「身体のよみがえり」ということを信じられるようになったいきさつ
東京聖書読者会 2006.5.7 高橋照男
「身体のよみがえり」とはどういうことなのか
● 十字架とイエスの復活は信じられても自分の死後の「身体のよみがえり」は信じにくい
● 古来、キリスト教の正統信仰には「身体のよみがえり」が必ずある
● 日本人には死後霊肉分離の思想が濃厚で「身体のよみがえり」の信仰はなじめない
使徒信条
我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架に付けられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり、かしこより来りて生ける者と死ねる者とを審きたまわん。我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体(からだ)のよみがえり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン。
● 讃美歌566番は使徒信条。霊肉分離のグノーシス思想に対抗してできた可能性大
● 無教会主義者に多い「使徒信条」の解説。塚本虎二、大友浩、武祐一郎
● 正統信仰は使徒伝承の連鎖。無教会主義は使徒伝承を堅持してきた。
● 無教会主義は集会の形成に意を用いず、使徒伝承を中心にしてきた。
● 内村鑑三「私は古き古き十字架教だ」
● 塚本虎二を評価した言葉「古典的プロテスタンティズム」
古代教会からある「身体のよみがえりを信ず」という信仰箇条
●古代の信条は下記が通例(渡辺信夫「古代教会の信仰告白」新教出版社P7)
使徒信条、ニカイア信条、ニカイア・コンスタンティノポリス信条、カルケドン信条、アタナシウス信条。
●これらのほとんどに「身体のよみがえり」の信条が含まれる。
パウロの言葉からでは信じにくい「身体のよみがえり」
口語訳 ピリ 3:20-21
3:20 しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。
3:21 彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。
口語訳 Tコリ15:51-52
15:51 ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。
15:52 というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。
塚本訳 ロマ 8:11
8:11 しかしイエスを死人の中から復活させたお方の御霊があなた達の中に住んでおられるなら、キリスト・イエスを死人の中から復活させたそのお方は、あなた達の中に住んでおられるその御霊によって、あなた達の死ぬべき体をも生かしてくださるであろう。
塚本訳 ピリ 3:20-21
3:20 しかし(私達はそうであってはならない。)私達の故国は天にある。私達は主イエス・キリストが救い主として其処から来給うのを待っているのである。
3:21 (その時)彼は私達の(この)卑しい体を御自分の栄光の体と同じ貌に変え給うのであろう──万物を己に従わせ得給う御力によって!
「身体のよみがえり」はどうしても信じ難い。素朴な疑問が噴出
塚本訳Tコリ15:35
15:35 しかし、ある人は言うかも知れない、(かりに復活があるとしても、)どんな風にして死人が復活するのか、どんな体で来るのかと。
●コリント教会の人たちの最もな疑問。自分たちの死後の復活はどういう身体でなのか
●聖書には来世の姿や消息が書かれてないのはなぜか。そこが不満不安。
●一度来世に行って(三途の川を渡って)戻って来た人はいないから聞けない。
●どんな姿でよみがえるのか。もっとスッキリした身体でよみがえりたい
●皆がよみがえったら天国は満員になってしまう
●不信者がよみがえることはできないとしたら、あの家族はどうなるのか。
●最後の審判で裁かれる人はその後の「身体のよみがえり」はないのか
●来世では誰であるか分かるのか。夫婦はまた夫婦か
●先に逝った人と必ず会えるのか。
●不信者のままで死んだ人が来世にいないとしたら淋しいことである。
●「身体のよみがえりもまたありうるのかなー」という漠たることでは信仰ではない
私が「身体のよみがえり」が信じられるようになったわけ
イエスの言葉が胸に突然に響いて、疑問氷解。意外な方面から疑問が解決
我は復活(よみがへり)なり、生命なり、我を信ずる者は死ぬとも生きん
ヨハネ11章25節
ヨハネ11章23節−26節の翻訳比較
岩波翻訳委員会訳1995
431123イエスが言う、「あなたの兄弟は甦るであろう」。
431124マルタが言う、「終りの日、甦りの時に彼が甦ることになっているのは、私にはわかっています」。
431125イエスが言った、「私は甦りであり、命である。私を信じている人は、たとえ死んでも生きることになる。
431126また、生きて私を信じている人は皆いつまでも死ぬことがない。あなたはこれを信じるか」。
新共同訳1987
