神の国を信じ抜く

・・・信じて待つことのむずかしさ・・・

東京聖書読者会 2008.10.5 高橋照男

 

@神の国、天の国、御国。 その言葉の共通点は basileiva「王の支配」。

A神の国とは何か。大脳皮質ではわからないもどかしさ。信じられない不安。

それは楽な所らしいが。「いつ、どこに、いかに」。聖書の答えの不明解さ。

B神の国は「知る」ものでも「造る」ものでもなく神に与えられるのを「待つ」。

  しかしそれで満足がいくか。人間は証拠がないと納得できない。

C神の国を信じて待ち望んだ人々。・・・そういう人に私はなりたい。

  シメオン、洗礼者ヨハネ、アリマタヤのヨセフ、

Dエクレシアの本質は「神の国を信じて待ち望む」集団。

   その望みを忘れないための生活の知恵。待ち望む形や姿は多様。

E主の言葉が外れたとしても、主を有体的に復活させた神を信じ抜く。

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@神の国、天の国、御国。  その言葉の共通点は basileiva「王の支配」

 

神の国    hJ basileiva tou' qeou':

         hJ           oJ            冠詞(この、その)

         basileiva   basileiva    王権、支配、王国

         tou'         oJ            冠詞(この、その)

         qeou':       qeov"               

 

天の国     hJ basileiva tw'n oujranw'n

    hJ           oJ           冠詞(この、その)

          basileiva  basileiva     王権、支配、王国

          tw'n        oJ            冠詞(この、その)

          oujranw'n  oujranov"     

 

御国の福音  to; eujaggevlion th'" basileiva"

         to;         oJ           冠詞(この、その)

         eujaggevlion  eujaggevlion  福音

         th'"       oJ           冠詞(この、その)

         basileiva"  basileiva    王権、支配、王国

A神の国とは何か。大脳皮質ではわからないもどかしさ。信じられない不安。

それは楽な所らしいが。「いつ、どこに、いかに」。聖書の答えの不明解さ。

 

●神の国とは悩み苦しみ痛みのない「楽なところ」「休めるところ」らしい。

口語訳 黙  21:3-4

21:3 また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、

21:4 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。

 

口語訳 黙  14:13

14:13 またわたしは、天からの声がこう言うのを聞いた、「書きしるせ、『今から後、主にあって死ぬ死人はさいわいである』」。御霊も言う、「しかり、彼らはその労苦を解かれて休み、そのわざは彼らについていく」。

 

●神の国は近づいたのか、来ているのか、これから来るのか。

「近づいた」

塚本訳マコ 1:15

1:15 言われた、「時は満ちた、神の国は近づいた。悔改めて福音を信ぜよ」と。

 

「来ている」

塚本訳 マタ 12:28

12:28 しかし、もし(そうでなく、)わたしが神の霊で悪鬼を追い出しているのであったら、それこそ神の国はもうあなた達のところに来ているのである。

 

「これから来る」

塚本訳 ルカ 17:21

17:21 また『そら、ここに(ある)』とか、『かしこに(ある)』とか言うことも出来ない。神の国はあっと言う間に、あなた達の間にあらわれるのだから。」

 

[それはいつのことであるか神ご自身きり分からない]

塚本訳 マコ 13:31-32

13:31 天地は消え失せる。しかし(いま言った)わたしの言葉は消え失せない。

13:32 ただし、(人の子の来る)その日また時間は、父上のほかだれも知らない。天の使たちも、子(であるわたし自身)も知らない。

 

●春が「近ずいた(3月)、来た(4月)、本格的(5月)」・・・いずれも春のうち。

塚本訳マタ 11:12-13

11:12 とにかく、洗礼者ヨハネの(現れた)時からいままで、天の国は暴力で攻め立てられ、暴力で攻めた者がそれを奪いとっている。

11:13 すべての預言書と律法と[聖書]が預言しているのは、ヨハネ(の現われる時)まで(で、天の国はすでに来ているの)だから

 

●神の国はどこにあるのか、イエスのところ、心の中、信者の間、エクレシア、

 死後、終末再臨の時・・・・明快でない

 

[イエス自身の人格に]

塚本訳 ヨハ 12:35

12:35 するとイエスは(それには答えず、)彼らに言われた、「もうしばらくの間、光はあなた達のところにある。光のある間に(早く)歩いて、暗闇に追い付かれないようにせよ。暗闇を歩く者は、自分がどこへ行くのか知らない。

 

 [信者の心に、信者の交わりに]

新共同 ルカ 17:21

17:21 『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」

 

 [教会・エクレシアに]

