死の悲しみと恐怖からの救い

イエスの復活の史実が理性の安息

 

金子幸子邸家庭礼拝  高橋照男 2010..

讃美歌 489,405

 

@死はその瞬間よりもそれが間もなく来るという嘆きの方が大きい。

A人が死んだ時の神の子イエスの慰め。「騒ぐな。死は眠りだ」

B信仰の支え。神が傍にいてくれるというだけで楽になる。

C眠りから目覚めると有体的復活。復活の史実を知る事による喜び

D信仰なくして逝った者は救われるか。万人救済の聖書的根拠

E終末の日、有体的復活での再会。「あなたの信じたとおりに成れ。」

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@死はその瞬間よりもそれが間もなく来るという嘆きの方が大きい。

 

●医学用語ではそれを予期悲嘆と言う。癌は告知しても余命は告知しない病院

 

塚本訳 マコ 5:22-24

5:22 するとヤイロという一人の礼拝堂監督が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏し、

5:23 しきりに願って言う、「わたしの小さな娘が死にかかっています。助かって命びろいをするように、どうか行って、手をのせてやってください。」

5:24 イエスは彼と一しょに出かけられた。大勢の群衆がイエスについて行って押しまくった。

 

 

塚本訳 ヨハ 4:46-50

4:46 それから、またガリラヤのカナに行かれた。そこは(前に)水を酒にされた所である。するとカペナウムに(ヘロデ・アンデパス)王の役人がいて、その息子が病気であった。

4:47 イエスがユダヤからガリラヤに来ておられると聞くと、イエスの所に行き、(カペナウムに)下ってきて息子を直してほしいと頼んだ。息子が死にそうだったのである。

4:48 イエスは言われた、「あなた達は徴[奇蹟]と不思議なことを見なければ、決して信じない。」

4:49 王の役人が、「主よ、子供が死なないうちに(カペナウムに)下ってきてください」と言いつづけると、

4:50 イエスは言われる、「かえりなさい、息子さんはなおった。」その人はイエスの言われた言葉を信じて、かえっていった。

 

口語訳 ルカ 8:23-24

8:23 渡って行く間に、イエスは眠ってしまわれた。すると突風が湖に吹きおろしてきたので、彼らは水をかぶって危険になった。

8:24 そこで、みそばに寄ってきてイエスを起し、「先生、先生、わたしたちは死にそうです」と言った。イエスは起き上がって、風と荒浪とをおしかりになると、止んでなぎになった。

 

塚本訳 マタ 26:36-38

26:36 ほどなくイエスは弟子たちと一しょに(オリブ山の麓の)ゲッセマネという地所に着くと、弟子たちに言われる、「わたしがあちらへ行って祈っている間、ここに坐って(待って)おれ。」

26:37 そしてペテロとゼベダイの子二人(だけ)を連れて(奥の方へ)ゆかれると、(急に)悲しみおののき始められた。

26:38 それから彼らに言われる、「『心がめいって』『死にたいくらいだ。』ここをはなれずに、わたしと一しょに目を覚ましていてくれ。」

 

 

A人が死んだ時の神の子イエスの慰め。「騒ぐな。死は眠りだ」

 

塚本訳 マタ 9:23-24

9:23 やがてイエスは役人の家に着いて、笛吹き男と騒いでいる群衆とを見ると、

9:24 言われた、「あちらに行っておれ。少女は死んだのではない、眠っているのだから。」人々はあざ笑っていた。

 

塚本訳 マコ 5:38-39

5:38 やがて監督の家に着いて、人々がひどく泣きわめいて騒いでいるのを見ると、

5:39 (家の)中に入って言われる、「なにを泣いたり騒いだりするのか。子供は死んではいない、眠っているのだ。」

 

塚本訳 ルカ 8:51-52

8:51 家に着かれると、ペテロとヨハネとヤコブと、女の子の父と母とのほかには、だれも一しょに中に入ることを許されなかった。

8:52 (集まった)人々が皆泣いて、女の子のために悲しんでいた。イエスが言われた、「泣くな。死んだのではない、眠っているのだ。

 

