に働く神の言葉である。この事は十字架についてと同じである。

第一コリント1章18節
なぜか。この十字架についての言葉は、滅びゆく者には馬鹿なことであるが、わたし達救われる者には、神の力(の現われ)であるから。

有体的復活信仰が再臨信仰を生む

1999年3月、内村鑑三の「復活と再臨」(大正7年4月10日『聖書之研究』213号1912年)に出会った。何とそこに書かれていることは、再臨信仰はイエスが体を持って目の前に甦った事実から、信じざるをえなくなって生まれたと言うのである。ここにおいてもイエスの有体的復活がキリスト教の再臨信仰の基礎中の基礎であることが分かった。再臨無くして我々の復活は無い。再臨が無ければ死んで天国に行って眠ったままで終わりである。現在大部分のキリスト教信者はそう思っているのではないであろうか。私自身がそうであった。私は再臨信仰はユダヤ教の黙示文学にもとづくひとつの思想であると思っていた。再臨信仰は日本人には馴染みにくいのである。しかし再臨信仰は今朝出かけて行った人が帰ってくるのと同じく当然のことである事が分かった。墓が空であったことが、復活の証明であり、有体的復活との出会いが再臨のへの確信である。「帰って来る」と言い残して行ったイエスは必ず帰って来る。それは有体的復活が証拠である。イエスは40日間地上にいたが天に上った。しかし帰って来る。そのとき眠っていた信者は復活の体で甦る。それなくして我々の希望は無い。

第一テサロニケ四章十四節
私達が信ずるようにもしイエスが死んで復活し給うたならば、神はイエスによって眠った者をも同様にイエスと共に連れ来たり給うであろうから。"

ここに再臨信仰が復活の事実に基いていることが良く現れている。再臨はイエスの復活が基礎である。わたしは「墓が空になった」ことで胸が熱くされ、そのことで再臨信仰にまで目が開かれたことに驚いている。
 

5・使徒伝承と無教会 神はなぜ日本に無教会を植えたのか

「神が日本に無教会主義を植えた目的は何か」。これがわたしの長い間の疑問と課題であった。1999年1月、キリスト教愛真高校の校舎増築竣工検査の日に風間文子校長から伺った話が私の膝を打たせた。風間校長が恵泉女学園(風間校長はその中学と高校の校長を歴任された)におられたときのことである。時の理事長であった武藤富男氏が、教職員に対し「無教会の人達(職員たち)をいじめてはならない、彼らは十字架と復活を固く信じている。彼らにはそれきり無いのだ。」と語ったと言う。これを聞いてわたしは長年の課題が一瞬に解けた。「神は無教会に復活の使徒伝承を負わせたのだ。教会抜きにその使徒伝承だけで立たせたのだ。」と。教会組織という外側をはずして使徒伝承の中味だけを継承させたのだ。もの事は外側を壊さなければ中身が見えない。福音は教会組織と言う壁で内部が見えなくなっていた。武藤氏の「彼らにはそれきり無いのだ」という指摘は、無教会は本質だけで立たされた集団であることを、ひらめかせてくれた。外側の教会組織は内部を覆い隠すという弊害をもたらすからである。教会はイエスの体という「宮」ですでに完成しているのだ。教会という建物はイエスの復活ですでに完成している。今は旧約でなく、新約の時代なのである。

ヨハネ20章1822節
するとユダヤ人が口を出した、「あなたはこんなことをするが、(その権威を証明するために、)どんな徴[奇蹟]をして見せることができるのか。」イエスは答えられた、「このお宮をこわせ、三日で造ってみせるから。」ユダヤ人が言った、「このお宮を建てるには四十六年もかかったのに、あなたは三日で造るというのか。」しかしイエスは自分の体のことを宮と言われたのであった。だから死人の中から復活された時、弟子たちはこう言われたことを思い出して、聖書とイエスの言われた言葉と(が本当であること)を信じた。

ヘブル10章1821節
(すでに)こんな(罪の)赦しがある以上、もはや罪のための捧げ物(の必要)はない。(旧約による祭司制度も礼拝の行われる聖所も、全然必要がなくなったのである。)(わたし達は今や旧約の律法から解放されて、新約の時代に入った。)だから、兄弟たちよ、わたし達はイエスの血により、安心して聖所に入ることができるのである。それは(イエスが)わたし達のために開かれた新しい生きた道である。わたし達は(彼自身である)幕、すなわち彼の肉体を通るのである。そして、(わたし達には)神の家をつかさどる偉大な祭司があるのである。