新共同 コロ 4:11

4:11 ユストと呼ばれるイエスも、よろしくと言っています。割礼を受けた者では、この三人だけが神の国のために共に働く者であり、わたしにとって慰めとなった人々です。

 

 [召されて神のところに眠るときに]

塚本訳 コロ 3:3

3:3 君達は(既にこの世に)死んで、その生命はキリストと共に神の右に隠されているのだから。

 

 [終末・再臨のときに]

新共同 コロ 3:4

3:4 あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。

 

塚本訳 ロマ 8:18

8:18 (しかもこの苦しみは恐れることはない。)なぜなら、わたしはこう考える。今の世の苦しみは、わたし達に現われようとしている栄光(──キリストと一しょに神の国の相続人になる最後の日の大いなる光栄──)にくらべれば、言うに足りない。

 

●神の国へは入れる人と入れない人がいるようにも、全員が入れそうにも見える。もし特定の人きり入れないとなると親子別れ、夫婦別れともなり、神の国も楽しくはなさそうだ。それよりも第一にこの私は入れるのだろうか。心配だ。

 

[入りにくい人]

塚本訳 マコ 10:23

10:23 イエスは(うしろ姿を見送っておられたが、)やがて見まわして、弟子たちに言われる、「物持ちが神の国に入るのは、なんとむずかしいことだろう。」

 

 [万人が救われるようにも思えるが]

塚本訳 マタ 18:14

18:14 このように、この小さな者たちが一人でも滅びることは、あなた達の天の父上の御心ではない

 

塚本訳 ルカ 23:41-43

23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」

23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。

23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」

 

[自分が救われても家族が地獄にいるのを見るのでは、悩みが深まる]

塚本訳ルカ 16:27-28

16:27 金持が言った、『父よ、それではお願いですから、ラザロをわたしの父の家にやってください。

16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。

 

 

 

B神の国は「知る」ものでも「造る」ものでもなく神に与えられるのを「待つ」。

  しかしそれで満足がいくか。人間は証拠がないと納得できない。

 

●「安心感」というのは「見て安心」できることと、「信じて安心」できることの二通りがある。イエスは「信じて安心せよ」と言うのだが。それが難しい。

 

[生来の肉の人間は見て確かめて安心できる。・・・疑うのが科学教育の目的ではないか]

塚本訳 ヨハ 4:48

4:48 イエスは言われた、「あなた達は徴[奇蹟]と不思議なことを見なければ、決して信じない。」

 

塚本訳 ヨハ 20:25

20:25 そこでほかの弟子達が、「わたし達は主にお目にかかった」と言うと、彼らに言った、「わたしはその手に釘の跡を見なければ、わたしの指をその釘の場所に差し込まなければ、手をその脇腹に差し込まなければ、決して信じない。」

 

[イエスは『信じて安心せよ』というのだが・・・それが難しいことなのだ]

塚本訳 ヨハ 11:25-26

11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。

11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。

 

塚本訳 マタ 14:29-31

14:29 「こちらに来なさい」とイエスが言われた。ペテロは舟から下り、水の上を歩いてイエスの所へ行った。

14:30 しかし(いま一足という所で)強い風を見たため、おじけがつき、沈みかけたので、「主よ、お助けください」と叫んだ。

14:31 イエスはすぐ手をのばし、ペテロをつかまえて言われる、「信仰の小さい人よ!なぜ疑うのか。」

 

 ではどうすればよいか。[罪の赦しという体験]で神の実在を信ずることができて安心する。

塚本訳 ヨハ 3:3

3:3 イエスが答えて言われた、「アーメン、アーメン、わたしは言う、(徴を見て信じたのではいけない。)人は新しく生まれなおさなければ、神の国にはいることは出来ない。」

 

●神の国は人間の努力で造るべきもののようにも思えるがそれは正しいことか。

 

[努力や行いも大切のように思えるが]

塚本訳 マタ 7:21

7:21 わたしに『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るのではない。わたしの天の父上の御心をおこなう者(だけ)が入るのである。

 

新共同 マタ 5:9

5:9 平和を実現する人々は、幸いである、/その人たちは神の子と呼ばれる。

 

[しかし神の国は神によって実現されるものだ。生命自身や平和は人間には創造できない]

塚本訳 ヤコ 3:18

3:18 そして(この)義の果実は平和を作る人(の心)に、(神によって)平和の裡に播かれるのである。

 

 

C神の国を待ち望んだ信心深い人・・・そういう人に私はなりたい。

  シメオン、洗礼者ヨハネ、アリマタヤのヨセフ、・・・共通点は「待つ心」

 

塚本訳 ルカ 2:25
2:25
さて(そのころ)エルサレムに名をシメオンという人がいた。この人は正しい、信心深い人で、イスラエルの慰め(である救世主)を待ち望み、聖霊が彼をはなれなかった