塚本訳 ヨハ 11:11

11:11 こう話して、またそのあとで言われる、「わたし達の友人ラザロが眠った。目をさましに行ってやろう。

 

●死は霊魂が一旦神の懐に隠されること。終末にキリストの再臨と終末に復活させられる。霊魂不滅説ではない。中澤n先生との往復書簡による合意。

 

口語訳 コロ 3:3-4

3:3 あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである

3:4 わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう

 

 

B信仰の支え。神が傍にいてくれるというだけで楽になる。

 

●エクレシアの存在意義

 

塚本訳 マタ 26:35-36

26:35 ペテロが言う、「たとえご一しょに死なねばならなくても、あなたを知らないなどとは、決して申しません。」(ほかの)弟子たちも皆、口をそろえてそう言った。

26:36 ほどなくイエスは弟子たちと一しょに(オリブ山の麓の)ゲッセマネという地所に着くと、弟子たちに言われる、「わたしがあちらへ行って祈っている間、ここに坐って(待って)おれ。」

 

塚本訳マタ 26:38

26:38 それから彼らに言われる、「『心がめいって』『死にたいくらいだ。』ここをはなれずに、わたしと一しょに目を覚ましていてくれ。

 

塚本訳 ヨハ 11:21

11:21 マルタがイエスに言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。

 

塚本訳 ヨハ 11:32

11:32 マリヤはイエスのおられる所に来ると、イエスを見るなり、足もとにひれ伏して言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの・・わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。」

 

塚本訳 ヨハ 11:23-27

11:23 イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」

11:24 マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」

11:25 イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。

11:26 また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」

11:27 イエスに言う、「はい、主よ、(信じます。)あなたが救世主で、神の子で、世に来るべき方であると、私は信じています。」

 

塚本訳 マタ 28:18-20

28:18 イエスは近寄ってきて十一人に言われた、「(いまや)天上地上一切の権能が、(父上から)わたしに授けられた。

28:19 それゆえに、行ってすべての国の人を(わたしの)弟子にせよ、父と子と聖霊の名で洗礼を授け、

28:20 わたしがあなた達に命じたことを皆守るように教えながら。安心せよ、世の終りまでいつもわたしがあなた達と一しょにいるのだから。

 

 

C眠りから目覚めると有体的復活。復活の史実を知る事による喜び

 

塚本訳ヨハ 11:39-40

11:39 「石をのけなさい」とイエスが言われる。死んだ人の姉妹のマルタが言う、「主よ、もう臭くなっています。四日目ですから。

11:40 イエスがマルタに言われる、「信ずれば神の栄光が見られると、(さきほども)あなたに言ったではないか。」

 

塚本訳 ヨハ 11:43-44

11:43 こう言ったのち、大声で、「ラザロ、出て来い」と叫ばれた。

11:44 死人が手足を包帯で巻かれたまま、(墓から)出てきた。顔は手拭で包まれていた。イエスは「解いてやって(家に)帰らせなさい」と人々に言われた。

 

塚本訳 ヨハ 20:6-10

20:6 続いてシモン・ペテロも来た。彼は墓に入り、亜麻布が(そのままそこに)あるのを見た。

20:7 また頭をつつんだ手拭は亜麻布と一しょになく、これだけ別の所に、包んだまま(の形)になっていた。

20:8 すると先に墓に着いたもう一人の弟子も入ってきて、見て、信じた。

20:9 イエスは死人の中から復活されねばならないという聖書の言葉が、(この時まで)まだ彼らにわかっていなかったのである。

20:10 それから二人の弟子は家にかえった。

 

塚本訳 ヨハ 20:16-17

20:16 (こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)

20:17 イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」

 