復活の使徒伝承に固く立つとき、そこに霊の教会が誕生する。その場合外側の教会組織は福音の中味を隠してしまう危険な存在である。外側の組織に安住して中味が希薄になるからである。希薄ならまだよいが「教会を誤解」してあたかもその存在が救いに絶対必要な不可欠の条件であるようにふるまう職業宗教家が出現するからである。ある日、復活に関する職業宗教家たちの座談会(「復活信仰の理解を求めて」1997年サンパウロ)を読んで、彼らの職業的地位に安住した復活論が、教会組織の刺身のつまのようであり、気の抜けたビールのような感じがして唖然とした。無教会は外側が無く使徒伝承の中味だけで立っている。ここに命があるのだ。神が日本に無教会を植えた本質はここにあると見る。それは宗教上の不純を排除している集団としての無教会ではなく、使徒伝承をになう旗手としての無教会、そこに無教会の本質がある。神は使徒伝承の継承を担う集団として日本において無教会を立てた。教会がその成長を自己目的とするとき、それは神の国はいかにして来るかとの新約聖書の示すところとは大いにずれているのである。神の国は教会の成長や支配によっては来ない。それは手段ではあるが目的ではない。
このことはまたブルンナーの言葉によって見ることができる。
「主はエクレシアの証の言葉を用い、それによって御自身の自己伝達の仕事を継続する。エクレシアはそのようにして神の国を建て、人間の間に神の支配を樹立するための道具、神の手にある手段となる。エクレシアはそれゆえこの意味において目的のための手段であって、自己目的ではない。」ブルンナー著作集第4巻教義学3(上)186ページ。
 

6・現代無教会のグノーシス的傾向  ヨハネ教団の取った道

1998年4月、集会で11年間購読したヨハネ福音書は3月に終了し、4月からはヨハネの手紙に進む事にした。その手紙を学ぶに当たって、始めにその執筆の動機や背景を学んだところ、それは実に現代無教会が置かれている諸相と類似している事がわかった。グノーシスのことである。それと同時にヨハネ教団(ヨハネ福音書やヨハネの手紙を生み出した集団で、使徒ヨハネを師と仰ぐ流れにある。)が苦悩のうちに取った道は、ペテロに始まる伝承に立ち戻ること、つまり使徒伝承への回帰という事であった。グノーシスとの対決とその解決としての伝承への回帰、このヨハネ教団が選択した道を今日の無教会は範とすることができる。
 グノーシス、その中でも特にヨハネ教団が直面したグノーシスの思想は、この文献のここであると特定できないのが今日の学問的見解である。そこでその思想を探る方法としてはヨハネの手紙が敵を批判する部分を裏返してみて、そこにグノーシスの思想を読取ろうとする方法がとられる。とにかくアガペーの言葉が沢山出てくる手紙であり、一見美しいと思われるヨハネの手紙であるが、良く読んでみると実に激烈な批判に満ち満ちていることが分かる。「初期キリスト教の敵はローマ帝国にあらずしてグノーシスであった」という言葉はこの手紙を読めばわかる。その決定的な個所は次のところである。

第1ヨハネ2章22節
(それならば)だれが嘘つきか。イエスは救世主ではないと否認する者(、すなわち彼を単なる人間と見る者でなくして、だれであろう)。こんな者こそ反キリストであって、父と(その)子とを否認する者である。

第1ヨハネ4章13節
愛する者たちよ、(今わたしは神の霊と言ったが、)どの霊をも信じないで、(まず)それらの霊が神から出たのかどうかを吟味しなさい。というのは、多くの偽預言者が(キリストの集会をはなれたこの)世に出てきているからである。(しかしこれを吟味することは難しくない。)あなた達はこのことで神の霊を知るのである。──どんな霊でも、イエス・キリストは肉体で(この世に)来られた(神の子である)ことを公然認めるものは、神から(出たの)であり、どんな霊でも、イエス(が肉体を取られた神の子であること)を公然認めないものは、神から(出たの)ではない。それは反キリストの霊である。それが来ることを、あなた達は(かねがね)聞いていたのであり、今やすでに、それがこの世におるのである。"

