神の義はその福音のうちに現われ

使徒伝承の本質

 

東京聖書読者会 2006.6.4 高橋照男

 

 

問題の所在。「神の義を求めよ」ということが長い間分からなかった青年。

使徒伝承がないところに福音なし。救いなし。

 

文語訳 マタ 6:33

6:33 まづ神の國と神の義とを求めよ、さらば凡てこれらの物は汝らに加へらるべし。

 

口語訳 マタ 6:33

6:33 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

 

新共同 マタ 6:33

6:33 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる

 

●この青年は「義を求める」ということを人間のヒューマニズムとしての努力行為として考えていた。

●人間の「努力」「運動」「行為」として読んでいたので福音が分からなかった。

●使徒伝承としての「罪の赦し」の福音を中心に説かない教会、無教会集会、牧師、司祭、伝道者、聖書翻訳者の罪は重い。

●それは人を盲人のままにしておく。実行不可能な律法に閉じ込めておく。人の怒りを買う。

 

 

この青年は塚本訳の「神に義とされること」で開眼

神に義とされるということが福音。人間の努力では義に到達できない

 

ギリシャ語 マタ 6:33

 

  セーテイテ      デ   プロートン  テーン バシレイア   トーセウー

   あなた方は求めよ  しかし  まず         国       神の

 

  

  カイ    テーン デカイオスネー  アウトーン

   と      義を          彼の

           

 

カイ  タウタ   パンタ   プロステセーセイタイ   ヒューミン

  すると これら   すべては   加えられる       あなた方に

 

塚本訳 マタ 6:33 (昭和9年訳)

君達は(異教人と同じであってはならぬ。神の子供らしく)先づ(神の)王国(に入ること)

と、その(王国に入る為に神に)義(とされること)とを求めなければならぬ。さうすれば、そんなものは、(君達が求めなくても)皆(神から)餘分に君達に與へられるであらう

 

塚本訳 マタ 6:33 (昭和38年訳)

6:33 あなた達は何よりも、御国と、神に義とされることとを求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは皆、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。

 

 

 

「義を求める」とはどういうことか。

マタイ5章8節「義に飢え乾く人は幸い」の各種翻訳

 

ギリシャ語

ディカイオスネー・・・神に嘉納される状態

 

文語訳 マタ 5:6

5:6 幸福なるかな、義に飢ゑ渇く者。その人は飽くことを得ん。

 

口語訳 マタ 5:6

5:6 義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、彼らは飽き足りるようになるであろう。

 

新改訳 マタ 5:6

5:6 義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。

 

新共同 マタ 5:6

5:6 義に飢え渇く人々は、幸いである、/その人たちは満たされる。

 

塚本訳 マタ 5:6

5:6 ああ幸いだ、(神の)義に飢え渇いている人たち、(かの日に)満足させられるのはその人たちだから。

 

●塚本訳の(神の)の敷衍の意味は、人間世界のヒューマニズムとしての「義」の概念ではないことの強調。

●人間世界の「義」の追求は社会主義者の「熱心の道」。キリスト者とは「道が違う」

 

 

キリスト信者がこの世から憎まれるのはなぜか。

人間に実行不可能な「義」の律法で責めるから。攻撃し、締め付けるから。

律法は神の怒りを招くと同時に人間の怒りも招く。人間は「ない袖は振れない」。

 

塚本訳 ガラ 3:22

3:22 しかし(律法は命を与えるものでなく、人を罪に閉じこめる力をもつだけである。)聖書はすべての人を(律法によって)罪の下に閉じこめ、イエス・キリストを信ずる信仰によって、信ずる者に約束が与えられるのである。(律法は約束に矛盾しない。むしろこれに導く家庭教師である。)

 

塚本訳 ガラ 3:10

3:10 なぜか。律法の行いによる人は、呪の下にある。(聖書に)こう書いてあるからである、『律法の書に書いてある一切のことを行なうため、これを守らない者はみな呪われている』と。

 

塚本訳 ロマ 4:4-5

4:4 いったい、仕事をする者に対しては、報酬は債務であって、恩恵とみなすべきではない。

4:5 反対に、仕事をしない者、すなわち(善い行いは出来ずとも、信ずれば)どんな悪人でも義とするお方(神)を信ずる者に対しては、その信仰が義と見なされるのである。