塚本訳 ヨハ 20:19-20

20:19 その日すなわち週の初めの日の晩であった。ユダヤ人を恐れて、弟子たちのおる部屋の戸には(皆)鍵がかけてあったのに、イエスが(どこからともなく)はいって来て(彼らの)真中に進み出て、「平安あれ」と言われた。

20:20 そしてそう言いながら、手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。

 

●イエスの有体的復活が理性の安息。神のメッセージとしてのイエスの復活

 

塚本訳 Tコリ15:3-8

15:3 まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、

15:4 葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、

15:5 またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである。

15:6 そのあと、一度に五百人以上の兄弟に御自分を現わされた。そのうちの多数の者はいまでも生きてい(て、わたしが嘘を言っていないことを証明してくれ)る。もっともすでに眠った者もあるにはある。

15:7 そのあと(御兄弟の)ヤコブに、それから使徒一同に、御自分を現わされた。

15:8 しかし一番最後には、さながら月足らずのようなわたしにも御自分を現わされた。

 

岩波翻訳委員会(佐藤)訳1995 第一コリント153-4

461503なぜならば、私はあなたがたに、まず第一に、私も受け継いだことを伝えたからである。すなわち、キリストは、聖書に従って、私たちの罪のために死んだこと、

461504そして埋葬されたこと、そして聖書に従って、三日目に〔死者たちの中から〕起こされていること、

 

 ●キリスト教2千年間の使徒信条(讃美歌566所載)・・・中間部分・・・

主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり三日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり、

 

●復活は「胸が熱くなる」事によって信じられる。それは聖霊の働き

 

塚本訳 ルカ 24:28-32

24:28 とかくするうちに目指す(エマオの)村に近づくと、なお先へ行くような様子をされたので、

24:29 二人はこう言って無理に引き留めた、「わたし達のところにお泊まりなさい。間もなく夕方で、日もはや傾いたから。」そこで彼らのところに泊まるために、(家に)入られた。

24:30 一しょに食卓について、(いつものように)パンを(手に)取り、(神を)讃美したのち、裂いて渡されると、

24:31 (その時)二人の目が開けて、その方とはっきりわかった。すると(また)その姿が見えなくなった。

24:32 二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。

 

 

D信仰なくして逝った者は救われるか。万人救済の聖書的根拠

 

塚本訳マタ 5:45

5:45父上は悪人の上にも善人の上にも日をのぼらせ、正しい人にも正しくない人にも、雨をお降らしになるのだから。

 

塚本訳マタ 10:29

10:28 体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。

10:29 雀は二羽一アサリオン(三十円)で売っているではないか。しかしその一羽でも、あなた達の父上のお許しなしには地に落ちないのである。

 

塚本訳 マタ 6:26-27

6:26 空の鳥を見てごらん。まかず、刈らず、倉にしまいこむこともしないのに、天の父上はそれを養ってくださるのである。あなた達は鳥よりも、はるかに大切ではないのだろうか。

6:27 (だいいち、)あなた達のうちのだれかが、心配して寿命を一寸でも延ばすことが出来るのか。

 

塚本訳 ルカ 15:4

15:4 「あなた達のうちのだれかが羊を百匹持っていて、その一匹がいなくなったとき、その人は九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を、見つけ出すまではさがし歩くのではないだろうか。

 

塚本訳 マタ 9:10-13

9:10 イエスが家で食卓についておられるたときのこと、大勢の税金取りや罪人も来て、イエスや弟子たちと同席していた。

9:11 パリサイ人はこれを見て、弟子たちに言った、「なぜあなた達の先生は、税金取りや罪人と一しょに食事をするのか。」

9:12 聞いて言われた、「丈夫な者に医者はいらない、医者のいるのは病人である

9:13 『わたしは憐れみを好み、犠牲を好まない』という(神の言葉の)意味を、行って、勉強したがよかろう。わたしは正しい人を招きに来たのではない、罪人を招きに来たのである。」

 

塚本訳マタ 21:31

21:31 この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう

 