今日、これがグノーシスの思想であろうとされている内容を要約するとおおよそ次のようになる。「キリストの霊はイエスが洗礼者ヨハネから洗礼を受けたときにイエスに入り、十字架に架けられる前にイエスから離脱した。従って十字架に架けられたのは人間イエスであり、キリストは苦しみもせず血も流さなかった。然るに墓に葬られなかった。葬られたのは人間イエスである」と(各種文献総合)。これは実に分かりやすい受け入れやすい考えである。肉体と霊の分離の思想である。特に仏教国の我が国においてはすんなり理解できる思想である。ところがこれがキリスト教にとって死命を制する最大の問題であった。キリストが肉体をとってこの世に来られ、苦しみ、血を流し、葬られ、三日目に有体(霊ではない、心の世界の幻視ではない)として復活したこと、ここに神の人類に対しての深い愛がある。永遠の生命の希望により、人類を死の恐怖から解き放つ愛がある。ところがグノーシスはそれをことごとく否定し去ったのである。つまり神の親切を無にしたのである。だから福音書は実はキリストがこの世に来られ、苦しみ、血を流し、葬られ、三日目に有体として復活したことを現すため、つまりグノーシス対策の為に書かれねばならなかったのである。(E・シュヴァイツァー「イエス=キリスト」教文館266ページ)
 この事を学んでわたしは当時のグノーシスは何と現代の無教会に類似していることかと感じたのである。その事実を述べてみよう。まず復活の問題である。わたしが「墓が空になった」ことが復活の証拠である、と言うと、「イエスの死体が墓に残っていたとしても復活信仰はありうる」という返事がある。なぜこのような考えが起こるか、それは霊魂の不滅思想が背景にあるからである。その結果はどうか、死者の霊は肉体を離れて永遠に神のところに憩い、そのままという考えなのである。まるで仏教である。力が無い。復活の朝の再会の希望と喜びなど微塵も無い。本当の喜びは再臨の時の復活の体での再会、歓喜である。子供を無くした母親に「霊魂は不滅である」あるいはただ「天国で会える」などと言っても何の慰めにもならない。復活である、再臨の時の復活体での再会である。これを神は人類に教えようとして「初穂」としてイエスを復活させて見せた。また死は一時の眠りであり神の一声で生命を与えられることの証明としてラザロを復活させたのである。それであるのに、体の復活などを重要視しない考え、それは神から出たのではない、反キリストの霊である。無教会はどっぷりとこの思想に漬かっている。その原因は、無教会は地上の見えるもの触れるものを毛嫌いし、あるいは低く見る傾向がある。私は建築設計を通し、無教会者の芸術観に触れることが多いが、顕著なのは色彩に関して(特に赤に関して)罪悪と言えるほどの毛嫌いの態度を示すのはなぜか。これでは無教会はみなドブねずみ色一色になってしまう。肉よりも霊、見えるものより見えないもののほうを尊いものと考えるところから健全な文化芸術は生まれない。このままでは無教会からバッハやレンブラントのような芸術家は輩出しないであろう。尊いのは霊で、見えるものをそれより低く考えているからである。その結果信仰が精神主義となり、、イエスの死体がそこにあっても復活信仰はありうるという発言になる。
また、復活は心の中の幻の体験であるという実存的解釈をする人がこれまた無教会の中にいる。これも精神主義である。この人にとっても「墓が空になった」という情報は意味の無い事である。この人にとってもイエスの死体が墓に中にありつづけても、復活信仰はあると言う。しかしそれは心の中の開眼かあるいは悟りのようなものであり、そこには喜びというものが無い。第一ヨハネの手紙を読めば、復活を固く信じている人と、反キリストの人の違いは、愛の行為のあるなしでそれが見分けられると盛んに言っている。どっちの信仰が正しいのか、それを見開ける方法は「愛」の実行がなされているのかどうかだと言う。

第一ヨハネ3章10節
神の子と悪魔の子と(の区別)は、この点において明らかである。──(義を行う者、すなわち兄弟を愛する者は神から出た者であり、)すべて義を行わない者、また兄弟を愛しない者は、神から(出た者)ではない。"