 

 

塚本訳 ロマ 4:15

4:15 律法(の目的)は、(人に罪を犯させ、神の)怒りをもたらす(ことにある)からである。律法のない所には、その違反もあり得ない。

 

塚本訳 ロマ 3:20

3:20 というのは、律法が命ずる行いによっては『だれ一人神の前に義とされる者はない。』律法によって(は)罪を知る(ことができるだけで、人を罪から救うことはできない)からである

 

塚本訳 ロマ 4:25

4:25 このイエスこそ、わたし達の過ちのために死に引き渡され、またわたし達を義とするために復活された方である。

 

塚本訳 ロマ 5:20

5:20 (それなら律法は人を義として永遠の命を与えるためには役立たないのか。その通り。)律法は、過ちを増し強めるために第二義的に来たのである。しかし(神に感謝する、人の犯す)罪が増し強まれば、恩恵は豊かにあふれる。

 

塚本訳 Tコリ15:56

15:56 ──死の剣は罪である、罪の力(の源)は律法である。──

 

 

イエスの復活(起こされたこと)は我々が義とされることの証明

我々はただ神の力によって義とされる。神に起こされる。

それは人間の努力では不可能

 

語訳 ロマ 4:25

4:25 主は、わたしたちの罪過のために死に渡され、わたしたちが義とされるために、よみがえらされたのである。

 

新共同 ロマ 4:25

4:25 イエスは、わたしたちの罪のために死に渡され、わたしたちが義とされるために復活させられたのです。

 

塚本訳 ロマ 4:25

4:25 このイエスこそ、わたし達の過ちのために死に引き渡され、またわたし達を義とするために復活された方である。

 

 

文語訳 ロマ 4:25

4:25 主は我らの罪のために付され、我らの義とせられん爲に甦へらせられ給へるなり。

 

 

神に義とされるとはどういうことか。それはこの世で可能か

 

塚本訳 ロマ 8:11

8:11 しかしイエスを死人の中から復活させたお方の御霊があなた達の中に住んでおられるなら、キリスト・イエスを死人の中から復活させたそのお方は、あなた達の中に住んでおられるその御霊によって、あなた達の死ぬべき体をも生かしてくださるであろう。

 

塚本訳 ロマ 3:25

3:25 すなわち神は御自分の義を示すために、宥めの供え物としてキリストを提供された。これはキリストの血でなされたものであり、(人は)信仰によ(ってこの恩恵にあずか)るのである。このことは──神が(長いあいだ)忍耐をもって過ぎし日に犯した罪を罰せずにおられたので──

 

塚本訳  ロマ 5:6-8

5:6 なぜなら、わたし達がまだ弱くあったとき、当時まだ不信心者の(わたし達の)ために、キリストは死んでくださったからである。

5:7 (驚くべき神の愛!人間の世界では、)義人のために命をすてる者はほとんどあるまい。善人のためならば、惜しげもなく命をすてる者が、あるいはあるかも知れない。

5:8 しかしわたし達が(義人でも善人でもなく、)まだ罪人(神の敵)であったとき、キリストが私たちのために死んでくださった。このことによって、神はわたし達に対する愛をお示しになったのである。

 

塚本訳  ロマ 8:3

8:3 律法が肉に妨げられて無力になったために出来なくなったことを、神は(御子によって)成し遂げてくださった。すなわち(わたし達の)罪の(征服の)ためにその子を罪の肉の形で(この世に)遣わし、その肉(を殺すこと)において罪を罰されたのである。

 

塚本訳 ロマ 4:11

4:11 そしてアブラハムが(あとで)『割礼なる徴を』受けたのは、(まだ)『割礼をうけない』時、信仰によって義とされたことの証拠としてである。これは彼が、(一方ではユダヤ人でない信者、すなわち)割礼なしで信じて義とみなされるすべての人の父になるためであり、

 

塚本訳 ロマ 3:28

3:28 わたし達の信ずるところでは、(すでに言ったように、)人は律法の命ずる行いに関係なく、(ただ)信仰(だけ)で、義とされるからである

 

塚本訳 Tコリ15:3-4

15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、

15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること

 

