十字架を負わされた時の慰め

東京聖書読者会 高橋照男 2006.10.1

●内村鑑三の名著に「基督信徒の慰め」がある。しかし「十字架を負わされた時」という章がないのはなぜだろう●新約聖書はこれ全編十字架を負わされた初代教会信徒に対する慰めである●今日でも、基督信者、およびその家庭には「得体の知れない不幸」が襲ってくる。意味不明の苦難が襲ってくる。●これ基督信徒にのみ襲う特有の苦しみでもある●「あの人がねー」「あの家庭にねー」「何か隠れた原因があるのではないか」と陰口をささやかれる●このような時の「慰めの言葉」は、旧約聖書にもあるが、圧倒的に新約聖書に力がある。それは次のとおり。一つ一つに人の顔が浮かぶ。

 

●基督信者の苦しみは栄光の徴

文語訳 ピリ 1:29
1:29 汝等はキリストのために啻(ただ)に彼を信ずる事のみならず、また彼のために苦しむ事をも賜はりたればなり。

塚本訳 ピリ 1:29
1:29 君達はキリストのために──ただ彼を信ずるばかりでなく、また彼のために苦しむことをも恵まれたからである。

 文語訳 ロマ 8:18
8:18 われ思うに、今の時の苦難は、われらの上に顯(あらわ)れんとする榮光にくらぶるに足らず。

 塚本訳 ロマ 8:18
8:18 (しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(──キリストと一しょに神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄──)にくらべれば、言うに足りない。

塚本訳 Tペテ4:12-13
4:12 愛する者よ、試練のため君達に起こった烈火の苦難を(何か)異常なことが臨んだかのように(驚き)異しむな。
4:13 むしろキリストの苦難に与れば与るだけ喜べ。(最後の日)その栄光の顕るる時にも歓びに喜ぶ(ことが出来る)ためである。

 

●苦難は空しく終わらない

文語訳 Tコリ15:58
15:58 然れば我が愛する兄弟よ、確くして搖(うご)くことなく、常に勵(はげ)みて主の事を務めよ、汝等その勞(らう)の、主にありて空しからぬを知ればなり。

塚本訳 Tコリ15:58
15:58 だから、わたしの愛する兄弟たちよ、しっかりしておれ、動かずにおれ、いつも主の仕事にぬきんでよ。骨折りが主にあってむだにならないことを、あなた達は知っているのだから。

塚本訳 Uコリ1:6
1:6 (すなわち)わたし達が苦しめられるにしても、それはあなた達の慰めとなり救いとなるためであり、わたし達が慰めていただくにしても、それはあなた達の慰めとなるためであって、その慰めが働いて、わたし達がうけるのと同じ苦しみをあなた達は耐え忍ぶことが出来るのである。

 

●家族が敵になる

塚本訳 2 マタ 10:34-36
10:34 地上に平和をもたらすためにわたしが来た、などと考えてはならない。平和ではない、剣を、(戦いを)もたらすために来たのである。
10:35 わたしは子を『その父と、娘を母と、嫁を姑と』仲違いさせるために来たのだから。
10:36 『家族が自分の敵となろう。』

塚本訳 マタ 10:21-22
10:21 また兄弟は兄弟を、父は子を、殺すために(裁判所に)引き渡し、『子は親にさからい立って』これを殺すであろう。
10:22 あなた達はわたしの弟子であるために皆から憎まれる。しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

塚本訳 マコ 13:12-13
13:12 また兄弟は兄弟を、父は子を、殺すために(裁判所に)引き渡し、『子は親にさからい立って』これを殺すであろう。
13:13 あなた達はわたしの弟子であるために皆から憎まれる。しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

塚本訳 ルカ 21:16-17
21:16 あなた達はまた親、兄弟、親族、友人からまで(裁判所に)引き渡される。殺される者もあろう。
21:17 またわたしの弟子であるために皆から憎まれる。

塚本訳 ルカ 12:51-53
12:51 あなた達は、地上に平和をもたらすためにわたしが来たと思うのか。そうではない、わたしは言う、平和どころか、内輪割れ以外の何ものでもない。
12:52 今からのち、一軒の家で五人が割れて、三人対二人、二人対三人に
12:53 割れるからである。父対息子』息子対父、』母対娘』娘対母、』姑対嫁』嫁対姑』!」

 

 

●不条理と思われるところに神の愛がある

文語訳 ロマ 8:28
8:28 神を愛する者、すなはち御旨によりて召されたる者の爲には、凡てのこと相働きて益となるを我らは知る。


塚本訳 ロマ 8:28
8:28 そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである。

 

塚本訳 ヘブ 12:11

12:11 あらゆる訓練(というもの)は、その当座は喜びとは見えず、かえって悲しみと見えるが、しかしあとで、それで鍛えた者に(まことの)義の実である平安を与えるのである。

 

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