11:23 イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、
11:24 マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。
11:25 イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。
11:26 生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」
前田訳1978
11:23 イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、
11:24 マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。
11:25 イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。
11:26 生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」
新改訳1970
11:23 イエスは彼女に言われた。「あなたの兄弟はよみがえります。」
11:24 マルタはイエスに言った。「私は、終わりの日のよみがえりの時に、彼がよみがえることを知っております。」
11:25 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
11:26 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」
塚本訳1963
11:23 イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」
11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」
11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」
口語訳1955
11:23 イエスはマルタに言われた、「あなたの兄弟はよみがえるであろう」。
11:24 マルタは言った、「終りの日のよみがえりの時よみがえることは、存じています」。
11:25 イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。
11:26 また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。
文語訳1917
"431123","イエス言ひ給ふ『なんぢの兄弟は甦(よみが)へるべし』"
"431124","マルタ言ふ『をはりの日、復活のときに甦(よみが)へるべきを知る』"
"431125","イエス言ひ給ふ『我は復活(よみがへり)なり、生命(いのち)なり、我を信ずる者は死ぬとも生きん。"
"431126","凡そ生きて我を信ずる者は、永遠(とこしへ)に死なざるべし。汝これを信ずるか』"
信仰上の百千の疑問は神の霊に触れると一瞬に氷解するわけ。信仰的安息とは。
●地図に道が書いてないときの山登りは案内人に従っていけば安心なのと同じ。
●この場合は、案内人という人格の存在を信じて安心する。
●道がわからなくても人格を信じれば安心できる。信仰的安息の具体例。不思議なこと
●建築設計図が分からずとも建築士を信じて任せるのと同じ。建築士を信じない人もいる。
文語訳 ヨハ 14:6
14:6 イエス彼に言ひ給ふ『われは道なり、眞理(まこと)なり、生命(いのち)なり、我に由(よ)らでは誰にても父の御許(みもと)にいたる者なし。
塚本訳 ヨハ 14:6
14:6 イエスは言われる、「わたしが道である。また真理であり、命である。(手段であると同時に目的であるから。)わたしを通らずには、だれも父上の所に行くことはできない。
●頭による知の満足で安心を求めても、安心は訪れない。任せられる人格の出現で安心する
●信仰的安息は神の霊に触れる時に実現する。なぜかその理由はわからない。不思議なこと。
●復活の様の研究解明では安心しない。人間は知の満足で安心を得ようとしても無理。
口語訳 Tコリ1:21a
1:21 この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった
塚本訳 Tコリ1:21
1:21 なぜなら、(この)世(の人)が自分の知恵により(判断し)、神の知恵(の現われである御業)において神を認めることをしないので、神は馬鹿な(ことと見える十字架の)説教によって信ずる者(だけ)を救おうと、お決めになったからである。
●「身体のよみがえり」は復活の様が頭で理解できるから信じられるようになるのではなく、イエスを復活させた神の霊に触れることによって信じることができて安心する。
●その時「身体のよみがえり」に関しての百千の疑問が氷解。それは神の霊に触れるから
塚本訳 ヨハ 6:63