塚本訳 Uコリ5:21

5:21 神は罪を知らなかった方をわたし達の身代りに(十字架につけて)罪に定められた。わたし達がこの方において神の義(をいただく者)となるためである。

 

塚本訳 ガラ 1:4

1:4 キリストはわたし達の父なる神の御心にしたがい、わたし達を悪い現在の世から救いだそうとして、わたし達の罪のために自分を与え(て十字架につけ)られたのである

 

 

イエスの復活は我々の罪の赦しの保証として神が起こしたこと。神の約束の徴。

 

塚本訳  ロマ 8:34

8:34 『だれが(わたし達を)罰することができるか。』キリスト・イエスが(わたし達の罪のために)死んで、それだけでなく復活して、いま神の右においでになって、わたし達のために執り成していてくださるのに

 

塚本訳 Tコリ15:17

15:17 しかしキリストが復活しておられないならば、あなた達の信仰は無意味であり、あなた達はまだ自分の罪の中にいる

 

塚本訳 ロマ 10:9

10:9 つまり、あなたは『口で』イエスを主と告白して、『心で』神がイエスを死人の中から復活させられたことを信ずれば、救われる。

 

 

「神の義はその福音のうちに顯れ」た

 

●ルターの認識。宗教改革の原点、真理の再発見

●ドイツに燎原の火のように広まった真理自身の力

●使徒伝承の基礎、無教会主義の本質

 

 

口語訳 ロマ 1:17

1:17 神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。

 

新共同 ロマ 1:17

1:17 福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。

 

塚本訳 ロマ 1:17

1:17 信仰から出て信仰に終る、(徹頭徹尾信仰本意の)神の義が、この福音において現わされているからである。『信仰による義人は生きる』と(聖書に)書いてあるとおりである。

 

 

 

 

 

 

風(神の霊)はいかにしたら吹いて来るか

 

塚本訳 ヨハ 3:8

3:8 風[プニューマ]は心のままに吹く。その音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない。霊[プニューマ]によって生れる者も皆、そのとおりである。」

 

口語訳 詩  107:25

107:25 主が命じられると暴風が起って、海の波をあげた。

 

口語訳 伝  11:5

11:5 あなたは、身ごもった女の胎の中で、どうして霊が骨にはいるかを知らない。そのようにあなたは、すべての事をなされる神のわざを知らない。

 

塚本訳 ヨハ 15:26

15:26 (また)わたしが父上のところからあなた達に遣わす弁護者、すなわち父上のところから出てくる真理の霊が来る時、それがわたしのことを(すべて)証明するであろう。

 

塚本訳  ヨハ 16:13

16:13 真理の霊が来る時、彼があなた達を導いていっさいの真理を悟らせるであろう。(いっさいの真理というのは、わたしと同じく、)彼は自分勝手に話すのではなく、(父上から)聞いたことを話すからである。また将来起るべき(世の終りの)ことをあなた達に知らせるであろう。

 

塚本訳 ルカ 11:10-13

11:10 だれであろうと、求める者は受け、さがす者は見つけ、戸をたたく者はあけていただけるのだから。

11:11 あなた達のうちのどんなお父さんでも、子が魚を求めるのに、魚の代りに蛇をやるだろうか。

11:12 また卵を求めるのに、蝎をやるだろうか。

11:13 してみると、あなた達は悪い人間でありながらも、自分の子に善い物をやることを知っている。まして天の父上が、求める者に聖霊(という善いもの)を下さらないことがあるだろうか。」

 

塚本訳 ヨハ 1:13

1:13 この人たちは、人間の血や、肉の欲望や、男の欲望によらず、神(の力)によって生まれたのである。

 

口語訳 イザ 55:9

55:9 天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い

 

塚本訳 マコ 4:26-29

4:26 また言われた、「神の国はこんなものだ。──ある人が地に種を蒔き、

4:27 夜昼、寝起きしていると、種は芽生えて育ってゆくが、本人はその訳を(すら)知らない

4:28 (すなわち)地はひとりでに実を結ぶので、初めに茎、次に穂、次に穂の中に熟しきった粒ができる。

4:29 実が熟すると、すぐに『鎌を入れる。刈入れ時が来たのである。』」

 

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