塚本訳 ヨハ 12:47

12:47 しかしわたしの言葉を聞いて守らぬものがあっても、わたしはその人を罰しない。なぜなら、わたしは世を罰するために来たのでなく、世を救うために来たのだから。

 

●人は信仰告白なくても救われる。神はその人の心と態度を見る。

 

塚本訳 ルカ 15:21-23

15:21 息子は父に言った、『お父さん、わたしは天(の神様)にも、あなたにも、罪を犯しました。もうあなたの息子と言われる資格はありません。……

15:22 しかし父は(皆まで聞かず)召使たちに言った、『急いで、一番上等の着物をもって来て着せなさい。手に指輪を、足にお靴をはかせなさい。

15:23 それから肥えた小牛を引いてきて料理しなさい。みんなで食べてお祝いをしようではないか。

 

●万人救済のパウロの思想はイエスと内的に一致している

 

塚本訳 ロマ 3:23-24

3:23 なぜか。すべての人が罪を犯したため、いまだれ一人、(かつて持っていた)神の栄光をもたない。

3:24 (さりとて失った栄光を回復する力はないので、何一つ)代価を払わず、(ただ)神の恩恵によって、キリスト・イエスによるあがないの力で、(神に)義とされる(道が設けられた)のである。

 

塚本訳 ロマ 3:29

3:29 それとも神はユダヤ人だけの神であろうか。また異教人の神ではなかろうか。もちろん異教人の神でもある、

 

塚本訳 ロマ 5:5-10

5:5 そしてこの『希望は(必ず実現して、わたし達を)失望させることはない。』神はわたし達に聖霊を授け、それによって愛をわたし達の心の中に(いつも豊かに)注いでいてくださるからである。

5:6 なぜなら、わたし達がまだ弱くあったとき、当時まだ不信心者の(わたし達の)ために、キリストは死んでくださったからである。

5:7 (驚くべき神の愛!人間の世界では、)義人のために命をすてる者はほとんどあるまい。善人のためならば、惜しげもなく命をすてる者が、あるいはあるかも知れない。

5:8 しかしわたし達が(義人でも善人でもなく、)まだ罪人(神の敵)であったとき、キリストが私たちのために死んでくださった。このことによって、神はわたし達に対する愛をお示しになったのである。

5:9 それならばキリストの血で義とされている今、わたし達がキリストによって(最後の日の神の)怒りから救われるのは、もちろんである。

5:10 なぜなら、(神の)敵であったのに、その御子の死によって神と和睦ができたくらいならば、すでに和睦をしたわたし達が、御子の(復活の)命によって救われるのは、もちろんである。

 

 

E終末の日、有体的復活での再会。「あなたの信じたとおりに成れ。」

 

● 終末での『不信者の復活』。万物再生(ロマ821)の新天新地の創造。終末で不信者が復活することは我々の悲願であるが、これは人間の祈りである。

 

●終末における不信者の復活。Tコリ15:24aのte,lojテロス(ギリシャ語)は普通「終末」とか「終わりが来る」と訳される。(口語、新改訳、前田、新共同、文語、田川、KJV、NKJV、TEV、NTD)しかし塚本訳は「残りの人たちが」とし、不信者が復活するという万人救済説を取る。これは最近の学説の傾向だと言われる(聖知284号-P4)。黒崎幸吉も万人救済説に立つ。神はキリストの功によって死を滅ぼされたからである。それよりも「私が救われたからには世に救われない人はない」と思えば平安。今日キリスト教に力がないのは体的復活と体的再臨の信仰がボケてきたから(聖知231号-P8)。

 

塚本訳 Tテサ5:10

5:10 主は、私達が(その日)目を覚ましていても(あるいは既に墓に)眠っていても(皆等しく)彼と共に生きることが出来るように、私達のために死に給うたのである。

 

塚本訳Tコリ15:21

15:21 というのは、一人の人によって死が来たので、同じく一人の人によって死人の復活が来るのである。            (= ロマ5:15-21)