現代の無教会はグノーシス的である。仏教的である。精神主義である。復活の使徒伝承を継承しなかった報いとしてこうなった。有体的復活信仰の喜びが無い。死んだら天国へ行って親しい人と出会ってそれでおしまいである。霊魂不滅の思想だからである。死人の復活信仰がない。聖書が言うところは死は一時の眠りである。人間は死ぬと肉体も霊魂も無になるが神の一声で復活する。この思想が無教会には希薄である。(実は中沢先生が無教会での告別式を行わなかった理由もこの辺にある。生前、私は先生から無教会の告別式のあり方に何回かご注意をうけた。故人に呼びかけるな。故人の徳をたたえるだけに終始するな。などであった。)
 ヨハネ教団はグノーシスの出現により内部分裂したが、それにどう対処したかを次に見てみよう。まず分裂の事実はそれは次の個所からわかる。

第一ヨハネ2章1819節
小さい人たちよ、(いまや)最後の時である。反キリストが現われるとかつてあなた達が聞いたように、今や沢山の反キリストが出ている。このことから、(いまが)最後の時であることをわたし達は知るのである。彼らはわたし達の中から出ていった。しかし(もともと)わたし達のものではなかった。もしもわたし達のものであったら、(いつまでも)わたし達と一しょにいるはずだからである。ただすべてがわたし達のものではないことが知られるため(、彼らは出ていったの)である。

ヨハネ教団はその高度な教会観………教会制度なく、儀式無く、信者は人間の教師からではなく神に直接導かれるという、無教会に似たもの………のために内部にグノーシスという異端がはびこり始めた。各自が霊によって導かれるというのは次のところに現れている。

ヨハネ16章1214節
まだ沢山言うことがあるが、(今は言わない。)あなた達にはいまそれを理解する力がない。真理の霊が来る時、彼があなた達を導いていっさいの真理を悟らせるであろう。(いっさいの真理というのは、わたしと同じく、)彼は自分勝手に話すのではなく、(父上から)聞いたことを話すからである。また将来起るべき(世の終りの)ことをあなた達に知らせるであろう。彼は(こうして)わたしの栄光をあらわすのである。というのは、彼はわたしのものの中から取ってあなた達に知らせる(ので、結局わたしに代って仕事をつづける)のだから。

これはつまり信者は神から直接教えられて歩むのであるというのである。これは新約の究極の姿であると同時にどんな異端が出てくるか分からないのである。その結果ヨハネ教団は分裂した。このときヨハネ教団はこの内部問題に対処するために、ヨハネ福音書の増補改定第3版を出したのだという。(アーバン・C・フォン・ヴァールド「葛藤の信仰共同体……ヨハネ共同体の歴史と社会的背景」インタープリテーション1996年5月号)このヨハネ福音書第3版の編集者は、第21章を加え、1523節[ペテロ殉教の予言]でペテロの使徒性を高く評価し、ペテロの影響下にある集団との接近と強調を図るとともに、ペテロ亡き後は制度や宗教専門教師ではなく「(無名の)主の愛する弟子」が使徒伝承(復活の告知)の主役であると断言する。
「始めから」の伝承に回帰すべきこと、このことを第一ヨハネでは次ぎのように言う。

第一ヨハネ2章7節
愛する者たちよ、わたしは(何も今までになかった)新しい掟をあなた達に書いているのではない。むしろ(イエスが来られた)始めからあなた達が持っていた古い掟である。古い掟というのは、あなた達が(かつて)聞いた御言葉である。
2章24節
あなた達は始めから聞いたことを(いつまでも)留めておかねばならない。もし始めから聞いたことがあなた達に留まっているならば、あなた達は(永遠に)子と父とに留っているであろう。

 このようにヨハネ教団はグノーシスによる混乱の解決に「始めから」のものという使徒伝承に回帰した。これはペテロに土台をもつ初期カトリシズムへ回帰したというわけではない。ペテロに始まる使徒伝承への回帰である。そしてその担い手は使徒ヨハネという人物ではなく、「(無名の)主の愛する弟子」であるべきとしているのである。ヨハネ福音書が「使徒ヨハネ」の名前を出さないのは、人間ヨハネに教会の礎を置かないようにとの配慮であると考えられる。人間ペテロにカトリック教会が礎を築いたのとは異なる。ヨハネ教団では復活の信仰を固く保つ無名の信徒、そこに伝承の主役を見たのである。先生を祭り上げないで真実の信仰をもつ無名の信徒をエクレシアの土台とする洞察は優れていると考えなければならない。ヨハネ教団は混乱の解決を伝承(始めからのもの、それはイエスにさかのぼる)への回帰で決めた。
 ところで無教会は、この使徒伝承についてあまりはっきりしていない。歴史の伝承に世話になっていながら、天の力で直接救われ、誰の世話にもならないで救われたように思っているのではないか。それは精神主義ではないか。その結果はどうか、信仰が哲学的になり、あるいは実存的悟りとなり、冷たい「変な」ものになりつつある。歓喜が無い、喜びが無い。胸が熱くならない。21世紀の無教会は、始めに回帰して、有体的復活を固く信じる使徒伝承の担い手でなければならない。
 内村鑑三の復活と再臨の論考を読むと、牧師神学者はそれを十分に信じてないことを盛んに述べ、かえって普通の信者のほうが固くそれを信じている例を持ち出している。このことは、神は教会が怠っていた「復活と再臨の使徒伝承」を継承させるために内村鑑三を起こし、やむを得ず変な名称の「無教会」で使徒伝承を続けたのではないか。無教会の本質は信仰の純粋性にあるのではなく、使徒伝承の継承の旗手としての存在にあった。ところがその無教会は「始めに」保持していた使徒伝承の復活と再臨を忘れ、今日無教会は「論」で固まりはじめ(それは一種の教会論)、かつグノーシス的になっている。