6:63 霊が命を与える。肉はなんの役にも立たない。いまわたしがあなた達に話した言葉は、霊である。だから、命である。
塚本訳ヨハ 16:13
16:13 真理の霊が来る時、彼があなた達を導いていっさいの真理を悟らせるであろう。(いっさいの真理というのは、わたしと同じく、)彼は自分勝手に話すのではなく、(父上から)聞いたことを話すからである。また将来起るべき(世の終りの)ことをあなた達に知らせるであろう。
塚本訳 Tコリ2:13
2:13 またその(賜物の)ことをわたし達が話すにも、人間的な知恵に教えられた言葉によらず、御霊に教えられた言葉による。霊のことに霊のことを当てはめ(て解しようとす)るのである。
●人は使徒伝承という外部情報、外圧を受け入れることによって信じることができる。
●使徒伝承を受け入れることが救いの道。世に使徒伝承が絶対に必要な理由はここにある
塚本訳 Tコリ15:3
15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
塚本訳 ヨハ 13:20
13:20 アーメン、アーメン、わたしは言う、わたしが遣わす者を受けいれる者は、わたしを受けいれるのであり、わたしを受けいれる者は、わたしを遣わされた方を受けいれるのである。」
塚本訳 マタ 10:40
9:37 「わたしの名を信ずる一人のこんな子供を迎える者は、わたしを迎えてくれるのである。わたしを迎える者は、わたしを迎えるのでなく、わたしを遣わされた方をお迎えするのである。」
塚本訳 マコ 9:37
9:37 「わたしの名を信ずる一人のこんな子供を迎える者は、わたしを迎えてくれるのである。わたしを迎える者は、わたしを迎えるのでなく、わたしを遣わされた方をお迎えするのである。」
塚本訳 ルカ 10:16
10:16 (七十二人の者に言っておく。──)あなた達の言うことを聞く者は、わたしの言うことを聞くのであり、あなた達を排斥する者は、わたしを排斥するのである。わたしを排斥する者は、わたしを遣わされた方を排斥するのである。」
●イエスを復活させたお方を信ずるということが信仰の本質。復活の様の知的理解ではない。
●第一コリント15章4節の復活は「起こす」という意味で、「起こしたもう」という神の行為に重心がある。
エゲイロー・・・・(眠りから)起こす、(死から)生き返らせる、(席から)立ち上がらせる、立てる(第一コリント15章4節
アナスタシス・・・復活(ヨハネ11章23、25節)
●岩波版佐藤訳の第一コリント15章4節は他の訳が「復活」とあるのに「起こされ」となっている。それは復活信仰の本質を捉えている。イエスを復活させたお方(神)を信じる。
●第一コリント15章4節の翻訳比較
岩波翻訳委員会訳1995
461504そして埋葬されたこと、そして聖書に従って、三日目に〔死者たちの中から〕起こされていること、
新共同訳1987
15:4 葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと
●復活は神が起こしたもうという行為そのもの。その神を信ずるというそこに重点がある。
●我々も神に「起こされる」のであって、死んだら自動的に復活するのではない。「身体のよみがえり」はあくまで神の主権の行為。逆にそこに安心がある。
●だから信仰なくして死んだ者にも望みがある。神の「お声がかり」があれば救われる。
岩波版佐藤訳 ロマ 10:9
451009なぜならば、もしもあなたがあなたの口で主イエスを告白し、あなたの心のうちで、神はイエスを死者たち〔の中〕から起こした、と信じるなら、あなたは救われるであろうから。
口語訳 ロマ 1:4
1:4 聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた。これがわたしたちの主イエス・キリストである。
岩波版佐藤訳 ロマ 4:17
450417次のように書かれている。すなわち、私は多くの民の父として、あなたを立てた、と。この方を彼は信じたのであり、その方は死者たちを生かし、そして無なるものを有なるものとして呼び出される神である。
塚本訳 Uコリ4:14
4:14 というのは、主イエスを生きかえらせたお方は、イエスと一体としてわたし達をも生きかえらせ、あなた達と一所にその(御座の)前に立たせてくださることを知っているからである。
主の語られたことは実現すると信じられるようになった人は幸いである。
人はその生涯のうちでいつか信じられる日が訪れる。トマスの例に学ぶ
新改訳 ルカ 1:45
1:45 主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」
文語訳 ルカ 1:45
1:45 信ぜし者は幸福なるかな、主の語り給ふことは必ず成就すべければなり。
新共同 ヨブ 42:5
42:5 あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。
口語訳 ヘブ 11:13
11:13 これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。