 

●ただし神の恐ろしさを侮る万人救済論ではいけない。それは異教的な考えで十字架を無意味にする。不信者は一度は「第二の死」である霊魂の死という罰に苦しまなければならない。しかしここに十字架による救いの有り難さがある。

 

塚本訳 マタ 22:29

22:29 イエスは答えられた、「あなた達は聖書も神の力も知らないので、間違いをしている。

 

塚本訳 マタ 10:28
10:28
体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ

 

家族の救いは信者の切なる祈り、悲願。家族の救いなくして我々の平安はない。神の判決は周囲の熱い祈りで覆る。これが葬儀の意義。レクイエム(鎮魂曲)を歌う意味。

 

塚本訳 ルカ 16:28

16:28 わたしに五人の兄弟があります。彼らまでがこの苦しみの場所に来ないように、よく言って聞かせてください。』

 

塚本訳ルカ 18:1-5

18:1 なお、気を落さずに常に祈るべきことについて、一つの譬をひいて弟子たちに話された、(中略)

18:5 この寡婦(やもめ)はどうもうるさくて、やりきれないから、(裁判をして、)この女のために仕返しをしてやろう。そうしないと最後にはやって来て、わたしをどんなひどい目にあわせるか知れない。』」

 

神の力を恐れて信じ、わが身も復活の可能性があるとの希望を持つ

 

塚本訳ルカ 23:41-43

23:41 おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」

23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。

23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽(パラダイス)にはいることができる。」

 

●復活の希望には喜びが伴う。この「永遠の命」の喜びこそ来世実在の証拠。

 

塚本訳 Tペテ1:8

1:8 君達は彼を(目のあたり)見たことはないが、(これを)愛し、今も見ることは出来ないが、(これを)信じて、(既にかの日の)輝きに満ちた、言語に絶する喜悦を喜んでいる。

 

塚本訳 ロマ 8:24

8:24 なぜなら、わたし達は(最後の日に救いが完成されるという)望みをもって、救われているからである。目に見ることのできる望みは望みではない。人はいま現に見ているものを、なんでその上望む必要があろうか。

 

塚本訳 テト 2:13

2:13 幸福な希望と、大なる神及びわれらの救い主キリスト・イエスの栄光の顕現(あらわれ)(によってその希望が満たされること)とを待ち望ませるのである。

 

●イエスが褒めた立派な信仰とは何か。「信じた通りに成れ」。信ずれば成る。

 

塚本訳 マタ 8:5-13

8:5 カペナウムに帰られると、一人の百卒長がそばに来て願って

8:6 言った、「主よ、うちの下男が中風で家にねていて、ひどく苦しんでおります。……

8:7 彼に言われる、「(ユダヤ人の)このわたしが、(異教人のあなたの家に)行ってなおすのか。」

8:8 百卒長は答えた、「主よ、わたしはあなたを、うちの屋根の下にお迎えできるような者ではありません。(ここで)ただ一言、言ってください。そうすれば下男は直ります。

8:9 というのは、わたし自身も指揮権の下にある人間であるのに、わたしの下にも兵卒がいて、これに『行け』と言えば行き、ほかのに『来い』と言えば来、また僕に『これをしろ』と言えば(すぐ)するからです。(ましてあなたのお言葉で、病気が直らないわけはありません。)」

8:10 イエスは聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、イスラエル人の中でも、こんなりっぱな信仰をもっている者を一人も見たことがない。

8:11 わたしは言う、(最後の日には、このような信仰のあつい)大勢の人が『東から西から』来て、天の国でアブラハムやイサクやヤコブと共に宴会につらなり、

8:12 (かんじんのイスラエル人、すなわち)御国の子供たちは外の真暗闇に放り出され、そこでわめき、歯ぎしりするであろう。」

8:13 それからイエスは百卒長に言われた、「お帰り。あなたの信じたとおりに成れ。」するとちょうどその時に、下男は直った。

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