7・真の教会は復活信仰の伝承を担う人々

私は先に述べた私家版の「復活のおとずれ」の献呈文に次のように書いた。
「キリストの墓が空になっていたのは、罪の赦しと復活と永遠の生命の実在の証明である」
これに対していただいたご返事のうち、それは「まことに然りとの思いでございます。」(風間文子)との連絡は、私に自信を持たせた。「これは真理だ、私のほかにもそう考えている人がいる。」そのほかこの様な事もある。いろいろな集まりで、空の墓を信じて胸が熱くなったと言う話をすると、少数ではあるが必ずといってよいほど、「お話を伺って私も胸が熱くなりました」と真剣な態度で言って言ってくる人が出現するのである。(お世辞でなく……無教会にはお世辞が無いのがよい)また依頼されたので信仰雑誌に「空の墓のこと」を書いたら、わざわざその主筆に「胸が熱くなった」と手紙を寄せた人があるという。わたしはこの不思議な現象に驚いている。そして実はこれが真のエクレシアの形成なのであることを知った。復活の使徒伝承が巧まずして誕生しているのである。使徒の教会がそこに誕生した。それは全世界に共通の「聖なる公同の教会」である。それは「聖徒の交わり」である。見える教会と見えない教会の議論などとは次元のはるかに異なる生命の事実、生命の実在のことである。この内実なしのいわゆる「無境界主義」はヒューマニズムの思想レベルのことであって真の命がない。それは「神が無教会主義を日本に植えた」そのせっかくの心を理解していない。
私の「胸が熱くなった」話を聞いて、同じように胸が熱くなった人の間に、「使徒の教会」が誕生している。それは時空をこえた存在である。無教会の枠を出た交わりである。これが「真の教会」である事は初期無教会の内村、塚本、黒崎先生らの主張するところである。この教会は地上の教派に属さない。しかし使徒伝承の本質を把握している。その関係は「聖徒の交わり」で永遠である。これが真の教会であり、また真の無教会なのである。そこには自由、喜び、歓喜、生命がある。それは死を突破するのである。!!
マタイ1618節
それでわたしもあなたに言おう。・・あなたはペテロ(岩)、わたしはこの岩の上に、わたしの集会を建てる。黄泉の門[死の力]もこれに勝つことはできない。

 1999年6月27日、筑波バッハの森音楽会へ行った。その日はクレドー(わたしは信じる)の音楽を集めて演奏された。そのなかのひとつグレゴリオ聖歌のものはニケア信条が歌詞である。ラテン語からの石田友雄訳がプログラムにあった。わたしはその中の一行に釘付けになった。「唯一の聖なる公同の、使徒の教会を(私は信じる)」。まことに然りである。信ずべきは使徒の教会である。それ以外のものは教会であって教会でない。その意味で無教会の初期は使徒の教会であったのだ。ミサ曲はこのクレドーを中心にした曲であり、この歌詞の内容を千数百年間も変わらずに歌いつづけてきた。「(イエスは)三日目によみがえった」と。ここに復活の使徒伝承が行われ続けている。

 以上は私の信仰告白である。この信仰告白は私に与えられた最大の財産であり、次へ伝承すべき「信仰の遺産」である。

                                                                                         1999年7月13日 長雨の日、56歳の誕生日に       
                                                                                                                                             
高橋照男
 

 

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