塚本訳 ルカ 7:19-20
7:19
主の所にやって、「来るべき方(救世主)はあなたですか、それともほかの人を待つべきでしょうか」とたずねさせた。
7:20
その人たちはイエスの所に来て言った、洗礼者ヨハネから来ました。『来るべき方はあなたですか、それともほかの人を待つべきでしょうか』とおたずねするよう申しつけられました。」

塚本訳  ルカ 23:51
23:51 ──
この人は(イエスの処分について、)同僚たちの(今度の)決議と行動とに賛成しなかった。──ユダヤの町アリマタヤ生まれで、神の国(の来るの)を待ち望んでいた

 

●「遊び人」は神の国を嫌う。これが聖俗の争いの宿命。キリスト教史。

 

塚本訳 ガラ 5:21

5:21 そねみ、酩酊、酒宴等々である。前もって言ったことであるが、(今もう一度)あらかじめ言っておく、こんなことをする者は、神の国を相続することがないであろう

 

●パウロの終末観・・有体的復活

 

塚本訳Tコリ15:51-52

15:51 いまここに(最後の日の)秘密を語る。わたし達はみんな眠ってしまうのではなく、(その時生きている者も眠った者も、)みんな変化させられるのである。

15:52 あっと言う間に、瞬く間に、最後のラッパの音で!ラッパが鳴る。すると死人は不滅のものに復活し、(その時生きている)わたし達は変化させられるのである。

 

 

Dエクレシアの本質は「神の国を信じて待ち望む」集団。

   その望みを忘れないための生活の知恵。待ち望む形や姿は多様。

 

●神の国到来の約束を忘れないで待つ方法。生活の知恵は聖日遵守。形は自由

●主を信ずる仲間が存在する不思議な安心感と喜び。「聖徒の交わりを信ず」

[毎日の祈りの習慣]

塚本訳 マタ 6:9-10

6:9 だからあなた達は、このように祈りなさい。──、わたしたちの天のお父様、お名前がきよまりますように。

6:10 お国が来ますように。お心が行われますように、天と同じに、地の上でも。

 

[神の主権の力と約束を信じ込む]

塚本訳 ルカ 12:31-32

12:31 あなた達はむしろ御国を求めよ。そうすれば(食べ物や着物など)こんなものは、(求めずとも)つけたして与えられるであろう。

12:32 小さな群よ、恐れることはない。あなた達の父上は御国をあなた達に下さるつもりだから

 

 

 [教会の聖餐式の意義は神の国到来を忘れないための生活の知恵]

塚本訳 Tコリ11:25

11:25 食事の後、杯を同じように(感謝)して(分けて、)言われた、「この杯はわたしの『血』の犠牲を払った『新しい約束』である。(今から後、)飲むたびごとに、わたしを記念するためにこのことを行ないなさい」。

 

[集会を休まないこと]

塚本訳 ヘブ 10:25

10:25 (また、)ある人々がするように、集会を怠けず、むしろ互に勧め(合って出席す)るようにしなくてはいけない。その日が近づいていることをあなた達は知っているから、いよいよそうしなくては!

 

 

E 主の言葉が外れたとしても、主を有体的に復活させた神を信じ抜く。

 

●主の約束なんて嘘っぱちだ。いつまでたっても終末はこないではないか。

塚本訳 Uペテ3:9-10

3:9 主は或る人達が遅いと考えているように約束を果たし給うのが遅いのでは(決して)ない。ただ何人の亡びることをも欲せず、凡ての者が悔い改めに到ることを欲して、君達に対し寛大であり給うのである。

3:10 しかし主の日は盗人のように来るであろう。(そして)その日天は轟然たる響きと共に消え失せ、日月星辰は燃えて解け去り、地とその上にある(人間の)事業は燃え失せるであろう。

 

● 「神の国はすぐ来る」と言った主の終末予言は外れたが、主を有体的に復活させた神ご自身を信じ込み、生涯これを馬鹿正直に信じ抜いて死ぬのだ。

 

塚本訳ヘブ 11:8-10

11:8 信仰によって、アブラハムは財産として戴くべき(カナンの)場所に『出てゆけ』とのお召しを受け、(素直に)言うことを聞いた。そしてどこへ行くともわからず、『出ていった』。

11:9 信仰によって、彼は約束の地に他国人として『宿った』。彼は同じ約束の(ものの)共同相続人(である子)イサクおよび(孫)ヤコブと一しょに、天幕に住んだのである。

11:10 (どうしてこんな生活に甘んじたか。)彼は(堅固な)土台を持つ(天の)都を待ちのぞんでいたからである。その建設者また創造者は神である。

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